前回のブログでは、大量にODを(オーバードーズ)すると記憶が抜け落ちるので人との会話が成立しなくなること、厳しい意見を言ってくれる人は大切だということを書きました。

 

 

 

テレビではクリスマスソングがたくさん流れます。通役の作業にもだいぶ慣れてきました。

 

 

信田さよ子さんの依存症という本を読んだと以前ブログに書きました。

その時のブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12607622433.html

 

 

特別官本には信田さんの本が多くありました。新たに二冊借ります。タイトルは

「共依存 苦しいけれど、離れられない」と「DVと虐待 家族の暴力に援助者ができること」です。

 

私の母がいわゆる毒親であったこと、自分がアダルトチルドレンであること、

依存症者を責めてもその行動は変わらないということ、

援助者の介入が必要だということ、イネーブリングについて学びます。

 

 

なんで薬をやめられないの?

意志が弱いからでしょ?

なんで我慢できないの?

 

こう言われ続けてきた私は、自分が超ダメ人間だと思い込んでいました。

 

 

意志が弱い人が依存症になると思っている人が多いと思いますが、それは違います。

依存症者の私自身も、この三冊を読むまでそう思っていました。

 

だから自分のことを「意志の弱いダメ人間」だと思い込んでいたのです。

 

どうせ私は我慢が出来ない意志が弱い人間だ。

だからこんな底辺の刑務所まで来ちゃった。

 

そうやって自分を貶めていたのです。

 

 

私が依存症という病気を知ったのは警察の簡易精神鑑定です。

一生完治しないと医師に言われたとき、目の前が真っ暗になり涙が止まりませんでした。

その時のブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598122541.html?frm=theme

 

 

だって完治しないんです。治らないんです。治らない病気を治療したって意味がないじゃん…と投げやりになっていました。

 

 

薬物関係、クレプトマニア(窃盗症)、アルコール依存症(飲酒運転等)、で刑務所に来てしまう人は、以下の二つに分かれると思っています。

 

「依存症は病気なんだからシャブ中になるのは(物を盗むのは・飲酒運転しちゃうのは)自分じゃどうにもできない、だから刑務所に来るのは仕方がないよね」と開き直る受刑者

 

「依存症は病気で一生完治しないけど、回復する手段を探して刑務所に戻らないようにこれからどうやって生きていこう」と考える受刑者

 

 

実際に私が話をした薬物、クレプト、飲酒運転の累犯は多くが開き直っていました。

それと、自分なんて…と自分を貶めたり、出所してから誰にどうやって助けを求めればいいか知らなかったり。

 

依存症をどこで治療すればいいかは受刑中に官本でいくらでも調べることが可能です。今後については篤志委員の面接を希望し、質問することも出来ます。

結局は自分が更生したいと思う強い気持ちがあるか、考え方次第だと私は思います。

 

初犯の時にあれだけ「こんな所に二度と来たくない!戻るもんか!」と思ったはずなのに、

悲しいことに刑務所という場所に戻ることが苦じゃなくなっていくのです。

 

 

 

 

前回のブログ 記憶がないことの恐怖 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12609458927.html

 

 

前回のブログでは通役になってからお腹の調子が悪くなり、出所した後にいっそう悪化したということを書きました。

 

 

 

抗精神病薬の量が圧倒的に減って、自分が今まで何をやってきたのか、どんな人生を送ってきたのか、どれだけおかしな人間だったか嫌でも見えてくるようになります。

 

 

人を裏切って、嘘をついて、その場しのぎの言い訳をして、本当にどうしようもないな…。

 

それっていつからなんだろう?私って昔からこんなだったの…?

 

大量にODしていた頃の自分が何をやらかしたのか思い出せない、記憶がない。

 

 

そして記憶がないことが怖い。

とにかく怖い。

 

 

 

皆さんは記憶を無くすという経験をしたことはありますか?

