荒子観音
高校時代の同級生と行っている史跡散策、今回は前田家ゆかりの地を訪れました。
あおなみ線荒子駅で下車。
駅前には前田利家公初陣の像が建てられております。
駅から600mほどのところにある荒子観音。この寺は尾張四観音のひとつで、古く奈良時代創建の寺ですが、前田利家が本堂を再建するなど前田家とゆかりの深い寺です。
多宝塔は480年前に建てられ、国の重要文化財になっております。
観音寺には1250体あまりの円空仏が残されているようです。
ここから400mほどの荒子城跡へ廻りました。現在は富士大権現 天満天神宮
となっております。前田利昌が築城し、利家もここに居城しましたが、越後国府中へ移ると廃城となりました。
今回は猛暑の中なのでここまで。このあと名古屋駅まで戻り、恒例の懇親会。
史跡散策という名を借りた親睦会です。
長良川鵜飼
長良川鵜飼を見ようと、十八楼の鵜飼見物のプランを利用してでかけました。
十八楼のすぐ下から鵜飼の舟が出るので、ここで泊まるととても便利です。
夕食を早めに済ませて舟に乗ります。
宿の出口から舟着き場まで専用の通路があります。
舟からライトアップされた岐阜城が見えました。
鵜飼に先立って、舟の上で踊りを踊り、お囃子を歌いながら、明かりを灯した舟が、見物の舟の前を何度も行き交いました。
午後7時45分から鵜飼が始まります。開始の合図の花火です。
いよいよ鵜飼の開始。今日は見物の舟は23隻、鵜匠は6名。鵜匠はこれで
全部です。
鵜匠は世襲制で男子しかなれないそうです。そして男子が生まれないとその家はもう鵜匠としては断絶。今回は6軒のうちの鵜匠の一家にやっと6人目に男の子が生まれて、そしてついに今年鵜匠としてデビューしたと話題になったそうです。
なお、岐阜長良川の鵜匠は宮内庁職員で国家公務員となります。
約30分ちょっとで鵜飼は終了。宿に戻りました。
なお、関の鵜飼は鵜飼をする舟が見物の舟と一緒に走りますが、ここ岐阜長良川では見物の舟は岸で停泊し、鵜飼の舟はその前を鵜飼をしながら移動します。
翌日は関市板取の「名もない池」(通称 モネの池)へ出かけました。十八楼から車でおよそ1時間です。
もともと何もないただの池だったのですが、地域の方が池の周りの環境を整備し、魅力的な場所にしようと睡蓮を植えました。これを見た誰かがSNSでまるで
クロード・モネの名画にあまりにも似ていて美しすぎるとつぶやくとこれが瞬く間に広まり、いつの間にか「モネの池」と呼ばれるようになったということです。
池の前の根道神社
名もない池(通称 モネの池)
水が湧き水でとてもきれいです。本当にモネの絵のような景色でした。
帰りは関市の辻屋でウナギを食しました。有名な店でお昼は平日でも結構待ち時間がありました。
鵜飼は夜のため、写真がうまくとれなかったのですが、モネの池は思っていたよりも素晴らしく、美しい睡蓮を堪能することができました。
因みにモネの池の隣のフラワーパーク板取ですてきな花の苗を少し買い求めることができたのも本日の収穫です。
ここはどこでしょう
ここはどこでしょう。
卒業後、50年以上も経った母校が全く様変わり、昔日の面影はありません。
グリーンベルトの下、Common Nexusはだれでも入れるオープンスペースです。
また構内は市民にも開放されており、自由に見学できます。
久しぶりに同級生と一緒に見学し、構内のレストランで旧交を温めました。
花巻観光(2)
宮沢賢治記念館は賢治の思想、世界観などを理解できるよう、さまざまな資料と作品を展示しております。
生前に愛用したセロ
宮沢賢治童話村
広い敷地内に遊歩道、展示施設などがあります。
賢治の童話の世界に浸ったあと、羅須地人協会を訪れました。
農学校を退職した宮沢賢治が農民たちを集めて農業技術などを講義し、この建物で自炊生活をしておりました。
雨ニモマケズ詩碑の場所に建っていたものを、昭和44年に現在地、花巻農業高等学校の敷地内に移築復元したものです。
次いで訪れた南部杜氏伝承館
伝統的酒造りはユネスコの無形文化遺産に登録されております。
最後は花巻ゆかりのメジャーリーガーの記念モニュメントを訪れました。
花巻東高校
グランドのネット裏に設置された記念モニュメント
大谷翔平、菊池雄星が並んで造られておりました。
グランドでは明日の大谷、菊池をめざす高校生が練習に励んでおりました。ネット裏のケージは9つもあり、部員も多そうです。
因みにこのあたりでも熊がでるようです。
花巻のこのあたりはほとんどが平地ですが、茂みに隠れて移動するようで気をつけなければならないとのこと、おちおち散歩もできません。
翌最終日はあいにくの雨。
