昔の話
フィクションだと思って読んで欲しい。
もう20年以上前の話になる。
キャバ嬢の女友達を先輩に紹介した。
2人はすぐに仲良くなり、半同棲するくらいまでになった。
細かくはどういう関係かは分からないが、一般的には付き合っている状態だった。
他人の恋愛には興味はないが、ごく稀にその子からノロケ話のようなものは聞かされた。
「〇〇さん優しいんだよ」
「趣味がとっても合ってるの」
幸せなら良かった。そう思った。
正確には覚えてないが、2年くらい経った頃かな?
彼女から電話があった。
泣いていた。
「〇〇さんがいなくなった!連絡もつかない」
先輩が何の前触れもなく、何の話もなく、姿を消したらしい。
姿を消したといっても、テレビを付けたらその人は出てくる。
単純に女を捨てたということだ。
数日後、メールか手紙か忘れたが、
「俺の荷物、事務所に送っといて」
というメッセージがあったらしい。
そして、その後、昔からタイプだと言っていた共演者の女優さんと付き合うことになったみたいだ。
損得だけで生きてるような人なので、らしいといえばらしい。
そんな恋愛の終わり方は珍しくないだろうし、友達が傷つけられたといっても、それは2人の問題なので、自分が介入するようなことでもない。
僕に対しては、
「〇〇ちゃんのケア頼むわ」
自分の使ったトイレを「掃除しといて!」
と言われたような感覚だった。
申し訳なさも、感謝も、残念ながら感じられなかった。
その後、その女優さんではない、もっと有名な人と結婚したというニュースを耳にした。
めでたいことだが、別れた女優さんは〇〇ちゃんのように捨てられたのかな?
ふと思った。
〇〇ちゃんが捨てられてから5年以上は経っていたが、〇〇ちゃんはその時点でも心の傷は癒えず、時折涙を流し、男性不審で新しい恋愛も出来ずにいた。
人を踏み台にし自分は上に上がっていく。賢い生き方なのかもしれない。
間違っているとは思わない。
ただ、あまりにも人の気持ち、痛みが分からなすぎるとも思う。
思いっきり踏み潰し、人を傷を付けながら成功を収める。
実際、先輩は成功を収めていた。
仕事も恋愛も。
そして事件は起こった。
先輩の人を思いやる気持ちの無さ、自分さえ良ければいいという部分が巻き起こしたスキャンダルが露わになったのだ。
先輩は仕事を失った。
別に驚きはなかった。
そこでも先輩らしいなと思った。
〇〇ちゃんに久しぶりにLINEした。
あれから10年以上経っていた。
前は、その先輩が不幸になれ、売れなくなれ!と思っていたらしいが、今は可哀想だと思うと言っていた。むしろ、早く復活して欲しいと思っていると言っていた。
ミポリンのファンクラブに入っているくらいミポリンファンの彼女と、3年前のミポリンの河口湖のコンサート会場で20年ぶりくらいに会った。
彼女は会いたくないと言っていた。
その理由が分かった。
彼女は太っていた。それで会うのが嫌だったようだ。
友達だし、そんなことは気にしないが、昔の面影はなかった。
失礼な言い方になるが、女を捨てているような雰囲気に見えた。
オシャレとか、おめかしとか、そんな雰囲気は皆無だった。
彼女は未だに男性不審で、おそらくもう恋愛はしないと思うと言っていた。
20年前に先輩がちゃんと話して別れていたら?
残酷な捨て方をしなかったら?
果たして彼女の今は変わっていただろうか?
それは誰にも分からない。
出会いは自分を変え、相手を変える。
素敵な出会いがあれば、あいつにさえ会わなければというような出会いもある。
自分は、なるべくは自分と出会ったことで不幸になるような人が現れないようにしたいと思う。
別に先輩のことを恨んでもないし、嫌いでもない。
ただ、まあ信用は出来ないかなぁ。
揉める
なんか、Xとか見ると、揉め事ばかりが流れてくる。
青汁王子とか、溝口なんちゃらとか、文春とか、なんちゃらかんちゃらとかよく分からない人達とか。
誰1人フォローしてない人達だ。
ということは、多くの人に見られてるってことで、おすすめであがってくるのだろう。
ということは、多くの人が揉め事が好きか、興味があるってことだろう。
戦略的に揉めて、インプレッションを稼いでるというのもあるんだろうな。
それが実質いくらの収入になるかは知らんが。
まあ人は揉める。
暴力団やマフィア。
夫婦や嫁姑。
与党と野党。
アメリカとイラン。
SNSの有象無象。
高収入も高学歴も関係なく揉める。
人は滑稽だ。
人は未熟だ。
未熟のまま何十万年と歴史を繰り返している。
時代とともに形は変わっているが、人間の本質はちっとも変わらない。
多分、人類が滅びるまで変わらないだろう。
「頭悪いな」というのが率直な意見だが、
俺みたいな平和主義で平穏な生活をしてるのが面白いのか?