お酒を飲みすぎてというのはあるかも知れませんが、断片的に記憶はあったりするものです。

 

 

夫からの手紙にこうありました。

 

「退職金を前借りしろとか、俺に生命保険に入るように言ったのを覚えてますか?仮に入っていたとして何に使うつもりだったのでしょうか?」

「○月に渡したお金は何に使ったんでしょうか?」

「○○というのは嘘だったんですか?」

 

 

手紙に書かれている内容をほとんど覚えていません。

それを言ったの(やったの)私じゃないんじゃない…?という感じです。

 

 

夫からの手紙は1ヶ月に2回来ればいい方ですが、毎回こんな内容です。

酷い言い方をすれば、「私の知らない自分」がやったことをずっと責めてきます。

 

 

私はその記憶がないから、なんて言っていいか分からない。

 

記憶がないけどそんなこと言ったんだね、やったんだね、ごめんなさいと手紙に書けば夫の怒りはまたぶり返します。

 

 

「なに開き直ってるの?覚えてないから知りませんじゃないよね?」

 

この繰り返しが出所まで続きます。

 

 

夫からの手紙に書いてある過去の自分がとても怖かった。

 

大量の薬に依存してきた18年が長すぎて、何が本当の自分が分からなくなっていました。

 

 

 

夫は私の受刑中に一度も面会に来なかったので、面と向かって話をしたのは出所後です。

私のつたない文章力では夫に真意が伝わらず、手紙に書かれている内容はとても自分勝手に見えたそうです。

 

受刑中に夫が一切面会に来なかったこと、手紙で私を責め続けたことが、その後の私にとってはとてもプラスになったと今は思います。(あの頃は本当につらかったけど…)

一切私を甘やかさなかったこと、ひたすら考えろと言い続けてくれたこと、自分の変えるのは自分しかいないということを教えてくれたと思っています。

 

手は差し伸べるけど、その手を掴むのか振り払うのかは私次第。

 

昔の私は、自分に甘い人を優しい人だと勘違いしていました。

本当に自分のことを考えてくれる人は、時にとても厳しいものです。

 

このブログを読んでくださる皆さんには、厳しい意見を言ってくれる人を

 

「自ら」遠ざけることなく、しっかり向き合ってほしいです。

 

 

 

 

前回のブログ 通役(つうえき)に転業してから はこちら

 https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12608610544.html

 

 

前回のブログでは就寝時の睡眠薬を1錠に減薬したこと、テレビが設置されている居室へ移動になったこと、そして念願の居室外就業者になったことを書きました。

 

 

立川拘置所のテレビ放送は、外の世界で観ていたのとほぼ同じチャンネルを観ることができました。

テレビを観るのは約10ヶ月ぶりです。知らない芸人さんを見たときは時間が経過したことを嫌でも思い知らされました。

 

矯正指導日も少し変わって、プロフェッショナル仕事の流儀やドキュメンタリーの録画を観て感想を書くというものに変わります。

 

 

通役の作業は紙袋作成と、紙袋に取っ手を付ける作業が主でした。

 

 

立川拘置所は縦に長い建物がいくつかあって、棟と棟の間に通路があります。

その通路に小さな部屋があり、通役はその小部屋で5人で作業をします。

先生は定期的に巡回してくるので、その時に願い事を申し出たり材料をもらったりします。

 

この頃からお腹の調子が悪くなることが増えました。

拘置所や刑務所では栄養バランスのとれた食事が出ますし、食物アレルギーもないのでお腹を壊す原因は無いはずなんです。

 

先生が常に居るわけではないのでお腹が痛くなると本当に困ります。通役の作業場にトイレは無いので、大声で先生を呼んだこともあります。

 

トイレへすぐに行くことができないというプレッシャーが腹痛を起こしているのは間違いありませんでした。

 

 

この腹痛は出所後にいっそう酷くなります。そして原因を突き止めるまでに2年かかってしまいました。今現在もお腹の不調と向き合っています。その原因についてはまた後に書いていきたいと思います。

 

 

医務に腹痛を訴えます。薬はフェロベリンやミロピンを(現在はロペラミド)処方されましたが、一向に治る気配はありませんでした。

 

就寝時は相変わらず物音で目が覚めるし、そうやって目が覚めてしまう自分の神経質さにイライラしながらも減薬を続けます。

 

 

私たちはどこの刑務所へ移送されるのか?運動の時間にそんな話が出ます。

ほとんど栃木へ行くだろうけど、初犯は美祢(みね)に行く可能性もあると教えてくれた累犯がいました。彼女は栃木刑務所に居たことがあるようです。

 

