★今日のベビメタ
本日12月12日は、2015年、World Tour 2015 in Japan The Final Chapter of Trilogy@横浜アリーナ(初日)が行われ、「THE ONE」「KARATE」が初披露された日DEATH。
2012年11月にBABYMETALの「ド・キ・ド・キ☆モーニング」がYouTubeの公式動画にアップされたとき、「Kawaii Metal」として海外で話題になり、ライブのオファーもあったというが、プロデューサーであるKOBAMETALは断ったという。
その1年前、2011年8月に、きゃりーぱみゅぱみゅの「PON PON PON」がアップされており、すでに2000万回以上の視聴件数を記録していた。「PONPONPON」は、2012年8月時点で、iTunesストアで100万ダウンロードを記録し、きゃりーぱみゅぱみゅは、「Kawaii」の象徴として、海外ライブのオファーが殺到し、2013年2月から、世界13都市で全19公演を行い、2万8000人を動員した。
「PONPONPON」のMVは、日本人から見るとカラフルでファンシーな衣装とまつ毛を強調したメイクと、ポップなテクノの曲調、舌ったらずな歌い方と子ども番組のような振り付けで、「カワイイ」としか見えない。
しかし、よく見ていると、そのメイクはときおり異常な色調のピンク色に変わり、少女の自室のように見せかけた背景に、これでもかと積まれた人形や小道具もデフォルメされている。バックダンサーは肥満した黒い顔の女性が務め、窓から侵入してくるのはガイコツや巨大な大腿骨であり、きゃりーは口から黒い鳥を吐き出す。
2番では色とりどりの眼球がきゃりーを取り巻き、きゃりー自身も口から眼球を吐き出す。
テレビ塔の周りを飛ぶエッシャー風の鳥。オレンジ色の戦車。黄色いサメ。カラフルなドーナツ。骨だけの手。ストラトでもレスポールでもなく、サイケの象徴である白いSG。無数のサイコロ。
脈絡のない「モノ」たちが次々と出現する様子は、これが少女の脳内で展開される奇怪な妄想世界であることを示している。
もちろんこの世界は、きゃりーぱみゅぱみゅが自ら案出したものではなく、中田ヤスタカやアソビシステムのクリエーターたちが創造したものだ。
だが、この奇怪さを一身に体現するきゃりーぱみゅぱみゅというアーティストの感性こそ、清少納言直系の「青文字系Kawaii」の真骨頂ではないか。
そして、この世界は、箱庭のようなミニアチュールの空間に、懐中時計をぶらさげた白ウサギ、三月ウサギ、帽子屋マッドハッター、チェシャ猫、眠りネズミ、グリフォン、青イモムシ、代用海亀、ドードー、トランプの兵隊や女王など、奇怪なクリーチャーが次々と登場する『不思議の国のアリス』の世界にも似ている。
ぼくの考えでは、この奇怪さが、欧米人に「PONPONPON」がウケた最大の理由である。
BABYMETALの「ド・キ・ド・キ☆モーニング」もそうだった。
「PONPONPON」と「ド・キ・ド・キ☆モーニング」MVを見比べてみると、色調はまったく違うが、右後ろに見える窓といい、ゴージャスなカーテンといい、家具や小道具の配置といい、部屋の作りがなんとなく似ていることに気づく。
「YouTubers React to BABYMETAL」で、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を見た欧米人たちは、骨バンドが演奏する中、地面の中からゴスロリっぽい衣装を着た三人が現れるのに驚き、2番のあとの「♪アー」のところで、YUIとMOAの顔が歪み、その後三人の首だけがクルクル回る映像に一様に嫌悪感を示す。
トランプ大統領の登場前、ポリティカル・コレクトネスに敏感だったアメリカのYouTuberたちは、幼い少女たちとヘヴィなリフの取り合わせや、ガイコツ男の演奏、首だけが回る映像に、奇怪さを感じることを表明しなければならなかったのだ。
