種まきです。



今日の夕食後、娘と長男とで、たくさんしゃべりました。

内容は最近ハマっているという性格診断テストについてでした。

自分がどういうタイプなのかを客観的に見る機会になっているようで、漢字が読めない部分を「読んで!」


自分はこういうキャラなんだ、ということを知ってほしい、ということも言っていました。




それからしばらくして、今週(学校に)行くの、どうする?とたずねました。

先生にも返事したかったので…



返事は「うーん…」と半分聞いてない様子。



真顔



私は内心、


「あんなに元気に話せるようになってるのに…」

と、イラつきました。



ハッ…驚き



いかんいかん。

これは娘本人の問題。私がイラついてどうする。


しかたない。

「来週にしようか」と言お…



その時、あっと気がついた。




もし、このまま続けて

「どうする?」

「来週にしようか?」

と娘に聞いたとして、

「うん…」と返事したとして、

そして実際登校したとして、


それは全然娘が決めたことではないじゃないか。


これこそ、私が娘の決断を奪う行為ではないか。



奪ってどうする!!




さっきまでの元気な姿は、確かに成長したなあと感じた。それは本当だろう。




であるなら、

いつ行くか、そもそも行きたいのか、

それを決める力もついてきたということ。



私が決めることではないだろ!!




そっか、これも先回りだったのか。

気づいてなかった。


もう手放そう。

先回りを。




「今週、どうする?」


そこで会話は途切れたままだけど、

あとは、待つことにしよう。


新担任の先生といつ会うか、会いたいか、

そもそもまた学校に行ってみたいか、

(それについてはまだまだ不安だろう)



それらは全部、本人が決めないといけない。

「不安だけど行く」のかも、「やっぱり怖いから籠もる」のも、娘の人生なのだから。

私達はその判断を、「そっか、そうなんだね」と、言うしかない。

行きたくない理由を誰かのせいにしたとしても、そう思いたい気持ちを尊重するしかない。



そしてやがていつか、

誰かのせいにするのでなく、

また外に目を向けてほしい。

自分の力で世界に触れてほしい。




ここまでそう思えたのは、

彼女の回復の兆しを感じたからなのです。

そうわかった途端、すごく安心しました。


この子は結局大丈夫だ。

人生をあきらめてない。

友達関係をあきらめてない。

勉強もあきらめてない。



ま、誤りかもしれないが笑



今週、先生にもそのままを伝えて、

母は介入しないで2人でやりとりしてもらおうと思います。

それで手伝いがあれば、やるだけです。




大丈夫…

母と娘の関係も、きっと大丈夫…看板持ち看板持ち



…と信じたい笑