前回の自己紹介⑥では、フリスクケースに精神安定剤をパンパンに詰め、お菓子のように食べていたと書きました。

 

 

そんな状態でまともな思考になるわけもなく、風俗の求人を見るようになります。

 

 

この時の私は風俗を超なめていました。

 

セックスするだけだし、容姿がある程度良ければ誰でも簡単に稼げるんじゃね?と。

 

 

超高級ソープへ面接に行きます。

 

その場で受かるのですが、刺青と豊胸のことを話すと丁寧にお断りされました。

 

うちでは無理だけどこのあたりのお店なら大丈夫かもよ、と何軒かお店を教えてもらって面接へ行き、その中のある高級店で働くことになります。

 

自己紹介②で書きましたが、高校の頃から援助交際をしていたのもあり、身体を売ってお金を得る、ということへの抵抗があまりありませんでした。

 

 

薬で言動がおかしくなった私の相手をする人はいなくなり、孤立します。

 

そんな自分に気付かず、私をもっと見てほしい、構ってほしい、淋しいと思います。

 

 

私に対する扱いがおかしい、不当だと勝手に憤ります。

 

 

人恋しさのようなものが、セックスをすることで埋められていくというか、セックスをしている間は、自分が必要とされていると感じられました。

 

 

このお店でだいぶ稼いだはずです。

 

「はず」という曖昧な書き方しかできないのは、しつこいようですが薬の量が半端なく増えていて、この頃の記憶があまりなかったり勘違いしているところがあるからです。

 

 

今はなくなったベゲタミンAを4錠、ハルシオンを10錠、アモバンやサイレース4錠を

毎日寝る前に飲んでいました。

 

プラス安定剤を飴のように食べています。

 

 

この頃に夫と出会い結婚します。

 

結婚を決めた理由は、散々貢がせて結婚詐欺とか言われたら困る、と思ったからです。

 

 

私は本当に本当に最低な人間です。

 

 

 

 

依存症子の自己紹介⑧へ続きます。

 

 

 

依存症子の自己紹介⑥はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12596372491.html

気付くと病院のベッドで手足を拘束されていました。

 

 

口が乾いて水が欲しくて、状況がよくわからないし

とりあえず大きな声ですみませんと言ってみました。

 

でもちゃんと喋れないのです。すみませんって言っているつもりなんだけれど、

ふひはへーん、ってなっちゃう。ろれつが全く回らないのです。

 

 

どんな病室だったのかは覚えていないのですが、人のうめき声が聞こえたのと、母に「あんたが死にたいと思うほどあいつはいい男なの?」と言われたのはよく覚えています。

 

意識がしっかりしてくると、いや死ぬほどの男じゃ全然ないよね…と冷静になりました。

 

 

刺青を本格的に入れ始めたのがこの頃です。

 

 

正直に、なんで刺青を入れようかと思ったのか自分でも覚えていません。亡くなった父が好きだったものを入れた、くらいしか記憶がないのです。

 

少しずつ入れましたが、現在は背中から両足首にかけてがっつり入っています。

 

スカートやワンピース、ノースリーブを着ることがオールシーズンできません。私はとても汗っかきなので、夏は毎年地獄です。

 

 

 

自殺騒ぎで迷惑をかけてしまった男性とは別れ、また夜の仕事を始めます。

 

久しぶりに復活するということで少しだけ昔のお客様も来てくれて、これなら一からやり直せるかも…と甘い考えでいました。

 

 

違法薬物が手に入らなくなったのが、この頃の唯一の救いかなと思います。

 

 

でも睡眠薬や精神安定剤の乱用からは全く抜けられない。

 

むしろどんどん量が増えていく。

 

 

薬の名前はあえて書きませんが、とある安定剤を

フリスクのケースにパンパンに詰めてパクパク食べていました。

 

私にとって、この薬は甘いお菓子でした。

 

周囲の人は薬だと気付かなかったと思います。それほど自然に食べていました。

 

 

毎日補充していた記憶があるので、1日20錠以上は食べて(?)いたはずです。

 

 

 

依存症子の自己紹介⑦に続きます。

 

 

 

依存症子の自己紹介⑤はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595826684.html

その後は、お店を転々としながら愛人生活を続けます。

 

 

お手当てをくれていた男性が私と別れたいと言ってきましたが、

色々理由をつけて先延ばしにしていました。

 

 

別れたらドクターショッピングも、ギャンブルも買い物もできなくなると思ったからです。

 

 

整形するようになったのがこの頃です。

 

 

始めはコンプレックスだった豊胸から。

次はヒアルロン酸で鼻を高く、ボトックスでしわを取る。

その次は目頭切開、二重の幅を広げる。

 

 

今思えば、これは立派な自傷行為でした。

 

 

