前回のブログでは、自分の生い立ちをすべて母親のせいにして暴力をふるい、母の死に目に会えなかったところまで書きました。

 

 

 

執行猶予判決からわずか2週間でまた逮捕されます。

 

この頃の私の状態です。自分が覚えているものと、夫から聞いたものを書いていきます。

 

失禁する

平気で嘘をつく

約束を覚えていない

約束を守れない

ろれつが回らない

過食気味

物覚えが悪い

目の焦点が定まらない

物欲が激しくなる

 

もう完全におかしな人ですが、自分にその自覚はあまりなかったです。

 

 

逮捕から公判まで約3か月かかります。

この間は警察から処方された薬しか飲めませんので、少しずつ頭が働くようになってきます。

 

 

公判で情状証人として夫に出廷してほしいとお願いしましたが、断られます。

 

それに対してとても腹が立ちました。

 

刑務所に行って断薬してほしいと夫は思っていましたが、そんな意図を私は全く知りません。

 

母も夫も、自分を監督する責任から逃げたとしか思えなかったのです。

 

 

私が薬を飲むのを止めなかったくせに。(実際は止めていました)

見て見ぬふりをしたくせに。

そんなに私から逃げたいなら離婚すればいいじゃん。

そんなに私から逃げたいなら親子の縁を切ればいいじゃん。

 

みんなから捨てられたと思いました。

 

 

 

拘置所へ移送されます。

 

建物が古くて超汚くて、暗くてジメジメしていて、人が生活する場所じゃないと思いました。

 

入所手続きに時間がかかり、14時くらいに遅いお昼ご飯を食べます。

 

 

お茶は完全に冷め、ほとんど色がついていない水みたいでした。

うどんはくっついていて、ほぼ固形のまま食べました。

 

 

こんな所まで来ちゃった…

 

自分に腹が立ってどうしようもなくて、

先が全く見えなくて、

悔しくて、惨めで、

 

泣きながらご飯を食べました。

 

 

 

前回のブログ あの子に殺される、と言った母 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12599395660.html

前回のブログでは、私が刑務所に行けば断薬できると夫が考えたところまで書きました。

 

 

 

母はどう考えていたのかですが、もう亡くなっているので真実は分かりません。

その頃の母の様子を、夫から聞いた範囲で書いていきます。

 

 

簡易精神鑑定 #3で書きましたが、自分が依存症になり、留置場に入るような人間になったのは母のせいだと考え始め、暴力をふるうようになりました。

 

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598298917.html

 

 

 

最初の逮捕の時は、私の経歴に傷がつくととても心配してくれたようです。

 

そんなこととはつゆ知らず、2回目の逮捕で私は精神鑑定を受け、自分の生い立ちを恨み、

3回目の逮捕の時まで母に暴言を吐き、手を上げ続けます。

 

 

その逮捕後からは、私を心配する言葉は一切出てこなかったそうです。

 

実の娘に暴力と暴言を受けたのですから、当たり前といえば当たり前です。

私が居ないから気持ちが楽そうに見えたと夫は言います。

 

 

私に実刑判決が下り、夫は私と離婚するつもりでいました。

 

親子関係がとても悪いので、出所後は一緒に生活しないほうがいいんじゃないか、

離婚するにしても一度はこの家へ戻ってくる、その前に引っ越しをしたほうがいいと

母に伝えたそうです。

 

 

 

役所のお世話になり住む場所が決まります。引っ越す時にその住所を夫に教えようとしたそうですが、「このままあの子と一緒にいたら殺される。あの子には絶対に住所を教えないでほしい」と言ったそうです。

 

夫は正直な人なので、出所後の私に嘘をつきたくないから、自分にも住所を教えなくていいと伝えたそうです。

 

 

 

私はまた窃盗で逮捕され、実刑判決を受け、拘置所から刑務所へ行くことになります。

この間母が面会に来ることはありませんでしたし、どこへ行ったのかも分からずに受刑生活を送ることになります。

 

 

 

私の出所から(仮釈放から)半年後に話は飛びます。

 

役所から手紙が来ます。

「お母さまはがんで医師から余命宣告を受けています。最後に会いませんか?」

 

 

夫と相談し、会うと決めました。

 

段取りを決めて、会う日も時間も決まりました。

 

 

 

