富岡製糸場
翌日は予報通り雨。谷川岳ロープウェイは諦めて、富岡製糸場へ出かけました。
JR上越線水上駅から高崎まで出て、そこから上信電鉄で上州富岡下車。約2時間強の道程です。
富岡製糸場ではガイドさんの説明を受けながら見学しました。
この建物のレンガの積み方はフランス積みと呼ばれるものでデザイン的にはきれいに見えますが、壊れやすいそうです。
製糸所
内部は当時のまま残されております。
片倉診療所(片倉経営期に建てられた診療所)
首長館(ポール・ブリュナーとその家族の宿舎)
寄宿舎(女子従業員用の寄宿舎)
西置繭所(2階は原料繭の貯蔵庫として使われていた)
ブリュナエンジン(製糸所の動力源として使われた)
鉄水溜(水を貯め置くことにより繰糸に適した水にした)
明治時代の建物、施設がそのまま残っているのを見ることができるのはとても感慨深いものがあります。
富岡製糸場は、西洋の文明、女性の新しいライフスタイルをいちはやく取り入れ日本の近代化に寄与しました。よくぞこれだけのことができたものです。
一日の労働時間は7時間45分、給与も階級により一日1円75銭から2円50銭、日曜は休日で祝日その他の休暇もあり、人事制度は充実しておりました。
全国から人を集め、当時の女性にとってはあこがれの職場だったそうです。
それが後に、岡谷の製糸工場では朝4時半から夜10時まで働き詰め、給与も
1日1銭から10銭という過酷な女工哀史の労働実態へと変わって行きました。
当初のここ富岡製糸場では近代的な工場で、勤務時間も給与も西欧の姿を取り入れ、皆誇りをもって働いていたようです。
日本の近代化の夜明けともいえる富岡製糸場は一見の価値ある世界遺産です。
水上温泉 松乃井
令和6年10月8日、水上温泉へ出かけました。
上越新幹線 上毛高原駅で下車、ここからホテルの迎えの車で約20分です。
今日はあいにくの雨。早めに着きましたが、どこへも出かけられません。
ゆっくりと温泉に浸かって過ごしました。
このホテルは客室棟が4つもあり、大浴場も3つもあるとても大きな建物であり、
移動が大変です。
大浴場に行くときなど迷ってしまいそうです。
建物の周りには大きな庭園があります。今日は雨のため、晴れたときに撮った写真です。
モミジがまもなく色づきそうです。
今回は雨の予報だったので、3日間ホテルで過ごす予定でした。
しかし、明日は天候次第で谷川岳のロープウェイか富岡製糸場へ出かけようと思っております。
日泰寺から揚輝荘
高校時代の友人と毎月史跡散策をしておりますが、今回は日泰寺と揚輝荘を
訪ねました。
日泰寺は何度も訪ねており、おなじみですが、今回この寺の由来を調べてみたら、日本とタイの国名からきているということでした。
インドで発見された釈尊の遺骨がタイに分与され、そのまた一部がタイ国王より日本に下賜されました。このとき、名古屋官民の誘致運動により、ここに10万坪の敷地を用意して新しく寺院がつくられました。釈尊をあらわす「覚王」を山号として「覚王山 日泰寺」が誕生したということでした。
覚王山という地名はこの寺の山号だったようです。
タイ国皇太子殿下お手植えの松
このあと、隣に位置する揚輝荘に出かけました。
揚輝荘はもとは伊藤次郎左衛門がつくった迎賓館でしたが、平成19年に名古屋市に寄贈され、名古屋市の有形文化財に指定されております。
北庭園は自由に見学、散策することができます。
伴華楼
白雲橋
三賞亭
ちょうど橋の下の池面に日泰寺の五重塔が逆さに映り込んでおります。
しかし、この橋は五重塔より前につくられたものであり、逆さに映りこんでいるのは偶然のたまもののようです。
南園 聴松閣
ここを見学するとき、たまたまボランティアガイドさんの案内があったので懇切
丁寧に説明をうけることができました。
揚輝荘座敷
庭園のこの石は八丈島から運ばれたもので、椿油を絞る石臼だったものだそうです。
聴松閣内部 「いとう」の文字が見えます。
地下には舞踏場もつくられております。
