種まきです。


実はnoteのほうでも書き込みをするようになりました。

どっちがいいとかはまあ、よくわかりませんが…

しばらくは平行してみようかなと思います。


noteはこちら

循環|とある種まき #note https://note.com/reiko_kato/n/n2340f4abb101


あれ…

アカウントIDが名前になってたのか…(暴露)

まあいいや…


先日久しぶりに市立図書館に行き、気になってた本を借りました。


最近ムスメが16personalityという性格診断にはまったのをきっかけに、私もちょくちょく自分の性格について調べております。


性格診断もいろいろあるようですが、16personalityは臨床心理学的には有効性は確認されてないらしい。

有効性からいうとユングの8つの性格タイプで測るのが信頼があるようです。


正直、16personalityは指標の意味がわかりづらく、「どっちともとれる」になってしまうのと、ちょっとそれぞれのキャラ設定が決めつけすぎ?て自己イメージがわかりづらくなる感じがします。


8つだと、

・内向的か外交的か

・思考・感情・感覚・直観のいずれが優位(よく使う脳機能か)だけなので、わかりやすい。



診断テストをしてみた結果、私は「内向感情型」でした。


感情がたくさんあるけど外に出さないタイプ。

気がつくと爆発する。

自分の気持ちをうまく説明できない。


このタイプは対極にある「思考」機能が弱い(発達未熟)で、論理的な説明とかが苦手なため、うまく言えないで溜め込んで突然爆発するらしい。

読んで、「はぁ〜んそういうことか」とよくわかりました。


10代の頃はまさに、うまく言えなくて涙が出る事がよくありました。

最近は少なくなったけど、やはり言葉に自信がないので意見を言うのは苦手です。



思考機能を鍛えること、そしてメイン機能を支える補助機能(私の場合感覚と直観)をさらに鍛えることで、バランスのとれた思考ができて生き方の自由度が上がるらしい。


大人になるとわかる。

自分の機能が使えない(=偏った思考クセがある)のを個性と呼ぶには、つらい(痛い)ことのほうが多すぎる。


年を重ねるうちにバランスよく人間性を鍛えてナンボですもんね…



借りたのはこちら。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B01JKBM5RA/ref=tmm_pap_swatch_0?ie=UTF8&dib_tag=se&dib=eyJ2IjoiMSJ9.wXQFT5TQD1mbjApGVNGbCPYsV8Z6HjPWNbRf2Zq5P3LNLOH5DxcH2TX2ZvJVj4crnwCpN8vz6mdypNaj6kZxXm-xdnMKkCa5o_nfNmj-oSaCzPo--x8HSsT9Yjv_FjWMtUrIzHVGuDis25QdrcxGStcVZncbPqa1giT6C5x-Vg2zFOVUwLKpmoIkgXr_Ol7Vqdbc2elc0Pfi4Ge79QQQIg.d2_2rcPUwrfEkfM1y3JU7ad1ozkN22tk1qRAE48Qz-k&qid=1715485979&sr=8-7



