前回のブログでは、警察24時系の番組を観る度に思うことを書きました。

 

 

今日は職親プロジェクトについて書いていきます。

 

刑務所には職親プロジェクトといって、比較的軽微な犯罪で服役している受刑者に就職先を紹介してくれる制度があります。

 

 

私の仮釈放が近づき、内掃工場担当の先生から職親プロジェクトについて説明を受け、求人票を見せられます。

 

応募できるのは初犯のみ、殺人・詐欺・薬物・放火・性犯罪の受刑者は対象外です。

 

職親プロジェクトで就職するには条件があり、住み込みで働かなくてはなりません。

 

 

対象になる受刑者がかなり限られますが、窃盗で初犯の私は対象だったということです。

(※今現在は対象の範囲が変わっている可能性があります。男区と女区でも違いがあるかも知れません。)

 

 

求人票を見ることができるのは作業日の休憩時間だけなので、1週間ほどかけて真剣に内容を見ます。

 

女性の求人はごく少数、男性の求人は建設関係や飲食店がほとんどでした。

 

 

私はこの職親プロジェクトにお世話になることはありませんでしたが、元受刑者を雇ってくれる企業があることに驚き、感動したのを覚えています。

 

 

 

昨年(2020年)4月のことです。フジテレビのザ・ノンフィクションを観ていた私に聞き覚えのあるワードが飛び込んできます。

 

 

職親プロジェクト!?出所してからこの言葉を聞くなんて……!

 

 

4月5日と12日の2週にわたって北洋建設の小沢輝真社長が出演されました。

 

 

↓この方が小沢輝真さんです

 

 

北洋建設は1973年に創業以来、500人もの受刑者を雇用してきました。初代社長は小澤政洋さんで、輝真さんのお父様です。

 

輝真さんは進行性の難病である脊髄小脳変性症を発症していて、余命宣告を受けています。

 

お父様である政洋さんも同じ病気で亡くなっています。

 

 

小澤さんは信念を持って受刑者を雇用し続けています。

 

私はその姿勢にとても感銘を受け、少しでも力になることが出来ればと思いこの本を新書で購入しました。(この本の売上の一部が元受刑者の就労支援の活動費に使用されます。)

 

 

元受刑者だと知った上で雇用する、それは簡単なことではありません。

 

 

私がこれまでのブログで書いてきたように、刑務所まで来てしまう人は一つのことをコツコツと続けることが苦手だったり、逃げ癖や物事を投げ出す癖がある人がとても多いです。

 

 

元受刑者を雇えば、何か問題を起こしたり飛んだり(辞めて逃げ出す)する人が必ず出てきます。その確率は普通の人を雇うよりも跳ね上がるでしょう。

 

 

『何より元受刑者の社員たちが、更生して社会に根を張っていく姿を間近で見ることができる自分は幸せだ』と小澤さんは著書で仰っています。

 

例え裏切られたとしても、諦めず雇用を続けている小澤さんを心から尊敬しています。

 

 

 

私は栃木刑務所でこの職親プロジェクトを知ったとき、女性受刑者を受け入れてくれる企業が少ないことが残念でなりませんでした。

 

そして出所後に漠然と、元受刑者や受刑者の力になりたい、昔の私のように依存症で苦しんでいる人、その家族や友人の力になることはできないだろうか…?そう思い始めます。

 

 

一昨年の夏から資格取得に向けて動き出し、昨年の4月にザ・ノンフィクションで小澤さんの活動を知り、5月からこのブログを始めています。

 

 

今までも何度か書いていますが、私の目標は法務省で受刑者に向けて講話をすることです。そのために資格を取得し起業します。

 

そしていつか、元女子受刑者を雇用したいと考えています。

 

 

何年先になるか分かりません。

 

私にできること、私に“しか”できないことを

 

これからも続けていきます。

 

 

 

 

日本財団職親プロジェクトのホームページはこちらです↓

https://shoku-shin.jp/

 

職親プロジェクトの設立趣旨を一部抜粋します。

 

《ひとりをみんなで支える

 

刑務所出所者、少年院出院者一人ひとりの更生を参加企業みんなで支える、そして参加企業が抱えた課題や解決を参加企業や専門家みんなで考え、議論し、互いに支え合う。

 

日本財団職親プロジェクトは、参加企業、法務省、矯正施設、専門家など、様々なメンバーで、再チャレンジできる社会、犯罪被害に悲しまない社会を目指しています。

 

犯罪は許されることではありません。しかし再犯を防がない限り、犯罪被害で悲しむ方はなくなりません。

 

そして、一度罪を犯した者は、本当に気持ちを改め、罪を犯さぬよう社会復帰しようと望んでも、社会の厳しい目や反発などが原因で、叶わないのが日本の現状です。

 

それは、刑務所出所者や少年院出院者が幾度と犯罪を重ねる悪循環に繋がります。

 

その悪循環は、大きくなればなるほど犯罪の被害に悲しむ人が増えることに他ならず、日本が安心・安全な国になるためには、再犯を防ぐことは欠かせません。

 

過去は変えられないが、未来は変えられる。

 

日本財団職親プロジェクトは、再び罪を犯すことを防ぐため、また犯罪で悲しむ方を増やさないため、「就労」、「教育」、「住居」、「仲間づくり」の視点で刑務所出所者、少年院出院者の社会復帰を応援していきます。》

 

前回のブログでは仮釈放中や出所後の焦りは禁物だということを書きました。

 

 

民放キー局では年に数回、警察24時系の番組が放送されます。

 

私は昔からこういった番組が好きで、タイミングが合えば必ず観ていました。

 

 

薬物で逮捕される人に対して「ガンギマリのときに外に出るなんて頭悪すぎ!」と小馬鹿にしながら観ていました。

(ガンギマリ→薬物が体内に入っている状態のこと)

 

 

自分が刑務所へ行くことになるなんて、あのころは全く想像していなかったからです。

 

 

 

出所後も時間が合えばこれ系の番組は観てしまいますが、昔とは視点が全く違います。

 

以前のブログでも書きましたが、立ち位置が変われば思うことや考えることは変化します。

 

そのブログはこちらです↓

 

