前回のブログでは依存症者とその家族の考え方・感情・行動の違いについて書きました。

 

 

私は現在41歳です。恐らく年齢的なものもあるのでしょうが、「子ども作らないの?」と色々な人に聞かれます。

私ははっきり言って子どもが嫌いです。それを言うと「自分の子どもは絶対にかわいいよ!」と良い意味で言ってくれる人が本当に多いのですが…

 

 

私に良かれと思ってアドバイスをくれる人は、私の受刑歴を知りません。

全身に刺青が入っていることももちろん知りません。

私が過去、虐待やネグレクトを受けてきたことも知りません。

 

 

以前のブログで、自分が刑務所まで来てしまった責任を、自分の家族や子どもが取る羽目になるかもしれないということを書きました。

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12605361527.html?frm=theme

 

 

私は拘置所や刑務所に居る女性たちが、母という役割を放棄して女になっているのを目の当たりにしています。精神的に子供な大人が子どもを産んで結果育てられず、児童相談所のお世話になるのはザラです。

 

私は拘置所や刑務所で、子どもを持つ女子受刑者に同じ質問をしてきました。自分の子どもはかわいいですか?と。不思議ですが、かわいくないと答える人は一人もいません。子どもの写真を大切に持っていたりするんです。

 

 

最近は虐待や虐待死のニュースが本当に多いですね。そのニュースを観て皆さんは何を思いますか?

酷い母親だ!と思って顔をしかめますか?

自分だったらそんなことは絶対にしないと言い切れますか?

 

母親が無条件で子どもを愛するというのは、もはや神話だと私は思うのです。

他人との関りが少なく、孤独に子どもを育てるという環境自体を何とかしないと、これからも虐待死は増える一方だと思います。

 

 

私はこれからも子どもを作るつもりは一切ありません。その理由を書いていきます。

 

・元受刑者という肩書が、子どもの人生に悪影響を及ぼすことがあると分かっているからです。仮に自分の子どもに警察官になりたい!と言われたら…?国家公務員になりたいんだ!と言われたら…?元受刑者の子どもには(前科者の子どもには)就けない職業があります。

 

・子どもと一緒にプールや海に行くこともできません。ウエットスーツで隠して行けたとしても、全身に刺青が入っている母を子どもはどう思うでしょうか…。

 

・うつは遺伝します。私の祖母は重度のうつでした。母もその傾向があったので私にも間違いなく遺伝しています。自分の子どもが精神疾患を患う可能性大ということです。

 

・私の母は超ネグレクトで毒親です。祖母も母に虐待をしていました。悲しいですが、そういった連鎖は依存症の世界ではとてもポピュラーです。アルコール依存症の親の元に育った子どもがアルコール依存症になることは多いです。よって私もネグレクトをする母になる可能性はとても高いのです。

 

 

受刑者の子どもという肩書は間違いなく子どもをおかしな方向に進ませてしまいます。

 

なぜそう言い切れるの?ちゃんと真面目に生きて行けるかも知れないじゃないと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、「かもしれない」という曖昧な言葉で子どもを作ることは、今の私にはできません。

 

 

今の私は自信を持って、刑務所へ行ったことが自分の人生に必要なことだったと言えます。

刑務所へ行かなかったら今の自分は無い。刑務所という場所が私を成長させました。

 

ですがそれを自分の子どもに背負わせることができるかと問われると、また話は別です。

 

私は今後子どもを持つ気はない、そう決意しているからこのような活動ができています。

 

 

 

夫は私が出所した日に身体を求め、避妊をしませんでした。私は夫に対して何て自分勝手な行動をするんだと憤りました。

夫に上記の内容をしっかり話をします。前科者の子どもに就けない職業があることを、夫は全く知りませんでした。

 

子どもをもつのはやめよう、夫婦でしっかり話し合いました。

ですが夫は心のどこかで、子どもが欲しいと思っているはずです。

 

その思いに応えられない自分が憎いです。

 

 

 

上に貼ったブログにも書いてありますが、犯罪を犯し刑務所へ行くということは自分だけの問題ではないのです。

 

自分の大切な夫・妻・子ども・両親の人生も大きく狂わせてしまうかも知れないということを、しっかり考えて噛みしめて、これからの人生を生きていく必要があります。

 

 

 

