この空間は存在の真理
第二
貧しいだろうと裕福だろうと、学歴があろうとなかろうと、あなたはただ自分自身を知りたければいいのです。師匠は自分の哲学に名前さえつけませんでした。師匠は、「想像すれば、同じような経験を期待するようになるだろう。そして、その真理に名前をつけたら、単に想像しただけになってしまうだろう。ただ瞑想して、その真理を知りなさい」といいました。師匠は私たちを祝福し、20年間仕える恵みをくださいました。仕えるということは身体的に活発でした。アシュラムの世話をして、会計や事務仕事をして、音楽を学べ、太鼓を叩き、ハルモニウムを弾いたりして、アシュラムのために役立つことは何でもしていました。掃除や片付けなど、どちらか一方をしなければならず、もう一方はしてはいけないということではありませんでした。いつでも心を静め、穏やかにしておくように訓練されました。それこそが、師匠が私たちに教えてくれた、一如を実践し、一如に融合するための方法でした。私たちはいつも一如を見ていました。二つ、三つ、四つ、またはそれとは違うものは何もありませんでした。ただ一つのものがありました。それが真理であり、平和であり、存在の至高の意識でありました。そして最後に、師匠は私たちに5年間のタパスを命じられました。
しかし、これまでのこと、タパスをしなければならないと想像するだけでやる気がなくなるかもしれません。そんなことを考える必要はありません。学ぶために、まずは15分、30分、1時間という小さな一歩から始めれば十分です。それは、真理とは何かを知るために、あなたの心に大きな影響を与えることができます。それが師匠の教えでした。そして師匠は、「サーダナ(自己努力)をしなさい」と教えました。師匠はそれを信じており、いつもそうを教えていました。
宇宙は一つである。それは単に遍在しているのだ。私たちは「これは私の空間だ」と区別するが、実際にはその空間の一体性を分けることはできない。旅をしてどこまで行っても、それはただ一つであり、断絶はない。地球も、力を込めれば二つの部分に分けることができるかもしれない。どんな物体も「これはあなたのもの、これは私のもの」と二つの部分に分けることができるが、空間はそうはできない。包丁や他の物体を持って切ろうとしても、切れないのだ。それがバガヴァッド・ギーターで言われている「いかなる武器も真我を殺すことはできず、いかなる水も浸すことはできず、いかなる火も焼くことはできない」ということだ。それはすべての概念を超越し、すべての名前を超越し、すべての帰属を超越しています。この一如を体験するために、あなたは心を静めなければなりません。心を静めることをどの方法をしてもわかる必要があります。
あなたを誰かを指揮官とみなして、敬意を払うときに、その人は何を言ってもあなたは従います。私たちはそうしたのです。私たちは師匠を主、母、父、グル、すべてであると考えています。私たちが教えられたようにグルとは、神よりも偉大であるのです。聖者カビールは、「師匠と神が私の前に現れたら、どちらにひれ伏せばいいのか?」と尋ねていました。そしてその混乱が終わり、「私の師匠、私のグルにひれ伏しましょう。なぜなら、神について、神性とは何かを教えてくれたのはあなた、私のグルですから。ですからあなたはなによりも偉大です」といいます。ですから、私たちは、師匠が私たちに何を望んでいても、命令として受け入れ、実行し続けました。そして、私たちがそうしたとき、それは瞑想になりました。なぜなら、心は静まり、すべての想像や視覚化が止まったからです。こうして、心の二元性は徐々に沈んでいきました。そして、私たちが知らぬ間に、存在の意識の一体性を体験しました。
常にそこにありました。驚くべき経験でした。私たちは、黙々と掃除をしました。歌を歌っているときも、ただ歌っていました。「歌っている」とか「これを歌っている」「あれを歌っている」という想像はありませんでした。ただ歌があり、心が後退し、静寂の中で静まり返りました。その平和、静けさ、そして一如の驚くべき体験。これがただ一つであるという体験。想像すると、二つ、三つ、百、千、百万、すべてが現れますが、想像しないと、ただ一つ、それが真理です。なぜなら、この一つは、何をしても消えないからです。心の中にあるものを消して蒸発させるためには、何もしないことです。ただ、起こるに任せてください。何もする必要はありません。棒を持って叩く必要まないし、消すボタンもありません。
あなたが想像をしたのです。その想像を止めるということは、静かになることを意味します。ただ見て、起こるに任せてください。そうすれば、それは消えてなくなります。
どのようにして起こるに任せるのでしょうか? しばらくの間、心の中で起こることに反応しないようにしてみてください。
考えが現れて、その考えに反応しようとする瞬間には、微妙な差があります。その瞬間、考えと反応は一つになります。そして考えがあるということはあなたは反応している、分析している、考えを理解しようとしていることに気づくことができません。それは本当に何であるかを理解する方法ではありません。
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