前回のブログでは依存症者が勘違いしがちなことを書きました。

 

 

今日は私の母について書きます。

これまでのブログに何回か登場していますが、詳しく書くのは今日が初めてです。

 

そのブログはこちらです↓

 

 

 

結論から言いますが、私は母のことが大嫌いです。

そして矛盾するかもしれませんが、産んでくれたことには心から感謝をしています。

 

嫌いよりも恨んでいる、という表現の方が正確かもしれません。

 

何で嫌いなの?恨んでいるの?と聞かれれば、ろくな育てかたをされなかったからと答えます。

 

 

私が実際に見てきた母を今日は書いていきます。

 

 

母は昭和20年北海道生まれ、生きていれば今年75歳です。

 

母は幼少期に教育という名の虐待を受けて育ってきました。

北海道の古い家には囲炉裏があり、そこに刺してある大きな火箸でしょっちゅう叩かれていたそうで、冬には火傷したこともあったそうです。

 

 

私の祖父は典型的な男尊女卑の考えを持つ人でした。きっと昔はそれが普通というか、当たり前の時代だったんですよね。

 

祖母にも当然暴力を振るっていたようです。

そんな家が嫌で20代前半で北海道を飛び出し、埼玉で生活するようになります。

 

 

母は水商売で生計を立てていました。

 

働いているお店に父がお客として来店したのがきっかけで、結婚し私が生まれます。

 

私が言うのもおかしいですが母は結構美人で、実年齢よりも若く見える母が自慢だった時期もあります。

 

 

父はギャンブルが大好きで、私が生まれるまではまともに働くことをしなかったそうです。

 

私の誕生とともに父は空調設備の会社で働くようになり、その後もずっと空調関係の仕事を続けます。その働きぶりはとても真面目なものでした。

 

 

 

昭和54年(1979年)に私が生まれます。

 

私は小さいころに母と過ごした記憶があまり無いです。

 


 

まず私が幼稚園年少のとき、母が結核に罹ります。


昔は不治の病とも言われていました。



幼稚園が終わると父方の親戚の家に預けられ、父の迎えを夜になるまで待ちます。


「よその家でお世話になっているからいい子にしなきゃ」と思っていたのはよく覚えています。

 

  

私が母のお見舞いに行くと白い給食着のようなものを着させられ、髪の毛を白い帽子の中に全て収め、マスクを着けて病室へ向かいます。

 

結核専用の病棟だったのかは分かりませんが、入院していたのは隔離病棟です。

 

木造で暗くてジメジメしていて……毎回給食着みたいな防護服を着て向かうのが本当に嫌でした。

 

 

今で言うコロナ病棟のような感じでしょうか。入室が厳しく制限されていました。

 

ベッドの周りにはビニールカーテンがされ、離れて会話しなくてはいけませんでした。

 

 


結核が完治して退院したかと思ったら、今度は原付バイクで交通事故を起こします。

 

乗用車と接触して吹っ飛ばされたと聞いています。


この頃は原付バイクにヘルメット着用の義務が無く、頭を強打した母は長期入院します。

 



完治して退院した母は働き始めます。

 

私が知っている限りで補正下着の販売、雀荘の店員、食品加工などの仕事をしていました。

 

 

子供心に、母の交友関係で不思議だなと思うことがいくつもありました。

 

そのうちの一つに、母がさとみさんと呼んでいる人の本名が、実はなおこさんだということを年賀状で知ります。そういう人が他に何人もいました。

 

今思えば母は水商売時代の源氏名で呼んでいたわけですが、子どもの私は「名前っていくつもあるんだ」と思っていました。

 

 

母が雀荘で働き始めたころ、私はこの雀荘とパチンコ屋にしょっちゅう連れて行かれます。

 

今では考えられませんが、当時のパチンコ屋には私のような子どもが結構居たのです。

 

 

私は定規を持って釘を見たりする子どもでした。それを店員側も咎めたりはしません。

 

母に「この台どう?」と聞かれて定規で見て、「これはまっすぐだよ」と教えたりするんです。

 

 

子どもに何てことをさせているんだと思いますよね。(笑)


出る台を教えると母が喜ぶから、機嫌が良くなるから、私は率先して台の釘を見ました。


 