次回のブログでは、出所後に連絡を取ったシングルマザーAさんの話を書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

前回のブログ 依存症が病気だと理解できない家族 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12615165845.html

前回のブログでは私の人生目標と、このブログを書く目的について書かせていただきました。

 

 

 

少し前のブログで、夫と私の依存症への認識がかなりズレていることを書きました。

 

私は大量にOD(オーバードーズ・薬の大量服用)をしていたので記憶がほとんど無く、その頃の私が話をした内容や行動を、夫は出所までずっと責め続けました。

 

 そのブログはこちらです↓

 https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12609458927.html

 https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598347385.html?frm=theme

 

 

私は様々な依存症を併発しています。薬物・処方薬・クレプトマニア(窃盗癖)・ギャンブル・買い物・整形や刺青等の自傷行為…本当に数が多すぎて自分でもかなりの不安を感じていました。

 

不安を感じた理由は、警察での簡易精神鑑定や拘置所の医師、拘置所と刑務所の刑務官から「出所したら必ず依存症専門の病院へ行きなさい」と異口同音で同じことを言われたからです。

 

裏を返せば、放置していたらまたここに戻ってくるよと宣告されているようなものですよね。

 

 

私は夫に依存症がどんな病気か、ひたすら手紙で伝え続けました。出所してからしっかり依存症の治療をしたかったからです。

 

 

意志の弱い人間が罹る病気ではないこと

依存症専門の病院で治療が必要だということ

自分の意志で止めることは不可能だということ

一生完治しない病気であること

信田さよ子さんの「依存症」という本の内容をそのまま書き写す

依存症の方の体験談が載っている「Be!」という冊子の内容をそのまま書き写す

 

 

上記のことを粘り強く伝え続けましたが、夫からすれば「まだこの期に及んで病院へ行って薬を貰う気なのか!」という思考になり、また私への怒りがぶり返すのです。

 

 

もしあのときの夫に柔軟性があったら、私が手紙で必死に訴えた依存症を少しは調べようと行動したのではないかと思います。

それを一切しなかったのは恐らく、私の想いを読み解く力が怒りでかき消されたということだと思います。

 

 

夫は依存症について『意志の弱い人間がする言い訳、逃げ文句』程度にしか思っていなかったのです。

 

 

そこで、依存症者と家族について簡単にExcelで表にしてみました。

 

 

 

赤字が私と夫に当てはまる事柄です。

皆さんはどれが当てはまりますか?この表を見て納得される方が結構多いのではないかと思います。

 

 

私が依存症の説明をすればするほど夫の怒りに火が付き、頑なに私のやってきた行動・言動を否定し続けます。説教をして、そのまま変化しないようなら離婚するよと警告してきます。

いつまで経っても病院病院…このまま変わらないのかと諦めの気持ちが出てきます。

 

 

そうすると私は自己否定と罪悪感に苛まれます。こんなに一生懸命依存症やアダルトチルドレンについて伝えているのに、何で理解しようとしてくれないの!?と投げやりになります。

自分の説明で納得させることができない無力感、元は柔軟性のある夫を自分がここまで攻撃的に変えさせてしまったという罪悪感と自己嫌悪に襲われます。

 

 

 

私と夫が依存症について話し合ったのは出所後です。

 

刑務所まで迎えに来てくれた夫に、「私は依存症の病院へ行って自分を調べてもらいたい、依存症は完治しないけど回復はできる病気なんだ」と言ったとき、夫がすごく嫌な顔をしたのを今でも覚えています。

 

現在はかなり理解をしてくれていますが、今後もし私がスリップしたら…正直どうなるか分かりません。

 

 

私は現在もあらゆる依存症で回復中です。

 

なぜ回復し続けられるのか?大きな理由は二つです。

 

何度も言いますが、もう二度と刑務所へ戻りたくないからです。

そして今まで私を支えてくれた夫を絶対に失いたくないからです。

 

 

 

 

前回のブログ 元受刑者だからできること はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12614492367.html

 

前回のブログではコミュニケーション育成指導を受けたあと、自分にどんな変化が起きたか書きました。

 

 

 

今日は私の人生目標と、ブログを書き始めた理由について書いていきます。

 

 

私が拘置所に収監されたばかりのころはとても不安で、自分は出所してから生きて行けないんじゃないかと思いました。

たくさん理由はありますが、代表するものをいくつか挙げていきます。

 