その4日前の日曜日、役所から電話がかかってきます。

 

 

母は亡くなりました。

 

 

会っていろんな話をしたかった。今の自分の想いを伝えたかった。

 

その願いはもう二度と叶うことはありません。

 

 

 

 

 

前回のブログはこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598983338.html

前回の続きです。留置場を出たり入ったりする私を目の当たりにしていたのに、

具体的なアクションを家族が起こさなかった(起こせなかった)理由を書いていきます。

 

 

 

夫は、いくつもの心療内科へドクターショッピングをする私を見て

治そうと思い通っているのではなく、薬を貰うためだけに行っていると思ったそうです。

 

 

 

ある心療内科に夫に付き添ってもらったことがあります。(この時のことは何となく覚えています)

 

 

その医師は私が薬を貰うためだけに来ていると分かっているし、

カウンセリングで問題解決の手助けをしようとせず、私の要望通りの薬を処方するだけだと感じたそうです。

 

 

 

 

自分の抱える問題や悩みを、専門家を利用して解決するという方法が、日本ではあまり

知られていないのではないかと思います。

 

 

日本の医療保険制度が充実している分、保険診療内で診察してもらえる時間が限られてしまっているように思います。

メンタルクリニックや心療内科はいつも混雑しています。せっかく予約が取れても、あまり話を聞いてもらえなかったという方も多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

通院では治らない

1週間や1か月じゃ薬は抜けない

落ちるところまで落ちないと、薬を断ち切れない

薬を抜くには隔離、すなわち刑務所が一番いい

 

 

 

荒っぽいと思うかもしれませんが、夫はそう考えたのです。

 

 

 

 

 

前回のブログ 夫の葛藤 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598932501.html

前回のブログでは、依存症外来へ行くことができなかった理由について書きました。

 

 

今日は、留置場を出たり入ったりする私を目の当たりにしていたにも関わらず、

なぜ家族がアクションを起こさなかったか(起こせなかったか)について書いていきます。

 

 

 

夫は依存症について理解はしていなかったけれど、

病院が処方する薬で私がおかしくなっていることは分かっていました。

 

 

私が留置場から出てきた時点で薬を捨て、二度と飲むなと止めたそうです。

 

「そうです」という書き方になってしまうのは、この頃の私の記憶が

薬の影響でほぼ無いからです。

 

 

 

私が色々なものをカードで勝手に買ってきます。買い物依存症でもあるので、

買う行為自体に快感を感じています。購入したものはほとんど使いません。

 

当然お金はどんどん無くなり、借金を背負うことになります。

 

 

 

夫は自分のできる範囲でODを止めたと言います。

 

だけど私がまたどこからか薬を手に入れてきます。

 

 

薬を手に入れるため、ギャンブルのため、買い物をするために、

私は夫に内緒で風俗に戻っていました。

 

 

 

留置場まで行けばさすがに薬を止めるだろう、夫はそう思ったそうです。

 

これは『留置場に入ることで私がODや拘禁生活に懲りる』ということではなく、

留置場で薬を飲まない生活を続ければ、薬を飲まなくても眠れることに気付くだろうと思ったと言います。

 

ですが留置場での私は、警察から処方された睡眠薬2錠と精神安定剤3錠をしっかり飲んでいました。

 

 

 

夫は他人に無関心で言葉足らずなところがあります。積極的にコミュニケーションを取ろうとする人ではありません。ガミガミ怒るようなこともしません。

 

それがあの頃の私には消極的に見えました。

私のことなんてどうでもいいんだろうなぁと思っていました。

 

夫が夫なりに私の心配をしていることに全く気付きませんでした。

 

 

 

夫は断薬を望んでいたのです。

 

 

 

 

夫の葛藤 #2 に続きます。

 

 

 

前回のブログ 依存症者とその家族、埋まらない溝 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598347385.html

今日は、釈放後に依存症外来へ行かなかった理由について書いていきます。

 

 

 

 

自宅には睡眠薬や精神安定剤がまだ残っていました。

用法用量を守って飲もうと決めても、そこに薬があればまたオーバードーズをしてしまいます。

また大量に薬を飲み始めれば、留置場で考えたことは頭の片隅に追いやられます。

 

 

どうでもいいやとなるのではありません。

 

このままじゃいけないと思っているけど、何とかしなきゃと思っているけど、

自分一人の力で考えたり、行動を起こすことができないのです。

 

 

処方薬や一般に販売している薬へ依存をしている場合は、いつでも手に入ってしまうので、

自分で止めるのはまず無理だと思います。

 

 

アルコールやギャンブル、ニコチンも、禁止されていないものならではの難しさがあります。

依存症者側からすれば、

 

違法じゃない!