もちろん私も母のお金で打ちます。馴染みのパチンコ屋だったので店員も見て見ぬふりです。

 

そして子どもは無欲ですから、適当に打っていると当たるんです。本当に不思議なんですけど。

 

 

 

小学校低学年から成長するにつれ、私の家って少しおかしいのかも?と思うことが多くなります。

 

 

私の母は料理と掃除を一切しない人でした。


父は職人なので朝5時半には家を出ますが、母は起きません。私の起床時間になっても起きません。


母を起こさないよう物音を立てず、レンジで出来合いのおかずとご飯を温め、一人で食べて学校に行きました。

 


学校では毎日掃除をする意味が分かりませんでした。自分の家は掃除なんて滅多にしないから。

 

同級生からはお母さんが朝ごはんを作って起こしてくれるという話を聞きます。

 

うちのお母さんってもしかして何もしない母親なんじゃないか……そう思い始めたのは小学校高学年です。

 

 

母はとても短気ですぐ怒りました。

私が何も悪いことをしていなくてもいつも怒っていました。

 

母を怒らせたくないので、常に母の顔色を窺う子どもになっていました。

 

 

高校のときにとうとう私が母にキレます。

いつも母が私を理不尽に怒ることを知っているけど、それを見ても何も言わない父の前で。

 

「何も悪いことをしてないのに何でいつもこんなに怒られなくちゃいけないの!?ふざけんな!何年間我慢すりゃいいんだよ!?」

 

父にありったけの気持ちをぶつけました。

 


 

今でも忘れない。父は私にこう言いました。

 

 

「症子を一人の大人として話をするよ。

お母さんが交通事故を起こして入院した時を覚えてるね?

お母さんは昔、料理も掃除もちゃんとする人だった。

でも頭を打ってから怒りっぽくなって、きつくなった。

お母さんは病気なんだ。だからお前が我慢しなさい。」

 

 

 

“お前が我慢しなさい”

 

 



あっそ。

これからもずーーーっと我慢しなくちゃいけないのね。

 



自分の存在がとても軽んじられたように感じました。



私には誰も味方がいないんだ、と思いました。

 

 

私の母 #2 に続きます。


前回のブログでは内掃工場の先生について書きました。

 

依存症者が勘違いしがちな考え方が、簡単で分かりやすい図になってツイートされていたのでご紹介します。

 

依存症者が信用を取り戻そうと思って行動しても、過去にやらかしたことが消えたり無くなることはありません。

 

私がブログでよく使う“踏まえて”という言葉は、この図のことを指します。

 

一番右側の図では「信用」が「やらかし」を少しだけ上回っていますが、こうなるには依存症者の相当な努力が必要です。

 

 

この図を参考にしながら私で例えていきます。

 

違法薬物や向精神薬で自分を見失った私は、夫にたくさんの嘘をつき、騙し、浮気をし、多額の借金を作り、散々裏切ってきました。

 

薬の飲みすぎて記憶が飛び、本当にそんなことを私がしたの?やったの?ということが多いのも実に質が悪いです。

 

夫からすると「あれだけ酷いことをしたのに覚えてないってどういうこと?」となります。

 

 

刑務所へ行ったことでそれが全てチャラになるかというと、全くそんなことはありません。

 

 

私が向精神薬や買い物、ギャンブルや自傷をやめられなかったことが、意志の強さとは関係のない依存症という病気だということを、夫は頭では理解しています。

 

だからといって夫が、「症子は依存症だからこうなっても仕方なかったよね」と簡単に受け入れることができるかは別問題です。

 

 

夫は出所後の私を見て、私が信用に足る人物かを“いつも”見極めていると思っています。

 

夫は私にこう言います。

 

・頑張りは認めるけど、過去にやったことに比べたらまだ全然足りない

・なにをすれば償いが完了するのか、いつそれが完了するのかはよく分からない

・少なくとも人に迷惑をかけるような行動やわがまま許されない

 

今の私の夫からの信用度は、出所後からコツコツと積み上げて図の真ん中から矢印(信用を回復)状態にまで行くことができました。

夫は、この図の一番右に行くことができるのか?またいつまでかかるのか?全く見当がつかないと言います。

 