 

・拘置所や刑務所に累犯が多いことにとても驚き、自分もまた戻ってきてしまうんじゃないかという漠然とした不安があった

 

・睡眠薬、精神安定剤、違法薬物、ギャンブル、窃盗、買い物への強い固執が一生完治しない「依存症」という病気だと知ったとき、刑務所を出所してもまた同じことを繰り返してしまうんじゃないかと思った

 

・人生の半分、20年もの間薬物に依存してきたことへの恐怖があった

 

・刑務所に来たことが人生最大の汚点であり、受刑歴があることで今後まともな生活は送れないだろうと思った

 

・全身に刺青が入っているおかげで仕事の選択肢もなおさら狭まると思った

 

 

そんなときに立川拘置所で、元受刑者で元ヤクザの進藤龍也さんの講話がありました。

 その時のブログはこちらです↓

 https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12605331859.html?frm=theme

 

出所してもやっていけるんだ…元受刑者でもちゃんと生きて行けるのかも知れない…!

 

進藤さんから大きな勇気をもらいました。

 

 

 

出所から4年が経過しました。現在の私はいくつかの資格取得に向けて勉強中です。そして資格を取ったら自分で起業しようと思っています。

 

何のために、誰のために起業するの?と問われたら、法務省で受刑者に講話をするために起業すると答えます。

 

進藤さんが私に勇気をくれたように、昔の私のように刑務所で不安に思っている人へ伝えたいのです。

 

『私は人生の半分20年間も薬物に依存し続け、ODで記憶はぶっ飛び万引きを繰り返して結果刑務所まで来ちゃった。全身に刺青は入ってるし学歴は高卒、親は超ネグレクトで家庭環境は最悪。水商売も風俗も、ヤクザの愛人もやってきた。

でもこんな私でもしっかり生きてる!外に出てもちゃんと生きて行けるんだよ!』

 

 

依存症の人の気持ちは依存症になった人じゃないと分からない。

 

刑務所に収監された人間だから、中の辛さやもどかしさがよく分かる。

 

 

あの中に居た私だから、私にしかできないことがあると思っています。

 

 

 

今まで自分勝手に好きなことをして生きてきました。

 

好き放題を続けた結果、受刑者になってしまいました。

 

 

そんな私でもしっかり地に足をつけて前を向いて歩いて行けるということを、社会貢献ができるということを皆さんに知ってもらいたいのです。

 

 

私の人生の目標は、刑務所や拘置所で講話をすることです。

 

元受刑者の私が法務省で講話をするのは容易ではありません。経済的にしっかり自立していない元受刑者に、誰が講話を依頼するかって話です。

 

何年かかるか全く見当もつきません。

 

 

それでも今自分が思っていること、考えていることが受刑者の皆さんに少しでも伝わればと思いブログを書いています。

 

 

そして現在受刑されている方のご家族や友人、依存症の子どもを持つ親御さんに、私の経験を元に皆さんをサポートするアドバイザーのようなものになれたらと考えています。

 

 

 

 

前回のブログ コミュニケーション育成指導の成果 はこちら↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12614155159.html

前回のブログではコミュニケーション育成指導の内容がどんなものだったか書きました。

 

 

 

今日のブログはコミュニケーション育成指導を受けたあと、私の考え方がどのように変化していったのか書いていこうと思います。

 

 

コミュニケーション育成指導1回目を受けたあとのノートです。受刑者同士でボールを投げあったり、講師の先生が「だいすきだよベン」を朗読した回ですね。

 

「相手が笑顔だと自分も自然と笑顔になれる、急な動きよりもゆっくりとした動きの方が思いやりや優しさを感じられたと思う、自分を大切にすれば相手に優しくできる」と書いてあります。

 

私はとてもせっかちで動きはかなりテキパキしています。何をやるにしてもさっさと片付けたいし、人込みを歩くときは縫うように歩くタイプです。他人からは何をそんなに急いでるの?と言われがちです。

 

そのせっかちさや早さは、たとえ正確であっても相手に「雑」や「乱暴」なイメージを与えてしまうことに気付きます。

 

 

コミュニケーション育成指導2回目を受けた後のノートです。タイミングよく矯正指導日も重なります。

 