ちなみに16personalityではINFJと出た。

そうか…?と思う点があるしその時の状況によって変わりやすいのですが、

「全タイプのなかで最も考えすぎる」

という点はわかる気がする。

でもちょっと特徴で説明してることが壮大すぎて違う気がする。



いろいろ、ラクに生きたいものです。



種まきです。


先週の金曜日、娘(小6)が初めてカウンセリングを受けに行った話です。


訪れた相談室は住宅地にあるご自宅を使っていて、出てきた先生はHPの画像(白衣)とは違ってカジュアルな服装で迎えてくれました。割とほんわかした雰囲気の先生でした。

HPによると、看護師や情報管理の仕事を経て?公認心理師として仕事しているそうです。


問診票を書いてから早速カウンセリングになったのですが、娘が「一人で受けたい(母に内容を聞かれたくない)」という姿勢だったので、私はそのまま席を外しました。


なので、何を話したのかはほぼ不明ですが…


1時間ほどして戻ってくると、娘の目の前のゴミ箱にはいくつかティッシュが捨てられていました。泣いたようです。



先生は私にも簡単に質問をしてきたけど、娘的にはあまり話されたくないんだろうなと思って、軽く返しただけですが。


先生の感想?としては

「かなり真面目でゼロヒャクで考えてしまっているのが苦しいんだと見受けられる」

「学校に戻りたいけどいろいろ怖い気持ちはわかるけど、やっぱりそこはいつかは越えないといけないのだろうという事は本人にお伝えしたい」

みたいな事を言われました。


まあそうだろうな、と思いながら聞きました。


ふと見ると、相談室の机の上には、根本裕幸氏の本が飾ってありました。

なるほど。

自分にやさしくする、いじめるのをやめる、そういう段階の相談にこの先生は向いているのだろう。

とりあえず娘は、ためこんでいた気持ちをいくらか吐き出したのだろう。


小学校のスクールカウンセラーは、システマチックというか、理論的というか、娘ももう少し心のエネルギーがたまった段階ならいいかもしれない。だから今はまだSCとの面談はきついかもしれない。


娘が受ける初めてのカウンセリングには、よかったのかもしれない。


そんなことを思いました。



家に帰宅してから、車を降りた娘はそのまま玄関先に仰向けで寝転がり(天気がとてもよかった)、しばらくの間ボーッとしていました。


カタルシスじゃないけど、泣いたことでちょっとスッキリしたのかもしれないな。



しかし、それを見てこうも思いました。



今日初めて会った人に、自分の秘密の気持ちを打ち明け(全部じゃないにしろ)、涙まで見せてしまった。


こんな体験を、何歳で私はしたっけ?

カウンセリング自体があまりないけども、

大人になって受けたとしても、その後の自分の中での気持ちの処理がけっこうセンシティブになっている気もする。

相談という体験は、人によっては下手するとトラウマになるような非常に繊細な行為かもしれない。


娘は何を感じただろう。



不登校の子どもの心理状態は、らせんを描くように少しずつ回復していく。

というコメントをX(旧Twitter)で見かけました。


見た目ではまた後ろ向き、ネガティブに陥っているように見える娘。


学校に戻る、という道はもう固執せず、

「こんな自分でいいな」と思えるような道を見つけることができたらな…

世界は、社会は、厳しくもあるけど、やさしい部分もたくさんある。

いい加減だからこそ、美しいことも、かけがえのないことも、たくさんある。


そういう風に見えてきたらいいなー


と、思った週末でした。



まあ、自分自身もいろいろと考えることのあった1週間でしたが、それについてはまた書きます。



なんだかんだで、私は幸せなのだな。


ではまた!

種まきです。


先週末からバタバタといろんなことが続き、


おまけに娘の付き添い?でかなり夜中まで起こされて寝不足…ネガティブ



なかなかブログが更新できないですが…ネガティブ



内容をまとめて文章にする時間がなさそうなので、時系列で書きためたものをお届けします指差し







先週日曜の夜、娘が、自分から「カウンセリングを受けたい」と言ってきました。


正確には、

「ママ、精神科ってなに?」

と質問してきた。



(はて… また闇落ちしてるんかな…)

と思いつつ、

ざっくりとした回答(心配事や不安な気持ちを専門の先生に話して一緒に解決していくところろかな)みたいな話をしました。


娘「…(ふーん)」


学校のスクールカウンセラーにはこれまでも誘ったことがあるんだけど、学校自体に行きづらく拒否してきた。

その子が自分から精神科に関心を持つとは。


なんで精神科なの?

たずねると、

「ネッ友に悩みを話したら、精神科に行ったらと言われた」と。


なるほど…

小6では出てこないもんね普通。

(ネッ友は何歳だろう)




娘は、家族の見た目では、今までとあまり変わりなく振る舞っています。


が、夜、私も寝静まった後、なかなか眠れない時にいろいろ考えているのだろう。



最近は「mbti診断」という、人間の思考のクセとかから16のタイプに分けるテストにハマっていて、自分の性格について考えたり、友達との相性を調べたり。



こういう「自他を客観的に見る」という作業、4〜5年では見られなかった。


リア友やネッ友とのやり取りから、少しずつ「何で自分はこんな風に考えてしまうのだろう?」「何であの子は?」と悩む事が増えたんでしょうね。




最初の話ですが、

精神科(カウンセリング)のことはただの興味本位かなと思って数日見てましたが、昨日改めてたずねたら「受けてみる」との返事キョロキョロ


まあ…びっくり


私もスクールカウンセラー以外は受けた事がないので、少し調べてみて、ネットでわかる範囲ですが市内のよさげな心理師さんを予約することにしました。

(順番待ちだろうと思っていたけど、週末に入れてもらえました。)