薬の影響で、恐怖や痛みの感覚が麻痺していたと思います。

 

 

 

同じ地域で仕事を続けていましたが、指名がなかなか取れなくなります。

 

なので働く土地を変えます。でもうまくいきません。

お客様が全くつかなくなり、稼げなくなります。

 

でも本人には理由が全く分かりません。

 

 

薬の大量服用で以下のようなことが毎日起こっていました。

 

 

言っていることの筋が通らない

昨日した約束を覚えていない

平気で嘘をつく

平気で約束を破る

時間が守れない

 

 

こう改めて文字にすると、本当にろくでもない人間ですね。

 

でも当時の私は薬の飲みすぎで、自分が最低の人間になっていることに全く気付いていなかったのです。

 

 

愛人生活をやめて、ある男性と同棲を始めます。

 

この男性はとても疑い深く、私が外に出るときは居場所の写真を撮って送れという人でした。

 

そうなるのは当たり前です。だって私は嘘ばかりつく人なんだから。

 

 

夜の仕事を辞めてパチンコ屋で働くようになりますが、短期間でバックレます。

 

稼げなくなった私は彼に寄生するようになります。

彼はそれに嫌気がさします。

 

 

別れ話が出ます。

 

 

 

彼が居なくなったら生きていけないんじゃないか、そう思いました。

 

それは彼を好きとか愛しているという意味ではなく、

この人が居なくなったら金銭的に困る、というものでした。

 

 

彼が仕事に行っている間に湯船にお湯を張り、

 

睡眠薬を大量に飲み

 

お風呂で自殺を図ります。

 

 

 

依存症子の自己紹介⑥へ続きます。

 

 

 

依存症子の自己紹介④はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595815038.html

私はすぐに人を信用してしまう所があります。

 

 

働いていたお店の社長に「ママにならないか」と

声をかけられます。

 

その時はやる気もあったし、上を目指してみたかったので

悩みながらも引き受けました。

 

 

 

 

とてもショックでしたが、

 

コントロールの効かない古株を追い出すために私が利用されたことに気付くまで

 

そんなに時間はかかりませんでした。

 

 

 

古株から嫌味を言われ、そのお客様たちから怒られ、時にはひっぱたかれ、

精神的に限界だった私の体には帯状疱疹が出るようになります。

 

 

 

この頃になると環境が変わり、違法薬物が手に入りにくくなります。

その分を安定剤と睡眠薬で補います。

 

 

常に安定剤を持ち歩き、気が付いたら飲むという毎日が続きます。

 

 

 

 

社長は蒸発し、残ったスタッフは他の会社に買収されます。

 

裏切られた気持ちでいっぱいで、

私の実力を認めて声をかけてくれたんじゃなかったんだと、

 

利用されただけなんだと、

 

とても深く傷付きました。

 

 

 

 

人を信用するもんじゃない。

人に裏切られるくらいなら裏切ったほうがいい。

 

そんな風に考えるようになりました。

 

 

 

 

吉宗の爺BIGのギーン!が聞きたくて、毎日パチンコ屋へ行きました。

出勤した日は仕事終わりに必ずポーカー屋へ行きました。

 

 

 

ギャンブルをしている間だけは、辛いことを忘れられるから。

 

 

 

 

 

 

依存症子の自己紹介⑤につづきます。

 

 

依存症子の自己紹介③はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595576385.html

違法薬物は眠れなくなるものが多いので、生活のリズムを少しでも戻そうと思い

睡眠薬を飲みます。

 


耐性がついて睡眠薬の量がもっと増えます。

 

思った時間に起きれない。仕事に行くのがだるい。

「1日くらいいっか…」、当欠や無断欠勤をします。

 

 

それが続きます。

 

 

水商売や風俗では当欠は普通のことですが、昼間の仕事でそんなことを続けていけば

当然信用を失いますね。

 

世間一般の常識が私にはあまり備わっていませんでした。

 

 

私のお客様は比較的お金持ちが多く、出勤すれば売上が立つので

怒るスタッフもあまりいなかったんです。

 


この頃どんな薬をどれくらい飲んでいたかですが、

ハルシオン0.25㍉×4錠、デパス1㍉×4錠、ベゲタミンA×2錠くらいだと思います。

 

 

出所してから知りましたが、ベゲタミンはもうなくなってしまったようですね。

あの薬はとても危険な薬でした。

 

 

その理由についても後に書いていきたいと思います。

 

 

睡眠薬と安定剤の量を増やして何としても眠らなきゃ。


寝なくちゃいけない

寝ないと疲れが取れない

仕事に行けない

 