逮捕されてちょうど1年が経過し、夫の誕生日もありました。

拘置所の中からでも夫に喜んでもらえるプレゼントを考えよう…。そう思った私は、去年の私と今の私を比べて何が変わったか報告することを思いつきます。

 

 

安定剤を飲まなくなった・すぐに逃げることをしなくなった・投げ出すことが少なくなってきた・過去を振り返るようになった・自分を分析するようになった・後ろ向きな考えをすることが少なくなってきた・自暴自棄にならなくなってきた

自分で思う、1年前より“マシ”になった部分です。

 

「この中から(拘置所から)外へプレゼントできるものは自分の変化を伝えることくらいしかない」「目に見えない物が大切なんだということがコミュニケーション育成指導や矯正指導日、本で理解できるようになってきても、実践してみるのは難しい」と書いてあります。

 

 

それまで超自分勝手で、相手の立場に立ったり人を思いやるなんてこれっぽっちも考えたことのない私が、少しずつですが他人の気持ちを理解しよう、推し量ろうと努力するようになります。

 

 

特別官本の中にBe!という冊子があり、何冊も借りて依存症やアダルトチルドレンの方の体験談を読み漁っていました。

 

以前は他人の体験談にそんなに興味は無かったのですが、その人の考えていることを「知る」ことも今の自分には必要なことなんだと考えるようになりました。

 

 

 

 

私がここまで色々考えるようになれたのは、人生最大の汚点ともいえる刑務所へ来てしまったからです。もし捕まらずのうのうと生きていたら、今の私は絶対に存在しないと言い切れます。

 

月並みな言葉ですが、人は失敗を繰り返しながら成長します。

 

 

とことん痛い目を見ないと、本当に後がない状態に追い込まれないと、何とかしなくちゃ、どうにかして自分を変えなきゃと思えない人間が居るのです。

 

いつも誰かが助けてくれるから、自分で動かなくても何とかしてくれる人が居たから、それに甘えて自立をしようとしませんでした。

 

 

過酷な場所に居たからこそ今の自分がある。

 

あのときに感じたこと、思ったことすべてが今の自分の糧になっています。

 

 

 

 

 

 

前回のブログ コミュニケーション育成指導 はこちら↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12613702767.html

前回のブログではコミュニケーション育成指導を受けられるようになったこと、拘置所や刑務所によって受けられる教育が違うので、施設によって受刑者の更生意欲も変わってくるのではないかということを書きました。

 

 

 

今日はコミュニケーション育成指導がどんなものだったか書いていきます。

 

 

2週間に1回、1時間半の授業が計4回ありました。受講期間は2ヶ月です。

 

外部から講師の先生が2人いらっしゃいます。立川で母娘で活動をされている方だと聞きましたが、お名前を伺うことが出来なかったのが本当に残念です。

 

 

前回のブログにも書きましたが、コミュニケーション育成指導は工場と通役から選ばれた6人で受講します。

 

どんな授業だったか簡単に説明していきます。

 

受刑者同士で1対1になりボールやお手玉を相手に投げて渡す、というものがありました。子どもが遊ぶような普通のボールとお手玉を相手に投げます。

 

「だいすきだよベン」という絵本を講師の先生が朗読します。

 

色鉛筆を貸与され、自分がコミュニケーション育成指導を受けてきてどう思ったか、何を感じたか好きな絵を描いてくださいという課題もありました。

 

「星に願いを」というディズニーの名曲を、ミュージックベルでみんなで演奏する授業もありました。

 

 

 

ここまで読んで、刑事施設でボールやお手玉投げて更生になるの?何の意味があるの?と思う方がいらっしゃるかも知れません。

 

実は私も「何これ?更生には全然関係ないよね」と思った1人です。

 

 

ボールを投げて誰かに渡すとき、声を掛けずに力いっぱい投げたら相手はボールをちゃんと受け取れるでしょうか?

こちらがしかめっ面で不愛想に、雑にボールを投げたら相手はどう思うでしょうか?

 

「これからボールを投げます、受け取ってください」と笑顔で声を掛けて優しくボールを投げたら、相手は嫌な思いをすることなく気持ちよくボールを受け取ってくれるでしょう。

 

 

ハンドベルの演奏も得意不得意があります。私は音楽は得意な方なので難なくクリアできますが、リズム感のない人も当然居ます。

 

みんなで何度も何度も練習して、演奏しきった時は本当に嬉しかったです。

 

他人と協力して1つの目標に向かって進んでいくのって、意外と楽しいじゃん!