と、ちょうど同じ日に担任の先生からスクールカウンセラーの予約どうですか?と連絡…



う…順番間違えたかな?真顔

と一瞬思ったけど真顔


でも受けるのは私だけだし…



そうなんよね、


相談を受けることで、私自身が落ち着けるということもあり今までも教育相談を受けてたけど、


「学校には(たぶん)行かない子」の何を相談することもないな、と再認識したこの頃真顔


(カウンセラーは無理強いせずむしろ不登校の娘を応援してくれてる理解ある人だと思うけど)



なのでこれからは


「どうしたらいいだろう?」

じゃなく、



「これでいいです(よね?)」



という「答え合わせ」のために利用させてもらおう。


と思いました。


まあ答え合わせって言っても、

違っててもいいんです。



自分の選択と決断はこれでいい。


毎日そうおもえたら、


また、もし違ったとしてもすぐ気づけていれば、



周りの他人に「こっちがいい」と言われても

グラつかないでいられるはずだから…




自分がグラつくのが一番きついからね不安




ではまた週末に、結果報告かな?

よい1日を!

種まきです。




「先回りをやめるときがきた」と



数日前

えらそーに言った


私ですが



無惨です…



モヤモヤとずっと心が渦巻いてます。






「学校は行っても行かなくてもいい」と、



私は心から思えている



そう思ってましたけど。




今日、ひたすらメモに書き出してみた自分の素直な気持ち…



そこには


いつかは学校に行けるといい



というガチガチの深層心理が

ギューギューに詰まっていました。



学校は今は行けなくてもいいよ

でもやっぱり行けたほうが

少しでも楽しい思い出残るから

いつかは行けるといいね


勉強もぼちぼちできたほうがいいよ

読み書き計算まともにできないと

バカにされるのつらいからね



(バカにされたくないという私の不安は本当によく現れる。だが実際は自ら「私どうせバカだから」と自分を下げて予防線を張っている。ただプライドが傷つくのを恐れているだけなのである)



けれど

うーん…

やっぱり行かないのか…



不安



…ビックリするくらい、不登校初期の頃からほとんど思考が変わってない



悲しい



だって、そりゃそうです。


私は学校に行った人生しか知らないんだから。



経験した事ない生き方を、「大丈夫だよ」なんて、傷ついて、自信のもてない我が子に、言えるわけない。



自分の経験してきたやり方なら、失敗しながらも今につながっている生き方なら、教えられる。



でもそれは果たして正解なのかと言うと…



傷ついても我慢したり

周りに合わせることに必死だったり

否定されても逆に罪悪感感じたり


そんな、10代のたいていはつらかった事がたくさんありました。



そんなんだから娘に

「つらいけど、楽しいこともそれ以上にあるよ」とは、言えないかもしれない。




そして、

私は根本的なことを忘れている。

私と彼女は、別の人格だということを。

娘の人生は娘のものだということを。




娘は悩んで苦しんで、学校に行かない現実を選んでいる。

それは、私には到底できなかった。

ものすごく勇気のいる選択だ。



その時点ですでに、

同じ年齢の私が言うならば


「わー、娘ちゃんてすごいな…」

なのだ。





それから、

想像してみる。

18歳になった娘を。



すでに学校教育の一線から離れ、ぼちぼちバイトでもしてるのだろう。

休日は家で自分の好きな事をして、

夕食では家族でたわいない話をする。



…今もうすでに、そうかもしれない。

実際はまだ小学生だけど。

そこには、学校行ってないということは、

何も関係ないのだ。


※実際はいろんなコンプレックスがあると思いますがそれすら誰にでも大なり小なりある



そんな18の若者は、日本にゴロゴロいるだろう。



なのに

私は何を憂えているのだろう?