そんな強迫観念のようなものがありました。

物音や光で眠りを害されると、ものすごくイライラしました。


処方量では足りず、ドクターショッピングと個人輸入で大量の薬を手に入れるようになります。


眠るという目的で睡眠薬を飲んでいたのに、いつの間にか「飛ぶ」という目的がプラスされていました。


ふわふわして気持ちいい。

アイディアが浮かんでくる。

どんどん饒舌になる。


だけど次の日、記憶がほとんど無い。


「わたしそんなこと言ったっけ?」 ということが多くなっていきます。


 

古くからのお客さんが離れ、人との衝突が増えていきました。

 

 

 

依存症子について④に続きます。

 

 

依存症子について②はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595595948.html

仕事でそこそこ稼いでいるのと、愛人生活のおかげで

値段をあまり気にせずに洋服やブランド品を購入するようになります。

 

 

一度欲しいと思ったらもう止まりません。

 

その物しか見えなくなってしまうのです。

 

 

どんな手を使っても手に入れるようになります。

 

 

苦労して手に入れたはずなのに

値札を取らない服や、数回しか使わない物もありました。

 

 

クローゼットが洋服や物であふれる事に、快感を感じていたのです。

 

 

 

小学校低学年のころ、親によくパチンコ屋に連れて行かれました。

 

今の時代では考えられませんよね。

私のような子どもが、昔のパチンコ屋には結構いたのです。

 

 

その影響もあり、ギャンブルにのめり込むようになります。

 

始めはパチンコ、スロット。

 

朝から並んで整理券を取って閉店まで、当然いくら負けても打ち続けます。

 

 

そのうちポーカー、オールフルーツ、ルーレット、バカラと闇カジノにハマっていきます。

 

 

 

ギャンブルと薬物は非常に相性が良かったと思います。

 

眠らずに一日中プレイができますし、

カジノには窓や時計は基本ないので、時間の感覚が麻痺していきます。

 

 

そのまま興奮がおさまらなければ、多めに睡眠薬を飲んで寝てしまえばいい。

 

 

 

この頃から、あらゆる薬物の量がどんどん増えていきました。

 

 

 

 

依存症子の自己紹介③に続きます。

 

 

 

 

依存症子の自己紹介①はこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595551260.html

これから私の簡単な自己紹介をさせてください。

何回かに分けます。

 

 

私は今年41歳になります。既婚ですが子どもはいません。

両親はすでに他界しています。一人っ子です。

 

 

私の生まれ育った環境については、後に詳しく書いていきます。

 

 

私の高校時代は安室奈美恵や浜崎あゆみの全盛期でした。

 

日焼けサロンに通い、誰よりも早く携帯を持ち、黒さの維持と携帯代、アルバローザやミジェーンの服を買うためにバイトと援助交際に明け暮れます。

 

 

バイトはキャバクラのビラ配りで月に約8万円。

援助交際で1回5万円~7万円。

 

月に最低でも15万は稼ぐ女子高生でした。

 

 

高校卒業後は水商売の道へ進みました。

 

 

昼夜逆転の生活で睡眠薬を飲むようになり、

睡眠薬だけでは足りず、安定剤も飲むようになりました。

 

 

1997年頃は関東にイラン人がたくさんいて、駅の中で覚せい剤を売っていたり、

ドンキに水パイプが普通に売っていた時代でした。

 

 

大麻やキノコがとても流行りました。

危険ドラッグやエクスタシーが流行り始めたのも、この頃だったと思います。

 

 

薬物がいつでも手に入る環境に私はいました。

 

 

仕事では真面目に頑張って、そんなに時間をかけずにNO.1になることができました。

 

お金持ちやヤクザの愛人になりました。

 

高校の頃に援助交際をしていたおかげで、

お金のためにセックスをする、ということに慣れていきました。

 

 

高級車に乗り、高級時計をして、美味しい鉄板焼きを食べに行く。

 

お金に困らない生活が当たり前になっていました。

 

 

 

 

依存症子の自己紹介②へ続きます。

 

 

前回のブログはこちら

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12595562828.html

はじめまして。私は元受刑者の依存症子です。

 

 

 

元受刑者や依存症の人の助けになりたい。

 

そう思い、このブログを始めました。

 

 

 

矯正指導日にある人の放送がありました。

 

その人の言葉は自然と耳に入ってきて、

必死に内容をノートに書き留めたのを良く覚えています。

 

 

理由は、その人が「元受刑者」だったから、

彼の言葉が「受刑者」の私の心にとても響いたのです。

 

 

2017年に満期を迎えました。

 

出所後に苦しんでいる人、たくさんいると思うのです。実際に私がそうだったから。

 

刑務所にいた事なんで誰にも知られたくない、誰にも相談できない、つらい。

 

 

 

実際の私の体験や経験をブログに書くことで、

皆さんの役に立つことが出来ればと思います。

 

 

このブログを読んで「明日もがんばってみようかな」

少しでも思ってくれたら、とても嬉しいです。