長渕!かっこいい!!か・・・?
有線からナガブチの歌が流れてる。せみがなく~ ♪という曲。いやぁ、昔も今もエネルギッシュに現役!!素晴らしいことです!!さすが長渕かっこいいぜ!!…って、ちょっとまて!んなこと微塵も思わないぞ…わたくし、どうもここ数年の彼は、聞くたびにひっかかるものがある。こんなに気後れするというか、耳にするたび気まずさを感じるアーティストは、日本に数多くいる自作奏者の中でも、多分この人一人だ。なんでこんなに気まずさを感じるかというと、実はわたし小学生時代…以前、小学校時代、私の中で「フォークブーム」が来たという記事を書きましたが、そのときに好きではまったのが、吉田拓郎、海援隊、さだまさし、かぐや姫、そしてこの「長渕剛」だったのだ。彼の曲をアコギで、随分コピーしました!わたしのアコギの影響は、彼からのものがほぼ80%くらいじゃなかろうか?というほど。それほどナガブチ、実は影響が強いのである。だからこそ、あえて思う事を言うんですけれどね。(あくまでわたし個人の見解にすぎません。)これは有名な話なのか、タブーなのか、最近のファンは知らないふりなのか?そこは知りませんが、わたしが影響を受けた、以前の長渕剛…、多分1979,80年くらいのことだと思います。彼、その頃はあんなヤクザ調の歌い方、キャラではありませんでした。それどころか、そんなコワモテ、マッチョキャラとは全く正反対!!高く透き通った透明感のある声で、繊細な歌詞を女々しく歌う、長髪痩せ型の、明るくおもろい兄ちゃんキャラでした。以前と今で、これだけイメージを大転換させた人っていないのではないだろうか?http://www.youtube.com/watch?v=G2wv39L3BYkまあビートルズもストーンズも、拓郎も、RCも、アルフィーなんかでさえも、最初と最後、もしくは昔と今で、やってる音楽も、イメージも全く違います。でも、スタートと今が断絶していないというか、まあ納得できる自然の変化と受け止められます。しかし長渕は、完全過去を断絶し、新キャラで再出発したという感じがして仕方がない。最初から意識せずに、そういうワイルドな人なら何とも思わなかったんだろうけれど、今の、多分彼自身が理想としてる、やたらマッチョな長渕像が、わたしは生理的にダメなんだな…わたしは思うのですけれど、彼がここまで強さにとらわれるのは多分、過去に「軟弱野郎!」「帰れ!」と、イベントライブなんかで言われ続けたことが、未だに影響しているのではないかと、勝手に察しています。彼は硬派なフォークファンにいつも、軟弱とののしられていて、しょっちゅうイベントで「帰れ!」コールを浴びていたのは、僕の周りでも有名な話でしたよ。あと、最近のこの人の曲を聴いてみて、いつも思う事なんですが、マッチョなイメージで、聞き手への迫り方が昔とは正反対に感じます。しかし、曲の展開や手法そのものは、ヒット曲を聴く限り、古きフォークのまんまというか、もっと簡単に言えば今っぽくない。今っぽくなくとも、懐かしさを感じる良さってあるが、そういうのとも違う。今の時代に堂々と、あんなスリーフィンガー丸出し、マイナー循環コードで歌い、それでヒットさせるというのが、ある意味怖いです。はっきり言って、音楽的に「ハッ」とするものは一切ないし、個人的に、男気魂ムードも含め、今これか?と気恥ずかしく思うのは否めない。まあ、要は、わたしには、「軟弱」と言われた昔ほど、今のやさぐれ路線は、音楽として魅力的に聞こえませんね。まあこれは、完全に個人の好みの問題でしょうが…。昔の長渕は本当に、心にしみるいい歌が多いと思います。「俺らの家まで」「二人歩記」「祈り」…。聞いていて、自然だし、なんの奇のてらいもないし、でも彼は、これらの時代のやり方が、自分で大嫌いなんだろう。そのへんの自己否定ぶりが、なんだか納得できないというか、不自然に思えるというか、自分にはどうもスッキリしない部分であります。あと長渕氏、ギタリストのイメージが今は薄いですが、実はアコギがすごいうまいんですよね。ギター始めたころ、フォークギターでよく彼をコピーしたと言う話、さきほどしましたが、なかなか難易度高いスリーフィンガー奏法や、カントリー奏法など、本当に、これを押さえておけば文句なし、というフィンガーピッキングが続出します。弾き語りする方には、初期の長淵の曲は、自信を持って、為になるとお勧めできます。肉体面や強い弱いばかりを前面に出さないで、ギターテクを押し売りすればいいのに。