たった1つ、あるとしたら。


「目の前を、チャンスが通り過ぎていく(ように見える)こと」



その一点です。





まだやり直せる(と勝手に思っている)チャンスを。


今ならまだ間に合う(と勝手に思っている)チャンスを。



そう、

私ならできるから。




でもこれは私の問題ではないのです。

娘が向き合う問題です。

それを、私が勝手に憂えているだけなのです。

私が越えなければ(越えさせなければ)と考えている。



そうじゃない。

これは娘の問題。


それをよーく自覚しないといけない!!




そういう意味でも、今は、目の前をチャンスの神様が通り過ぎていくのを、「さてこの後どうなるでしょうか?!」と他人事として眺めていくという試練です。



うん、

エグい。



でもがんばります。



どう頑張るかというと、

「何も言わない」ことを。


「自己紹介の紙、明日学校持っていこうか?」

とか、

そんなこと絶対に先回りして言ってはいけない。(今までは当たり前のように言ってた)


でも無視してもいけない。

放置してもいけない。

先回りせず、じっと見ていること。

何をしているかを、ただ見る。


そして「している」こと全部、自分で引受けさせる。

「何もしない」ことも全部…




長々と書いてしまいましたちょっと不満



腑に落ちてなくても、やれることはあるんじゃないかなと思って吐き出しました。

皆さんの参考になれば…昇天






種まきです。



今日の夕食後、娘と長男とで、たくさんしゃべりました。

内容は最近ハマっているという性格診断テストについてでした。

自分がどういうタイプなのかを客観的に見る機会になっているようで、漢字が読めない部分を「読んで!」


自分はこういうキャラなんだ、ということを知ってほしい、ということも言っていました。




それからしばらくして、今週(学校に)行くの、どうする?とたずねました。

先生にも返事したかったので…



返事は「うーん…」と半分聞いてない様子。



真顔



私は内心、


「あんなに元気に話せるようになってるのに…」

と、イラつきました。



ハッ…驚き



いかんいかん。

これは娘本人の問題。私がイラついてどうする。


しかたない。

「来週にしようか」と言お…



その時、あっと気がついた。




もし、このまま続けて

「どうする?」

「来週にしようか?」

と娘に聞いたとして、

「うん…」と返事したとして、

そして実際登校したとして、


それは全然娘が決めたことではないじゃないか。


これこそ、私が娘の決断を奪う行為ではないか。



奪ってどうする!!




さっきまでの元気な姿は、確かに成長したなあと感じた。それは本当だろう。




であるなら、

いつ行くか、そもそも行きたいのか、

それを決める力もついてきたということ。



私が決めることではないだろ!!




そっか、これも先回りだったのか。

気づいてなかった。


もう手放そう。

先回りを。




「今週、どうする?」


そこで会話は途切れたままだけど、

あとは、待つことにしよう。


新担任の先生といつ会うか、会いたいか、

そもそもまた学校に行ってみたいか、

(それについてはまだまだ不安だろう)



それらは全部、本人が決めないといけない。

「不安だけど行く」のかも、「やっぱり怖いから籠もる」のも、娘の人生なのだから。

私達はその判断を、「そっか、そうなんだね」と、言うしかない。

行きたくない理由を誰かのせいにしたとしても、そう思いたい気持ちを尊重するしかない。



そしてやがていつか、

誰かのせいにするのでなく、

また外に目を向けてほしい。

自分の力で世界に触れてほしい。




ここまでそう思えたのは、

彼女の回復の兆しを感じたからなのです。

そうわかった途端、すごく安心しました。


この子は結局大丈夫だ。

人生をあきらめてない。

友達関係をあきらめてない。

勉強もあきらめてない。



ま、誤りかもしれないが笑



今週、先生にもそのままを伝えて、

母は介入しないで2人でやりとりしてもらおうと思います。

それで手伝いがあれば、やるだけです。




大丈夫…

母と娘の関係も、きっと大丈夫…看板持ち看板持ち



…と信じたい笑

種まきです。


今日が始業式の娘(小6)。


昨年は頑張って朝から行きました(確か)が、

今年は6年生特有のお仕事(翌日入学式準備のため居残り)があり、めちゃくちゃ久しぶりに学校行く奴にはハードル高杉晋作とみて、今のところ登校予定は立ててません知らんぷり


