前回のブログでは自分が他の受刑者と同類だと認めたくなかったこと、矯正指導日で元受刑者・元ヤクザの進藤龍也さんの講話があったことを書きました。

 

 

 

立川拘置所の指導日は、タレントの小松政夫さんやビートきよしさんの放送もありました。

 

 

若いころは苦労をした、努力をした、辛かったけど頑張ったから今がある、努力を続けることが大切、下積み時代の苦労は誰にでもある、というような内容です。

 

 

努力や我慢が大切って、そんなことは言われなくたって分かってる。

そういうのが出来ないから私たち受刑者はここに来ちゃったんだよ…

 

こう言っては大変失礼ですが、全く参考になりませんでした。

新卒でこれから社会人になりますという人には参考になるかも知れません。

 

 

 

私たち受刑者はすでに、刑務所という世間から隔絶されたマイナススタートせざるを得ない場所に居ます。

もちろん自業自得なんですが、そんな私たちが一般の人と(刑務所に来たことがない人と)同じスタートラインに立てる前提で話をされても、

 

それは刑務所に来たことのない人の話だよね?となってしまうのです。

 

 

 

受刑者になったことがない人に、私たち受刑者の気持ちなんて分かるわけがない。

 

マイナススタートからどうやって生きて行けばいいのか?その方法を知りたいのに…

 

 

 

そんな風に考えていたとき、進藤さんの講話が放送で流れたのです。

 

私は必死にノートを取ります。

彼の言葉は自然と耳に入ってきました。

 

彼が元受刑者だから、その言葉がとても胸に響いたのです。

 

何で刑務所に来てしまったのか考えよう。

昔苦労しなかったから今している。

自分は辛抱しない人だった。

当たり前のことというのは訓練しているからできる。

今は覚せい剤の影響で忘れっぽくなっている。

模範囚でいることは出所しても必ず役に立つ。

 

上記の内容と進藤さんの簡単な生い立ちも放送されました。

 

 

この時の記憶は今でも鮮明に残っています。

 

本当に必死にノートに書き留めました。

 

 

 

進藤さんの講話は、これからの人生を真剣に生きたいと考える

受刑者の心に間違いなく届いたはずです。

 

実際に私の心に届いたのですから。

 

 

 

全身に刺青が入っているからスカートを穿けないし夏はノースリーブになれない。

学歴は高卒で水商売や風俗もやってきた。

お金持ちやヤクザの愛人になっていろいろなものを見てきた。

ろくな理由じゃないのにODで自殺未遂したこともあった。

現在も依存症だし、過去は失禁するし記憶が飛ぶし覚えてない事だらけ。

人を散々裏切って嘘をついて、傷つけてばかりだった。

自分の生い立ちを恨み母に暴力をふるい、死に目に会えなかった。

 

 

好き放題を続けた結果、刑務所まで来てしまった。

 

 

だけどこんな私でも前を向いて生きて行けるのだということ、

自分次第でこれから先の人生は変えられるということ、

 

私ができるんだからあなたも絶対にできる。

 

 

私はこれからも、あなたに伝え続けます。

 

 

 

 

 

前回のブログ 勇気をもらった矯正指導日 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12604856461.html

 

 

前回のブログでは二度と刑務所へ戻らないために、他の受刑者を観察するようになったということを書きました。

 

 

 

拘置所や刑務所では1日中勉強する日が月2回ありますが、その日を矯正指導日と呼びます。

刑務所や拘置所によって呼び方が違うかも知れません。

 

 

 

立川拘置所の矯正指導日は、受刑中の目標や所内で流れる放送を聞いて感想を書きます。

居室外就業者になると居室にテレビが設置されるので、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀やドキュメンタリー番組の録画を観て感想文を書きます。

 

 

 

この頃の私は、他の受刑者と自分が同類だと認めたくありませんでした。

 

 

 

私は普通に字も書けるし計算も当たり前にできる。お店を経営していたことだってある。

居室で便を漏らすとか、祝日に出されるお菓子を隠し持ったりとか、子供かよ…。

ヤクザや放火魔の旦那がかっこいいとか、子どもを児童相談所に「取られた」とか、

男にシャブの売人をさせられ利用された事に気付かないとか、

 