足りない部分を補っていくのはとても素敵なことなんだなと思いました。

 

 

講師の先生が私たちに語りかけてくれます。

薬物をやるということは自分を傷付けているんだよ、自ら傷付こうとしないでね、

そんなことしなくていいんだよ、これからは自分を大切にしてくださいね。

 

何歳になっても必ずやり直せるから大丈夫よ、と勇気づけてくれたこともありました。

 

 

 

罪名に関係なく多くの受刑者に共通して言えること、それは相手の気持ちを汲むのが得意ではないということです。

 

 

相手の気持ちを尊重して動ける人間になろう

相手の気持ちを思いやろう

自分を傷付けないで大切にしよう

 

 

 

立川拘置所のコミュニケーション育成指導は、

 

『刑務所まで来てしまった今だからこそ、人として大切なことを改めて考えてみよう』

 

 

そんな授業だったと私は理解しています。

 

 

 

 

前回のブログ コミュニケーション育成指導 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12612678025.htm

 

前回のブログでは母のコートを見たときに怒りが湧き上がってきた理由について書きました。

 

 

 

 

立川拘置所の女子受刑者は120人ほど居たと思われます。

工場に就業している受刑者は8人です。120人の中から選ばれたと思うと少し自信がついてきます。

 

 

工場に就業して2週間が経過したころ、先生からコミュニケーション育成指導というものがあるから、受けたい人は願箋に希望理由を記入して提出するようにと言われます。

願箋を提出した全員が受けられるものではなく、何人かしか受けられないという話でした。

 

そのときは具体的にどんな教育なのか分かりませんでしたが、勉強できるものは何でもやらせてもらいたいという思いで願箋を提出します。

 

その希望理由には「二度と刑務所に戻らないために指導を受けたい」と書きました。

 

 

コミュニケーション育成指導には工場から私を含め3人、私が以前就業していた通役から3人、計6人が選ばれました。

 

 

コミュニケーション育成指導に選ばれた頃のノートです。

下痢の日が多くなっています。パチンコやりたいと書いてあるのに笑ってしまいますね(笑)

 

 

コミュニケーション育成指導を受けるにあたり、教育の先生の面接を受けます。

外部から講師が来るので失礼のないように、選ばれたからには真面目に取り組むように、指導を受けるにあたって不安なことや質問はあるか等、一通りの説明を受けます。

 

 

出所してから知ったことですが、刑務所や拘置所は所長の意向や方針がかなり反映されるようで、どんな教育を取り入れるかは所長の裁量にある程度任されているようです。

立川拘置所ではこういった教育を受ける機会がありましたが、他の拘置所や刑務所ではそうでもないようで…。

 

私が移送された刑務所では、立川拘置所のような教育を受けることはありませんでした。

 

 

 

元ヤクザ・元受刑者の進藤龍也さんの講話

  進藤さんの講話の内容はこちらです↓

   https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12605331859.html?frm=theme

コミュニケーション育成指導

万引き防止システム協会の稲本さんの講話

オリエンタルランドの方の講話

 

 

 

もし他の拘置所に収監されていたら上記の講話は聞けなかったかも知れませんし、コミュニケーション育成指導は間違いなく受けられなかったでしょう。

 

収監される施設によって受けられる教育の内容が異なるので、収監される場所によって受刑者の更生意欲は大きく変わってくると思います。

 

 

教育に力を入れていた立川拘置所に、今は心から感謝しています。

 

 

 

次回はコミュニケーション育成指導の内容について書いていければと思います。

 

 

 

前回のブログ 私から逃げた母 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12612659182.html

 

前回のブログでは何かにつけてお手本を求めていたこと、母が着ていた革のコートが差し入れされ、それを実際に見たときにどうしようもない怒りが込み上げてきたことを書きました。

 

 

今日はその怒りが込み上げた理由について書いていきます。

 

 

 

私が立川拘置所から刑務所に移送されるころ、母は家を出ていました。

 

母が出て行く経緯はこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12599395660.html?frm=theme

 

 