チェックアウトをするとそのまま空港に向かい、花巻観光はこれで終了、帰途につきました。
帰りの飛行機はずっと雲の中、何も見えず、また小型機でもあり、結構揺れました。
花巻観光(1)
花巻観光タクシー「どんぐりとやまねこ号」の一日コースで市内を観光しました。
10名ほど乗ることができるタクシーですが、この日は他に申し込みがなかったので我々だけの貸し切りとなりました。
最初は高村光太郎記念館です。高村光太郎は宮沢賢治を高く評価し、宮沢賢治が世にでるきっかけをつくりました。
高村光太郎が1945年から約7年間過ごした山荘
(建物保護のため、山荘を覆うように建物が建ててあり、山荘は建物の中にあります。)
高村幸太郎が厠に掘った明り取り 「光」の文字
高村光太郎記念館
次いで雨ニモマケズ詩碑を訪れました。
詩碑に誤りがあるということで、高村光太郎が直しました。
訂正した詩碑も珍しくていいだろうと、詩碑を書き直すことはせず、碑文を直接
訂正しました。
賢治はこの場所に「羅須地人協会」を設立し、農民に農業技術などを教えました。
ここから見下ろした畑に出かける時に書いた文字
このあと、コースになかったのですが、イギリス海岸へ立ち寄ってもらいました。
水が引くと青白い泥岩が露出し、イギリスのドーバー海峡を思わせる景色が現れます。現在では北上川の川床が低下し、なかなか見ることができないようです。
特に今の時期は水量が多く滅多に見られません。
イーハトーブ館は宮沢賢治に関する作品、研究論文などを展示している施設です。
このあと宮沢記念館を訪れますが、続きはのちほど。
花巻温泉 ホテル紅葉館
宮沢賢治のふるさと、花巻を訪れました。
ここは列車で訪れるにはやや不便なため、名古屋小牧空港から花巻空港まで飛行機を利用しました。
飛行機を自分で手配するのは初めてで、ちょっと心配でしたが、やってみると意外と簡単でした。飛行機の値段は日にち、便、予約時期によって値段が大きく違うことを初めて知りました。
今回はFDAです。飛行機が小さく、80名ほどの定員のためか、よく揺れました。
空港から花巻温泉までは公共交通機関がないのでタクシーを利用しました。
今回の宿泊はホテル紅葉館です。
夕食まで時間があるので付近を散歩しようと思いましたが、花巻は熊が出るようなので心配でした。宿で聞いても安全は保証しかねますとのこと。最近は熊は山の中だけでなく、平地でも見かけるため、絶対安全とはいえないとのこと。
釜淵の滝入口でどうしようかと迷っていたら、入っていく人がいたので恐る恐る
あとをついていくことにしました。
入口に与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑がありました。夫妻も花巻温泉を訪れているようです。
20~30mおきに熊除けの鈴がおいてあります。思い切り大きな音で鈴を鳴らして進みました。
釜淵の滝
一周約20分です。無事散策を終えることができました。
このあと、付近のバラ園に出かけました。残念ながらバラの時期には少し早かったようです。満開だったらとてもきれいだと思われます。
高野槙(悠仁様のお印)
夕食後、フロント前の舞台で、八幡鹿踊り(ししおどり)が上演されたので見物しました。
この宿はホテル千秋閣、ホテル花巻と3つのホテルが連なっており、同じ経営のため、すべての温泉を利用することができます。
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長久手古戦場
高校時代の友人と行っている史跡散策。今月は長久手古戦場へ出かけました。
リニモの長久手古戦場駅を下車。
ここから歩いて色金山歴史公園へ。約2キロ、およそ30分の距離です。
長久手の合戦で亡くなった戦士の慰霊碑
馬泉水広場
展望テラス
ここから市街が少し見えます。木が大きく見晴らしはそれほど良くありません。
長久手の合戦の際、家康はこの色金山に陣を敷き、この山頂から四方を展望しながら軍議を開きました。そのとき、家康が腰かけた床机石です。
茶室 胡牀庵
色金山歴史公園を散策したあと、駅前の長久手古戦場記念館へ立ち寄りました。
長久手の合戦の様子を詳しく説明するシアターなどを見学しました。
記念館の建つエリアは公園になっております。
暑くなったとはいえ、まだそれほどでもなく、楽しく散策することができました。
終了後はイオンモール長久手内の竜神丸で昼食。2か月に一度の散策。
顔を会わせると高校時代がよみがえってきます。
いつまでも続けたいものです。
ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)