といえばそうとは言い切れない。
俺にとっては面白いけど、側から見たらもっと揉め事がある人生の方が刺激的で面白いという人もいるだろう。
料理でも激辛料理が好きな人がいるように。
セックスでも変態プレイが好きな人がいるように。
高学歴だろうが、高収入だろうが、有名人だろうが、可愛かろうが、
揉めてたり、吠えてたりする人達に対して、まとめて「こいつらアホだな」と思う。
関わりたくないと思う。
だがしかし!俺がこの先揉めないとも言い切れない。
多分ないけど。
そして、こんなことを書いたことが揉め事の火種になることもある。
俺もまあまあアホだな。
否定病
否定病
◯誰かの意見、物事に対し否定から入る。
◯「いや」「でも」が多い。
◯否定はするが、否定されると怒ったり、落ち込んだりする。
これは現代病なのか、昔からなのかは分からないが、特に現代よく目に付く。
キングオブコントでロングコートダディがこれを題材にしたコントをしていたが、秀逸なコントだった。
その前の年の花屋のコントも秀逸でしたね。
否定すること自体は悪いことではない。
僕も普通に否定することはある。
事実、この否定病を否定している。
肯定と否定のバランスが取れてないこと、
否定の割合が多すぎることが問題だと思う。
イエスマンみたいな100%肯定はどうかと思うが、肯定の割合が多い分には問題になることはないと思う。
否定から争いは生まれる。
肯定からは揉め事や争いはまず起こらない。
ワールドカップで韓国のキーパーが韓国内で本人だけでなく、奥さんや子供まで誹謗中傷されているらしい。
クソだ!
僕も韓国戦を観たが、普通に優秀なキーパーに思えた。
仮にミスで失点したとしても、あまりに酷い仕打ちを受けている。
誹謗中傷する人達はミスすら出来ない人だ。
そのフィールド、その舞台にすら立たない。
仮にその場でキーパーをやったとして、韓国代表のキーパーよりゴールを守れる人はいない。
麻雀の対局放送のコメントでも
「俺ならトップ取れてた!」
なんてコメントがあったりするが、
お前はラスすら取れない。
その舞台に立つことが出来ないんだから。
視聴者だから、ある程度好き勝手言うのは自由だが、まずリスペクトを持ってから発信してもいいんじゃないか?
自分が何様なのか?自分がそれを言える立場なのか?
そんな奴らが表舞台に立ったら、真っ先に否定されるぞ。
僕のYouTubeでも、まあ否定的なコメントは多い。
否定、悪口、誹謗中傷。
そんなことをコメントする奴らにまず言いたい!
「観てくれてありがとう」
何のプライドもないし、自分のことを凄いとか、偉いとか思ってないし、
別に何言われても自分自身は気にしない。
ただ、そういう人達に対して、
「大丈夫?」「可哀想な人」
という感想、同情は生まれる。
それが日頃のストレス解消になっているなら、全然利用してくれて構わないけど、
そんなことして気持ちいいの?
そんな自分が好きなの?
誰がそんな貴方を好きになるの?
もっと気持ちいい生き方あると思うんだけどな。
俺は基本肯定から入る。
嫌な部分より良いところを見つける。
否定、攻撃されても、それに反発はしない、攻撃し返すこともない。
倍返しだぁー!なんて思想はない。
おかげで人と揉めることはない。
会ったことのない人で一方的に僕を嫌いな人は沢山いると思うが、会ったことある人ではそこまで嫌われることはない。
まあ、中にはいるだろうけど。
そういう生き方をしてると、周りが温かい。
自分に対して優しくしてくれるんだ。
ほとんどの人を好きになれるし、小さいコミュニティかもしれないが、そこには争いのない平和な世界が生まれる。
つまらない!と思う人もいるかもだけど、個人的には最高の人生だと思う。
否定病の人がいたら、ちょっとずつでも肯定を取り入れることをお勧めする。
多分生きやすくなると思う。
でも、無理したし、我慢してまでする必要はないよ。