日常生活を送る上で過去のやらかしを思い出すことはもうほとんどなくなってきたようです。

 

ですがふと立ち止まって考えたときに、過去のやらかしと信用を比較すると、まだまだ右の図には程遠いということを改めて認識するそうです。

 

 

何か一つでも大きなやらかしをすれば、夫はあっという間に離れていくでしょう。

 

 

回復に向かっている依存症者は、甘えたことを言っている場合ではないのです。

 

以前のブログにも書きましたが、

「依存症だからこうなるのは仕方ないよね」

「依存症だから○○を止められないのはしょうがないよね」

 

このように開き直っているようでは誰にも認めてもらえませんし、決して幸せになんてなれません。

 

依存症者ほど“他人に認めてもらいたい”と思う気持ちが強いです。

 

誰かに見てもらいたいなら、認めてもらいたいなら、自分を傷付けることで他人の目を引こうとせず、それなりの行動をすればいいのです。

 

 

図の天秤がどちらに傾くかは、あなたの行動次第なんです。

 

 

栃木刑務所で断薬し、出所後に夫と依存症の怖さについて話し合い、大喧嘩をしながらもお互いの気持ちや考え方を尊重し、今に至ります。

 

図のような考え方は依存症だけでなく、社会生活を送る上でもごく当たり前のことかと思います。

 

 

 

最後に、私が最近他人に見切りをつけたことを書いて終わりにします。

 

 

依存症とは全く関係のないある同好会の代表を私が務めているのですが、月に2回5~6人で集まりがあります。

 

同好会に所属するTさんという年上の女性がいて、この方とお付き合いするようになってかれこれ3年近くになりますが、今後彼女とは個人的な付き合いは一切しないという決断に至りました。

 

その理由を書いていきます。

 

 

同好会を立ち上げたころ、Tさんとはお互いの家に行き来して交流を深めていました。

ですが直感的に「あれ?」と思うことが増えていきます。

 

お互いの家にお邪魔するのに当然時間を決めますが、約束の時間5分前くらいに「仕事で間に合わず、依存さんにご迷惑になるので○時にしてください」という連絡をしてくることが何回か起こります。

 

私からすれば「は?何言ってんの?」で、私の迷惑になると思っているなら前もって連絡しろよ、と思うわけです。

 

Tさんは自分のミスを他人のせいにして、問題をすり替えるのが癖になっています。

恐らく本人は悪気なくやっていることだと思いますが、振り回されるこちらからすればたまったものではありません。

 

 

同好会の集まりにもあまり参加せず、1ヶ月前から休みの連絡をくれたりすることもあれば、同好会が始まってからしばらくして「急な仕事が入ったので休みます」というラインが来たり……。

 

いや、それ前から分かってるよね?と突っ込みたくなります。

 

 

多数が参加している同好会で、Tさんが来ると思っているから場所を空けたりしているので、休みは早めに連絡をくださいとやんわり伝えます。

 

ですが直るのは始めのうちだけで、そのうち元に戻ります(笑)

 

自分勝手で全体を見ようとせず、こちらの想いや行動に考えが至らない人なんだ、という見切りをつけました。

 

 

これも天秤で例えることができますが、Tさんが今後どんな名誉挽回をしても、こちらの大切な時間を軽んじるような人とは私はお付き合いする気は全くありません。

 

 

過去のやらかしが簡単に消えるものではないということを、その大きさは違えど、自分もされる側の立場になって改めて認識できたのです。

 

 

そのきっかけをくれたTさんに感謝します。

 

 

前回のブログでは依存症子が一対一でお話を聞きますということと、アメブロを始めて半年が経過して感じたことを書きました。

 

今後も皆さんのお話を聞くことは続けていきたいと思っています。

 

いつでも構いませんのでコメント欄からお知らせください。

 

 

 

内掃工場は基本5人で、日によっては他の工場の受刑者がお手伝いに来ることがあります。

 

5人の内訳は日本人2人、アメリカ人1人、中国人1人、フィリピン人1人です。

 

 

内掃工場に転業してから中国人と同じ居室になりましたが、とても日本語が上手な方でした。

 

お花や植物に詳しくて、バラの剪定方法や植え方、球根の見分け方、腐葉土の作り方などを丁寧に教えてくれました。

 

 