 

今の私があの番組を観て思うのは、逮捕された人たちがこれからどうなるかということです。

 

彼らがこれから行くことになる刑務所のこと

彼らに居るであろう残された家族のこと

今後再犯することなく立ち直ることができるか

彼らの生い立ちや犯罪を犯すまでの経緯

 

上記のようなことが頭をよぎります。

 

 

あの系統の番組を観る度に複雑な気持ちになるのです。

 

 

私は多くの依存症を併発していて、向精神薬、違法薬物、ギャンブル、窃盗、買い物、自傷行為と多岐にわたります。

 

この中で犯罪なのは違法薬物と窃盗です。

 

 

依存症の方やそのご家族には、「自分はギャンブルだけだし違法なモノに依存していないから大丈夫」とか「私の子どもはお酒だけだから大丈夫」いう考えだけはしないで頂きたいと思います。

 

 

なぜなら、依存症の人は犯罪者になる確率がそうでない人と比べて高いからです。

 

 

具体例としていくつか挙げます。

 

・アルコールの場合は同居する家族に対し肉体的や精神的なDVなどがあります。

 

・ギャンブルの場合も同じくDVや、借金苦から詐欺の受け子など簡単にお金が手に入る犯罪に安易に手を出してしまう場合があります。

 

 

そして実際に私が陥った処方薬や向精神薬への依存ですが、「自分ではないもう一人の自分」が犯罪を犯す可能性があります。

 

向精神薬の飲み過ぎで記憶を失います。服用している錠数は睡眠薬と精神安定剤で毎日30錠以上です。

 

 

そんなときに他人を傷付けている、約束をしている、物を盗むようになる。

 

薬が抜けたときにどうなるでしょうか……?

 

 

友人や知人から突然「症子とは今後もう付き合えない」と言われたり、距離を置かれたりします。

当然です。薬を飲んで気が大きくなっている私は、暴言を吐いてその人たちを散々傷付けてきたのだから。

 

働いている店のスタッフやお客さん、先輩や友人から叱責されます。

薬の飲み過ぎで約束した内容を覚えていないから、結局嘘をついたことになってしまうのです。

 

 

物を盗むことに快感を得た私は、毎日のように窃盗をしに出かけます。

 

何度も警察に捕まり、それでも向精神薬への依存も窃盗も止められず、結果刑務所へ行くことになりました。

 

 

自分がやったことだと信じられないようなことがたくさんありました。

 

全く自分の好みではない洋服やバッグを「依存さんが盗んだ物はこれですね?」と警察署の取調室で見せられたとき。

 

母や夫に保険金を掛けて死ねと言ったり、退職金を前借しろと言われたと夫から聞いたとき。

 

部屋の中に見たことのない服や物があるのに気付いたとき。

 

 

“自分ではないもう一人の自分が犯罪を犯す可能性がある”と書きましたが、それは向精神薬のせいだと責任転嫁をして逃げているのではなく、

 

実際に発言したり行動を起こしているのは自分ですが、その記憶が無いことがどれだけ恐ろしいかということなんです。

 

 

警察24時を観ても自分には縁のない別世界の話だと思う人が大半だと思いますが、

 

ちょっとしたきっかけで誰でもあちら側に行く可能性がある、私はそう思います。

 

 

 

前回のブログでは、面会や手紙が多い受刑者はあまり反省をしていない人が多いということを書きました。

 

今日は仮釈放中や出所直後に陥りがちなことを書いていきます。

 

私は執行猶予中に再犯を犯しているので、1刑と2刑合わせて実刑2年、未決拘留を引いて1年11ヶ月の懲役でした。

 

↑これは私が矯正施設に居たことを証明する在所証明です。

 

模範囚でしたので仮釈放を約7ヶ月も貰えました。刑期の約1/4ですね。

 

 

仮釈放後の私はとても焦っていました。

「刑務所に居た時間を早く取り戻したい」、「早く夫に自分を認めてもらいたい」、そう考えない日はありませんでした。

 

私は刑務所で自分を見つめ、自分がすぐに物事を投げ出して諦めてしまう人間だということに気付いています。ですので仮釈放中はそんなことは絶対にするもんか、そんなことをしていたら間違いなく累犯になってしまうと思っていました。

 

 

あの頃の私の焦りが夫にはどう見えていたか、改めて聞いてみました。

 

諦めないように投げ出さないように、俺に認められようと頑張っていたと夫は言います。

それと同時に、肩に力が入り過ぎて結果をすぐに出そうとしていたようです。良い意味で妥協をせず、自分に対しても夫に対しても完璧主義でした。

 

 

そんなときにAさんが出所し、連絡を取り合うようになります。

 

Aさんは自分の息子を児童相談所から早く引き取りたい、その焦りと想いが空回りして挫折し、結果また刑務所へ戻ることになります。

 

その経緯を書いたブログはこちらです↓

 

AさんとAさんのお父さんの行動を客観的に見ることができた私は、焦りが一番良くないということに気付きます。

 

 

Aさんのお父さんは今度こそちゃんとしてもらいたい、更生してもらいたい、母親としてしっかりしてもらいたいと願います。

 

ですがAさんには「ちゃんとする」こと、「母親としてしっかりする」ことの意味が理解できません。

 

Aさんの頭が悪いの?と思う方がいらっしゃるかも知れませんが、そうではありません。

 

Aさんに問題が降りかかったとき、お父さんがお金“だけ”の尻拭いをして、Aさんが痛い目を見ることはありませんでした。そうすることでAさんがどうなったか……?