しかし先週の新・担任面談で、「私のほうからお家に訪問してもいいですよおねがい」と先生が言っていることもあり、とりあえず


「もし新しい先生から連絡あったらどうしよーか?来てもらう?それとも放課後に行ってみる?」


と聞いてみました。


今日のところは「今週、こっちから放課後に行く」と返事が返ってきましたが、さてさて…



凝視「先生、男だったらどうしよう…」


真顔(もう知ってるけど)「まあ、怖い先生は嫌だそうです、って言ってるから怖くないんじゃない?」


凝視「でも男の可能性はあるよね」


真顔「まあね…(女って知ってるけど)」




娘の「本当の敵」は誰(何)なんだろう?

それを回避できたら問題解決する、そんな真犯人が存在するのだろうか?



昨日、そのへんにあったメモ帳に、走り書きで「〇〇(名字)しね」と書いてありました。

今まで聞いたことない名前なので、同じクラスでもほとんど関わりがなくこちらの記憶にない子なのか…


本人が「不登校の理由」として公開していた、叱責してきた元担任(男)でも、陰口言ってた子でも、低学年の時に受けたというからかいでも実はなく、全然違う事なんだろうか…



もはや難解推理小説。


お母さんにはわからにゃい。ごめんね。




そんな私は、毎日のあつ森プレイ時間が5時間近いことを当の娘に指摘されたので(クズ認定…不安)、今日からちょっと控えます笑


そんで、ジョブズのスピーチを終わらせないとな!



ではではまた!





種まきです。



今週のメインは、「娘と旅行」でした。

(正しくは、娘の親友も入れて3人旅)





島根県にある水族館「アクアス」に、一泊二日で行ってきました。


娘はだいぶ前からすごく楽しみにしてました。

残念ながら天気予報のとおり1日目は大雨、2日目は雨はやみましたが曇天…

それでも、長距離ドライブにも関わらず満喫できたようです。

(運転の私はかなり疲れましたが…不安



習慣について。


毎日の習慣(筋トレ、脳トレアプリ)は、宿泊先でもやりました。

しかし帰宅日は筋トレ休んだ…

しかししかし、その翌日からは再開しました。



そして、誰にも頼まれずとも、

あつ森は、宿泊先にも持っていって、ガッツリやりました。

指差し

これが最強&鉄板の習慣やろ…!!



しかも今回の水族館で楽しみだったのは、メインのシロイルカよりも、あつ森に出てくる魚を見れるか?ということでした笑い泣き


シマダイ、カサゴ、シュモクザメ、コバンザメ、カレイ、エイ、などなど…けっこうな数の本物を見ることができ、娘はうれしそうでした!

憎たらしい(!)スズキも初めてじっくり見ました笑



親友の子とも大笑いしながら、楽しい旅になってよかったです。





それから、

週の後半(金曜日)は、娘の新担任の先生と面談をしました。


なんだか悩ましい結果になりました。



本当は、面談が始まるまで、いろんな伝えたい事を頭に描いておきました。


が、


面談が始まってすぐ、



あー

無理なんだ


とわかりました。



学校にまだ行けそうにない(行く意思が見えない)娘。


そんな子どもを、

先生(学校)は、どうすることもできないのだ

と、今さらながら気づきました。



私は何を相談(打ち合わせ)しに来たのだろう?



学校に行かせたいからか?