彼女は隣の居室だったのですが、毎日のように手紙が届くのがとても羨ましかったです。

 

なぜ手紙が来るって分かるの?と思う方もいるでしょうが、何もかもが管理されている刑務所や拘置所だからこそ、他の受刑者の変化が嫌でも見えてしまったり、敏感に聞こえるようになるものなんです。

 

 

先生が手紙や差入れ、私本購入や物品購入などを滑車付きの台で運んでくるのですが、その音はいつも彼女の居室で止まり、

 

一番端の私の居室に来ることはほとんどありません。

 

 

 

 

前回のブログ 通役(つうえき)への転業 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12608163927.html

 

 

前回のブログでは睡眠薬の減薬を願いごとで申し出たことを書きました。

 

 

 

18年間依存している薬を減薬するのはとても勇気が必要でした。

 

まだ甘えがあったというか…拘置所に来たばかりだし、この環境に慣れるまで飲んでもいいよね、みたいな気持ちがあったと思います。

 

医務の担当に改めて減薬を申し出て、就寝前の薬が1錠に変更されました。

 

 

減薬された当日はなかなか寝付けず、やっぱり私には無理なのかも…と考えたりしました。

寝つきは悪いけど何とか入眠できる、他の居室の物音で目が覚める。

こんな夜がしばらく続きます。

 

 

少し自信がついてきます。わたし、減薬しても眠れるんだ!

 

 

外の世界では減薬や断薬なんてこれっぽっちも考えたことはありませんでした。

その私がこうして減薬している、それって自分の中ではもう奇跡でした。

 

拘置所で安定剤や睡眠薬を飲んでいる人がとても多かったのも、減薬と断薬への決意を固めることができた一つの理由です。

 

 

 

立川拘置所へ移送されて4か月が経過しました。

ある朝突然荷物をまとめるようにと先生に言われます。居室移動です。

 

私が初めに居た棟は南棟でしたが、北棟の一番端の居室へ移動します。

なんとその居室にはテレビが設置されていました。

 

 

念願の居室外作業、通役(つうえき)へ転業できたのです。

 

↓その時のノートです

 

目標の一つを達成できたことが本当に本当に嬉しかったです。

 

依存症の勉強をもっと頑張ろう、そしてそれを今後の人生に活かしていこう。

作業で不良を出さないようにしよう、もっと自分を見つめてみよう。

 

そうすればきっと夫も母も、私が拘置所で努力しているって分かってくれるはず!

本気で自分を変えようって思っていることが伝わるはず!

 

 

 

通役に転業したことを夫に手紙で伝えます。

 

ですが夫からの手紙に労いの言葉は一切なく、

あっそ、くらいの感想しか書かれていませんでした。

 

 

立川で4か月間頑張った自分が全否定されたような気がしました。

 

これから頑張って工場や衛生係になったとしても、この人が私の努力を認めてくれることは無いのかもしれない…

 

今までこんなに頑張ったことは人生で無い、と思うほど自分では頑張ったつもりでいました。

でも夫は全く認めてくれない。むしろ過去の私の行いを未だに責める手紙を送ってくる。

 

 

どうしていいか分からず、悔しくてぽろぽろ涙がこぼれてきました。

 

 

 

 

 

前回のブログ 大きな一歩 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12607919298.html

 

 

 

前回のブログでは歯科治療が超激痛だったこと、刑事施設で外の人と同レベルの医療を受けることは出来ないということを書きました。

 

 

居室内の作業がビニール袋にチラシ入れるというものから、紙袋作りに変わります。

生魚を入れる紙の袋です。↓こんな感じです

他にも有名な神社の千歳飴の袋や煙草のカートンの箱、コーヒー豆を入れる袋を作ったりしました。

 

 

累犯から色々な話を聞くようになりました。

 

例えば、衛生係になると仮釈が多くもらえて刑期の1/3が(3ピンで)刑期から引かれるとか、刑務所では箸の置き方まで他の受刑者に注意されるとか、眠剤を飲んでいると衛生係になれないとか。

 

他にも話はたくさんありましたが、この中で気になったのは眠剤を飲んでいると衛生係になれない、ということでした。

 

私の目標は電話面会です。一日も早く「類」と「種」を上げたい。

 

 

このとき、私の年齢は36歳になっていました。

 

私は18歳からずーっと睡眠薬と安定剤を飲み続けてきました。18年間休むことなく、しかも大量に摂取してきたわけです。

 

睡眠薬と安定剤を飲まずに生活していたのが18年も前なのです。

 

わたし、18年前ってどうやって寝てたんだろう…?