揚輝荘は一見の価値ある建物です。
第二次大戦の空襲で半分ほど焼けてしまったのが残念ですが、その後、できるだけ当時の状態に復元されております。
この日も暑かったので歩く距離はできるだけ少なく、そして終わったあとの楽しみは毎度の懇親会です。
篠島
毎日酷暑が続き、観光にはとても出かける気になれないので、今回は篠島へ
鯛を食べに出かけました。
河和から名鉄の海上観光船で、日間賀島経由、篠島へ。
今日の宿は香翆荘です。
宿のすぐ前は砂浜です。海水浴のシーズンも終わり、浜辺にはほとんど人の姿は見られません。
名鉄の「鯛ざんまい」というコースです。鯛とシラスのオンパレードです。
鯛しゃぶ、鯛カルパッチョ、鯛のお造り
生シラス
そして鯛の塩焼き、鯛の兜煮
最後はシラスてんぷら、鯛のお吸い物とシラスご飯
篠島はシラスの漁獲高日本一であり、また篠島の鯛はおんべ鯛として伊勢神宮に奉納されるほどおいしいと言われているようです。
翌日は早々にチェックアウトをして、日間賀島の西港と東港を経由し、河和まで。
涼しかったら日間賀島で下りてという選択肢もありますが、暑いのでまっすぐ帰宅しました。
今回は名鉄のセットコースを利用しましたが、電車、高速船も含まれ、結構お値打ちでした。
北方原生花園
納沙布岬からの帰りは北方原生花園へ立ち寄りました。
広い敷地に花がきれいに咲き、中には木道も整備されております。
最後に立ち寄ったのが金毘羅神社。この神社は高田屋嘉平が建立した神社です。ここにも高田屋嘉平が出てきます。
高田屋嘉平は淡路島の出身であり、廻船業を営んでいたので、金毘羅神社を崇拝していたのでしょう。
8月の例大祭では盛大に神輿を担いだお祭りが行われるようです。
神社ではお祭りの様子がビデオで上映されておりました。
境内に保管された神輿
本 殿
境内に建てられた高田屋嘉平像
このあと根室駅まで戻りました。根室駅は日本最東端有人の駅です。
駅構内の温度は20℃を指しております。根室も涼しく快適です。
帰りの花咲線の車両はボディカラーが違っておりました。
この車両 「キハ54」は釧網線では今年廃止されたようですが、ここではまだ運行されているようです。
帰りの花咲線ではまた霧がでてきました。
厚岸あたりの湿原です。
北海道の冬は厳しいので無人駅でも駅舎は風をさえぎるように工夫されております。野ざらしの駅舎はどこにもありません。
これで釧路の旅行も終わりです。明日はまた釧路本線で新千歳まで走ります。
今回はJRを何度も利用しました。鉄路の旅はゆっくりと時が流れるのを楽しむことができます。
また、涼しさも今日まで。明日は酷暑の名古屋へもどらなければなりません。
納沙布岬
7月10日、釧路での生活も5日目を迎え、明日はいよいよ最終日です。
この日はJR花咲線で根室へ出かけました。
たった一両で運転しております。もちろんワンマン列車です。
エアコンもなく、扇風機がついた電車は本土ではなかなか見かけません。
もっとも釧路では商店でもエアコンはない店が多いので当然といえば当然です。
広大な窓外の北海道の原野の景色を堪能しながら一路根室へ。
浜中町は漫画「ルパン三世」の作者、モンキーパンチの出身地でもあり、茶内の駅にはルパンのパネルが設置されておりました。
根室では納沙布岬までは定期観光バスもありますが、不案内なので観光タクシーを予約しておきました。
タクシーで少し走ると霧が出てきました。どうも天候には恵まれていないようです。
最初に訪れたのは明治公園。ここは開拓使により根室牧畜場として設立され、
レンガ積みのサイロが建てられました。そして、牧場は後に明治の所有地となります。
サイロは公園のシンボルであり、国の近代化産業遺産に指定されております。
根室は戦時中は国境近くの防衛拠点として、トーチカが設けられました。その後使用することはなかったのですが、今でも残っているそうです。
納沙布岬まではおよそ20分ほど。少しづつ霧が深くなってきました。
納沙布岬灯台のあたりはすっかり霧の中です。