売ってるだろ!

税金払ってるだろ!

何が悪い!

 

となるのです。

家族は法律で禁止してほしいくらい困っているのに、生活がままならないのに、

違法じゃないからいいだろ!って言い分は本当に質が悪いですね。

 

 

 

 

家族の理解を得る事ができなかったのも理由の一つです。

 

逮捕されること自体が大迷惑な中で、私の思いや願いを聞く余裕は家族にはありません。

 

 

それがどんなに前向きな提案だったとしても、正当な理由だったとしても、

散々迷惑をかけさせられた家族からすれば

 

それは甘えじゃないの?

また嘘をつくんじゃないの?

なんで我慢できないの?

 

依存症者を責めるような言葉が出てきてしまうのです。

 

 

 

最近では有名人が薬物事犯で捕まると、必ずダルクの方がテレビに出て

依存症の怖さについて説明してくれますよね。

 

あの頃はまだ依存症という病気がそんなに知られていなかったのもあり、

 

 

依存している=甘え

 

 

そう家族に思われていました。

 

 

薬を飲むのを我慢しなさい

どうして我慢できないの?

甘えてるんじゃないの?

 

こう言われると、自分が本当にダメな人間だと思い込んでしまうのです。

 

我慢できずに甘えてる人、と聞くと、一般的にどんなイメージを持つでしょう?

当たり前に我慢ができる人からすれば、そんなこともできないの…となりますね。

 

 

やめたくても自分をコントロールできない。やめられない。それが依存症の怖さですが、

依存症になったことがない人には全く理解できません。

 

 

 

実際に、夫が依存症を理解し始めるようになったのは

私が刑務所を出所して2、3か月後です。

 

現在も完全に理解はしていないと言います。

これが依存症者と、依存症者の家族が苦悩するところではないかと思います。

 

 

 

依存症者は依存症じゃない人を、

依存症者の家族は依存症者を、

 

お互いを理解することがとても難しいのです。

 

 

 

前回のブログ 簡易精神鑑定#3 はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598298917.html

前回のブログでは茨城県立こころの医療センターで簡易精神鑑定を受け、依存症だと診断されたところまで書きました。

 

 

「私はどうすればいいんですか?」という質問に、先生は依存症専門の病院があると教えてくれました。

 

窃盗癖をクレプトマニアと呼ぶことを初めて知り、クレプトマニアの治療をするなら赤城高原ホスピタルへ行ってみるといいと教えてくれました。

 

 

留置場への帰り道では、同行の警察官にもいろいろ質問をしました。

 

覚せい剤で逮捕される人のほとんどがこの依存症であろうということ、再犯する人がとても多いということを教えてもらいます。

 

 

公判を待つ間に考えます。

 

 

依存症は完治しない病気。

 

まずは病院へ行きたいと、夫と母へ手紙を書きます。

 

 

面会ですが、母も夫も2回 「しか」 来てくれませんでした。

 

今は面会に来てくれたことがどれだけ有難かったかと思いますが、あの時はそう考えることができませんでした。

 

 

公判で懲役1年、執行猶予3年の判決が下ります。

 

 

証言台で判決を聞いてその場で解放されますが、とても変な感じがしました。

 

このまま外に出ていいのかな…そんな風に考えたのをよく覚えています。

 

警察署まで一旦戻って、荷物をまとめて帰宅します。

 

 

 

 

ここから母と私の関係が一気に悪化します。

 

私がこうなったのは母のせいだ、そう考えるようになります。

 

 

なんで私を産んだの?

 

私がこうなったのは育て方が悪かったあんたの責任だよね?