それを自慢する意味が分からない。

 

 

こんな低レベルの人たちと自分は同じじゃない、そう思っていました。

 

 

 

少し考えれば分かることですが、

窃盗でも殺人でも詐欺でも、強盗でも覚せい剤所持でも傷害罪でも、

同じ刑務所にいるのが現実です。そこに差はないです。

 

 

○○罪の方がまだマシとか、○○罪だから極悪人とか、

塀の外の人たちからすれば同じくくりなのに、自分は他の受刑者より優れていると思っていたのです。

 

 

薬が抜けて考え方がしっかりしてきて、過去を振り返る時間ができます。

 

 

自分がいかにおかしな人間だったか、非道な行動や言動をしてきたのか、

どれだけ人を裏切ってきたのか、嘘をついてきたのか、騙してきたのか、

 

 

自分の最低なところを、嫌なところを思い出します。

 

 

私は外に出たらやっていけないんじゃないか…

こんな人間を社会は受け入れてくれないんじゃないか…

これだけ累犯が多い理由は、元受刑者が社会から受け入れられないからじゃないか…

 

 

 

こんな考えが頭の中をぐるぐるしているころ、矯正指導日にある人の講話が流れます。

 

 

 

元ヤクザ、元受刑者で現在は牧師をされている

 

進藤龍也さんの放送でした。

 

 

 

 

 

 

前回のブログ 考え方の変化 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12604387559.html

 

 

前回のブログでは、矯正施設には義務教育を受けることができなかった人や学力が低い人が多いということ、当たり前のことを訓練させられているということを書きました。

 

 

 

今日はその続きを書いていきます。

 

 

立川拘置所では、受刑者同士が唯一会話ができるのは運動の時間です。

そのうるささに圧倒されたと以前のブログで書きました。

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12602004578.html

 

 

ただ居室にいるだけだと体がなまってしまうので、運動に参加する事にしました。

 

 

何人かの受刑者と話をするようになります。

 

何歳?どこから来たの?何やったの?何回目?

拘置所や刑務所では「今日はいいお天気ですね」程度の感覚でこういった質問をされます。

 

 

ODができないので徐々に頭がクリアになってきました。

 (OD→オーバードーズ、薬の過剰摂取・過量服用)

 

 

 

立川拘置所に入所して1か月、私の考え方が少しずつ変わってきます。

その理由は、まず薬の量が圧倒的に減ったのが1つ。

2つ目は、絶対に累犯になりたくないという強い思いがあったからです。

 

 

累犯という言葉の意味を調べると「5年以内に再び有期懲役になること」とありますが、

初犯以外の人を指す意味で使われます。2回以上刑務所に来ている人は累犯です。

 

 

立川拘置所では累犯も初犯も一緒に生活するので、累犯から色々な話を聞くことができました。

 

 

 

私は受刑生活が本当に嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

 

前の拘置所では人の食べ物とは思えないようなモノを食べ、

お風呂場はカビだらけで水虫になりそうなほど汚く、

衣服や寝具は何十年も染みついた何とも言えない臭いがして、

居室は人が生活する場所とは思えないほど汚かったです。

 

入浴はたった15分、夏は週3回、冬は2回です。

入浴方法、シャワーヘッドの使い方まで細かい決まりがあります。

おしっこしてる人もいるかもしれない湯舟なんて絶対に浸かれない。

居室では用もなく勝手に立つことができない。

作業中はトイレへ自由に行くことができない。

 

 

 

こんな生活は本当に嫌だ。もう二度とこんな所には来たくない。

 

 

 

これは受刑生活を送った人なら誰でも思うはずなんです。

 

わーい!また刑務所に来れた!やった!!なんて人は居ないはずなんです。

 

 

ではなぜ累犯が多く存在するのか?