その頃のことを思い出すことができません。あまりにも昔すぎて。

 

それだけ長い時間薬物に依存して生きてきたこと、OD(オーバードーズ)していたことがとても怖くなります。

 

 

 

特別官本でダルクの本をたくさん借りて読んでいました。

 

創設者の近藤恒夫さんの本に書いてあった内容が、私には絶望的に思えてしまったのです。

 

それは、自助グループでは「薬物を使った時間の3倍の時間をクリアすれば回復だ」と言われる、という一文でした。

 

 

私は18年間も依存しています。そしてこの時点でも睡眠薬と安定剤を拘置所から処方されていました。

 

18年×3倍で54年…

54年間薬物を絶ってはじめて回復と言えるってことか…

 

 

依存症は一生完治しない病気。

完治しないから回復し続けるしかない。

 

そう理解したつもりでも、54年という数字を目の当たりにするとあまりにも先すぎて、そんな未来が自分に訪れるのかと不安になってしまいました。

 

 

いきなり断薬は怖い…断薬してもし眠れなかったらどうしよう…

18年間も薬に頼って眠ってきた、それがいきなり薬なしで眠れる…?

でもこれからの人生、薬に頼って生きていくのはもう嫌だ…

 

ここには絶対に戻らないって決めた。私は早くここから出るんだ…!

 

 

 

毎日回ってくる先生の願いごとで、あることを申し出ます。

 

 

「睡眠薬の量を減らしたいです」

 

 

 

 

前回のブログ 拘置所の歯科治療 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12607702607.html

 

 

前回のブログでは電話面会をするために居室外作業を目標にしたこと、依存症の勉強をして自分の過去を見つめる作業をしていくことを書きました。

 

 

 

刑務所に二度と戻りたくない、その思いは今もとても強いです。

理由はいくつもあるのですが、今日は特にそう思った出来事を書いていきます。

 

 

立川拘置所に移送されてすぐ奥歯の詰め物が取れてしまいます。

治療願いの願箋を提出し、約2か月後に医務に呼ばれ治療が始まります。

 

立川拘置所の中に歯科治療の設備があるので、外部から歯科医が来て治療をします。

どうやら神経を抜かなくてはいけないようで、軽い説明を受け治療が始まりました。

 

歯茎に麻酔をして歯を削って、神経を取っていきます。

 

 

これが本当に超痛かったんです。

思わず声が出てしまうほど痛かったんです。

本当に麻酔してるの?と思うほどの痛みです。

 

激痛に耐えながら、新しい詰め物が入るまで計4回の治療を受けました。

 

 

居室から医務まで同行する刑務官がいます。治療中も付き添っているのですが、

この刑務官に言われた言葉を今でも覚えています。

 

「これが嫌だと思ったらもう絶対にここに戻ってきちゃだめよ!」

 

即答します。

「もうこんなの絶対に嫌です…絶対に戻りません」

 

 

 

 

時間は進んで昨年の9月、立川で治療した歯が欠けてしまいます。

あの壮絶な痛みを伴った治療から約4年が経過していました。

 

「あまり同業者のことを悪く言いたくないですが、この治療は雑ですね」

 

 

近所の歯医者さんにこう言われて改めて実感しました。

 

刑務所や拘置所で一般と同レベルの医療が受けられるわけがない、ということを。

 

 

具合が悪くて病院へ行って、その先生がしっかり診てくれなかったり、話を聞いてくれなかったり、自分に合わないと思えば他の病院へ行きますよね。

診断結果に納得いかなければ、セカンドオピニオンを受けることもできます。

 

 