どこで生活するか私に教える気は全くなかったようで、このままでは私に殺されるとまで言い放って家を出ていきました。

実の娘に暴力を振るわれ暴言を浴びせられ、人工透析を週3回も受ける母の体力も精神も限界だったのだと思います。

 

 

私は母から捨てられたのです。

 

 

私が刑務所に来てしまった要因はいくつもあり、そのうちの一つが家庭環境が悪かったこと、親がまともな教育をしてこなかったことが挙げられます。

 

これらが土台で私という人間が形成され、おかしな感覚のまま大人に成長し、誰の意見にも耳を貸そうとせず好き放題を続けた結果、刑務所に来てしまう人間になりました。

 

 

親の育て方は間違っていたけど、それに気付いても修正してこなかったのは結局自分。

親のせいでこうなったんじゃない、自分が選んできた道が間違っていただけ。

 

 

それがやっと理解できたころ、母が出て行ったと夫から手紙で知らされるのです。

 

 

 

「私はあなたの背中を見て生きてきて、あなたとそっくりな人間になりました。

具体的に言えば、掃除も料理もしないのが当たり前、キレやすい、依存症になるほどギャンブルにハマりました。あなたがすぐキレるせいで、人の顔色を窺う人間になってしまいました。

 

でも、そんな自分を変えようとしなかったのは結局私です。刑務所に来てしまったのはお母さんのせいじゃなく、私が人の道を外れてしまったからです。

 

今は私を産んでくれたことに心から感謝したいです。今まで殴ったり暴言を吐いたりしてごめんなさい。

 

お母さんに聞きたいです。私のことは好きでしたか?かわいいと思ったことはありますか?

私をパチンコ屋へ連れて行くことが教育上良くないと思ったことはありますか?

どうして朝起きて学校へ送り出してくれなかったんですか?なぜ一切ご飯を作らなかったんですか?悪いことをしていないのに何でいつも怒っていたんですか?」

 

ここには書ききれないですが、出所したらまず以上のことを必ず母に伝えよう、聞こうと思っていました。

 

 

私の中で、親の責任と自分の責任を分ける作業は着々と進んでいたのです。

 

そんな中、母が私を捨てて家から出て行ったと手紙で知らされるわけです。私に居場所を知らせないでくれと夫に懇願までして。

 

 

そっか、逃げるんだね、お母さんは。

私はこうして向き合っているのに、お母さんは自分の責任から、私から逃げちゃうんだね。

 

 

私が暴力を振るったり暴言を吐くことに、人工透析に通う母は肉体的にも精神的にも耐えられず、自分を守ることで精一杯だったのでしょう。

そして刑務所まで行ってしまった娘を、もうどうしていいか分からなかったのでしょう。

 

それが今現在は理解できても、あの頃の私にはすぐ受け入れることが出来なかった。

 

 

母のお気に入りのコートを見た瞬間、体中の血液が熱くなる感じがしました。

そして、母のコートを送ってきた夫に対しても無性に腹が立ちました。

 

 

これも皆さんにうまくお伝えできるか分かりませんが、

母が自分を捨てたことより、親という役割から逃げたことが許せませんでした。

 

 

 

 

前回のブログ 湧き上がる怒り はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12612024721.html

 

 

前回のブログでは人生の約半分を刑務所で過ごす累犯から話を聞いたこと、ただ受刑時間が過ぎるのを待つことと罪を償うことは同義ではないということを書きました。

 

 

 

工場へ転業になった直後のノートです。

 

 

「長い手紙。読みたくない。どうせキツイことしか書いてないし。明日がいやだ。」と書いてありますが、今読み返すと少し笑ってしまいます。この頃は何に対してもお手本を求めていたなと思います。

 

上手くお伝えできるか分かりませんが、「分からないんだから教えてよ!やってみるから!」という感じで、自分で考えて行動に移そうとは思っていませんでした。

 

誰かに問題提起をしてもらわないと、自らその問題に向き合えない感じですね。

 

 

 

私の心境の変化のようなものも見て取れます。

 

 

青のペンで書かれているのは「夢」、「志」、「志す」という言葉を辞書で調べて書き写したものです。

夫からの手紙は相変わらず厳しく、これからは志を持って生きろ、夢ばかり見るなという内容が多かったので、今まで当たり前に使ってきたこれらの言葉の意味を改めて調べてみようと思ったのです。

 