彼女から担当の先生がとても優しい先生だという話を聞きます。

 

 

刑務所のそれぞれの工場には担当の職員がおり、女子刑務所では「先生」、刑務所では「おやじ」などと呼ばれているようです。

 

刑務所に行ったことがない方には全く分からないと思いますので、学校の担任の先生をイメージしてください。

 

 

担当にも良し悪しがあるようで、どこの工場の先生は性格が悪いとか、厳しいとか、そういう話は立川拘置所のころから他の受刑者に聞いていました。

 

これは内掃工場で作業をしているから見えてきたことですが、職員も入省や年齢が近いもの同士が仲良く話をすることが多いです。

 

 

内掃工場の先生は、先輩からも後輩からもとても慕われているように見えました。

 

他の先生から好かれている先生は、受刑者からも好かれていたように思います。

 

 

刑務作業中は基本的に講談禁止ですが、洗濯工場や炊場、内掃工場は動き回る作業なのでそうはいきません。

 

特に内掃では「○○の掃除は終わっているので○○の方をお願いします」ということが頻繁に起きるので、会話をしなければ作業になりません。

 

 

他の工場では「講談お願いします」と申し出てから会話をします。

 

もちろん内掃工場も例外ではないのですが、講談に関しては少し緩かったように思います。

 

 

 

内掃担当の先生とは色々な話をさせていただきました。

 

私はこの先生が担当で、本当に本当に良かったと思っています。

 

 

そう思ったエピソードはいくつもあるのですが、今後のブログにも少しずつ書いていければと思います。

 

 

私が1人で面会室の手前にあるバラの剪定をしていたときのお話です。

 

「経理工場の受刑者はとても仕事ができますね、何で刑務所に来てしまったんだろうって不思議になるくらいです」と私が先生に話しかけました。

 

「本当にみんな頑張ってくれているよね、こっちも(刑務所側も)助かってるんだよ。」

 

刑務所も高齢化がどんどん進んでいます。

刑務官の指示通りに動けて、体力仕事のできる受刑者がとても少なくなっています。

 

 

そのあと、先生はぽつんとこう言いました。

 

「その頑張りを、外に出たら忘れちゃう人が多いんだけどね……」

 

 

 

この言葉を聞いたとき、先生の葛藤が見えたような気がしました。

 

 

先生たちは日々、受刑者の更生を願って職務に当たっていると思います。

 

受刑者たちが一生懸命努力する姿を、自分の目で見ています。

 

二度とここに戻らないように、心からそう願っていると思うのです。

 

だけど現実は……。

以前送り出した受刑者に刑務所でまた再会する。

 

 

 

現実と戦っているのは私たち受刑者だけでなく、先生もなんだ。

 

 

そんなふうに思ってすぐに言葉が出てこなかったのを、とても良く覚えています。

 

 

 

 

私はこの先生にとてもお世話になりました。

 

先生と二度と会わないことが先生への最大の恩返しだと、出所後からしばらくはそう思っていました。

 

 

私の人生目標は“法務省で(女子刑務所で)受刑者に向けて講話をすること”ですが、

 

目標に到達したときに、もしかしたら先生とお会いできるんじゃないか……

 

もしお会いできたら、心からの感謝の意を伝えたい。

 

 

 

最近の依存症子は、そんなことを考えています。

 

 

前回のブログでは依存症における『連鎖』について、私が思っていることを書きました。

 

 

このブログを書き始めて半年が経過しました。

 

以前のブログにも書きましたが、私の人生目標は法務省で講話をすることです。

 

そのブログはこちらです↓

 

・昔の自分のように薬物、処方薬、ギャンブル、窃盗、自傷を止められない人の助けになりたい

・元受刑者や現受刑者の生きる勇気に、道しるべになりたい

・元受刑者や現受刑者のご家族の力になりたい

 

上記のような強い想いから覚悟を持ってブログを始めました。

 

それは今も変わることはありません。

 

 

アメブロの自己紹介欄にも書いてありますが、私は相互フォローは一切していません。

 

相互フォロー目当てでフォローをされても、ブログの中身を深く読んでもらえなければ意味がないからです。

 

アメブロは何のデバイスからアクセスされたのか分かります。

 