刑務所や拘置所ではそんなことはできません。

派遣される医師以外に診てもらうことはできないのです。

診察方法や診断結果に疑問を持っても、受刑者側は何もできません。

 

 

私が立川拘置所で受けた治療はあまり内容の良くないものだったかも知れません。

 

受刑者には健康保険が適用されません。国民の税金から治療費が捻出されます。

 

 

 

治療ができただけ感謝しなくてはいけないと思う反面、

私はもう二度とあんな医療は受けたくない、心からそう思いました。

 

 

 

 

 

前回のブログ 居室外作業を目指して はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12607622433.html

 

 

前回のブログでは家庭環境の大切さと、自分を修正できるのは自分しかいないということを書きました。

 

 

今日は、立川拘置所の矯正指導日で進藤龍也さんの講話を聞いたあとのことを書いていきます。

進藤さんの講話が放送された矯正指導日のブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12605331859.html?frm=theme

 

 

 

二度とここに戻らないために自分の分析をしようと決めた私は、依存症について勉強を始めます。

 

受刑者が借りられる本のことを官本と呼びますが、立川拘置所には特別官本というものもありました。

辞書やイミダス、小学から高校までの参考書、英語、資格取得のための本、他にもたくさんありましたが、立川ではこれらの本を特別官本と呼んでいます。

 

特別官本の中に依存症やパーソナリティ障害の本があるのを見つけた私は、片っ端から借りまくります。

 

その中に信田さよ子さんの「依存症」という本がありました。

 

 

信田さよ子さんはアルコール依存、摂食障害、DV、AC(アダルトチルドレン)、児童虐待、共依存などの本を多く出版されています。特にこの依存症という本はぜひ皆さんにも読んでいただきたい一冊です。

 

この本に出合っていなければ、今のような前向きな考え方にはなれなかったと思います。

 

 

 

作業の合い間に分類テストや分類面接、処遇オリエンテーションが行われます。

 

分類とは、私にどんな作業ができるか?学力はどの程度か?健康上の問題はないか?これらを刑務官が確認するようなものだと思ってください。

処遇オリエンテーションでは女性統括から「類」や「種」について、今後の生活で注意するべきことを説明されます。

 

類が上がればお菓子が食べられるようになり、持てる物の種類が少し増えたりします。

種が上がれば電話面会が可能になったり、アクリル板がない場所で面会できたりします。

 

オリエンテーションを聞いて、電話面会ができるようになりたいと思いました。

夫からは手紙やお金の差し入れはありますが、面会はまだ一度もなかったからです。

 

 

類を上げるために作業を頑張ろう。

そして余暇時間を依存症の勉強と、自分の過去を見つめなおすことに使うと決めます。

 

 

立川拘置所の女区では、私が確認できた棟だけで作業は4つありました。

 

受刑者の食事の配膳や洗濯、衣類の補綴をしたり作業の材料を運ぶ衛生係。

紙袋を作る8人の工場。

同じく紙袋を作る5人の通役(つうえき)。

チラシを入れたり紙袋を作るそのほかの居室内作業者。

 

 

私はまず居室外で作業ができるようになるという目標を立てます。

 

 

 

 

前回のブログ 刑務所へ来てしまった原因 #2 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12606376413.html

前回のブログでは過去をさかのぼり、自分の責任と親の責任を分ける作業が必要だということを書きました。

 

 

 

私がギャンブルをするようになった「要因」の一つは、

母が私を毎日のようにパチンコ屋へ連れて行ったからです。

 

私がお金や物に固執するようになった「要因」の一つは、

両親が普段からお金や物を与え、私はそれを当たり前のことだと、幸せだと勘違いしてしまったからです。

 

私が就職できなかった「要因」の一つは、

両親が勉強することが大切だと教えてこなかったからです。

そして私が勉強をすることを諦めてしまったからです。

 

 

すぐに物事を投げ出す、諦める、

努力をしない、困ったときは誰かが何とかしてくれる。

 

これは私の悪い癖です。

この癖が身についてしまった要因の一つは、親が間違った教育をしてきたからです。

 

 

ですがそれに気付いても直そうとしなかったのは、結局自分です。

他人に自分のダメなところを指摘されても、そのアドバイスに耳を貸そうとしなかったのは自分なんです。

 

