✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿ -4ページ目

✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

門松 明けまして、おめでとうございます。門松

 

 

本年もよろしくお願い申し上げます。鏡餅

 

                         令和4年元旦

 

 

 

 

 

 

 

今春くまもとでは

 

3月19日(土曜日)~5月22日(日曜日)

 

『花とみどりの博覧会』が開催されます。

↓   ↓   ↓

 

 

 

 

緑化フェアは1983年から続く国内最大級の花と緑の祭典で、熊本開催は1986年のクマモトグリーピック以来、36年ぶり2度目。

 

くまもと花博は

熊本城公園と花畑広場の「街中エリア」

水前寺江津湖公園の「水辺エリア」

立田山の「まち山エリア」の3会場をメイン会場として

春休みや土日祝日を中心に多彩なイベントが開催。

 

 

 

 

 

また同時期の4月23日、24日には

「第4回アジア・太平洋水サミット」が開催されます。

 

 

 

 

 

水サミットは、アジア太平洋地域の49か国の首脳級や閣僚らが出席。

水不足や水質汚濁、洪水被害など水に関する問題を幅広く議論する国際会議。

今回は「持続可能な発展のための水~実践と継承~」がテーマ。

 

 

皆さん今年の春は、くまもとに遊びにいらしてください。 !!

 

 

 

お待ちしています。 ニコニコ音譜

 

 

 

 

さて、熊本の元旦は雲一つない晴天!

 

家の近所の神社へ初詣。

 

 

 

 

参拝後おみくじも・・・

 

 

ハイ、亀吉「大吉」です!

 

 

 

 

 

午後は長男家族が我が家へ年始に。

 

 

 

 


夕方からは妻の実家で恒例の年始です。日本酒

 

 

 

今年もよい年になりますように・・・アップ

 

 

 

ブログでもおみくじを引いてみた・・・・

 

2022年おみくじ結果

 

 

 

 

グッド!    グッド!   グッド!

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。

 

2021年・令和3年もいよいよ最終日

 

1年をふり返り、自分は総じて幸せな1年を過ごせたのか否か?

受けとめかた次第とはいえ、人それぞれに感慨深いことだろう。

 

昨年来の移り気なコロナで幾度も視聴したギリシャ文字。

「アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ・・・オミクロン」

 

次々に変異し、収束してくれない新型コロナウイルス。

聞きなれない命名はもう、うんざりだ。来年こそ打ち止めにしてもらいたいものである。

 

 

 

さて亀吉、今年もブログのアップは疎かであった。あせる

 

 

とりあえず、ここ最近1、2か月の記憶の新しいものを・・・

 

 

人間ドック受診。

 

 

 

 

毎度唯一の愉しみは「日赤健康薬膳」。

 

 

 

年が明けたら再検査が・・・_| ̄|○

 

 

 

 

 

twinsの孫(4歳)たちとお出かけ遊び。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年コロナ禍で延期していた「紐解き」記念。

 

 

                          寛太         と         源太

 

 

 

 

 

 

父親が米寿を迎える。クラッカー

 

 

 

記念に近場の温泉付きお宿をプレゼント!

 

 

 

 

 

クリスマス プレゼント

 

 

 

今年は源太は胃腸炎で熱発し、ママとお家で静かにお留守番。

 

丈琉(タケル 6ヶ月)              と           寛太(4歳)

 

 

 

何はともあれ、無事で過ごせたこと、新たな出会いに感謝します。

 

 

今年も1年

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。

人吉に行った際、ランチで立ち寄ったのが 『kura 倉 cafe』 さん。

以前の利用を思い出してみると、実に7年ぶり!

 

豪雨災害やコロナ禍等もあり、「果たしてまだ営業されているだろうか?」と 思いつつお伺いしてみた。

 

 

お屋敷内への重厚な門扉が特徴。

 

 

 

 

木漏れ日の中を車で入っていく雰囲気が素敵!

 

 

 

 

上っていった先に建物が見えてきたら

 

到着!

 

 

 

古い石倉を移築した建物はギャラリー

 

 

 

花木を愉しめるガーデンテラスを歩いて行った先に

 

 

 

カフェレストランはある。

 

「よかった、営業されていた」

 

 

 

私は、お肉のランチを頂いた。

 

 

 

 

 

 

球磨川や人吉の城下町を眼下に眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができるカフェレストランは以前のままだ。

 

 

おごちそうさまでした。

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。

 

アップが大変遅くなりました。ヤバイ アセアセ

 

「10月28日」は亀吉夫婦の結婚記念日。

 

恒例の1泊温泉旅行、今年は以前利用してお気に入りの阿蘇郡南小国町のお宿をキャンセル待ちで2か月待ったが、結局空きが出なくて断念!