半年間の間に何のデバイスからアクセスされたのか、リンク先はどこなのかを観察してきましたが、ガラケーからのアクセスが多いことにとても驚いています。

 

 

ガラケーを持っている=高齢者、という決めつけは良くないかもしれませんが、依存症者の親御さんがこのブログを読んでくれているのだと勝手に解釈しています。

 

私の母の世代が、私くらいの年齢の子どもの依存行動で困っているという現実を、依存症者の家族会で知ったからです。

 

 

 

・アルコール依存症の方で、「自分はシャブ中じゃない、犯罪者と一緒にするな」

 

・子どものギャンブル依存で困っている親御さんで、「うちの子の依存症と窃盗や薬物の依存症と一緒にしないで」

 

上記のように考えている方もいらっしゃるかも知れませんが、依存しているものが違うだけでどれも依存症という病気に変わりありません。

 

 

私のように処方薬、薬物、ギャンブル、自傷、窃盗と重なっている依存症者も実際に多いです。

 

 

 

私は現在も依存症で回復中ですが、出所後スリップは一度もありません。

 

法務省で受刑者に講話をするという人生目標に向かって、自分にできることを考え、行動するということを続けています。

 

このブログはその手段の一つで、読んでくださる皆さんの何らかのヒントになればと思っています。

 

 

・どうやったら依存症子みたいに回復できるの?

・刑務所を出所したけどくじけてしまいそう……

・自分の家族の依存症行動を何とかしたい

 

家族会に2回参加して思ったことですが、このように考えていても実際にどうすればいいのか分からない、誰にも相談できないという方が多いと感じました。

 

 

初の試みですが、依存症子が一対一で悩みやお話を聞きます。

 

メール、LINE、zoom、Skypeで対応しますが、その他ご希望があればそれに沿えるようにします。

 

本名を名乗る必要はないですし、仮名で構いません。

 

 

ご希望される方がいらっしゃいましたら、コメント欄からお知らせください。

 

 

前回のブログでは依存症者のご家族のお話を聞く機会があり、実際の依存症者である私が思ったことを書きました。

 

 

今日は『連鎖』について書いていきたいと思います。

 

アルコール依存症の元で育つ子どもがアルコール依存症になってしまう、という連鎖は依存症の世界ではとてもポピュラーです。

 

子供のころにアルコール依存症の父親に暴力を振るわれ、「こんな親に絶対になるもんか!!」と思ったにもかかわらず、自分も同じくアルコール依存症になってしまうというパターンがとても多いです。

 

 

上記のようなパターンであれば父親がとても憎いはずです。嫌いなはずです。

なのになぜ、嫌いだったはずの父親と同じ道を歩んでしまうのでしょうか。

 

 

このような連鎖は依存症の中だけではなく、生活の中の様々なところで起きていると私は考えています。良くも悪くも。

 

 

私の生育環境で例えていきます。

 

父は私が24歳のときに亡くなっています。

父はTHE昭和!という感じの人で、女は結婚して家庭に入るのだから大学など行く必要はないという考えでした。

 

そのかわり食事の作法やお箸の持ち方、歯並びなどは徹底的に直されました。

 

小学校低学年から矯正を始め、私がちゃんと嫁げるように外見的な美しさや所作、最低限のマナーを叩き込んだのです。

 

これは父が「歯並びがきれいな女性は笑顔が可愛い」、「食事の食べ方がきれいな女性は美しい」、「箸の持ち方が正しいと食材をちゃんとつまむことができ、結果きれいな食べ方になる」という考えを持っていたからです。

 

 

この父の考え方は私に連鎖しており(踏襲と言った方が正しいかも知れません)、くちゃくちゃ音を立てて物を食べる人とはあまり一緒に食事をしたくありません。

 

以前Twitterで呟いたことがありますが、ある程度の地位にいるにも関わらず歯がなかったり、虫歯だらけの人は絶対に信用しません。

 

矯正をさせてくれたこと、食事の所作をしっかり教えてくれたことに関しては本当に両親に感謝しています。

 

 

父も母もヘビースモーカー、ギャンブルが大好きで小学生の私をパチンコ屋に連れて行き、釘を見るということをやらされてきました。

 