()の中は言葉の意味を知ってあの頃の自分が思ったことです。

 

夢→実社会や厳しい現実から遊離して暫時享楽する甘くて楽しい環境

    (現実逃避しまっくって常にぶっ飛んでたな…)

志→相手の立場に立って事情を思いやり示そうとする誠意

    (相手の立場に立つなんてここ最近したことがない…思いやりってなんだっけ…)

志す→積極的に何かしようという気持ちになってその実現に努力する

    (積極的に何かを実現させようなんて最近考えたことない…)

 

 

逮捕からここに至るまで11ヶ月。こんな風に色々ものが見えてくるようになったのは薬が抜けてきたからです。

 

ただ、冷静になればなるほど母への怒りが湧いてきてしまいます。

自分が刑務所に来ることになってしまった理由を突き詰めていった結果、幼少期の環境や教育方針が悪かったことが関係していると気付いてしまったからです。

 

その時のブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12606376413.html?frm=theme

 

上記のブログでは気持ちが整理できているのですが、この頃の私はまだ精神的に未熟で、親のせいで自分がおかしな人間になってしまったという思いが頭の半分以上を占めていました。

 

親がしっかり教育してくれたら自分はこうはならなかったんじゃないか。もっと勉強する子どもになっていたかもしれないし、ギャンブルとは無縁で生きることもできたかも知れない。お金以外の幸せを見いだせる人間になっていたかも知れない。

 

この頃の私は過去をさかのぼって自分の悪い所を見つめることは出来ても、まだどこか他人のせい、特に母のせいだと思っているところがありました。

 

 

 

 

 

寒い季節に刑務所へ移送されることになるだろう、私コート持ってないや…。そう思った私は夫に手紙を書き、何でもいいからコートを送って欲しいとお願いします。

私は買い物依存症でもあるので、洋服は山ほど家にあるはずです。

 

2週間後に黒の革コートが届いたと先生から言われ、革のコートなんて私持ってたっけ?と思いながら書類に確認の指印を押します。

 

拘置所や刑務所では居室に入らない物は全て領置され、出所時に渡されます。

 

 

 

刑務所へ移送される前日に話は飛びます。

 

届いたコートを実際に目にしたとき、ものすごい怒りが湧き上がってきました。

 

 

 

 

 

それは私が小学生のころから見ていた、母のお気に入りのコートだったからです。

 

 

 

 

 

前回のブログ 人生の約半分を刑務所で過ごす女性 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12611558296.html

 

前回のブログでは新年を立川拘置所で迎えたこと、年始に工場へ転業になったこと、今回の受刑が5回目だという累犯に会ったことを書きました。

 

 

彼女の名前をKさんとします。年齢は私とそんなに変わらず薬物で5回目の受刑です。

 

人生の約半分を刑務所で過ごしている計算になると前回のブログに書きました。

 

彼女の家族構成や生い立ちに興味があり、運動の時間に少しずつ話を聞くようになります。

Kさんが本当のことを話してくれたかは分かりませんが、その頃の内容を簡単に書いていきます。

 

夫と子どもがいて、夫は放火で服役中。子どもは2人(高校生と小学生)、現在の夫の子ではない。学歴は中卒、職歴は水商売、風俗。

 

 

Kさんは自身が薬物依存症という病気だと分かっていました。完治することはない病気だと知っていました。知っていながら治療に通い続けることしませんでした。

 

ダルクに行くのは無駄で、他の依存症治療の病院や施設を探そうともせず、治療することを諦めていました。

 

「依存症って治らない病気だよ?治らないんだから仕方ないよね」

 

Kさんは薬物で逮捕されること自体、誰も傷付けていないしお金を奪った訳でもない、被害者の居ない犯罪だと言っていました。

 

 

本人には言いませんでしたが、人生の半分を刑務所で過ごす母親の元に産まれた2人の子どもが一番の被害者だと私は思います。

 

私がもし彼女の子どもだったら、きっと一生恨むだろうなと思いました。

 

 

 

受刑者が犯した罪を償う、それは具体的に何をどうすれば償いになるのか。

そのことに一生向き合わなければいけないと私は考えています。

 

刑期を務めればそれで終わりでしょうか?