 

 

私は二度とここに戻らないために、他の受刑者をよく観察するようになりました。

 

 

 

 

 

 

前回のブログ 女子受刑者たち はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12603649645.html

 

 

前回のブログでは、依存症者を支えるものには「物」と「者」があるということを書きました。

 

 

 

今日は拘置所や刑務所に居た女子受刑者の特徴について書いていきます。

 

 

元受刑者や現受刑者のブログは結構あります。

○○事件の○○さんはこういう人でしたとか、これまでの受刑生活を面白おかしく書いてあったり、こんな物を差し入れたら箔が付くよ!みたいなアドバイスをするものもありますが

 

私はそういうことを書く気は全くありません。

 

 

女子受刑者がどういう家庭環境で育ったのか

家族はいるのか、どんな関係なのか

子どもはいるのか

受刑直前はどんな生活をしていたのか

 

こういった視点で書いていければと思います。

彼女たちが私に本当のことを話してくれたかは確かめようがありませんが、

嘘をついていないという前提で書いていきます。

 

 

 

突然ですが、皆さんは漢字を書けますか?

ローマ字で自分の名前を書けますか?

 

 

馬鹿にしてんの?と思う人がいるかもしれませんが、

書けない人が拘置所や刑務所には一定数いるのです。

 

私が言いたいのは書けないから馬鹿だとか、

差別するとか、見下すということではありません。

 

 

義務教育を「受けることができなかった」人がいるという事を

皆さんに知っていただきたいのです。

 

 

 

拘置所や刑務所は免業日以外(お休みのことを免業日と呼びます)、

毎日同じ時間に同じ作業を繰り返します。

 

毎日決まった時間に起きて、ご飯を食べて、仕事をして、眠る。

日常生活を送る上でごく当たり前のことですね。

 

 

私は拘置所と刑務所の生活で気付いたんです。

こういう当たり前のことを、ひたすら毎日訓練させられているんだということに。

 

 

 

拘置所や刑務所に来てしまう人の多くは学力が低いです。

一つのことを長く続けるということが苦手です。

集団生活を送ることがあまり得意ではありません。

時間や約束を守ることが大切だと思わない人がいます。

我慢すること、欲を抑えることが苦手です。

 

 

 

拘置所や刑務所へ来てしまう人の多くは、上記のようなことを

子どものうちに「学んでこなかった」または「学ぶことができなかった」のです。

 

 

 

全員に当てはまるとは言いませんが、私を含めそういう人が多いのです。

 

 

 

 

前回のブログ 依存症者を支える“もの”#2 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12602760340.html

 

 

前回のブログでは、依存症を支える「物」と「者」があるということを書きました。

 

 

 

その人のためを思ってやったことや、世間体を気にする家族の行動が

依存症を助長してしまうことが多いと思います。

 

 

では支える側は何もせず依存症者を見捨てればいいのね、と考えるかもしれませんが

決してそうではありません。

 

何度も言いますが、理解して支えてくれる人がいないと依存症は絶対に回復しません。

 

 

 

ではどうすればいいのか?

 

 

 

依存症者は、辛いし嫌だし見たくないけど、自分の過去を振り返ってみてください。

 

「もの」に依存するきっかけは何だったのか?どうやってそこへたどり着いたのか?

涙が出るし叫びたいほど辛いかも知れませんが、思い出してみてください。

 

回復するヒントは必ず過去にあります。

 

 

 

依存症者を支えるご家族は、あなたの大切な人がどうして依存症になったのか、

幼少期までさかのぼって思い当たることを書き出してみてください。

 

そして依存症者の話を親身になって聞いてほしいのです。

 

 

 

 

 

こんなことをするの、はっきり言ってだるいです。

 

めんどくさいと思う人がほとんどだと思います。

 

 

みんな見たくないんです。

自分の失敗した過去や後悔なんて、見ないで生活するに越したことは無いのです。

 

今の自分がどうしてこうなったのか、なぜ家族がこうなったのかなんてことには

できれば向き合いたくないのです。

 

 

 

起きてしまった過去は変えられません。

 

ですがその頃の依存症者がどういう気持ちだったのか、

支援する立場の家族や友人がどれだけ大変だったのか、

その時のお互いの想いを知ることは出来ます。

 

 

依存症者は、自分を大切に思ってくれている人の気持ちに気付く必要があります。

時には逃げたっていいと思います。最終的に投げ出さなければ。

 