 

 

私が今まで見てきた受刑者たちの家庭環境は、自分も含め決して良いとは言えないことが多いです。

 

私が皆さんに伝えたいのは、

親や家庭環境のせいにして自己弁護をしましょう!ではありません。

 

自分の弱点を見つけるために、自分の家庭環境や過去を振り返ってみてほしいということを伝えたいのです。

 

 

その弱点こそ、自分が刑務所に来てしまった理由だと思います。

 

 

 

これから生きていく上で、その弱点が出てきそうになることがきっとあるでしょう。

 

今の私はあることに挑戦していますが、自分の油断や慢心で失敗続きです。

出来ない自分にイライラするし、他人のせいにしたくなります。

こんなはずじゃなかったのに、と投げ出したくなります。

 

時に、両親に対して恨みのような感情が出てきてしまうこともあります。

なぜあのときこうしてくれなかったの?そうすればこんなに苦労することはなかったのに…

 

 

ですがそれだと昔の、刑務所に行く前の私と何も変わらないのです。

人のせいにして自分を正当化していたころと、何も変わらないのです。

 

 

「あっ、昔みたいな考え方に戻りそう…」と思ったら少し立ち止まって、

意識して考え方を変えるように努力しています。

 

 

昔見えなかったものが見えてくる、

昔気付かなかったことに気付けるようになる。

 

不自由な環境に居る時ほど、感じるものは多いはずです。

それは入院生活でも、受刑生活でも同じです。

 

 

刑務所での生活を思えば今の辛さなんか大したことない。

だって毎日好きなだけ湯舟に浸かれる、お菓子も食べられる。

いちいち許可を取らずにトイレに行ける、好きな時間に運動できる。

好きなことに挑戦もできる。それって超幸せなことだよね!

 

辛いことがあると私はいつもこんなことを考えています。

 

 

 

前回のブログ 刑務所へ来てしまった原因 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12606022852.html

 

 

前回のブログでは、自分の犯した罪の責任を取る日が必ず来るということ、その責任はもしかしたら自分の子どもや家族が取る羽目になるかもしれないということを書きました。

 

 

進藤龍也さんの講和を聞いてから、本当にたくさんのことを考えるようになりました。

講話の内容に沿って、自分がなぜ刑務所へ来ることになってしまったのか、その原因を考えることにしました。

 

 

犯罪を犯したからでしょ?

その通りなんですが、もっと深く掘り下げないと本当の原因は見えてきません。

 

 

私で例えていきます。

 

私の罪名は窃盗ですが、お金に困って物を盗んだのではありません。

物を盗んだ時はものすごい達成感がありました。

捕まらずに物を盗むことのスリルを味わっていたのです。

 

 

動機はスリルを味わいたかったから…?

 

もっと掘り下げます。

 

 

なぜ私はスリルを味わいたかったのでしょう?

ODで記憶はほとんど飛んでいて間違いなくこれだ!とは言い切れませんが、

 

結婚生活が満たされていないと思ったからです。自分が輝いていたころの生活と比べて幸せじゃないと思ったからです。刺激が欲しかったのです。

 

 

私の幸せの基準は、お金があって毎日美味しいものを食べられて高級車に乗ること、

ハイブランドの物をたくさん持って毎日違う服を着ること、勝ち負け関係なくギャンブルが毎日できることでした。

 

こうして書き出すと本当に「?」だらけなんですが、あの頃は本気でこう思っていたんです。

 

私は全く満たされていない、そう思っていました。

 

 

 

ではなぜこんな価値観になったのか、もっと掘り下げていきます。

 

 

そもそも覚せい剤や処方薬に依存するきっかけは何だったっけ?

水商売をするようになって昼夜逆転したのと、おかしな人脈が広がったからだ…。

 

なんで水商売を始めたんだっけ?就職先がなかったからだ…。

 

なんで就職できなかったんだっけ?

高校にほとんど行ってないし勉強も全くしてこなかったから、就職先は自分で探せって先生に言われたんだ…。

 

 

私はなんでギャンブルが好きなんだろう?

小さいころ毎日のようにパチンコ屋に連れて行かれたのが理由の一つだな…。

 

お金や物に固執するのはなんでだろう?

