種まきです。




「先回りをやめるときがきた」と



数日前

えらそーに言った


私ですが



無惨です…



モヤモヤとずっと心が渦巻いてます。






「学校は行っても行かなくてもいい」と、



私は心から思えている



そう思ってましたけど。




今日、ひたすらメモに書き出してみた自分の素直な気持ち…



そこには


いつかは学校に行けるといい



というガチガチの深層心理が

ギューギューに詰まっていました。



学校は今は行けなくてもいいよ

でもやっぱり行けたほうが

少しでも楽しい思い出残るから

いつかは行けるといいね


勉強もぼちぼちできたほうがいいよ

読み書き計算まともにできないと

バカにされるのつらいからね



(バカにされたくないという私の不安は本当によく現れる。だが実際は自ら「私どうせバカだから」と自分を下げて予防線を張っている。ただプライドが傷つくのを恐れているだけなのである)



けれど

うーん…

やっぱり行かないのか…



不安



…ビックリするくらい、不登校初期の頃からほとんど思考が変わってない



悲しい



だって、そりゃそうです。


私は学校に行った人生しか知らないんだから。



経験した事ない生き方を、「大丈夫だよ」なんて、傷ついて、自信のもてない我が子に、言えるわけない。



自分の経験してきたやり方なら、失敗しながらも今につながっている生き方なら、教えられる。



でもそれは果たして正解なのかと言うと…



傷ついても我慢したり

周りに合わせることに必死だったり

否定されても逆に罪悪感感じたり


そんな、10代のたいていはつらかった事がたくさんありました。



そんなんだから娘に

「つらいけど、楽しいこともそれ以上にあるよ」とは、言えないかもしれない。




そして、

私は根本的なことを忘れている。

私と彼女は、別の人格だということを。

娘の人生は娘のものだということを。




娘は悩んで苦しんで、学校に行かない現実を選んでいる。

それは、私には到底できなかった。

ものすごく勇気のいる選択だ。



その時点ですでに、

同じ年齢の私が言うならば


「わー、娘ちゃんてすごいな…」

なのだ。





それから、

想像してみる。

18歳になった娘を。



すでに学校教育の一線から離れ、ぼちぼちバイトでもしてるのだろう。

休日は家で自分の好きな事をして、

夕食では家族でたわいない話をする。



…今もうすでに、そうかもしれない。

実際はまだ小学生だけど。

そこには、学校行ってないということは、

何も関係ないのだ。


※実際はいろんなコンプレックスがあると思いますがそれすら誰にでも大なり小なりある



そんな18の若者は、日本にゴロゴロいるだろう。



なのに

私は何を憂えているのだろう?





たった1つ、あるとしたら。


「目の前を、チャンスが通り過ぎていく(ように見える)こと」



その一点です。





まだやり直せる(と勝手に思っている)チャンスを。


今ならまだ間に合う(と勝手に思っている)チャンスを。



そう、

私ならできるから。




でもこれは私の問題ではないのです。

娘が向き合う問題です。

それを、私が勝手に憂えているだけなのです。

私が越えなければ(越えさせなければ)と考えている。



そうじゃない。

これは娘の問題。


それをよーく自覚しないといけない!!




そういう意味でも、今は、目の前をチャンスの神様が通り過ぎていくのを、「さてこの後どうなるでしょうか?!」と他人事として眺めていくという試練です。



うん、

エグい。



でもがんばります。



どう頑張るかというと、

「何も言わない」ことを。


「自己紹介の紙、明日学校持っていこうか?」

とか、

そんなこと絶対に先回りして言ってはいけない。(今までは当たり前のように言ってた)


でも無視してもいけない。

放置してもいけない。

先回りせず、じっと見ていること。

何をしているかを、ただ見る。


そして「している」こと全部、自分で引受けさせる。

「何もしない」ことも全部…




長々と書いてしまいましたちょっと不満



腑に落ちてなくても、やれることはあるんじゃないかなと思って吐き出しました。

皆さんの参考になれば…昇天