そして自分に甘い人=優しい人だと勘違いしないでください。

 

 

支援する側のご家族は、嘘をつかれたり約束を破られたり

精神的にも金銭的にも疲弊していると思いますが、

 

依存症者に「もの」を渡すことで支えるのではなく、心を支えていただきたいのです。

 

 

どちらか一方が頑張りすぎても、どちらか一方が欠けても、

回復はできないと思います。

 

 

私はこれらを実践して、現在も大きなスリップをすることなく

前を向いて生活することができています。

 

家族のかたちは色々です。

これを実践したから絶対に回復する、解決するとは言い切れませんが

間違いなく大きな前進になります。

 

 

何が自分の責任か

 

お互いに気付くことがとても大切なんです。

 

 

 

 

前回のブログ 依存症をささえるもの はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12601991419.html

 

 

前回のブログでは立川拘置所へ移送されたこと、運動に出た時にあまりのうるささに驚いたことを書きました。

 

 

 

今日は依存症者を支えるものについて書いていきます。

 

 

支えるものは二つあると私は思っています。

 

 

 

まず一つ目は「物」です。

 

私はあらゆるものに依存しているので数が多いのですが、

 

まずは睡眠薬や精神安定剤などの精神薬と、覚せい剤等の違法薬物

パチンコ、スロット、ポーカー、カジノ

洋服(身に着けるもの)

 

 

上記の物がこの世から無くなれば私の依存は完全に止まります。

ですが現実的に考えて、これらの物が世界から無くなることは絶対にありませんよね(笑)

 

 

 

二つ目は「者」です。

 

これは身近な人のことを指します。私で例えるなら、

 

幼いころから欲を抑えることを教えず物を与え続けた両親、

お願いをすればお金をくれたお客様たち、

結果的に私の言う通りお金を出し続けた夫になります。

 

 

病院へ睡眠薬や精神安定剤を貰いに行くにはお金がかかります。

細かく言えば、移動手段の車や保険証も必要ですね。

 

 

私の場合、そのお金や手段を提供したのは誰だったでしょう。

 

 

 

私が気持ちよく薬でおかしくなれたのは、母や夫の存在があったからこそなんです。

 

 

二人の存在が私を支えていたから、私は安心して薬・ギャンブル・買い物・窃盗へ依存ができたのです。

 

 

 

ほかの依存症で例えていきます。

 

アルコール依存の夫にお酒を提供し続けたのは誰なのか?

ギャンブル依存の子どもにお金を出し続けたのは誰なのか?

自傷行為をする娘の心の叫びを聞かなかったのは誰なのか?

 

 

しらふになれば本当にいい人だし…

これでもうやめるって言ってるし…

二度としないって言ってるし…

世間体が気になるし…

 

 

 

 

皮肉にも、家族や親しい人のこういった思いが

 

 

依存症を支えてしまっているのです。

 

 

 

 

 

依存症を支える“もの” #2 へ続きます。

 

 

前回のブログ 立川拘置所 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12602004578.html

 

 

前回のブログでは、私の手紙をちゃんと読み解く心の余裕が夫になかったということを書きました。

 

 

初めての公判で私の弁護をしてくださったY先生が面会に来てくれました。

 

用紙にY先生の名前が書いてあって、それを刑務官に見せられます。

「この方が面会に来ていますが会いますか?」

 

もちろん会いますと即答しました。

 

Y先生は国選弁護人でしたが、国選にもかかわらずとても親身に話を聞いてくださいました。

実刑判決が下った公判の傍聴に来てくれたり、本の差し入れをしてくれたり、Y先生には本当にお世話になりました。

Y先生に面会と公判に来て下さったお礼を伝えます。

これを機に自分を見つめなおして、頑張ってと励ましをいただきます。

 

 

 

面会から4日後、立川拘置所へ移送されます。

 

 

立川拘置所はそれまで居た拘置所とは比べものにならない現代的な建物でした。

とてもきれいでセキュリティも強固です。

 

 

驚いたのは食事の美味しさです。

 

拘置所初の食事は冷えて固まったうどんでした。それを泣きながらかじって食べた私です。

その時のブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12599911302.html

 