いや、そうじゃない、



行けないあの子の気持ちをわかってほしいと思ったんだ。



でも、目の前にいる先生は、

不登校のことなんてたぶん何もわからないだろう。



うちと同じくらいのお子さんが2人いると言ってたけど、


自分ちの子どもが不登校にならないかぎり、

絶対にわからないだろう。



いま娘の抱えてる絶望感なんか、絶対に。





なんかそんな風に暗くしか思えなくなって、

先生を前に

「どうしましょうね…」

しか言えなくなって。



先生は、「放課後はいつでも都合つけば来てもらっていいですよ」と言ってはくれたけど。


はぁ…


私や先生に出来る「学校の環境整備」は、ここまで。



あとは、娘が自分で越えるか…


越えたくないなら家にいるか…



家にいることに、正直私は何も問題は感じていない。

むしろ、「行かない」と宣言してくれたほうがわかりやすい。



けど娘は、ずっと葛藤してる。

行かないことにわだかまりがあると思う。

友達と上手くやることを、あきらめてないように思う。


なのに現実は、

仲良しだと言う友達も、裏では陰口言われたと。

さらに、学校の行事にも関心がない。



行かなきゃいけない理由には

弱すぎるよな笑




娘の本心は、正直わからない。

いつも一緒にいる親にも、隠してる本音があるのだろう。


気にしてないと言いながら、

大丈夫と言いながら、

病んでる。



親にできることは、

とにかく、「笑いまくる場」を提供することだ。


それ以外は、わからない。

それが今の私の答え。歯がゆいけどな!




ということで、

明日から始業式。

また長男の弁当づくりが始まります不安


無理すんな、種まき、

楽しく生きよう、種まき!!


さぁ明日も楽しむぞ〜!


種まきです。


今週も、あっという間の1週間でした…

3月は、去る。

本当に、んだな〜



〈今週のまとめ〉



今週は、ドッと疲れた…と感じることは少なかったです。


それには、ひとつの事に気がついたのが少なからず功を奏したのかもしれません。


それは、「とにかく動きつづける」です。



習慣、習慣と毎日うるさく考えているにも関わらず、朝はほぼ毎日


「だるいな…」


無気力


しか頭に浮かばない私。



だるいな…

あれ、今日はサボろうかな…

やだな…

今日はもう動きたくないかも…



みたいなことを、ひとしきりうじうじと布団の中で考えます。


以前はその気持ちに引っ張られて、「もう、できるだけ何もしない!」みたいな選択をしてきました。



でも、それをしたところで、

全然心と身体は癒やされない…


ということに、ようやく気がつきました。



と同時に、


「いやだ、いやだ…」という下がった気持ちを「習慣」で徐々に上げていけばいいのではないか?


ということに、今週になって気がつきました。



続ける思考』の中で井上新八さんが、

朝の習慣は、いちばんウエイトの重たい『デザインの仕事(作業)』に向かうため」みたいな表現をされていました。

また、

「習慣にしたいけど(めちゃくちゃ)苦手なこと」を避けるために他の事ならできちゃう、という行動を逆手にとればよい、といった事も書いてありました。


それとまったく同じで、


「ああやだな…やだな…」

思っちゃいけないのではなく、

十分に思うようにして、



やだな…と思いながら(できそうな)他のことを小さくやっていく。

(あまり大掛かりなことをすると、そこでエネルギーも時間も消費してしまうので避けたほうがよい)



小さいことをやっていくうちに、

「仕方ない、やるか」と思った勢いでやる。


…いや、それはあまりないか。



小さいことをやっていくうちに、

「そろそろできそうだ」と思ったら、やる。


うん、そっちのほうが近い。



例①

洗濯干す(たたむ)のやだな…と思いながら、(リビングのハタキかけならできそうだ)と考えて、やる。

ハタキかけが終わったくらいで、洗濯物のハンガーくらいなら出せそうだと考えて、やる。

その勢いで、洗濯物が干せる。



例②

夕飯買いに出かけるの面倒…と思いながら、(財布のレシート整理ならできる)と考えて、やる。

整理(アプリ入力)しながら、どこで何を買ったかについて何気なく考える。

買い物している自分の姿が想像できてきて、そのまま出かける。



こんな感じで。



これつまり、「嫌な対象のことに注目しすぎない」ってことでもある。

意識を向けすぎると、だんだんとその対象(イメージ)が大きくなり、すっごくイヤなものになってくる。


でも、対象から目を離し、できることに集中することで、嫌なもののイメージが小さくなり、受け入れられるようになる。



イヤだ〜!!


と自分が思っていただけなんですね。




そんな感じで、

イヤダイヤダという自分を認めながら(慰めながら)、


完全に逃避行動(ゲームするとか)に行くのではなく、


「これならできるよね」と、類似の小さな達成を積んでいく。



こういう「自分を甘やかす」は、あっていいんだなとわかったような気がします。


少しずつ、自分との信頼関係ができてきたからかもしれません指差し


筋トレの腹筋も、だいぶ背中が上がるようになりました!




