コスチューム
コスチューム…服装、衣装。
今、電車の中で書いています。
周りを見渡すと全員例外なくコスチュームを身に付けている。
全員がキャラクターに見合ったコスチュームだ。
おじさんはスーツ、オバサンはバンダナみたいな生地でよくわからない模様の服、若い女性はミニスカート、青年はジーンズ、運転手は鉄道の制服。
これがもし、おじさんがミニスカート、若い女性が鉄道の制服、運転手がよくわからない模様の服だったら…
その車両はおかしな光景だ!
このように、コスチュームなんて一見個々の自由に思えるが、みんなある程度のルールにのっとっているのだ!
逆に、コスチュームによってキャラクターが変わるというのもコスチュームの驚異的なところだ!
セーラー服を着たら高校生に見える。
白衣を着れば医者か理科の先生に見える。
大きな犬がプリントされたジャージ、トレーナーを着ているとヤ○ザに見える。
アニメの主人公のコスチュームを着ている人は楽しそうに見える。
高校生だから学生服をきるのか?
学生服を着るから高校生に見えるのか?(学生服を着たとて高校生に見えない人もいるが)
永遠のテーマだ。
スポーツなんかのコスチュームはどうだろう?
そのスポーツによってガチガチに決められている。
これは、そのスポーツをやるときに最も適したコスチュームの進化系なのだろう。
最近でも水泳界でスピード社のレーザーレーサーが話題を呼んでいるが、水着を変えただけでタイムが縮まるなんて凄い!
このレーザーレーサーは他の競技ではどうなんだろう?
マラソン選手は身に付けたら早くなるのか?
アナウンサーが着たら早口になるのか?
セックスの時に着たら早漏になるのか?
副都心線が着たら早くなるのか?
ならないだろう。
みんなも遅刻しそうだからといって着ないように!
今、電車の中で書いています。
周りを見渡すと全員例外なくコスチュームを身に付けている。
全員がキャラクターに見合ったコスチュームだ。
おじさんはスーツ、オバサンはバンダナみたいな生地でよくわからない模様の服、若い女性はミニスカート、青年はジーンズ、運転手は鉄道の制服。
これがもし、おじさんがミニスカート、若い女性が鉄道の制服、運転手がよくわからない模様の服だったら…
その車両はおかしな光景だ!
このように、コスチュームなんて一見個々の自由に思えるが、みんなある程度のルールにのっとっているのだ!
逆に、コスチュームによってキャラクターが変わるというのもコスチュームの驚異的なところだ!
セーラー服を着たら高校生に見える。
白衣を着れば医者か理科の先生に見える。
大きな犬がプリントされたジャージ、トレーナーを着ているとヤ○ザに見える。
アニメの主人公のコスチュームを着ている人は楽しそうに見える。
高校生だから学生服をきるのか?
学生服を着るから高校生に見えるのか?(学生服を着たとて高校生に見えない人もいるが)
永遠のテーマだ。
スポーツなんかのコスチュームはどうだろう?
そのスポーツによってガチガチに決められている。
これは、そのスポーツをやるときに最も適したコスチュームの進化系なのだろう。
最近でも水泳界でスピード社のレーザーレーサーが話題を呼んでいるが、水着を変えただけでタイムが縮まるなんて凄い!
このレーザーレーサーは他の競技ではどうなんだろう?
マラソン選手は身に付けたら早くなるのか?
アナウンサーが着たら早口になるのか?
セックスの時に着たら早漏になるのか?
副都心線が着たら早くなるのか?
ならないだろう。
みんなも遅刻しそうだからといって着ないように!
ケチ
ケチ…あまりいい響きではない。
ケチと言われてもあまりいい気はしない。
辞書で調べると、しみったれ、卑劣、貧弱と書いてあった。
ではケチとは具体的にどういう人のことだろう?
男女で食事に行き、男が割り勘システムを作動したら?