 

 

起こった問題に対して反省することもせず、トラブルを回避したり解決する能力が備わらない人間に成長してしまいました。

 

これはAさんの今後の人生にとても大きな障壁になると思います。

 

 

Aさん→「ちゃんとする」=「次は失敗しない」

お父さん→「ちゃんとしてほしい」=「低賃金でもコツコツ働く」

 

この考え方のズレが2人の確執と溝を深めていきます。そしてAさんが心から変わろう、人生を変えたいと思わないと、2人は決して交わることは無いと思います。

 

 

水商売や風俗、愛人生活などで短時間に大金を手にしたことがある人は「何とかなる」、「どうにでもなる」といった根拠のない金銭管理や感覚に陥りがちです。

 

私もこのように考えていた時期があるので、Aさんの気持ちはとても良く分かります。

 

 

焦ってはいけない、すぐに結果が出るなんてことはあり得ない、一つのことをコツコツ続けることが一番の近道なんだということを、二人を見ていて強く感じたのです。

 

 

だから私は焦る気持ちを必死で抑えました。

刑務所で自分を見つめた時間は決して無駄ではなかった、そしてこのことは必ず今後の自分の役に立つはず。

 

そう信じて過ごしてきたから、少しずつ行動し実行してきたから、今の依存症子が存在します。

 

 

焦りがおかしな方向へ向かうと、再犯を犯す確率が跳ね上がります。

 

どうせ自分なんて…と悲観的になる

仮釈放中だなんて誰にも知られたくない

家族の想いに応えられない、あるいは反発する

自分が受刑者だったことを知られたくない

 

こういった想いから自分の過去を知っている昔の仲間に自ら近付いていきます。引っ張られていきます。

 

その仲間がきちんと更生していれば、更生に向かって努力をしている人ならばいい影響を受けますが、残念ながらそうではない場合が非常に多いです。

 

 

仮釈中も出所後も、断固とした流されない強い意志が必要です。

 

「私は自分に悪い影響を与える人間とは付き合わない、近付かない」

 

 

仮に家族が自分の受刑歴や過去を責めてきても、それは自業自得です。

そんなに責めるなよ、私は(俺は)一生懸命やってるんだよ!そう思うことも多々あるでしょう。

 

相手を変えたいなら、まず自分が変わる努力を。

 

失った信用を取り戻すにはコツコツと毎日の行動で積み上げ、示していくしかないのです。

 

 

私が見てきた限り、刑務所に居る人はこのコツコツ積み上げるのが苦手だったり、すぐ楽な道へ進もうとする傾向があるように思います。

 

 

私自身も楽な道へ逃げてきた結果、自分の首を絞め刑務所へ行くことになってしまった1人です。

 

 

 

この場をお借りして資格試験が無事に終了したことをご報告します。

 

今までの人生でこんなに努力したのは初めてです。この1ヶ月は1日に最低6時間の練習と勉強をしてきました。

 

ですのでツイートの通り、不合格だったとしても後悔はありません。また挑戦すればいいのですから!

 

 

 

 

前回のブログでは、向精神薬を服用している受刑者がとても多いことを書きました。

 

内掃工場で一緒に作業をする日本人のEさんは、ひき逃げで服役していました。

 

Eさんと同室だった期間が1ヶ月ほどあったので、どうしてひき逃げをしてしまったのか、逮捕される前は何の仕事をしていたとか、色々話を聞かせてもらいました。

(事件の詳細は伏せますが、相手の方は亡くなっています。)

 

Eさんが真実を話してくれているかは分かりません。


今後も他の受刑者の話が出てくることもあるかと思いますが、本当のことを話してくれているという前提で書いていきます。

 

 

Eさんは立川拘置所に居て、私の居室が南棟だったときに彼女は北棟にいました。このときにちょっとした騒ぎがあります。

 

刑務所や拘置所では祝日にお菓子が出ます。食事もお菓子も指定された時間内、あるいはその日のうちに食べなくてはいけません。

 

食べきれなかったものを居室に取っておいたり、隠し持っていると懲罰になります。

 

お菓子が出た翌日も免業日(休日)でした。食事を配膳してくれる衛生係が、お菓子のゴミを回収します。

 

夕方になって男性刑務官の怒鳴り声が聞こえます。北棟で誰かが何かをやらかしたようでした。

 

立川拘置所は長細い建物なので、刑務官の声がとても良く響くのです。

 

誰かが怒られていることは分かっても、棟が違うので何を話しているかまでは分かりませんでした。

 

 

翌日運動に出ると、麦飯をおにぎりにして隠し持っていた人がいて、男性刑務官が怒ったという話を聞きます。

 

このおにぎりを隠し持っていたのがEさんです。受刑者の中で彼女のあだ名はおにぎりになりました。

 

 

初犯だと何をすることで懲罰になってしまうのか分かりません。例えば物の貸し借りは外では普通のことですが、拘置所や刑務所では、貸した方も借りた方も懲罰になります。

 

具体的には文房具や切手、本や雑誌などの貸し借りは、刑務官に見つかれば懲罰です。


私も初犯ですが、さすがにお菓子やご飯を隠し持って後で食べようとは思いません。

 

Eさんの食べ物を隠し持つ行為は本来懲罰ですが、立川拘置所では大目に見てもらえたようです。

 

 

そんなEさんと同じ居室で生活しますが、彼女には手紙が週に2回は届いていたと記憶しています。面会も月3回、母親が必ず来ていました。

 

私の罪名は窃盗でEさんはひき逃げ、刑期が全く違います。
仮に満期だとしても、私の方が早く出所することをいつも「いいな…いいな…」と言って泣いていました。

 

Eさんは居室の本棚も汚かったり、バッグの中もぐちゃぐちゃで、そのだらしなさは体型にも現れていました。

 

 

ブログの始めに書いたように、彼女の罪名はひき逃げですが、私が話を聞いた限りでは、一切反省をしていませんでした。

 

 

・私は悪くない
・他の加害者は服役しなかったのに、私だけ懲役なんておかしい
・早く出たい

事件のことを聞くと、いつもこんなようなことを言って泣いていました。

 

そんな話を聞いているうちに、私はだんだん腹が立つようになり、彼女とは必要最低限の話しかしないようになりました。

 

 

Eさんのように面会も手紙も頻繁な受刑者は、あまり反省をしていない人が多いと感じます。

 

待ってくれる人がいることで、受刑者の更生を助けることもあれば、Eさんのように反省と自立をする機会を奪って、甘えさせてしまうこともあります。

 


受刑者の家族や友人の接し方が、受刑者に大きな影響を与えると思います。

 

それは受刑者の“出所後の生き方”に大きな影響を与えるということです。

 

 

優しい言葉をかけ続けることが、本当に出所後の受刑者のためになるでしょうか……?