わがままを言わなくてもお金や物を親が与えてくれたから、それが当たり前で幸せだって勘違いしちゃったんだな…。

 

 

 

このようにどんどん過去にさかのぼっていきます。

 

 

刑務所に来てしまった罪名は窃盗です。

動機はスリルを味わいたかったからです。

 

その根本には家庭環境が酷かったことと、

自分の努力不足、勉強不足があります。

 

 

親のせいで刑務所に来たってこと?

刑務所まで来て親のせいにするとか、責任転嫁でしょ?

 

 

そう思う人が多いと思いますが、

 

「親の責任」と「自分の責任」を分ける作業をしていくことが

 

とても大切だということを知っていただきたいのです。

 

 

 

 

刑務所へ来てしまった原因 #2 へ続きます。

 

 

 

前回のブログ 行くか踏みとどまるか、の選択 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12605361527.html

 

 

前回のブログでは、元受刑者で元ヤクザの進藤龍也さんの講話を必死にノートの書き留めたこと、これからも元受刑者として発信を続け、皆さんが前向きに生きる勇気になればということを書きました。

 

 

 

 

拘置所や刑務所は「わるい=かっこいい」がまかり通る場所です。

 

 

何度も刑務所に来ることがかっこいい。

ヤクザであることがかっこいい、その女でいることがかっこいい。

 

 

世間一般からすれば決してお近付きになりたくない肩書を、かっこいいと錯覚してしまう場所が拘置所や刑務所です。麻痺してしまうと言ってもいいです。

 

 

以前書いたブログで、刑事施設に来てしまう人は学力が低い人が多いと書きました。

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12603649645.html

 

 

 

学校に行かなかったり(行けなかったり)親がまともな教育をしていなければ、

いわゆるヤンキーや半グレ組織に足を突っ込むこともあると思います。

 

少し大人になれば、ずっとそれで生活していくのは難しいと気付きます。

 

 

水商売、ヤクザ、風俗は学歴も資格も関係なく誰でも簡単に入れますが、

ある程度の学と努力がないと上に行くことはできません。

 

 

 

 

私はヤクザの愛人をしていたことがあります。

やらかした舎弟の指を詰めるためにあらゆる手段で追い回したり、

どこへカチコミに行くとか物騒な話やモノ、出来事を見てきました。

 

その頃は何とも思いませんでしたが、あの指を詰められた人は今どんな生活を送っているだろうと考えます。

もし自分の夫がその舎弟だったら…?

もし自分に子どもがいて、夫が刑務所を出たり入ったりしていたら…?

 

指がない人を理由も聞かずに雇うところはありません。

目立つ場所に刺青が入っていれば、まともな職に就くことは難しいでしょう。

 

 

私は全身に刺青が入っているので、制服やユニフォームに更衣室で着替えなければならないような職場では働けません。

注意していても体勢によって見えてしまうことがあります。

 

私に刺青が入っていると気付いた人のほとんどが同じ顔をします。

 

 

 

刺青が入っていたり指が無かったら生きて行けないのかよ?

そう思う人もいるかもしれませんが、別に生きて行けます。

 

ただ、白い眼を向けられます。その世間の目に自分は耐えていかなければなりません。

 

 

見てんじゃねーよ!がもう通用しないことに気付いてください。

 

これが私の(俺の)生き様なんだ!

この道で生きていくんだ!

 

その思いが受刑中や出所後に、あれ…?違うかもしれないと少しでも感じたなら、

それは自分が変わるチャンスがやってきたのだと思います。

 

 

胸を張って自分の生きざまを誇れるなら、子どもに自慢できるなら、堂々と生きて行けるならそのまま突き進んでください。

少しでもあれ?と思ったら立ち止まって、過去を思い返してください。

 

 

自分で選んだ道に責任を持つときは、いつか必ずやってきます。

それは自分ではなく、あなたの子どもや家族が責任を負うかも知れません。

 

 

世間の白い眼が自分の子どもに、家族に向けられるかもしれないということを

 

覚悟しなくてはなりません。

 

 

 

前回のブログ 元受刑者の言葉の力 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12605331859.html