 

あるんですよね、このコロナ禍でもこんなお宿が・・・ふとん1

 

 

 

ならばと、昨年7月大きな爪痕を残した大水害から力強く立ち上がり、前に進みだしている人吉球磨へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

人吉では親しみを込めて"青井さん"と呼ぶ「青井阿蘇神社」も水没被害を受けた。地域の皆さん方の暮らしの中で、心のよりどころとなっている神社であり、本殿など5棟の建造物は国宝に指定されている。

 

 

豪雨では神社の蓮池には何台もの車が流れ込んだ

 

 

蓮池にかかる橋はまだそのままだ。

 

 

 

 

″青井さん″を後にして向かったのは、人吉球磨の観光のシンボルであり、日本三大急流の「球磨川くだり」の発船場。

 

球磨川の氾濫によってすべてを失ったという球磨川くだり株式会社。

 

人吉・球磨地域を約700年に渡って統治した相良藩の参勤交代と陸の孤島である人吉盆地の物流を担う舟運を起源とする川下りの歴史は、まさしく球磨川とともに歩んできた会社である。

 

しかし、昨年の豪雨災害で運営する「球磨川くだり」観光事業は、一心同体とも言える球磨川の氾濫によって壊滅的被害を受けた。

 

 

 

 

しかし、被災した人吉球磨地域の方々が異口同音に言われていた言葉が鮮明に思い出される。

 

「これまで長い歴史の中で球磨川の恩恵を受けて暮らしを営むことができたのだから、自然災害という人智の及ばない事象に見舞われても、球磨川に恨みはありません。そしてこれからの未来も球磨川とともに歩んでいく覚悟です」 と。

 

 

100年に渡り人吉の観光拠点として愛されてきたその球磨川くだり発船場が再建され、『HASSENBA』として新たにリスタートしていた。

 

 

 

 

しかも、各種アクティビティーの受付だけでなく、人吉球磨を中心に県内各地からセレクトした品々がそろうお店、熊本初出店という「九州パンケーキカフェ」などを併設し、新しいラウンドマークとなっていた。

 

中でも注目は、復興に向けて歩みを進める人吉の街と人を、自転車で訪ねる『人吉はっけんサイクリングツアー』。人吉城址~青井阿蘇神社~鍛冶屋町通りの約4.5kmを3時間かけてゆっくり巡るのだそう。自転車だから気付けること、感じられることもおそらくたくさんあるはず。

 

 

ラフティングツアーや球磨川遊覧船『梅花の渡し』もおすすめ!

 

 

 

 

江戸時代、人吉城と城下町を結ぶ橋は1本しかなかったそうで、そのため、対岸と往来をするには川舟が用いられ、川沿いには多くの舟渡場あったそうだ。梅花の渡しはそれらの一つで、人吉城址の石垣を間近で眺めることができ、春は桜、初夏の新緑、秋は紅葉が見どころとなり、まさに人吉の四季を感じることができる遊覧体験である。

 

残念ながら我ら今回は時間が合わず断念、また次回に。

 

 

対岸が人吉城址

 

 

 

さて、宿泊先はこちら 人吉温泉 清流山水花『あゆの里』さん。

 

過去にもお世話になっているお宿である。

 

今回は「くまもと再発見の旅」と「人吉復興割」の両方の割引を利用させて頂いた。もちろん地域限定クーポン付きでさらにお得!

 

 

 

このお宿前の商店街は人吉の中心市街地であり、昨年の豪雨災害ではごらんのように、洪水痕跡が矢印のところまであったのだから、いかに大水害であったかが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

1年以上の時を経て再開され、被災したお宿とは思えないほど立派に再建されていた。

 

 

 

 

 

柱には波の印が・・・この高さまで水が流れ込んで来たということだ。

 

 

向日葵の絵は女将が休館中に描いたもの。

 

 

 

 

 

 

 

球磨川・人吉城址を眺める温泉付きのお部屋。

 

 

 

球磨川は時として、「暴れ川」と表現されることも。

 

しかし、私たちが普段見ている川は穏やかであり、鮎が泳ぎ、カワセミ・ヤマセミなど水鳥の憩いの場となる美しい清流なのである。

 

 

 

 

 

一応結婚記念ということなので・・・ロゼワインシャンパンアリガトー 36周年!

