呼び捨てでごめんなさいちょっと不満


栗原はるみさん。


種まきです。



歯医者での待ち時間、久しぶりにはるみさんの月刊誌を手に取りました。

時々パラパラと読んでは、「ああまたご主人のこと書いてる、本当に好きなんだなあニコニコ」と思うのが大体なんだけど



たまたま、なのか

「読め」と心の誰かが言ったのか

今回は「朝の習慣」について書かれていました。



そうかそうか、はるみはそんなふうに過ごしてるんだなあ。


ふーん。

なるほど。

ほー。




そうやって、

読み進めてみてふと気づきました。




ああ…


特別なことが全然ない。




はるみさん、

日々大勢のスタッフが家を出入りしてて、

お年を召した今でも忙しい毎日。

レシピつくったり取材受けたりオリジナル商品開発したり…



でもそんな中で毎日くり返していること、

それがけっこう「地味」だった。


窓を開ける。

ホコリをさっと取る。

朝はトーストにミルクティー。


どれも、

頑張ってやってる!

みたいな意気込みがない。




「栗原はるみ」という、個人名そのままの本を出している。それはもう、彼女はものすごく「有名人」だという事を表しているほかならない。


でもそんなスターは、毎日を、それこそ私がやってると言ってもあんまりおかしくないような、淡々とした習慣をくり返して過ごしている。


つまり、それがはるみという人間の型をつくっている。




もちろん、スパイス的な出来事はある。

私が一味だとすれば、はるかに多種類の、いろんな香りがするスパイスがバンバンかけられる。

それを楽しんでがっぷり取り組んでいるはるみさんのエネルギーがそもそもすごいけど、


でも、ベースとなる生活はシンプルで、その中身も「すっごくこだわってるからアレじゃなきゃダメ」みたいなことでもないのだ(おそらく)。



結局、習慣とは、そういうものなのかと思った。



地味に繰り返す習慣が、私を象っていく。

習慣が、私を私たらしめている。



つまらなくても、地味でも、

あんまり好きじゃなくても。


そうして栗原はるみという人の輪郭が、波長となって、私達にとどき、この目に映し出される。

それは雰囲気と呼ばれるもの。

存在感と呼ばれるもの。



そう考えると、

習慣を受け入れくり返している自分を、

ちゃんと「認識」してあげないといけないんだな…


そのようにも思いました。


「このように私はできています」と。


はるみさん、ありがと。




や、タイトルはえらそうにしてみたけど笑

全然張り合うことでも何でもないです。