 

 

これも以前のブログに書きましたが、仮に夫が「症子の帰りを待っているよ、愛しているよ、早く帰ってきてね」と甘やかしていたら、私は一切反省などしなかったと思います。

 

離婚されるかもしれない、母親に捨てられ孤独に生きることになるかもしれないという恐れが、私を「自立と言う更生」に向かわせたのは、間違いありません。

 

 

 

1週間後に資格試験があり、勉強のため来週のブログはお休みさせていただきます。

 

次回は12月28日㈪に更新します。

 

前回のブログでは他人に過度な期待をしないことと、人と比べるのことはやめて過去の自分と比較しようということを書きました。

 

 

私は18歳からずっと向精神薬を飲み続け、刑務所へ服役したことをきっかけに38歳でやっと断薬することができました。

 

 

断薬の経緯はこちらにまとめています↓

 

 

 

 

改めて簡単に書きますが、私は18歳から向精神薬、覚せい剤などの違法薬物、ギャンブル、自傷行為、窃盗に依存してきました。

 

この中でも私が一番怖いと思っているのは向精神薬への依存です。

 

 

このブログを読んでくださる向精神薬を服用している皆さん、向精神薬に対して“医師が処方しているから大丈夫”と安易に考えないでください。

 

 

刑務所へ行くことになった罪名は窃盗ですが、向精神薬を飲んでいなかったら窃盗で逮捕されることはなかったかもと最近は考えます。

 

このブログを通して、私が刑務所へ服役する要因となった向精神薬の危険性も皆さんにお伝えできればと思います。

 

 

つい最近のニュースでは水虫の薬に睡眠導入剤成分が混入し、それを飲んだ方が事故を起こしたり意識を失うといった事件がありました。

 

2017年にはお笑い芸人が睡眠薬を飲んだ直後に運転して、道交法違反で書類送検された事件もありました。

 

 

私は若いころから高級車が大好きで、夜の仕事や愛人生活で金銭的な余裕があったときにはドイツ車を所有していました。

 

しょっちゅう事故を起こしては車両保険を使っていました。

そんなことをしていれば等級は下がる一方で、一時は入れる保険が無かったほどです。

 

なんでそんなに事故を起こすのかと不思議に思いますよね。当時の私も不思議に思っていました。

 

 

結論から言うと、向精神薬の飲みすぎで危険な運転をしていたからです。ですがあのころの私は全く気付いていませんでした。

 

自転車で急に飛び出してきた男性に大声で怒鳴られカッとして、猛スピードで後を追いかけたりしたこともあります。とにかくモラルもマナーもあったもんじゃない、そんな運転をしていました。

 

あんなおかしな状態で車を運転して、人身事故を起こさなかったのが奇跡だと思います。

 

 

向精神薬の飲みすぎで私にどんなことが起こっていたかを書いていきます。

 

言っていることの筋が通らない

毎回言うことが変わる

喜怒哀楽が激しい

やたらと攻撃的

記憶が飛ぶ

話す内容は支離滅裂

嘘をつく(本人は嘘をついている自覚無し)

とっさの判断ができない

ろれつが回らない

言葉が出てこない

 

こうして書き出すとろくな人間じゃありませんよね。酷いものです。

 

 

 

以前のブログにも書きましたが、私は向精神薬を否定するつもりはありません。

 

私自身も精神障碍者手帳を持っていた時期があるから、薬に頼らざるを得ない人がたくさんいることは理解しています。

 

今の私は向精神薬に頼らなくてもこうして楽しく元気に生きています。普通の生活が送れています。

 

 

 

依存症と向精神薬は切っても切れないというか…依存症治療の初期に向精神薬を使うことがあります。

 

自傷行為などで心療内科へ行けば、とりあえず心が安定するお薬を出しておきますね、というのが良い例ですね。

 

 

私は20年間向精神薬を飲んできた自身の経験から、向精神薬は自らの“考える力”を奪っていく薬だと思っています。

 

 

「飲まないと不安な気持ちが無くならない」、「飲まないと会社・学校に行けない」「飲めば楽になる」、このような思考はもはや覚せい剤常習者(薬物常習者)と同じです。

 

 

 

絶対にやめることは出来ないだろうと思っていた向精神薬を、一時的ではありますが栃木刑務所で断薬することに成功します。

 

 

刑務所という犯罪者しかいない場所で、20年間も依存し続けた向精神薬をやめないと自分の人生が終わるということに気付きます。

 

なぜ刑務所まで落ちないと気付かないんだという話ですが、私のように本当に痛い目を見ないと気付かない人間もいるのです。

 

 

向精神薬が抜けて思考がクリアになり、刑務所で他の受刑者を観察します。

 

観察すればするほど自分との共通点がたくさん見つかるのです。そしてその共通点が多い人ほど、累犯として刑務所へ舞い戻っている事実に恐怖を感じました。

 

 

立川拘置所と栃木刑務所で私がお話をさせてもらった受刑者のうち約2/3は向精神薬を飲んでいました。飲んでいない人の方が少ないです。

 

 

向精神薬を飲むことで精神が安定するなら犯罪など犯さないと思うのです……。

 

受刑者に向精神薬を飲んでいる人が多いというのは紛れもない事実です。

 

 

向精神薬を飲んでいるから犯罪者になるということではありませんが、飲んでいない人より確率は上がるだろうと私は考察しています。

 

 

前回のブログでは、刑務所で使っていたスニーカーを戒めとして大切に保管してあることを書きました。

 

 

今日は期待について書いていきます。

 

私は日ごろから他人に期待をしないように心掛けています。

 

察してほしいとか、気付いてほしいとか、分かってほしいとか、取り越し苦労に終わりそうな感情に囚われることはできるだけ避けたいものですよね。

 

 

期待をするから腹が立つのです。

期待をするからイライラするのです。

期待をするから傷付くのです。

期待をするから疲れるのです。

期待をするからがっかりするのです。

期待をするから失望するのです。

 

 

例えば最近こんなことがありました。

 

 

元受刑者の方から今後について話をしたいという連絡をいただき、私は○日なら大丈夫です、とお返事しました。

 