これも以前のブログに書きましたが、子どもをパチンコ屋に連れて行くなど今では絶対にあり得ませんし、「なんて親だ!」と思うのが普通だと思います。

 

子供心に「パチンコ屋はたばこ臭いしうるさくていやだ、大人になったら絶対にこんな所に来るもんか!」と思いました。

 

 

ですが大人になった私は、チェーンスモーカーになりギャンブル依存症になりました。

 

 

両親のギャンブル依存症が“原因”で私がギャンブル依存症になったわけではなく、あくまでも“要因”の一つであったと考えています。

 

 

私の祖父は母を相当厳しく躾けたと聞いています。厳しく躾けられた母は、同じように私を厳しく躾けます。

 

私は昔の「躾」と「虐待」は紙一重だと思っていて、遡って行けば祖父も曽祖父に「躾」という名の虐待を受けていたと推測しています。

 

 

これは虐待の連鎖ではなく、虐待をするような“環境の連鎖”が起きているのだと思います。

 

 

 

刑務所は家庭環境が複雑な人が多いですが、受刑者本人もシングルマザーだったりします。

 

親の不仲や不倫で悩んだことがあるのに、そんな姿が嫌だったはずなのに、自分も同じような家庭をつくってしまう人がいます。

 

 

生育環境は本当に大切です。

環境がおかしなものであれば、その人の将来もおかしくなる「可能性」が大きくなります。

 

親は選べません。

おかしな環境から脱するには、自分で気付いて自分を修正していく必要があります。

 

 

 

両親の依存症が連鎖したのではなく、その環境が依存症という連鎖を生んでしまうのです。

 

 

連鎖を断ち切るには、自分を理解するしかありません。

 

自分を理解しないと修正など出来ないからです。

 

何が間違っているのか、おかしいのか、それを知らないと直しようがないからです。

 

 

どうすればいいの!?と第三者に問題を丸投げせず、

自分がどうなりたいかを明確にすれば、修正する点が自然と見えてきます。

 

 

 

私が刑務所に服役して思ったのは、こういった連鎖が本当に多いということです。

 

その連鎖に気付かず、何も考えることなく出所してしまった人は

 

その後の生活も苦しいものになるのではないかと思います。

 

 

前回のブログでは、盆栽を始めるようになったのは刑務所で植物のお世話をしたことがきっかけで、土や植物に触れるのは精神的にとても良いことを書きました。

 

昨日Twitterでつぶやきましたが、依存症者のご家族の話を聞く機会がありました。

 

依存症者のご家族がどんなことに悩んでいるかを実際に聞いて、依存症者である私がどう思ったかを書いていきます。

 

 

このブログを読んでくださる依存症者のご家族の皆さん、あなたの大切な人は自分が依存症であると気付いていますか?

 

昨日のお話を聞いてまず思ったのは、依存症者本人が“自分が依存症だと理解していない”場合が多いということです。

 

 

本人が破滅的な行動をしていることを自覚し、なんで私は(俺は)こうなってしまったんだ……と気付くことが、依存症治療の入り口です。

 

自分が依存症だと理解しないと、自ら変わろうと意識しないと、依存症専門の病院や自助グループに繋がろうとは思いませんよね。

 

ご家族がいくら口で「あなたは依存症という病気なの、だから一緒に病院へ行きましょう」と伝えても、本人は病気だと認めないでしょう。

 

 

なぜなら依存症者本人が、その依存行動で困っていないからです。

 

 

依存行動で困っているのは、この時点ではご家族です。例としていくつか挙げます。

 

依存症者から暴力を振るわれる

警察沙汰になる

依存症者からお金の無心をされる

ご家族の生活がままならなくなる

 

 

上記のようなことが起こり始め、ご家族としては何とか依存症者を立ち直らせたい!という思いと、近所や世間の目を気にして尻拭いをしてしまいます。

 

尻拭いの例をいくつか挙げます。

 

借金の肩代わりをする

暴力を受けても警察へ通報せずに隠す

生活費を出し続ける

食事・洗濯・掃除など身の回りの世話を焼きすぎる

依存症者の言いなりになる

 

 

私自身、上記のことは全部経験しました。そして母や夫に全て尻拭いをさせてきました。

 

 