温かいものが出てなおかつ美味しいということに感動しました。

 

 

薬は就寝前に3錠出されます。何の睡眠薬だったか分かりませんが、

効きが弱くて夜中に何度も目が覚めました。

 

 

作業は移送翌日から早速始まります。

 

立川拘置所での作業はレジ袋にチラシを入れるというものでした。

とある大きな企業のレジ袋で、生命保険や資格取得のチラシを入れます。

検品が厳しいので穴が開いたり破れると注意されます。適当な作業はできません。

 

 

 

立川拘置所に移送されて初めての運動がありました。

 

 

矯正施設での運動とは、雨以外の日に屋外で自由に体を動かせる時間のことを言います。

立川拘置所には庭がないので、フェンスに囲まれた屋上で運動をします。

運動と一口に言っても何でもできるわけではなく、動ける範囲で円を描くようにぐるぐる歩き回るだけです。このときに他の受刑者の体に触れてはいけません。

 

 

屋上に上がるまであれだけ静かだったのに、先生の「運動はじめ」の声とともに

一気にうるさくなったことにびっくりしてしまいました。

 

それまでの拘置所は運動に出ても3人でしたが、立川では同時に30人ほどが一斉にしゃべり始めます。その迫力に驚いてしまったのです。

 

 

話の内容が嫌でも耳に入ってしまいます。そしてその内容は、自分の彼氏や旦那がヤクザだ犯罪者だ、何回目の受刑だ、罪名は何だ、そういうくだらないものです。

 

運動以外は会話ができないので、みんなここぞとばかりにしゃべり始めます。

 

 

 

本当にとんでもない所に来ちゃったんだな…

 

 

改めてそう思いました。

 

 

 

 

前回のブログ 夫の怒りと落胆 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12601591883.html 

前回のブログでは、ドクターショッピングという言葉を刑務官から教えてもらったこと、医務の診察で依存症は刑務所では治らないこと、甘く考えずに出所したら必ず病院へ行ってほしいと言われたことを書きました。

 

医師に言われたことを手紙に書きましたが、夫からの返事は「まだそんな事を言っているのですか?」という厳しいものでした。

 

 

私がこの手紙を書いたころには、私の部屋や家の片づけが着々と進んでいました。

 

そこで見つかるのは残された大量の薬、服、アクセサリー、コンドーム、様々な名前からお金が振り込まれた記録のある通帳。

 

 

これらを片付け、日々の仕事をこなし生活しなければならない夫。

 

 

「出所したら病院へ行きたい、依存症を治したい、医務でこんな事を言われました、私が今までやっていた行為をドクターショッピングと言うそうです、お金の差し入れをお願いします」

 

 

 

この手紙の中で夫の目に入った文言は

病院へ行きたい、お金の差し入れをお願い、この2つだけでした。

 

 

散々嘘をついてお金をだまし取り、そのお金でドクターショッピングとギャンブル、買い物をし、それを注意すれば「分かった止めるよ」と口先だけで一向に行動が変わらない。

 

そんな私を夫はずーーーーっと見てきました。

 

 

後片付けをすればおかしなものばかり出てくる、夫の知らない物ばかり出てくる。

 

 

とてつもない怒りがわいたと言います。それと「やっぱりな…」という落胆。

 

 

そんな中で届く私からの手紙。

 

病院?出所してもまた病院へ行って薬をもらう気か?

 

金?あれだけ好き放題使っておいて、また金だと?また同じことを繰り返す気か?

 

 

私の想いとは全く異なる受け取り方をしていました。

 

 

手紙の内容を熟読する余裕は、あの頃の夫にはなかったのです。

 

 

 

前回のブログ ドクターショッピングというパワーワード はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12601101487.html

前回のブログでは、拘置所の職員(先生)が私をちゃんと人間扱いしてくれて、そんな感覚がとても久しぶりで嬉しかったということを書きました。

 

 

 

入所後に健康診断があり、外部から来た医師が診察してくれます。

 

刑事施設では医療関係のことを総じて医務と呼びます。

 

 

 