 

私で言えば、窃盗をしたお店へ被害弁済と謝罪をするのが第一です。

それが済んであとは刑期を務めて晴れて自由の身!と、私は考えられません。

 

被害を受けた方が被害届を出すのにかかった無駄な時間、私に対する怒り、お店がどれだけの被害を被ったか、実際に私たちはそれらを知らされること無く刑期を過ごすのです。

 

 

私の家族は、私が逮捕されたことでどんな迷惑を被ったでしょう。

 

自宅へ家宅捜索に来られる屈辱、時間、犯罪を犯したことへの怒り…、犯罪とは無縁で普通に生活をする人からすれば、どれも耐え難いものだと思います。

 

 

 

刑務所の中でどう過ごすか。自分の考え方次第で後の人生は大きく変わります。

 

Kさんで言えば、もう二度と子どもたちに寂しい思いをさせない!と決心すれば、依存症治療に前向きに取り組むかも知れません。

 

放火をする男性が子どもの父親に相応しいのか、考えられるようになるかも知れません。

 

 

ただ刑期が終わるのを待つことと「罪を償う」ことは同じではありません。

 

 

 

私は時に逃げ出したくなります。あの頃の自分を思い出したくないし、できることならやり直したい。叫びたくなるのもしょっちゅうです。

 

ですがそのまま放置して見ないふりをしても、結局苦しくなるのは自分です。

 

時間は戻せないし、起きたことを無かったことにはできません。

 

 

全て背負って、これからの人生をどう生きていくかだと思います。

 

 

 

 

前回のブログ 拘置所で迎えた新年、突然の転業 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12611023971.html

 

 
 
 

前回のブログでは自分は依存症だからと開き直っている累犯が多いということを書きました。

 

 

 

 

立川拘置所で過ごす大みそかはダウンタウンの笑ってはいけないシリーズを観ました。

テレビの視聴時間は普段20:55までですが、大みそかだけは特別に延長されて22:30まで観ることができました。

 

年末から年始の免業日には、類(優遇制度)に関わらずおせちとお菓子が出ました。何のお菓子だったか全部は覚えていませんが、アルフォートがあったのはとてもよく覚えています。

 

年明けはお雑煮も出されました。拘置所でおせちやお雑煮が食べられるなんて思っていなかったので、こんなに美味しいものを食べられるんだと感動しました。

 

 

年始は4日から作業で、この日から暫定3類になりました。

3類になると毎月1回3類集会があります。集会と言っても集まってワイワイお話しするというものではなく、あらかじめ報奨金か自分のお金で購入したお菓子を食べるだけです。

 

立川拘置所の3類集会は飲み物とお菓子で400円でした。

 

 

 

1月6日の朝、転室するから荷物をまとめるように言われます。

 

転室…?わたし何もやってないけど…移送?

不安になりながら荷物をまとめます。現在は北棟ですが、元居た南棟へ戻ります。

 

 

立川拘置所の女区には私が確認できた限り4つの作業がありました。

配食や他の受刑者へ材料を配ったりする衛生係、紙袋を作る工場、通役、居室内作業の4つです。

 

 

私は通役から工場へ配役されました。そして3種になります。

 

 

以前のブログでも書きましたが、私は電話面会をしたかったので種を上げる必要があります。

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12607622433.html?frm=theme

 

 

 

その目標へ着実に、一歩進むことができたのです。

 

 

 

 

工場では私を含め8人の受刑者が作業をします。

通役の作業場と正反対の場所にあり、担当の先生が目の前に立っています。

トイレは通役と違って申し出れば行くことができるようになったので一安心です。

 

 

内容は紙袋をつくるというものから変化はありませんが、材質が良い有名メーカーやショップの紙袋を作るようになります。

 

常に先生と衛生さんがチェックするので適当には作れません。

 

 

 

工場は初犯と累犯が半々で、その中に今回の懲役が5回目だという累犯がいました。

 

罪名は全て覚せい剤だそうです。

 

 

私の年齢はこのこのとき36歳、彼女は2つか3つ下だったと思います。

彼女が34歳だったとして、1回の懲役を2年~3年とすると…

 

 

人生の半分近くを刑務所で過ごしている計算になります。

 

 

 

「わたし人生の約半分ムショ暮らしだからね~」と笑いながら話す彼女に、

 

これから色々な話を聞いていこうと思いました。

 

 

 

 

 

前回のブログ 依存症の累犯が多い理由 はこちら

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