納沙布岬は日本の領土の最東端の岬です。天気が良ければ国後島、歯舞諸島などが見えるでしょうが、今は霧に覆われ何も見えません。
望郷の岬公園 四島のかけ橋
北方館
ここに高田屋嘉平の手紙がありました。司馬遼太郎の「菜の花の沖」によると、高田屋嘉平は択捉島、国後島間の航路を発見し、北方の開拓者として活躍しました。そのため当時の資料がここに残されているのでしょう。
高田屋嘉平については、函館の赤レンガ倉庫の近くに高田屋嘉平資料館がありますが、ここでも資料に出会えるとは思いもかけませんでした。
ダイヤモンド・プリンセスクルーズ(6)函館 | じゃからんだの気ままな旅 (ameblo.jp)
納沙布岬には多くの北方領土返還の碑が建てられておりました。
巨大なオーロラタワーが建っておりました。笹川良一氏が建てたもので、北方領土返還の象徴ともいうべきタワーでしたが、今は訪れる人もなく、廃墟と化しておりました。
帰りは別の道を通り、北方原生花園へ向かいました。
釧路湿原
翌7月9日、朝食は和商市場へ出かけ、勝手丼を食べました。
和商市場は釧路駅前にある生鮮食品の店が並んだ市場ですが、ここで好きな具材を丼に乗せて自分なりの丼をつくって食べることができます。
勝手丼は和商市場の名物です。
新鮮なネタを一杯のせておいしくいただくことができました
食後、この日は釧路湿原へ出かけました。湿原の中をノロッコ号と呼ばれる列車が走っております。まだ本格的なシーズンでないため、列車は釧路と塘路の間を一日一往復のみの運行です。
湿原のなかをゆっくりと走ります。
45分ほどで塘路駅に到着。
ここで25分ほど休憩して再び釧路まで戻ります。
ツアー客はここからバスで次の目的地に向かうためか、帰りの列車は空いておりました。
釧路駅に到着して昼食。
ノロッコ号は湿原の中を走りますが、車窓からでは全体を見渡すことはできません。
観光タクシーの運転手さんに湿原が見渡せる展望台について相談すると、細岡展望台からが一番きれいに見えるとのこと、そこで細岡展望台に出かけることにしました。
釧路駅からちょっと遠いですが、ここから見ると、広大な湿原が目の前に広がっており、いつまで見ていても飽きることがありません。
眼下に釧路川が蛇行し、一面湿原の世界です。
日本の展望台ランキングで一位になったこともあるとのこと、絶景です。
湿原を堪能して夕食は駒形家と呼ばれる料理屋さんで取りました。
個室で感じの良い店でした。
釧路に来た目的の一つは湿原を堪能することでした。
タンチョウ鶴を見ることはできませんでしたが、今日は目的を達することができました。
ばんえい競馬
翌8日はフリー切符を使って帯広へ出かけました。フリー切符は特急券、指定券も含まれているのでとても便利です。
釧路は涼しいのですが、帯広はフェーン現象もあり、気温が高いようです。この日も駅前の温度計は30度を指しておりました。
この日はばんえい競馬を見に行きました。ばんえい競馬は全国でもここだけで行われているそうです。
普段競馬に縁のない人も多く、ビギナーズコーナーが設けられ、初心者に馬券の買い方を指導してもらうことができます。
我々もここでマークシートの書き方を教わり、単勝を数枚購入しました。
機械にお金を入れて馬券を購入
馬券を購入してからパドックで馬を見ました。どうも逆のような気がしないでもありません。
やる気のない馬もいます。やはり馬を見てから買うべきですね。
いよいよレース開始。
レースは200メートルのコースで行われます。一斉にスタート、しかし重さ450キロのそりを引き、しかも砂の敷き詰められたコースなので一気に走ることはできません。いかに体力を温存するか、どこで馬を止め、どこで仕掛けるかが勝負を分けるようです。
障害物の小山の前では皆馬を止め、出方をうかがっています。
いよいよ山を登りますが、途中で息切れする馬もあり、一生懸命鞭をあてますが、やはり動けません。馬の脚がひざほどまで砂に埋まってしまいます。
