インスタントジョンソン じゃいオフィシャルブログ『マルいアタマをぐちゃぐちゃにする』powered by Ameba -297ページ目

ケチ

ケチ…あまりいい響きではない。


ケチと言われてもあまりいい気はしない。


辞書で調べると、しみったれ、卑劣、貧弱と書いてあった。


ではケチとは具体的にどういう人のことだろう?

男女で食事に行き、男が割り勘システムを作動したら?


中にはケチだと言う女性もいるだろう。


しかし、割り勘でケチだと言う女性もケチではないか?


では、この男女が入社したばかりのOLと年俸数十億のメジャーリーガーだったら。


ここでの割り勘システムは確実にメジャーリーガーがケチになる。


つまり、財産や収入の大きさがケチの判断基準に左右される。


では、割り勘システムの場合、一円単位まで割ったとしたら。


これもケチだと思われそうだ。


冷静に考えると、すごくキッチリした人なのだが、まあ、セコい、細かい、ちっちゃい、格好悪い、ダサい、嫌い…となる。


金銭以外にもあるだろう。


例えば、デートの帰りに駅まで送ってくれない。

タバコを一本もくれない。


フェラしたのにクンニしてくれない。


やっぱりケチより太っ腹の方が格好いい!


かといって、ケチは病気みたいなものだ!


そう簡単に治せるものでもない!


だったら、ケチを極めてみたらどうだろう。


誰にも負けないくらいケチになれば格好いいじゃないか!


究極のケチはどんな人か?


デパ地下の試食で弁当を作る。


回転すしで皿を取らずにネタを食う。


飲み会で、それぞれ何を食べたか、何杯飲んだかを計算し、個人ごとの会計を算出する。


メールは受信しかしない。


電話はフリーダイヤルしかかけない。


図書館が大好き。


赤い羽根をおごってもらう。


「あのときタバコをあげたじゃん!」とそれ以上のものを請求する。


電車に乗るときに駅員に交通費を値切ろうとする。


お年玉をあげるときは、あげた子供にお年玉袋代と手間賃を請求する。


Hのときは電気代が勿体ないからという理由で電気を消す。


観たい映画がやってる映画館の外で待っていて観終わった人に内容を聞く。


ここまで徹底したら尊敬する。


友達にはしたくないが。

クリーニング

衣類は着ていると徐々に汚れていく。


体もお風呂に入らないとドンドン汚れていく。


部屋にしても、物にしても、時と共に汚れていく。


時間が経ったり、汚れてきたりすると味が出るというのはあるが、ほっといたらドンドン綺麗になっていくものは聞いたことがない。


そして、洋服にしても、体にしても、部屋にしても、大抵は汚いものより、綺麗なものの方が好まれる。


清潔な人と不潔な人だったら、まあ清潔な人の方がいいだろう。


つまり、時間が経つと汚れていくという一方通行のものと、人々が綺麗なものの方が好きというのは、不変的なものなのだ!


そして、不潔にしていると、同時に悪臭が生まれる。


この匂いも決していい匂いではない。


これは人間の本能に埋め込まれたものと言えよう。


中には、悪臭が好き、汚いのが好きという人もいるかもしれないが、そういう人は変態だろう。


もしくは、突然変異だ!

しかし、綺麗なもの=美しいという方程式は必ずしも成立するだろうか?

例えば、真夏のグラウンドで猛練習している高校球児。


何時間もの練習が終わったとき、泥だらけで汚い球児と、おろしたてのように綺麗なユニフォームの球児ではどちらが美しいだろう?


泥だらけの球児ではないだろうか?


綺麗なものを好むという本能を与えられた人類が、汚いものを美しいと思うのは本来の方程式を覆すはず。


では何故か?


そこには目に見えるものではないものが美しさの対象になっているからだ。


つまり、内面のクリーニング状況が人への好感度の対象になっているのだ!


ブサイクだって、内面を磨き、クリーンな状態にしておけば、それを美しいと思う人は少なくない!


今こそ立ち上がれブサイク達よ!


クレンザーで心を磨くのだ!


僕も今から内面をコロコロしなきゃ!


たーだ!いくら内面を磨くとしても、お風呂は入ろう!


服は洗濯しよう!


クレンザーの万引きは止めよう!

キラー

殺人鬼の意。


先日、秋葉原で残酷な通り魔事件が起きた。


ヒドい!許せない!と思うが、みんな思っていることだろうからここではあえて触れない。


彼は何故殺人鬼になったのか?


話しは変わるが、最近岩手県周辺で大地震が起きた。

死者も死傷者の数も秋葉原を上回る。


この2つの事件の違いは何だ?


恐ろしいという点では同じだ。


では何が違う?


地震は加害者が自然で、人ではない。


地震は人を殺したというのに逮捕もされない。


もちろん、地震を逮捕することなんて出来ないが。


そう、いくら人を殺しても、逮捕されるのは人だけである。


蛇、スズメバチ、クマ、ライオンがいるそんな刑務所はない。


逆に、人が人以外の生き物を殺しても基本逮捕されない。


アリを踏み潰そうが、蚊を集団で殺そうが、牛を食おうが、魚に包丁を入れようが罪にすらならない。


人間は人間のことしか考えていないのだ。


そして、人殺しが絶対ダメか?といったら、そんなことはない。


死刑だって人殺しだし、正当防衛、警察官による射殺、中絶、など。


やむを得ない場合は罪に問われない。


ということは、何故人殺しをしたか?誰を殺したか?何人殺したか?などによって印象も変わってくるということだ。


今回の秋葉原の通り魔もそうだが、このような無差別的な犯人は、栄光と挫折を味わっている人が多いらしい。


今回の犯人に限っては、彼女がいればやらなかったと言っていた。


栄光と挫折を味わっている人なんていっぱいいる!彼女、彼氏がいない人なんていっぱいいる!


それでも人殺しはしない。


何かあういう事件が起こると人外的なものの力を感じる。


何年か前の宅間容疑者の事件と同じ日というのも因果を感じる。


そして今、模倣犯が何人も捕まっている。


オリジナルを讃える気はさらさらないが、俺模倣犯嫌い。


よりによって犯罪者の真似して、やることは中途半端。一切の工夫がない。


工夫しようが犯罪はしたゃダメだけど、何か模倣犯は嫌い!


重い話しでゴメーン!


誠にすいま…


ヤバい!人の真似するとこだった。