医師に、飲んでいる薬と自分が精神鑑定で依存症だと診断されたこと、薬を手に入れるために病院をはしごしていたこと、治したいという意思があることを伝えます。

 

この時診察してくれたのが何科の医師だったか忘れてしまいましたが、とても親身に話を聞いてくれたのを覚えています。

 

「そうやって病院をはしごすることをなんて呼ぶか知ってる?」と男性刑務官に聞かれます。

 

 

 

このときに初めて『ドクターショッピング』というワードを知ります。

 

 

 

以下のアドバイスを医師からもらいます。

 

 

・依存症という病気は刑務所に行ったから治るものではない

・依存症は治らない、止め続ける必要がある

・刑務所に行けば覚せい剤を止められると考える人が一定数いる

・長期間拘束されて「自分はもうクスリ無しで生きていける」と思っても、また覚せい剤に手を出して戻ってきてしまう人がたくさんいる

・そういう安易な思い込みをせず、刑務所から出たら必ず依存症専門の病院へ行ってもらいたい

・依存症治療には家族の協力が必要不可欠

 

 

留置場で簡易精神鑑定を受けたとき、完治しない病気だと言われ愕然としましたが、

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598122541.html

 

この時はそこまでショックを受けることなく、落ち着いて医師の話を聞くことができたと思います。

 

 

 

居室に戻り考えます。

 

家族の協力、これは得られないかもしれない…

 

 

その日のうちに夫に手紙を書きます。

 

医師に言われた通りのことをそのまま書き写したような内容です。

 

出所したら病院へ行きたい、依存症を治したい、医務でこんな事を言われました、私が今までやっていた行為をドクターショッピングと言うそうです、お金の差し入れをお願いします。

 

 

 

この手紙に対する返事は

 

「まだそんな事を言っているのですか?」

 

という、とても厳しい内容でした。

 

 

 

 

前回のブログ アカ落ち、刑務作業開始 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12600375288.html

 

前回のブログでは、拘置所に移送され、初めて食べた拘置所メシを泣きながら食べたというところまで書きました。

 

 

 

拘置所は古くて汚くて、人の生活する場所じゃないと思いました。

 

特にお風呂は本当に嫌で、タイルの上をつま先立ちで歩いていました。

 

 

食事は男区の炊場が作っているので、女区に運ばれて来るころにはとっくに冷めています。

 

衣類や布団、毛布、枕もとても臭かったです。

長年染みついた、干しても洗っても取れないであろう独特な臭いでした。

 

 

6月10日に入所、6月11日に既決となり受刑者となります。

 

いわゆるアカ落ちというやつです。

 

 

どこの会社かは言いませんが、紙袋を作る作業を担当しました。

 

今まで誰が作っているかなんて考えたこともなかった紙袋。

 

今現在も、自分が受刑中に作っていた会社やショップの紙袋を見ると、あれはどこの施設で作った物かな…と思ったりします。

 

 

女区では刑務官のことを『先生』と呼びます。

先生に紙袋の作り方を教えてもらい、一つ一つ丁寧に作ります。

 

 

留置場の警察官と拘置所の刑務官で圧倒的に違う所は、しっかりと私たちに言葉を掛けてくれることです。

 

紙袋が出来上がれば「ありがとう」、「ごくろうさま」、先生が何かミスをすれば「ごめんね」。

 

久しぶりに人間扱いされたというか…

ありがとうやごくろうさまなんて言葉を、いつぶりに聞いただろうと思いました。

 

 

 

睡眠薬や安定剤ですが、入所日からデパス1㎜×3、ベゲタミンA×1、マイスリー×1を処方されます。

自己所持はもちろんできません。飲む前に先生が持ってきます。

 

 

作業の後に先生が「薬を飲まなくても眠れるんじゃない?」と言ってくれたことがあります。

 

その言葉がとても嬉しくて、この生活を続けたらいつか断薬できるかもしれない、そう思うきっかけをこの先生からもらったと思っています。

 

 

建物の古さや汚さ、食事は人間用(?)とは思えなかったけど、他人の親切に久しぶりに気が付くことができました。

 

 

 

 

前回のブログ 実刑判決から拘置所へ はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12599911302.html