明日から新しい1週間。

私はまた、「ああだるい、だるい…」とぼやきながら目を覚ますのでしょう笑。



でも、部屋の隅のホコリが減ってきたことや、昨夜の自分が可燃ゴミをまとめて玄関に置いてくれてること、夕方ちゃんとあつもりする時間が確保できてること…など、一日の快適度が上がってきているぞ、と感じます。

なんかちっさいことですが…



感情に任せて裏切らない自分で常にいる。


それってけっこう大事なのです。





種まきです。



すみません、今日は愚痴です。


今はもうさっぱり気にしてないんですけど、

午前中にちょっとした事が起こりました。


6月に義弟くんの結婚式があります。

奥様の実家との間をとって、京都に行きます。

一族が揃うので、ちょっとした観光旅行も兼ねて、子どもも楽しみにしています。


その結婚式のことで、今朝義妹さんからLINEがきて

ニコニコ種まきさん、着物とか着ますか?

見ると、レンタル着物店のURLが貼ってある。


真顔「いや、全然考えてなかったです」


ニコニコ「友人に紹介された着物屋さんで、私と娘と、

あと姉&姉の子ども三姉妹も着物着ることにしました!(合計6人が着物)


種まきさんも、ムスメちゃんと一緒にどうですか?


え〜全員着るの…?



真顔「いや〜着物は着慣れないから…ムスメちゃんも着ないと思うけど、一応聞いてみるね。ありがとう」



ニコニコ種まきさん、


せっかくなので着ましょう音譜音譜




ちょっと不満














イラッ メラメラ







なんやねん「せっかく」って

着るつもりないって言っとるやないか

なんやねん「せっかく」って

主役は義弟とお嫁さんじゃろ

なんの誰の「せっかく」やねん

しかも一族総着物って圧がすごいやろお嫁さんとこは数人しか来ないらしいのに(いやまあそこは気にしなくてもいいんだけど)

ワシ成人式の振り袖で痛い目に合ったのトラウマやし


…て、


いや、そんなこと考えて意固地になってるワシがいけないのか?


え?これワシの意固地なのか??


ひらめき「…そうだね、せっかくだから着とこうかな」

爆笑「そうですよ、洋服買うよりお得ですよ、持ち運びもしなくていいし、せっかく京都だし思い出になるし、高くないしかわいいし髪もメイクもしてくれるしけっこう由緒あるお寺で式するし(勝手に妄想の返事)」


って会話にしたほうが自然体というかワシの運気も上がって幸運が引き寄せられるのか?


そんで着物を断ったにもかかわらず手元に残った自分と娘が洋服着ている集合写真とかをあとあと後悔したあげく

ニコニコ「この時、種まきさんも着ればよかったのにねえ〜本当にもったいなかったな」

とか言われることになるのか?




いや違うちがうちがう!!


絶対ない!!


絶対そんな後悔しない!!


「せっかく」とか、

マジで要らない!!!






スーハー・・・



…っていう事が、ありまして。




あーもうほんと自分気にしすぎなんかな、ってしばらく一人で悶々としていました。


…でもしばらく仕事してたらいつの間にか忘れてました(そんなもん)。


夫にグチろうかと思いましたがとどまってよかったです。



で、夕方、念のため娘に着物着たいかたずねた時にその事を話しました。


娘、「着物は着ないよ」と言ったあと、


えー「…断ればいいじゃん」


とひと言。




うん、そうだよね…


不安



なので、私はスッキリしました。


ニコニコ



…でも娘は内心、「女子のなかで自分だけが洋服なんだ」いうことを気にしているのかも…

(母も着ませんが)



結論として…私の深読みしすぎな気もしますが、

でもなんだろう、



「いいじゃん、やろうよ〜」

てノリ、

大体イラってくるんです。


断り続けたことでなんかこっちが悪いことしてるみたいな。


でそういう時に決まって


「え〜せっかく◯◯なのに」知らんぷり


って台詞。



なんだ…?「私が意地張ってる問題」なのか?



いや違うだろ?