今、ちょうどヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が満開と聞き、早速見に出かけました。
近くの愛知県植木センターにはなんじゃもんじゃの樹がたくさん植えられております。
期待して出かけたのですが、もう見頃は過ぎ、すでに散り始めの樹も多く
ありました。
ここには沢山のヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が植えられており、最盛期は壮観です。ちょっと残念でした。
郡山城
民生委員OBの仲間と郡山城へ出かけました。郡山城は1585年豊臣秀長によって造られた城で、城郭が野面積石垣になっております。
追手門
追手東隅櫓
天守台を見晴らす桜がまだ咲いております。
4月7日まで桜まつりが開催され、多くの人で賑わったそうです。
極楽橋を渡ると本丸です。
天守台から桜がきれいです。またここからは奈良の都が一望できます。
若草山、大仏殿、薬師寺、法隆寺などを見渡すことができます。
遠くに見える大仏殿は修理中でした。
郡山城をつくるとき、近在の住民に石を供出させましたが、石が簡単に入手できないうえ、城づくりを急いだため、寺院の礎石、石塔、石仏、石臼果てはお地蔵様まで手当たり次第に集めて積み上げたそうです。
「逆さ地蔵」もその一つです。
石に削ったような跡がありますが、ここはのみを入れて割った跡だそうです。
石に詳しい仲間が説明してくれました。石にも筋があり、正しく切れ目を入れないと割れないそうです。
昼は「翁」で季節料理をいただきました。
昼食後、春岳院を参拝しました。仲間の一人が住職で、こちらの住職と知り合いのため、内部を案内していただきました。
寺院は秀長の450回忌(2040年)に向けて改修中ですが、豊臣兄弟の放送決定を受けて本堂は先行して修繕されました。春岳院は以前は大きなお寺だったのですが、今は小さな寺となってしまいました。それでも大河ドラマの影響か、訪れる人も多く、ボランティアの案内人も置いて次から次へ訪れる人に説明をしておりました。
この寺は当初は東光寺と称しておりましたが、秀長の菩提寺になったとき、秀長の戒名の一部をとって春岳院と改められました。
寺の中には平安時代、鎌倉時代、江戸時代など古い仏像が多く安置されておりました。
この後、秀長公の墓所、大納言塚を訪れました。
帰るまでに少し時間があったので、仲間の住職の知り合いの矢田寺を訪れました。ここはアジサイ寺として有名でアジサイの季節には大勢の人でごった返すそうです。
境内の八重桜が綺麗でした。
大河ドラマの影響もあり、大和郡山は町をあげて豊臣兄弟で盛り上げております。
今回は予期せぬ桜も楽しめたのは幸いでした。
桶狭間古戦場
高校時代の仲間と回る史跡散策。今回は桶狭間古戦場へ出かけました。
桶狭間公園でボランティアガイドの方と待ち合わせ。案内していただきました。
この公園自体がジオラマになっていて、清須、大高城、善照寺砦、中島砦などが配置され、当時の地形を模してつくられております。これで合戦の様子が実感できます。
今川義元戦死の地の碑
義元公首洗いの泉
おけはざま山今川義元本陣跡
(実際は少し離れた場所だそうですが、今は道路が通っているので寄贈者が自分の住まいの敷地に建てたそうです。)
おけはざまの山から見た市街
田楽坪
桶狭間の戦いの中心地です。
瀬名氏俊陣地跡
信長はこの陣地rを見て義元がこのあたりに居ると察知したとのこと。なお、氏俊自身は大高城へ向かっていたため、戦死は免れました。
大池
桜が数輪咲いておりました。
長福寺
今川義元公首検証跡
弁天池
ここで血刀を濯いだそうです。
桶狭間発祥の地
泉の桶が廻る様子から桶狭間の地名が生まれたとされます。
戦評の松
伊勢湾台風で倒れ、また枯死し、今は3代目だそうです。
このあと、桶狭間古戦場伝説地を訪ねました。ここは国の指定史跡となっており、こちらが今川義元本陣の場所とする説もあるようです。
ブラタモリでちょうど桶狭間の戦いが放映され、興味が倍加しました。どうして信長が勝つことができたのか、いろいろと推測できました。
これで本日の行程は終了。昼食は駅前の美喜鮨で。久しぶりの再会に話がはずみました。


















































































































































