前回のブログでは睡眠薬の減薬を願いごとで申し出たことを書きました。

 

 

 

18年間依存している薬を減薬するのはとても勇気が必要でした。

 

まだ甘えがあったというか…拘置所に来たばかりだし、この環境に慣れるまで飲んでもいいよね、みたいな気持ちがあったと思います。

 

医務の担当に改めて減薬を申し出て、就寝前の薬が1錠に変更されました。

 

 

減薬された当日はなかなか寝付けず、やっぱり私には無理なのかも…と考えたりしました。

寝つきは悪いけど何とか入眠できる、他の居室の物音で目が覚める。

こんな夜がしばらく続きます。

 

 

少し自信がついてきます。わたし、減薬しても眠れるんだ!

 

 

外の世界では減薬や断薬なんてこれっぽっちも考えたことはありませんでした。

その私がこうして減薬している、それって自分の中ではもう奇跡でした。

 

拘置所で安定剤や睡眠薬を飲んでいる人がとても多かったのも、減薬と断薬への決意を固めることができた一つの理由です。

 

 

 

立川拘置所へ移送されて4か月が経過しました。

ある朝突然荷物をまとめるようにと先生に言われます。居室移動です。

 

私が初めに居た棟は南棟でしたが、北棟の一番端の居室へ移動します。

なんとその居室にはテレビが設置されていました。

 

 

念願の居室外作業、通役(つうえき)へ転業できたのです。

 

↓その時のノートです

 

目標の一つを達成できたことが本当に本当に嬉しかったです。

 

依存症の勉強をもっと頑張ろう、そしてそれを今後の人生に活かしていこう。

作業で不良を出さないようにしよう、もっと自分を見つめてみよう。

 

そうすればきっと夫も母も、私が拘置所で努力しているって分かってくれるはず!

本気で自分を変えようって思っていることが伝わるはず!

 

 

 

通役に転業したことを夫に手紙で伝えます。

 

ですが夫からの手紙に労いの言葉は一切なく、

あっそ、くらいの感想しか書かれていませんでした。

 

 

立川で4か月間頑張った自分が全否定されたような気がしました。

 

これから頑張って工場や衛生係になったとしても、この人が私の努力を認めてくれることは無いのかもしれない…

 

今までこんなに頑張ったことは人生で無い、と思うほど自分では頑張ったつもりでいました。

でも夫は全く認めてくれない。むしろ過去の私の行いを未だに責める手紙を送ってくる。

 

 

どうしていいか分からず、悔しくてぽろぽろ涙がこぼれてきました。

 

 

 

 

 

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