「○日に一度連絡致します。宜しくお願い致します。」という返信が来ましたが、その後何の音沙汰もありません。

 

私はこの○日は空けてありましたが、この方の相談がなければ他の用事を入れられました。

 

 

昔の私だったらこの方に対して怒ったと思いますが、今の私は「そんなものよね」と考えられるようになっています。

 

 

この方から間違いなく連絡が来る!という期待をしなかったので、そもそも負の感情が湧きません。

 

仮にまた相談したいと言ってきてもすんなりと受け入れることができます。

 

 

 

依存症治療では依存症者のご家族が、依存症者に大きな期待をすることが多いですね。

 

「次こそは○○をやめてほしい」、そんな期待が“スリップ”という形で裏切られたとき、ご家族は怒り、傷付き、失望します。

 

 

日常生活で過度な期待をしないことを心掛けていると、無駄に怒ることもないし見返りを求めることもなくなります。

 

メンタルを削られずに生きるには、この“過度な期待をしない”というのは結構重要なことだと思います。

 

 

 

今日は最後に、他人と比べず過去の自分と比べようという話をして終わりにします。

 

 

依存症の回復の速さは人それです。依存症者も、そのご家族も。

 

 

自分と同じ時期に自助グループに繋がったのにあの人の方が回復が早い……、あの人の方が先に進んでいる……、そんな風に焦っても、自分が早く回復できるわけではありません。

 

 

過去の自分より成長していれば、回復していればそれで良いのです。

 

 

勉強でも資格取得でも仕事でも、同じことが言えると思います。

 

過去の自分より出来るようになっていれば、上手くなっていればそれで良いのです。

 

 

他人と比べて一喜一憂するのはやめましょう。

 

前回のブログではギャマノンに参加する依存症者のご家族のお話と、RDデイケアセンターで活動されているアルコール依存症の方のお話を聞いて、新たな気付きを得たと書きました。

 

 

栃木刑務所では作業に行くときにうわばきを履くのですが、底がとても薄いです。

 

 

↑皆さん一度は履いたことがあると思いますが、これが受刑者の靴になります。

 

 

この靴で作業をするのはかなりきつく、クッション性がないので私はすぐに腰が痛くなってしまいます。

 

内掃工場は刑務所中を歩き回る作業なので、この靴だと足が棒になります。

 

 

正式な名前を忘れてしまいましたが、刑務所の処遇改善に受刑者が意見を申し出ることができる制度があります。意見箱という名前だったような……(うろ覚え)

 

 

運動場の一角にポストが設置されているので、そこに投書します。

 

投書された内容が本当に必要なものかどうか、刑務所とは関係のない第三者が確認し、実際に取り入れても良いようなものであれば採用されることがあるようです。

 

 

この意見箱の話を他の受刑者から聞き、どんなことをみんな投書するの?と質問したところ、その受刑者は食事の内容について投書したことがあると言っていました。

 

刑務所では食事が唯一の楽しみなので、食に対する要望が多いのは当たり前かなと思います。

 

 

 

健康診断などで医務へ行くと、“医務担当の職員の先生”と“医師の先生”の二人がいます。

 

医師ではなくこの“医務担当の先生”がものをハッキリ言う怖い先生でした。役職も高かったと記憶しています。

 

 

受刑者が医師に会う前に医務の先生がある程度の診断をして、本当に具合が悪い人とそうでない人に振り分けます。

 

そして大概の受刑者が、この医師ではない“医務担当の先生”に診察を受けるというおかしな状況が起こっていました。

 

 

医務担当の先生は医師免許は持っていませんから、診断も薬の処方もできないはずです。

 

 

以前のブログにも書きましたが、刑務所や拘置所では具合が悪いと嘘を言って作業拒否をする人が一定数います。

 

実社会でも仮病でズル休みをする人がいますが、刑事施設ではその割合が跳ね上がるわけです。

 

 

「具合が悪い」と言う受刑者全員を医師が診ると膨大な時間と手間とお金が掛かり、法務省側である程度の判断していかないと刑務所の運営がままならなくなるのでしょう。

 

 

ですので“医務担当の先生”は「あんた仮病使ってるでしょ?」という目で初めから見て(診て)きます。

 

 

私は受刑生活中に2回ほど具合が悪くなったことがあります。

1回目は立川拘置所で謎の腹痛と下痢になったとき。2回目は栃木刑務所で体中に湿疹ができたとき。

 

立川では検便をしてもらい、医師の診察もしっかり受けることができました。

 

ですが栃木では体中に湿疹が出ているのは目に見えて明らかなのに、なかなか医師に診察してもらえず結構辛い思いをしました。

 

 

 

私が栃木刑務所に入所するかなり前から、このような医療行為が続いてきてしまったのでしょう。

 

そんなことをしていれば意見箱に「医務の担当は医者じゃないのに診察するのはおかしい!」という投書がたくさん来るのも、納得できることかなと思います。

 

 

この意見箱のおかげで受刑者がきちんと医師からの診察を受けられるようになったと聞いています。処遇改善の一つの例ですね。

 

 

 

ブログの始めに話を戻します。

 

内掃工場だけではなく衛生係や洗濯工場、炊場は立ち仕事がほとんどですので、靴はもう少し厚くクッション性のあるものがいいなと思っていました。そこでこの靴を自費で購入します。

 

 

 

刑務所の物品購入は定価なので、こんな靴でも5千円くらいしたと思います。

 

これで作業をした方がうわばきよりマシという程度ですが、この靴には出所まで大変お世話になりました。

 

 

 

私は意見箱など法務省のパフォーマンスでただの飾りだと思っていたのですが、意外と意見を聞いてくれるのだと知ったときに一つの投書をしました。

 

 

「内掃工場、洗濯工場、炊場、衛生係など歩き回ったり立ち仕事が主な作業の受刑者には、クッション性のある靴を貸与して頂きたいです」

 

 

意見箱に投書してから2ヶ月ほどで仮釈放になったので、私の投書が今の栃木刑務所に反映されているかは分かりません。

 

反映されていればいいなと靴を見る度に思い出します。

 

 

 

この靴は今も家の靴箱の中に大切に保管してあります。

 