「せっかく〜したのに」って、

すごく一方的に自分の行為と不満を押し付けてると思います。

よかれと思ってやった自分の行為を無駄にされた、みたいな。


いや、昔は私も言ってました、普通に。


でも娘や長男と接するうちに、

「こうあってほしいという自分の願いの押しつけなんだ」と気がつき、できるだけ言わないようにしている。


で、こういう場合、言っている本人は本当に悪気はないのです。純粋に親切心「だと思っている」から。

(相手も瞬間だけでそこまで根にもたなかったりする)


だから余計に厄介です。

自分だけが後々モヤモヤ、悶々としている。




あー、久しぶりにモヤモヤしました笑。

ただの愚痴ですみません。



<教訓>


「せっかく」を言わないためには、相手の返事(行為)に一切の期待をしないこと。ただgiveするだけということ。


もし自分のgiveが無駄にされた…と感じたのなら、そこで自分の関与は終わりにすること。見返りや謝罪を求めないこと。


もし後悔することが起きるとしても、その後始末は相手が自分で取ればいいだけのこと。



以上です。


「せっかく」からは、距離をとるべし!



【追記】


いや、ここでの「せっかく」「せっかくなので」は「ついでに」みたいな意味合いなのか。


せっかくタイミングが揃ったので

せっかく着物が着れるまたとないチャンスなので

せっかく京都まで来たので



いやそれもなー、

「冷蔵庫新調したしせっかくだからオーブンレンジも」みたいなの、どうなの…


冷蔵庫はあんなに検討したのにオーブンレンジのほうは何の熟考も検討もしないままに「いいじゃん、せっかく来たんだから決めちゃえ!」みたいな…



なんか、嫌いなんだよなそういうのが。


やっぱり考えすぎなのかな…笑


呼び捨てでごめんなさいちょっと不満


栗原はるみさん。


種まきです。



歯医者での待ち時間、久しぶりにはるみさんの月刊誌を手に取りました。

時々パラパラと読んでは、「ああまたご主人のこと書いてる、本当に好きなんだなあニコニコ」と思うのが大体なんだけど



たまたま、なのか

「読め」と心の誰かが言ったのか

今回は「朝の習慣」について書かれていました。



そうかそうか、はるみはそんなふうに過ごしてるんだなあ。


ふーん。

なるほど。

ほー。




そうやって、

読み進めてみてふと気づきました。




ああ…


特別なことが全然ない。




はるみさん、

日々大勢のスタッフが家を出入りしてて、

お年を召した今でも忙しい毎日。

レシピつくったり取材受けたりオリジナル商品開発したり…



でもそんな中で毎日くり返していること、

それがけっこう「地味」だった。


窓を開ける。

ホコリをさっと取る。

朝はトーストにミルクティー。


どれも、

頑張ってやってる!

みたいな意気込みがない。




「栗原はるみ」という、個人名そのままの本を出している。それはもう、彼女はものすごく「有名人」だという事を表しているほかならない。


でもそんなスターは、毎日を、それこそ私がやってると言ってもあんまりおかしくないような、淡々とした習慣をくり返して過ごしている。


つまり、それがはるみという人間の型をつくっている。




もちろん、スパイス的な出来事はある。

私が一味だとすれば、はるかに多種類の、いろんな香りがするスパイスがバンバンかけられる。

それを楽しんでがっぷり取り組んでいるはるみさんのエネルギーがそもそもすごいけど、


でも、ベースとなる生活はシンプルで、その中身も「すっごくこだわってるからアレじゃなきゃダメ」みたいなことでもないのだ(おそらく)。



結局、習慣とは、そういうものなのかと思った。



地味に繰り返す習慣が、私を象っていく。

習慣が、私を私たらしめている。



つまらなくても、地味でも、

あんまり好きじゃなくても。


そうして栗原はるみという人の輪郭が、波長となって、私達にとどき、この目に映し出される。

それは雰囲気と呼ばれるもの。

存在感と呼ばれるもの。



そう考えると、

習慣を受け入れくり返している自分を、

ちゃんと「認識」してあげないといけないんだな…


そのようにも思いました。


「このように私はできています」と。


はるみさん、ありがと。




や、タイトルはえらそうにしてみたけど笑

全然張り合うことでも何でもないです。