中にはケチだと言う女性もいるだろう。
しかし、割り勘でケチだと言う女性もケチではないか?
では、この男女が入社したばかりのOLと年俸数十億のメジャーリーガーだったら。
ここでの割り勘システムは確実にメジャーリーガーがケチになる。
つまり、財産や収入の大きさがケチの判断基準に左右される。
では、割り勘システムの場合、一円単位まで割ったとしたら。
これもケチだと思われそうだ。
冷静に考えると、すごくキッチリした人なのだが、まあ、セコい、細かい、ちっちゃい、格好悪い、ダサい、嫌い…となる。
金銭以外にもあるだろう。
例えば、デートの帰りに駅まで送ってくれない。
タバコを一本もくれない。
フェラしたのにクンニしてくれない。
やっぱりケチより太っ腹の方が格好いい!
かといって、ケチは病気みたいなものだ!
そう簡単に治せるものでもない!
だったら、ケチを極めてみたらどうだろう。
誰にも負けないくらいケチになれば格好いいじゃないか!
究極のケチはどんな人か?
デパ地下の試食で弁当を作る。
回転すしで皿を取らずにネタを食う。
飲み会で、それぞれ何を食べたか、何杯飲んだかを計算し、個人ごとの会計を算出する。
メールは受信しかしない。
電話はフリーダイヤルしかかけない。
図書館が大好き。
赤い羽根をおごってもらう。
「あのときタバコをあげたじゃん!」とそれ以上のものを請求する。
電車に乗るときに駅員に交通費を値切ろうとする。
お年玉をあげるときは、あげた子供にお年玉袋代と手間賃を請求する。
Hのときは電気代が勿体ないからという理由で電気を消す。
観たい映画がやってる映画館の外で待っていて観終わった人に内容を聞く。
ここまで徹底したら尊敬する。
友達にはしたくないが。
ケチと言われてもあまりいい気はしない。
辞書で調べると、しみったれ、卑劣、貧弱と書いてあった。
ではケチとは具体的にどういう人のことだろう?
男女で食事に行き、男が割り勘システムを作動したら?
中にはケチだと言う女性もいるだろう。
しかし、割り勘でケチだと言う女性もケチではないか?
では、この男女が入社したばかりのOLと年俸数十億のメジャーリーガーだったら。
ここでの割り勘システムは確実にメジャーリーガーがケチになる。
つまり、財産や収入の大きさがケチの判断基準に左右される。
では、割り勘システムの場合、一円単位まで割ったとしたら。
これもケチだと思われそうだ。
冷静に考えると、すごくキッチリした人なのだが、まあ、セコい、細かい、ちっちゃい、格好悪い、ダサい、嫌い…となる。
金銭以外にもあるだろう。
例えば、デートの帰りに駅まで送ってくれない。
タバコを一本もくれない。
フェラしたのにクンニしてくれない。
やっぱりケチより太っ腹の方が格好いい!
かといって、ケチは病気みたいなものだ!
そう簡単に治せるものでもない!
だったら、ケチを極めてみたらどうだろう。
誰にも負けないくらいケチになれば格好いいじゃないか!
究極のケチはどんな人か?
デパ地下の試食で弁当を作る。
回転すしで皿を取らずにネタを食う。
飲み会で、それぞれ何を食べたか、何杯飲んだかを計算し、個人ごとの会計を算出する。
メールは受信しかしない。
電話はフリーダイヤルしかかけない。
図書館が大好き。
赤い羽根をおごってもらう。
「あのときタバコをあげたじゃん!」とそれ以上のものを請求する。
電車に乗るときに駅員に交通費を値切ろうとする。
お年玉をあげるときは、あげた子供にお年玉袋代と手間賃を請求する。
Hのときは電気代が勿体ないからという理由で電気を消す。
観たい映画がやってる映画館の外で待っていて観終わった人に内容を聞く。
ここまで徹底したら尊敬する。
友達にはしたくないが。
クリーニング
衣類は着ていると徐々に汚れていく。
体もお風呂に入らないとドンドン汚れていく。
部屋にしても、物にしても、時と共に汚れていく。
時間が経ったり、汚れてきたりすると味が出るというのはあるが、ほっといたらドンドン綺麗になっていくものは聞いたことがない。
そして、洋服にしても、体にしても、部屋にしても、大抵は汚いものより、綺麗なものの方が好まれる。
清潔な人と不潔な人だったら、まあ清潔な人の方がいいだろう。
つまり、時間が経つと汚れていくという一方通行のものと、人々が綺麗なものの方が好きというのは、不変的なものなのだ!