 

 

母を罵倒しました。今まで自分がまともに育ててもらえなかった怒りを思いっきりぶつけました。そして手を上げました。

 

今まで自分が受けてきた理不尽をあんたが今度は味わえと、これでもかというほどぶつけました。

 

悪いと思うなら死ね!とも言いました。

 

 

自己紹介に少し書きましたが、両親はすでに他界しています。

 

これからは親について、特に母親について書いていきます。

 

小学校低学年でしょっちゅうパチンコ屋に連れて行かれたことだけは書きましたね(笑)

 

その自己紹介を貼っておきます↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595595948.html

 

 

 

私は母をとても憎んでいます。

 

そして矛盾するかもしれませんが、産んでくれたことを今は心から感謝しています。

 

 

 

留置場では自分が依存症である現実を突き付けられたわけですが、外に出てから何のアクションも起こしませんでした。

 

あんなに衝撃を受けたのに、何とかしなきゃと真剣に思ったのに行動に移すことをしませんでした。

 

 

次回はその理由について書いていこうと思います。

 

 

 

簡易精神鑑定 #2はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12598122541.html

前回のブログでは簡易精神鑑定を受けることになったと書きました。

 

 

 

警察官3人が同行して、茨城県立こころの医療センターへ向かいます。

 

行った曜日までは覚えていないのですが、院内に人がほぼ居なかったので土曜日の午後か日曜日だったのではないかと思います。

 

とてもきれいな病院でした。

 

 

テストを受けたり絵を描くのかと勝手に想像していましたが、メンタルクリニックの初診のような感じで、先生の質問に答えていくというものでした。

 

 

いろんな質問をされましたが、その中でも特に覚えているのが「あなたの家族にうつ病の人はいますか?」という質問です。

 

母から祖母がうつ病だったと聞かされたことがあったのをふと思い出し、「祖母がうつ病だったと思います」と答えます。

 

 

「うつは遺伝するんだよね」

 

 

遺伝…?

 

 

その後も質問は続き、鑑定の最後に先生がはっきりと言いました。

 

 

「典型的な依存症だね」

 

 

依存症ってなに?

 

依存は聞いたことがあるけれど、依存症って?

 

 

先生に質問します。「依存症って、何ですか?」

 

 

 

「あなたがこれまでやってきた違法薬物も処方薬も、窃盗もギャンブルも買い物も、やめたくてもやめられないのが依存症で、一生完治することはない病気なんだよね」

 

 

 

 

一生完治することはない

 

 

 

 

この言葉が頭の中で何回も繰り返されました。

 

 

ショックすぎて、しばらく言葉が出てきません。涙がどんどん出てきます。

 

 

私がおかしくなったのは依存症のせい?

おばあちゃんのうつ病が遺伝してる?

一生このまま?

治らないって…この状態がずーっと続くってこと?

 

情報が一気に入ってきて、処理しきれなくて混乱します。

 

 

泣きながら先生に聞きます。

 

 

「私はどうすればいいんですか?」

 

 

 

この質問をするだけでもう精一杯でした。

 

 

 

 

簡易精神鑑定 #3へ続きます。

 

 

簡易精神鑑定はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12597899255.html

私は留置場に2回入りました。その時の出来事を書いていきます。

 

 

留置場に入るときに持ち物の確認や身体検査があり、この時に既往症や普段薬を飲んでいるかなどを聞かれます。

 

 

留置場でオーバードーズは絶対にできません。

 

 

担当の警察官が処方されたものを決まった時間に持ってきます。

目の前で飲んで、その後に口を開けて舌の裏まで確認するので溜めることもできません。

 

 

 

1回目の逮捕で20日間、2回目の逮捕で3か月、3回目の逮捕で3か月、トータルで約7か月間留置場に居ました。

 

 

その間は処方通りの薬を飲み、嫌でも規則正しい生活を送ります。

 

 

私が居た留置場は会話が一切禁止でした。

 

食事と取り調べ、面会以外の時間は本を読む、ノートや手紙を書く、寝るしかできません。

 

 

 

取り調べの時に証拠品として盗んだ服を見せられましたが、それを全く覚えていなかったことにびっくりしました。

 

全く自分の好みじゃないし、なんでこんな服を盗んだんだろうと思いました。

 

 

 

1回目と2回目の担当検事が同じ人で、とても高圧的で怖かったのを覚えています。

 

短期間で窃盗を繰り返して留置場へ舞い戻る私をおかしいと思ったのか、そういう規定があるのかは分かりませんが、茨城県立こころの医療センターで簡易精神鑑定というものを受ける事になります。

 

 

精神鑑定って凶悪犯罪を犯した人が受けるやつじゃないの?