元受刑者の皆さんも、刑務所とは関係のない生活を送る人も、「そんなものを取っておくなんて縁起が悪い」と思うかもしれません。

 

 

刑務所で使っていたものはすべて捨てないとまた戻る、というジンクスがあったりしますが、私はこの靴を戒めとして大切に取っておこうと決めています。

 

 

 

483番として過ごした日々を決して忘れない。

 

あの不自由な日々に決して戻らない。

 

 

この靴を見る度にそう心に刻むのです。

 

前回のブログでは、依存症になる要因は生育環境に大きく左右されるということを書きました。

 

昨日はギャマノンに参加されている依存症者のご家族お二人と、アルコール依存症当事者の方のお話を聞いてきました。新たな発見や気付きを得ることができたので、その内容をブログに書いていきます。

 

 

ギャマノンって何?と思う方もいらっしゃると思いますので、ここで自助グループについて説明します。

 

 

依存症は完治しない病気で、投薬治療で治るようなものでは決してありません。(進行具合によって向精神薬や抗酒剤を使うこともあります)

 

 

依存症者と支える側、お互いに前を向くことが回復です。

 

同じ境遇の人の経験や体験を分かち合うことで新たな気付きを得て、改善し、自らの人生を切り開いていく。

 

その場を提供してくれたりお手伝いしてくれるのが自助グループです。

 

依存症者本人が通うものと、依存症者の家族や友人が通うものがあります。

 

 

はっきり言いますが、自助グループへ通ったからと言って必ず回復するものではありません。最終的には本人次第です。

 

 

依存症者を無理矢理自助グループに連れて行ったとしても、通い続けることは難しいでしょう。

 

本人が心から依存行動をやめたいと思ったときに、初めて聞く耳を持てるのです。

 

 

支える側のご家族を無理矢理自助グループへ連れて行っても、同じく通い続けることはしないでしょう。

 

自分の大切な人が依存症だということを受け入れ、根性論や刑罰で何とかなる問題ではないこと、一生付き合っていかなければならない病気であることを知る必要があります。

 

 

 

ギャンブル依存症者の家族・友人のための自助グループ、ギャマノン(GN)からいらしたお二人は男性と女性で、男性は息子さん、女性はご主人がギャンブル依存症です。

 

お二人の話を聞いて胸が痛みました。

私も依存行動が激しいころ、母に手をあげたり金品を盗んだことがあるからです。

 

そしてお二人から、ハッとさせられるお話を聞くことができました。

 

 

男性が初めてギャマノンに行ったとき「あなたも一緒に回復しましょう」と言われ、「なんで自分が回復しなくちゃいけないんだ!」と思ったそうです。

 

そりゃそうですよね。依存行動をしているのは男性ではなく息子さんです。

 

ですが男性はすぐに、自分が病的に共依存に囚われていること、息子さんに引っ張られていたことに気付いたと言います。

 

 

「あなたも一緒に回復しましょう」とご家族が言われることは、なかなか受け入れられるものではないと依存症者の私は思います。

 

だって男性は決して悪いことをしているわけではなく、息子さんのためを思って借金を返し、世話を焼き、何とかしようと奮闘しているのです。

 

それが実は依存症者には“良くないこと”で、自分が共依存に陥っていたという事実を突きつけられるのですから……。

 

 

依存症者は自分の弱さや現実をなかなか受け入れられませんが、ご家族は依存症者以上に受け入れられないだろうなと思いました。

 

 

 

RDデイケアセンターからいらした男性はアルコール依存症で、始めはアルコホーリクス・アノニマス(AA)に繋がったそうです。

 

AAが合わなくて今のRDデイケアセンターに繋がったそうですが、その理由が依存症者の私にはとても良く理解できたのです。

 

男性はこう言いました。「AAに居る間は自分の意志とは関係なく酒を止めることができる、でもそこから出るとあっという間に戻ってしまうからです。」

 

これを聞いたとき、そう!そうなんです!って声を出したくなったほどです。

 

 

刑務所では累犯といって、出所後5年以内に刑務所へ戻る人が本当に多いのです。

 

刑務所に居る間は、薬物も飲酒も窃盗も性的逸脱行動も、どれもやりたくても出来ません。強制的に出来ない状況にさせられています。

 

受刑中に何もせず何も考えず、ただだらだらと刑期を過ごし出所した人は、累犯となりまた刑務所へ舞い戻ります。

 

2017年の検挙者のうち再犯者は10万4774人、再犯率は48.7%で検挙者のおよそ2人に1人が再犯者である計算(東洋経済オンラインより)

 

 

これは自助グループでも同じことが言えて、何も考えずただ参加しているだけではいずれスリップするんです。

 

 

先のことに囚われるより、目の前のことを着実にこなしていくことで見えてくるものがあるのです。気付くことがあるのです。

 

 

自分の弱点を見つめるのは本当に辛いです。

逃げたいし投げ出したい、戻れるなら依存行動を知る以前に戻りたい。

 

そんなことを考えても戻れないんです。時間は進むんです。

 

 

依存症からの回復とは“本人がこの先の人生をどう生きるか”だと私は思っています。

 

 

 

最後に自助グループの名称を紹介して終わります。

 

他にもたくさんのグループがあると思いますが、代表的なものを挙げています。読み方が分からなかったりしますよね(笑)

 

 

依存症者本人が回復を目指す自助グループ

アルコールAA(アルコホーリクス・アノニマス)

ギャンブルGA(ギャンブラーズ・アノニマス)

薬物NA(ナルコティクス・アノニマス)

窃盗KA(クレプトマニア・アノニマス)

不倫・性風俗通い・性的犯罪行動SA(セクサホーリクス・アノニマス)

セックス依存症・性依存症SCA(セクシュアル・コンパルシブズ・アノニマス)

拒食症・過食症NABA(日本アノレキシア・ブリミア・アソシエーション)

過食・過食嘔吐・拒食・下剤乱用OA(オーバーイーターズ・アノニマス)

脅迫的買い物・浪費・借金依存DA(デターズ・アノニマス)

ひきこもり状態にある人HA(ひきこもりアノニマス)

 

 

