この空間は存在の真理
第三
(続き)
意識の中で完全に静かになったとき、そこに存在するのは真実であり、その真実が存在の意識です。ですから、瞑想で眉間をただ見つめるという指示はまさにこのことです。最終的にその意識が常に残っていることがわかります。真我の意識に至るのです。
真我は不滅であり、永遠であり、一つである
それが一つなものであり、消えることはありません。あなたは静にしていても、跳ねても、何をしていても、話そうとしても、真我は常にそこにあって、消えることはしません。このようにして、真我は不滅であり、永遠であり、一つであることを理解することができます。真我は、この物理的な身体ではありません。心の静寂を達成し、意識が静かになったとき、注意は常に“そこ”(真我)に向かいます。そうして我々がやったのです。
このように、毎日、毎瞬、これを達成することが可能です。考える必要があるときは、考え、計画し、そして仕事に取り掛かりましょう。ただ考え続けるだけではありません。仕事に取り掛かっても、心が心配し続け、不安になり、「もし起こったらどうしよう、もし起こらなかったらどうしよう、明日どうなるんだろう」と考えてしまいます。それは必要ありません。ただ計画して、実行するだけです。そうすれば、なにかが起こったときには、ただやってしまえばいいのです。私は今朝、何を話そうか、何を発表しようかと心配していませんでした。ただ静かに座って、みんなの歌を聞いていました。歌が終わったら、始めました。すると、自動的に言葉が出てきています。これが計画です。ただ仕事をし始めて、そして話し続けます。私はこういう時でも、心の中で考える必要はありません。これがサーダナの修行のおかげです。私たちの師匠が驚くべき方法で修行をさせてくれたのです。師匠を信じ、自分がしていることを信じるのがマインドフルネスです。
見守ることによって一如を体験することができます
さまざまなマスターや人々は、さまざまな用語、さまざまな言語や方法を使用してきました。ある人が「「私」はどこから来ているのかを観察しなさい」と指示したら、別の人は「ただ見ていなさい」としました。これらはすべて同じことです。観察するときも、あなたは考えているのではなく、ただ観察しているのです。「私が言いたいことを観察しなさい」とは、私の話をただ聞いてください、考えないでください、他のことに気を煩わせないでください、ここに注意を向けてくださいという意味です。これが、真理を洞察し、内なる真理に注意を向けるということです。ですから、このディヤーナ、瞑想法の観察、見守ることによって一如を体験することができます。一つのものです。昨日説明したように、小さな家から、小さな通りから、あなたはいつか自分が一如である空間に属していることに気付くでしょう。
ですから、私たちは皆、その一如の中にいます。私たちは皆、一つであり、一つの家族やほかの言い方もいいし、とりあえず私たちに違いがありません。二つ、三つ、百、そしてさまざまなものとして現れますが、すべて一つです。一つのスクリーンがあります。その一つのスクリーンの中には、さまざまなヴィジョン、さまざまなキャラクター、さまざまな物語があります。それらが消えると、残るのは一つのスクリーンだけです。同じように、私たちの心もスクリーンのように働きます。心の内部に、さまざまなキャラクターや物語が創造され、それが次々と現れてきます。
20年間、静かにすることを練習してきたので、その後の5年間のタパスは私たちにとってとても簡単になりました。なぜなら、私たちは師匠を愛していたからです。人を愛するとき、人生のすべてに適応します。「ほこりを払わなければならないのか?問題ない。払って掃除しよう。料理が必要なのか?問題ない。料理しよう。」抵抗もなければ、考え込むこともありません。その後、五年間師匠に座らせられれ、眉間に注目するように指示され、さらに深い潜在意識の状態にあったものからテストを与えました。「何があっても反応しないように。」師匠は一貫して教えられました。「なにかが現れでも、神が来ても、悪魔が来ても、反応しないように。それはすべてあなた自身の創造物です。静かにしていると、すべてが静まり、すべてが消えます。」消えたり、去ったりしないものは、究極の唯一の真理だけです。
(続く)
これは以下の動画の抜粋です。(12.10から17.30まで)
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