 

 

~ 人吉球磨を味わう ~

 

 

              オードブル             赤いのはあさぎり町産ビーツのコンソメスープ

 

 

お造りはご当地 鮎の洗い

 

 

       呑むはちろん球磨焼酎                     芋グラタン

 

 

黒毛和牛と五木揚げ 人吉産キノコ鍋

 

 

 

 

鮎と旬野菜 ごま油ブレンド天ぷら

 

 

               たもぎの炊き込みご飯 と つぼん汁                    山江栗のプリンとパウンドケーキ

 

 

おごちそうさまでした。感謝 (__) 

 

 

 

 

 

世界ブランド「球磨焼酎」が揃う 焼酎蔵

 

 

球磨焼酎ラウンジでは好きなだけ各蔵ごとの焼酎が自由に飲める!

食後なので軽く炭酸割で乾杯!

 

 

滞在中、好きな時にいつでも入れるお部屋のお風呂は

 

やっぱよか~ 温泉!最の高じゃ!!温泉

 

 

 

 

 

 

ということで結婚記念日の1泊温泉旅行

今年、無事に完遂!

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

人吉市の東に接し、町の北部を球磨川が流れる錦町。

気が遠くなるほど高く晴れ上がった青空の下、遠くの山々は色づくコラボレーション。

 

稲刈りが終わった田園の風景に癒されながら、町の歴史を刻む場所を先月末に訪れた。

 

九州山地にかこまれた海のない人吉盆地にある山の中の海軍航空基地資料館。

 

愛称、山の中の海軍の町にしき「ひみつ基地ミュージアム」である。

 

 

 

 

 

今から78年前。太平洋戦争末期の1943年、錦町と相良村にまたがる知敷原(ちしきばる)台地につくられた航空基地。

 

錦町北部の木上(きのえ)地域を中心に、全長1500m、幅50mのコンクリート製滑走路を有する飛行場だけでも、広さは300ha余り。

 

ほかに本部庁舎や実習棟、兵舎が立ち並び、後には地下に工場や作戦指令室なども設けた本格的な航空基地であった。

 

現在のこの資料館は、その滑走路の東端にある。

 

1944年に人吉海軍航空隊が発足。

 

しかしなぜ海の近くではなく、山の中に海軍の航空基地が置かれたのか? 

 

この土地が、広く平たんな台地上にあったことから鹿児島県や宮崎県の海軍航空基地への中継基地としての役割が考えられていたと推測されている。

 

本格的な航空基地であったにもかかわらず直接の作戦航空基地として使われなかったのは球磨地域特有の濃霧が原因だったとも。

 

戦況が徐々に悪化し、飛行予科練生が大量に採用されるようになると、この基地で「赤とんぼ」と呼ばれた複葉の練習機を使ってエンジニアの育成、特攻隊の訓練なども行われた。

 

全国から入隊してきた予科練生は8期で計約6千人。

 

                                 九三式中間練習機、通称「赤とんぼ」のレプリカ

 

 

館内には基地に関する資料や基地跡で発掘された品々が展示され、当時の様子を今に伝えている。

 

 

 

 

 

45年になると米軍機の空襲も受けるようになり、基地周辺には本土決戦に向けての多くの地下施設が造られるようになった。

 

現存する地下壕は総延長約4km、総面積約1万㎡という巨大なもの。

 

この「ひみつ基地ミュージアム」の見どころは、地下魚雷調整場をめぐるガイドツアーだ。

 

資料館東側の台地斜面を下りて行く

 

 

 

下りついたところにあるのが「木上(きのえ)加茂神社」。終戦当日、海軍兵はここで玉音放送を聞いたそうである。

 

 

 

この神社の隣に台地斜面に開いた大きな洞窟のような地下壕魚雷調整場の入り口がある。

 

 

 

 

薄暗い地下に入ると、中はひんやりとし壁や天井につるはしで削った跡が残っている。

 

 

 

地下壕の中に立っていると戦火に散った若者の思いが胸にこみ上げ

平和のありがたさを再認識させられる。

 

 

 

 

魚雷の最終組み立てなどを行った区域は誤爆に備えて上下周囲をコンクリートで固めてあり、現在は魚雷のレプリカが展示されている

 

 

 

 

 

近年の調査で地下壕は50本ほど残っており、作戦室や無線室、爆薬庫、兵舎などさまざまな目的で使われていたようだ。

 

 

1945年8月15日、終戦。

 

人吉海軍航空基地はわずか1年9か月でその任務を終えた。

 

時の流れとともにその役割や事実を知る人も少なくなり、人々の記憶から姿を消していった。

 

長いこと埋もれていたこの地下壕もごみや廃棄物置き場に使われていたそうである。しかしそのことで地下壕が貴重な戦争遺構として残ることになった。

 

 

戦後70年が経った平成27年、地元有志の方々の調査・研究により当時の姿を鮮明に留める地下施設を始めとする様々な遺構が発見されている。

 

 

多くの若者の犠牲の上にある今日の平和を我々は忘れてはならい。

 

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。