 

 

精神鑑定を受けなきゃいけないくらい私の頭がおかしいってこと?

 

 

 

理解できない行動をしているから鑑定される。

 

その現実を受け入れることが、なかなかできませんでした。

私が犯した窃盗はお金に困ってという動機ではなく、物を盗むスリルを味わいたいというものです。

 

本当の動機をきちんと理解したのは、実は出所してからです。

 

 

一回目の逮捕では、盗った物の代金を支払い謝罪します。

 

それでも窃盗と薬への依存を止められません。

 

 

二回目の逮捕は、3か月拘束からの裁判、懲役1年・執行猶予3年の判決を受けます。

 

この時にやっと、やっと薬の飲みすぎでおかしくなっていることに気付きます。

 

 

やめなきゃまずいかなぁ…

どうやったらやめれるんだろう…

どうすればいいんだろう…

 

 

そう思い始めますが、またすぐに薬を飲んでしまうので、その考え自体がどこかにいってしまいます。

 

 

三回目の逮捕は、執行猶予の判決が出た日からわずか2週間後でした。

 

 

以上が受刑者になるまでの私の簡単な自己紹介です。

 

 

 

皆さんにはっきりお伝えしておきますが、私はいまだに依存症です。

 

また昔の自分に戻ってしまうかも知れない、

また刑務所へ戻ってしまうかも知れない、

またあらゆる手段で薬を手に入れ、ギャンブル、買い物へ走ってしまうかもしれない、

 

そう考えない日はありません。

 

 

 

このブログを書きながら、昔を思い出して涙が出ることがあります。

 

こうして文字にすると、本当に自分がろくでもなくて、今までの人生が恥ずかしくて、書いている途中でパソコンを閉じることもあります。

 

 

でも伝えることを諦めないと私は決めました。

 

 

今まで自分の欲の為だけに生きてきました。好き勝手に生きてきました。

 

そのせいで刑務所へ行くことになりました。

 

そんなに長い時間ではないけれど、刑務所にいる人を見てきました。

 

 

私の体験や経験を書いていくことで、刑務所へ戻る人が一人でも減ればいいと思っています。

 

現在受刑中の方へは、社会復帰に向けてのエールと勇気を届けることができればと思います。

 

 

そして昔の私のように、違法薬物や睡眠薬、精神安定剤への依存が止められない人、ギャンブル依存、買い物依存、自傷行為、窃盗が止められない人の力になる事ができればと考えています。

 

現在受刑されている方のご家族やお友達、私のような依存症の子どもをもつ親御さんにもぜひ読んでいただきたいです。

 

 

問題解決のヒントになればと思います。

 

 

 

 

依存症子の自己紹介⑧はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12596803387.html

人として最低な私と、夫はなぜ結婚したのか?

 

 

 

夫にその時の話を聞くと、このまま放っておいたら私が生きていけないと思ったからだそうです。

 

それと、結婚前は薬を飲んでいることに気付かなかったそうです。

 

 

 

薬を飲む量は結婚直後が一番多かったと思います。記憶が本当に飛び飛びです。

 

夫と過ごした記憶がほとんどありません。

 

 

食事を作るわけでも、家の掃除をするわけでもない。1日をだらだらと過ごします。

 

昔のお客様に嘘をついて、お金をだまし取りパチンコ屋へ行きました。

 

ギャンブルをするお金がなくなれば、夫に嘘をついて風俗に戻りました。

 

 

ドクターショッピングとギャンブル、買い物するお金はどんな手を使っても確保しました。

 

 

 

薬の飲みすぎで失禁するようになります。

 

 

結婚したことで、色々失った気がしました。

 

 

好きなものを買えない

好きな車に乗れない

美味しいものが食べられない

好きなことができない

 

 

過去の自分より今の自分のほうが満たされていなくて、過去のキラキラした自分ばかりが思い出されて、今の自分には何もないような気がしていました。

 

 

ここから人生が本当におかしな方向へ向かいます。

 

 

 

私は窃盗を繰り返すようになります。

 

 

 

依存症子の自己紹介⑨へ続きます。


 

依存症子の自己紹介⑦はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12596509043.html