依存症者の家族・友人・関係者のための自助グループ

アルコールAN(アラノン・Al-Anon)

ギャンブルGN(ギャマノン・Gam-Anon)

薬物NN(ナラノン・Nar-Anon)

性的な問題行動SA(エサノン・S-Anon)

摂食障害やどかり(NABA事務所)

 

前回のブログでは私の母について詳しく書きました。

 

 

刑務所を出所してから細々と盆栽を育てていると以前のブログに書きましたが、植物が成長するには土台がとても大切です。

 

盆栽も花も、しっかりとした土に程よい栄養と適度な水分を与えればどんどん成長します。

 

肥料と水を与え過ぎると枯れてしまいます。

 

木や花によって肥料も水の与え方も、置く場所も変わります。

 

 

これは人にも同じことが言えて、幼少期の生育環境という土台がとても大切なのです。

 

私はこの生育環境という土台が良くありませんでした。

 

幼いころから親戚の家をたらい回しにされ、小学生のころからパチンコ屋や雀荘に連れて行かれ、常に母の怒りに怯え顔色を窺い、それを不憫に思う父からはお金や物がたくさん与えられ、途中で物事を投げ出したり諦めてもだれも咎める人がいない。

 

 

依存症子という人間の土台は、両親のおかしな育て方によって作られました。

 

・嫌なことから逃げる

・物事を投げ出す

・すぐに諦める

・努力をしない

・一つのことをコツコツと続けたり積み上げることができない

 

両親の育て方がおかしかったから、上記のことが苦手な大人になってしまいました。

 

苦手だと気付いていながら、直そうとしなかったのは私自身です。

 

 

両親の育て方は確かにおかしかったけれど、ここで考え違いをしてはいけないのは、

 

“両親が原因で私が依存症になったり刑務所へ行くことになった”わけではないということです。

 

両親の育て方が“要因の一つ”で私は依存症になり、刑務所へ行くことになったのです。

 

 

 

依存症者のご家族に対する医師や臨床心理士のアドバイスは、「原因究明より今後のことを考えましょう」というものが主流だと思います。その理由には以下のようなことがあるからです。

 

・家族が原因を取り除こうと努力しても、依存症者が依存行動を止めなければ問題は解決しない

・家族が今後どのような対応をしていくのかを考える

 

まず依存症者本人に「底つき」を経験させることが回復への絶対条件です。私にとっての底つきは刑務所へ行ったことになりますね。

 

 

依存症者が底つき状態になると以下のように考えるようになります。私で例えます。

 

・何でこうなっちゃったんだろう

・どうして(依存行動を)止められないんだろう

・私がこうなってしまったのは親のせいなんじゃないか?

・やめたいのにやめられない

・どうすればいいのか分からない

・意志が弱いと言い続けられると自分がとことんダメ人間に思えてくる

 

↑こうなったときに、ご家族にとてつもない怒りが向けられるかも知れません。

 

お前のせいで俺は(私は)こうなった!と暴力を振るわれたり、暴言を浴びせられることもあるかと思います。

 

 

ここで依存症者のご家族の皆さんに考えて頂きたい事があります。

 

あなたはどのように息子さん、娘さんを育ててきましたか?

土台作りのお手伝いを、親としてしっかり果たせていましたか?

 

ご家族の育て方が全て間違っていたとは言いませんが、私は自身の経験から両親の影響はとても大きいと思っています。

 

 

「原因究明よりも今後のことを」、これはその通りなんですが、過去から逃げずに真摯に息子さん、娘さんに向き合って欲しいと思います。

 

過去から逃げずに真摯に向き合うとはどういうことか?

・息子や娘が警察に突き出される覚悟を持つ

・助けずに放っておく

・金銭的な支援を一切しない

・会社をクビになっても助けない

・要求を撥ね退ける

・依存症者が自力で立ち上がったときに支援をする

 

少なからず、ご家族がおかしな接し方・育て方をしてしまったことが“要因”で今の息子さんや娘さんが存在しているのです。そこから目を逸らしてはいけません。

 

どうしてうちの息子は(娘は)こうなってしまったんだろう?と悲観的になっても、後悔しても、依存症はこれっぽっちも回復しません。

 

依存症の子どもを回復へ導く覚悟を強く持ってください。

 

 

 

依存症で苦しむ皆さん、皆さんは少なからずご両親に怒りが向くことがあると思います。

 

皆さんが依存症になった“要因の一つ”にご両親の教育や育て方があったのは間違いありません。

 

 

私は刑務所で自分を見つめなおしました。

子供のころ○○だったから今の自分が○○になったんだ、○○だからこんな行動を取るようになったんだ、ということがたくさんあるはずです。

 

今も依存行動への衝動が止まらないという人は、ぜひ自分の人生を見直してみてください。

 

自分がこうなった原因を突き止めるのは、今後の人生にも必ず役に立ちます。

 

回復するヒントは過去にあります。

 

 

私の学歴は高卒、水商売や風俗で働き、お金持ちやヤクザの愛人生活を送り全身に刺青が入っています。

薬物依存症、向精神薬はお菓子のようにパクパク食べる生活を20年送り、クレプトマニア(窃盗症)、ギャンブル依存症で借金は1500万まで膨れ上がり、整形と自傷行為と買い物が止まらず、向精神薬で自殺未遂をし、窃盗を繰り返しとうとう刑務所へ行くことになりました。

 

そんな私でも、弱点を見つけ出し改善することはできるのです。

 

こうしてブログを定期的に更新し続けられるのです。(昔だったら絶対に無理です)

 

 

こんな私が回復できているんです。皆さんにも必ずできます。

 

 

前回のブログでは、今まで書いたことのない私の母について詳しく書きました。今日は前回の続きを書いていきます。

 

母はとてもキレやすく、私が何も悪いことをしていないのにいつも怒っていました。

 

掃除を一切しない母が大嫌いでした。家の中が汚いから私が片づけをします。すると「勝手に物を動かしやがって!何がどこにあるか分からないじゃない!」と怒鳴られます。

 

母の中では掃除をして家の中が綺麗になるのはどうでもよく、自分が普段使っている物がどこにあるか分からなくなることが腹立たしかったようです。

 