だが、その奇怪さこそ「Kawaii」の本質であるとぼくは思う。
「Kawaii」とは、ロリコンの対象となるCuteな美少女を指すのではない。
カラフルでファンシーに見える中に、大人には理解しがたい固有の世界観を持った少女という存在。それこそ「Sexy」とは真逆の、特別な価値なのだ。
そしてそれは、バタイユのいうエロティシズムとは全く違う意味で、「内的存在が揺さぶられる」体験でもあるだろう。
その証拠に、「YouTubers React to BABYMETAL」でも、「ギミチョコ!!」に至って、YouTuberたちはBABYMETALに惹かれ、最後の「SEE YOU IN THE MOSH’SH PIT」を読んで、ぜひライブに行ってみたいと表明するのだ。
恋愛対象ではないのに、観る者の内面を侵犯し、日常的な価値観を根底から覆される。それが「Kawaii」だ。
だが、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」アップロード当時のKOBAMETALは、BABYMETALを、そんな意味を内包した「Kawaii」アイドルとして売り出そうとはしなかった。
それよりも、2012年、2013年とステージ経験を積ませ、メタル・ライブバンドとして欧米市場に打って出た。
それはなぜか。
ぼくの考えでは、奇怪さを内包した「Kawaii」アイドルというだけではカルチャーの領域の現象に過ぎないが、音楽プロデューサーであるKOBAMETALは、それを音楽で表現したいと考えたからだと思う。
ロックという音楽は、1950年代の登場から、「良識派」から指弾される音楽だった。社会の規範にとらわれず、大音量のエレクトリック楽器やドラムスのビート、そしてシャウトで、聴く者の魂を揺さぶる。それは日常性を侵犯する一種の暴力であり、若者たちは熱烈に支持した。ヘヴィメタルは、その過激な発展形である。
想像をたくましくすれば、ガイコツや奇怪なクリーチャーが登場する「PONPONPON」のMVを見たKOBAMETALは、「Kawaii」の本質はデスメタルやブラックメタルと親和性が高いと直感したのではないか。
「Wall Of Death」という言葉に代表されるように、本場のヘヴィメタルは、暴力性を帯びている。
スラッシュメタルの「Thrash」は、鞭打つという意味である。
流血や暴力を伴う北欧ブラックメタルは、バタイユのいう、恍惚を生み出す反キリスト的な宗教儀式に近い。
ギミックであるにしろ、日本では、聖飢魔Ⅱがライブを悪魔教のミサと呼び、ファンを信者、アルバムを大教典と呼んだことは、ヘヴィメタルを大衆化する先行事例となった。
BABYMETALでは「Kawaii」に内包された奇怪さをカワイく「何じゃこりゃ!?」と呼ぶ。
まだ幼い少女たちが、本格的なヘヴィメタルを生で歌い踊ること自体、「何じゃこりゃ!?」だったわけだが、ご丁寧にもBABYMETAL神話では、欧米の良識的キリスト教徒からみれば、異教の魔神であるキツネ様をメタルの神と崇め、Apocalypse(黙示録)とかApocrypha(外典)といったユダヤ/キリスト教用語が用いられる。
召喚された三人の少女は、メタルの神の生贄とされる「幼いメタルの魂」である。だから、SU-は何度でも十字架にかけられ、焼かれるのだ。
そうして命を捧げたSU-は、崇拝すべき「聖なるもの」=生ける女神となる。
エロティックな要素は薄いが、きわめてバタイユ的ではないか。
もちろん、それは「何じゃこりゃ!?」を演出するギミックに過ぎず、少女たちは生身の存在である。BABYMETAL結成時に中学1年生だったSU-はあと10日で22歳、小学5年生だったMOAも7月に20歳になった。
大人になった彼女たちは、「Kawaii Metal」=「何じゃこりゃ!?」をどう表現していくのか。
それとも、それを脱していくことが「メタルの未来」なのか。
(つづく)