そして、不潔にしていると、同時に悪臭が生まれる。
この匂いも決していい匂いではない。
これは人間の本能に埋め込まれたものと言えよう。
中には、悪臭が好き、汚いのが好きという人もいるかもしれないが、そういう人は変態だろう。
もしくは、突然変異だ!
しかし、綺麗なもの=美しいという方程式は必ずしも成立するだろうか?
例えば、真夏のグラウンドで猛練習している高校球児。
何時間もの練習が終わったとき、泥だらけで汚い球児と、おろしたてのように綺麗なユニフォームの球児ではどちらが美しいだろう?
泥だらけの球児ではないだろうか?
綺麗なものを好むという本能を与えられた人類が、汚いものを美しいと思うのは本来の方程式を覆すはず。
では何故か?
そこには目に見えるものではないものが美しさの対象になっているからだ。
つまり、内面のクリーニング状況が人への好感度の対象になっているのだ!
ブサイクだって、内面を磨き、クリーンな状態にしておけば、それを美しいと思う人は少なくない!
今こそ立ち上がれブサイク達よ!
クレンザーで心を磨くのだ!
僕も今から内面をコロコロしなきゃ!
たーだ!いくら内面を磨くとしても、お風呂は入ろう!
服は洗濯しよう!
クレンザーの万引きは止めよう!
体もお風呂に入らないとドンドン汚れていく。
部屋にしても、物にしても、時と共に汚れていく。
時間が経ったり、汚れてきたりすると味が出るというのはあるが、ほっといたらドンドン綺麗になっていくものは聞いたことがない。
そして、洋服にしても、体にしても、部屋にしても、大抵は汚いものより、綺麗なものの方が好まれる。
清潔な人と不潔な人だったら、まあ清潔な人の方がいいだろう。
つまり、時間が経つと汚れていくという一方通行のものと、人々が綺麗なものの方が好きというのは、不変的なものなのだ!
そして、不潔にしていると、同時に悪臭が生まれる。
この匂いも決していい匂いではない。
これは人間の本能に埋め込まれたものと言えよう。
中には、悪臭が好き、汚いのが好きという人もいるかもしれないが、そういう人は変態だろう。
もしくは、突然変異だ!
しかし、綺麗なもの=美しいという方程式は必ずしも成立するだろうか?
例えば、真夏のグラウンドで猛練習している高校球児。
何時間もの練習が終わったとき、泥だらけで汚い球児と、おろしたてのように綺麗なユニフォームの球児ではどちらが美しいだろう?
泥だらけの球児ではないだろうか?
綺麗なものを好むという本能を与えられた人類が、汚いものを美しいと思うのは本来の方程式を覆すはず。
では何故か?
そこには目に見えるものではないものが美しさの対象になっているからだ。
つまり、内面のクリーニング状況が人への好感度の対象になっているのだ!
ブサイクだって、内面を磨き、クリーンな状態にしておけば、それを美しいと思う人は少なくない!
今こそ立ち上がれブサイク達よ!
クレンザーで心を磨くのだ!
僕も今から内面をコロコロしなきゃ!
たーだ!いくら内面を磨くとしても、お風呂は入ろう!
服は洗濯しよう!
クレンザーの万引きは止めよう!