いいことをしたはずなのになんで怒られなくちゃいけないんだろう……。幼いころの私はいつもそう思っていました。

 

 

私の父は私にとても甘い人で、何か買ってほしいと言えば何でも買ってくれました。何かを習いたいと言えば習わせてくれました。

 

小学生のときにそろばんを習っていましたが、私が行きたくないと言えばやめさせてくれました。

 

塾も行きたいと言い出したのは私ですが、通うのが面倒になって行くのをやめても怒られるようなことはありませんでした。

 

 

嫌になったら投げ出してもいい

面倒になったら諦めてもいい

お願いすれば何でも聞いてくれる

 

私はこのような甘い考えで生きてきてしまいました。その結果、

 

10代後半から違法薬物と向精神薬に逃げるようになり、35歳で逮捕され刑務所へ行くことになりました。

 

父の甘さはその後の私に決していい影響を与えなかったということです。

 

 

なぜ父は私に甘かったのか?

 

一人娘で特別に可愛かったのはあるでしょうが、母からいつも理不尽に怒られている私を不憫だと思っていたからだろうと今の私は考察しています。

 

 

父は私が24歳のときに肺水腫であっけなく亡くなります。61歳でした。

 

 

 

ブログの自己紹介に私がどんな人生を歩んできたかは詳しく書いてあるので、ここでは簡単に書いていきます。

 

私は18歳から主に水商売とお金持ちやヤクザの愛人生活、風俗で働き生計をたてていました。刺青は全身に入り、整形もしています。これは立派な自傷行為だったと認識しています。

 

刺青を入れるのは当然痛いのですが、「この痛みに耐えた私ってすごい!生きてる感じがする!」と思いました。整形のダウンタイムでも同じような感覚を味わっていました。

 

日ごろから向精神薬をODし、向精神薬の量が増えれば増えるほど過食も酷くなっていました。

 

35歳のときに窃盗で逮捕され、刑務所に服役することになります。

 

 

留置場で考えたんです。

なんで私はここにいるの?超クソな人生じゃない?

なんで警察のお世話になるような人間になったんだろう?

 

………………クソババァのせいだ。

 

クソ母親が私をまともに育てなかったから、私はギャンブル依存症になった。

 

覚せい剤や違法薬物、向精神薬に逃げるような弱い人間になったのは、両親がろくな教育をしてこなかったからだ。

 

こう考えるともう止まりません。留置場を出て家に帰ってから、母に思いっきり暴力を振るいます。

 

味わえ、味わえ、私が昔アンタにされてきた事をそのまま返してやるよ!

頬を引っ叩き、腕を持って家中を引きずり回し、家から出て行けと暴言を吐きました。

 

思い知れ、あの時の私がどれだけ痛い思いをしたか、苦しかったか思い知れ!

 

私が小さいころの母はとても大きく見えましたが、私が暴力を振るったときはとても小さく見えました。

 

 

でもどれだけ暴力を振るっても、私の心は晴れません。

 

 

 

刑務所へ行って向精神薬を断薬すると、頭がどんどんクリアになってきます。

 

母への恨みは消えないけれど、母がいなければ私はここに居なかった。存在しなかった。夫と出会うこともなかった。

 

だから産んでくれたことには心からの感謝を伝えたい。

 

 

父と母の間違った教育で私はおかしな方向へ進んだのは間違いない。

 

だけどそれに気付いても、両親のせいにして変わろうとしなかったのは結局自分。

 

だから今私が刑務所に居るのは、父のせいでも母のせいでもない、自分自身が招いた結果なんだ。

 

 

これも何度も書いていますが、私は立川拘置所と栃木刑務所で、親の責任と自分の責任を分ける作業を続けてきました。

 

「出所したら母にこのことをちゃんと言おう。今の私なら冷静に話ができるはずだから。」

 

 

出所してからしばらくは私と夫の間で依存症の理解度の差で問題が起きたり、色々なことがありました。

 

そして出所から半年後、役所から「お母様はガンで余命宣告されています。最後に会いませんか?」という手紙が来ます。

 

母は役所のお世話になって老人ホームに入所していたのです。

 

 

いざ会うとなると緊張と不安、そして今更母とどんな顔をして会えばいいのか…そんなことを考えながら、伝えたいことを紙に書いたり準備をしていた矢先です。

 

合うと決めていたのは木曜日でしたが、日曜日に役所から電話が掛かってきます。

スマホの画面の「区役所 ○○さん」という表示を見たときに、察しました。

 

母が亡くなったという知らせでした。

 

 

母との対面は2年ぶりでした。

棺に入っている母を見たら、とてもとても小さくなっていました。眠っているようでした。

 

本当に自分勝手だね、私の話を聞く前に死ぬなんて。

 

 

ホームに母の荷物を取りに行きます。職員の方から聞くところによると、少し認知症も始まっていたようです。

 

役所の担当の方が「娘さんに合いたいんじゃないですか?」と聞くと、「うぅん……まあねぇ…」くらいの返事だったそうですが、顔は笑っていたそうです。

 

 

荷物を整理していたら、私が赤ちゃんの時と幼稚園の時の写真が出てきました。

 

それを見て涙が止まりませんでした。

 

 

 

今の私だから思えることですが、きっと母も母なりに苦しんだのだと思います。

 

子育ての仕方が分からなかったんだと思います。

父が私を甘やかすから、自分が厳しくしないとと思っていたかもしれません。

母も虐待を受けて育ってきたから、私に同じことをしてしまったのでしょう。

 

 

このブログを読んでくださる毒親育ちの皆さん、いつか毒親を許せる日が来るかもしれません。

 

依存症者のご家族の皆さん、依存症者に良かれと思ってやっていることが、結果として依存症者を苦しめることがあるということを、頭の片隅に置いてもらえると嬉しいです。

 

 

 

もう一度書きますが、幼少期にろくな教育をしてこなかった母、掃除をせず食事も作らなかった母を恨んでいます。この思いはきっと消えることはないでしょう。

 

ですがもし今母に会えたとしたら、抱きしめて「産んでくれて本当にありがとう」と伝えたいです。