ただ鞭は馬にとっては痛いものではなく、手綱の余った部分を馬にあてているだけだそうです。はたから見ているとかわいそうに思ってしまいます。
ひとつ障害を乗り越えてもまだひとつ障害が待っております。
やっと乗り越え、ゴール。鼻の差とか首の差はありません。そりがゴールラインを越えないとゴールとは認められません。
8枠の馬がトップ、わけもわからず購入した馬ですが、どうも本命のようで、配当は2.9倍でした。
当たり馬券は払い戻しの機械の「的中馬券」に差し入れるだけで配当金が払い戻されます。
レースが終わるとその都度コースのメンテナンスが行われ、人力に加え、
トラクターも導入して、平らにならされます。
そりもスタート地点に戻されます。
動物虐待との声もありますが、馬を虐げていることはなく、馬の力自慢でもあり、足を折ることもなさそうです。
霧の摩周湖
翌7日、目を覚ますと釧路の町はあたり一面霧におおわれており、びっくり。
釧路の町では霧は日常茶飯事のことでした。
今日は定期観光バスで摩周湖方面へ出かけました。
釧路の町を抜けると次第に霧も晴れ、田園風景の中を走りました。
一面のトウモロコシ畑
牧草地
摩周湖は一面霧に覆われておりました。霧の摩周湖です。晴れる日はわずかなようですからやむを得ません。
摩周湖から下りると霧が晴れておりました。しかし、「もう一度引き返してもやはり霧の中ですよ」とガイドさん。摩周湖は山の上のほうにあるので、下界がはれていても霧の中のようです。
次いで硫黄山に向かいました。噴火しているそばまで近づくことができます。
弟子屈は大鵬の出身地でもあり、大鵬記念館がありました。車窓見学のみです。
ついで訪れたのは屈斜路湖。砂浜の砂を掘ると温かいお湯が出ます。
多くの人が砂を掘っていました。
最後は阿寒湖。観光船がありましたが、乗船すると自分で路線バスに乗って帰らなければならないので諦めました。
阿寒湖周辺は人通りも少なく、ちょっと寂れているようです。
釧路に帰り、夕食はフィッシャーマンズワーフMOOでとりました。この地の名物、さんまんまを食べました。
外はあいにくの雨、少し肌寒いようです。
釧路市街街歩き
「釧路で暮らすような旅6日間」というツアーに参加。7月6日から6日間の旅を楽しみました。
名古屋は連日35度前後の猛暑日でしたが、釧路は到着した時、23度前後の気温、高地を除けば日本でもっとも涼しい街です。数年前、釧路に降り立ったとき、7月でしたが寒いのにびっくりした記憶があり、今回は防寒着を準備して出かけました。
セントレアから新千歳空港へ。そしてそこからJRに乗り換え。窓外から北海道の広大な自然を眺めながら釧路へ向かいました。セントレアを9時ごろに飛び立ち、釧路のホテルに着いたのは午後4時30分ごろ。時間的にはとても近い距離です。
今回の宿泊は釧路プリンスホテルです。
到着するとボランティアガイドさんの案内で街歩きに出かけました。
釧路港には多くの漁船が停泊しておりました。
釧路川にかかる幣舞(ぬさまい)橋です。夕日の名所だそうですが、今日はあいにくの雨です。
釧路川沿いの釧路フィッシャーマンズワーフMOO、土産物屋さんやレストランが入っております。
その隣の温室
花時計
幣舞橋を渡ったところに建つ旧日本銀行
向学心に燃える若者たちが通う坂として、出世坂と呼ばれるようになりました。
急な勾配の坂であり、別名、地獄坂とも。
釧路市生涯学習センターの展望台から釧路市を臨む
幣舞橋のほとりの交差点は信号のない roundaboutでした。
ホテルの室内から夜景がきれいに見えました。漁船のライトアップが輝いております。
































































































































