母が言うことを聞かずにお金を出さなければ、「私がこうなったのはお前の育て方が悪かったからだよね?」と開き直り、暴力を振るいます。

 

自分の娘がなぜこうなってしまったのか……自責感から母は私の無理難題を聞いてしまいます。

 

 

家族に尻拭いをさせているから、自分に責任が降りかかってくることはありません。

 

自分で責任を取らなくていいから、好き勝手に借金しギャンブルにのめり込み、薬に溺れ窃盗をすることができました。

 

 

母と夫が尻拭いをしてくれたお陰で、私は安心して薬やギャンブル、窃盗に依存できたのです。

 

逆に言えば母と夫が一切の尻拭いをやめたら、私は刑務所に行かずに済んだ「かも」知れません。

 

 

依存症治療の入り口は、依存症者に自分が依存症だと気付かせることです。

 

じゃあどうやって本人に依存症だと自覚させるの?とご家族は考えると思います。

昨日の家族会でもそのような質問をされている方がいらっしゃいました。

 

 

私自身の経験を踏まえ、とても厳しいことを言いますが、

 

依存症者の尻拭いを一切しないでください。

 

 

依存対象が何なのかにもよりますが、ご家族も相当の覚悟を持って依存症に向き合わなくてはいけません。

 

 

あなたの大切な息子・娘・夫・妻が警察に突き出されることも覚悟してください。

仕事も解雇されるかも知れません。

依存症者本人が自己破産する可能性もあります。

自宅に借金取りが来ても、毅然とした態度で警察を呼んでください。

 

 

ご家族からすれば世間体を気にしたり、依存症者の今後の仕事など心配なことは山ほどあると思いますが、

 

“そんな目先のこと”を気にして問題を先送りしているようでは、これから先の依存症者の人生が本当に終わってしまいます。

 

 

私がご家族に強くお伝えしたいのは、

 

ご家族が尻拭いを続ける限り、依存症は絶対に回復しないということです。

 

むしろ悪化する一方でしょう。

 

 

刑務所は覚せい剤や窃盗、飲酒運転で人身事故を起こし服役している人がたくさんいます。

 

何度も刑務所へ行く人のことを累犯と呼びますが、累犯ほど手紙や面会が頻繁です。

 

受刑者を家族や友人が甘やかし、本人自ら反省も依存症の治療もしないから、多くの人がまた刑務所へ戻ってしまうのが現実です。

 

 

ご家族のお話を聞いた日の夜、夫と話し合いの場を設けました。

 

依存症者のご家族がこういうことで悩んでいる、困っているという話をして、あなただったらご家族にどういうアドバイスをする?と聞いてみました。

 

 

夫は以下のように答えてくれました。

 

・依存症者を突き放し縁を切る覚悟を持つ

・依存症者を残して家を出て、物理的に距離を取る

・自分のことを大切にする

・「自分が何とかしよう」という責任感は素晴らしいが、依存症者にとっては逆効果

・「ある意味」見捨てることが必要で、完全に見捨てるわけではない

・本人が自主的に自分を変えようと思って動き始めたときにサポートが必要になるから、そうなるまで見捨てる

・物理的な距離を置くことで依存症者に「自分のやったことがどういう結果を招くのか」を理解させる

・家族が尻拭いをすることで、依存症者が「失敗してやり直す」という経験を奪ってしまう

 

 

 

私の依存行動が激しくなりどうにもならなくなったころ、実際に夫は以下のような行動を取っています。

 

夫は私をとことん突き放し、刑務所へ行かせました。

 

裁判で情状証人になるべきところも断固として拒否し、傍聴にさえ来てくれませんでした。

 

拘置所、刑務所と一度も面会に来ることはありませんでした。

 

 

夫が辛抱強い愛情を注いでくれたから、忍耐強い愛情を持って私に接してくれたから、私は一人で立ち上がって自分の足で歩くことができています。

 

もしあのとき、夫が甘い優しさで「症子の帰りを待っているよ、いつまでも傍にいるよ、俺が助けてあげるよ」と言っていたとしたら?

 

考えただけでも恐ろしいです……。

 

 

私が逮捕され刑務所へ行くことで、夫は職場を変えることになりました。

 

夫も相当な覚悟を持って私と向き合ったのです。

 

夫が犠牲にしてきたものが理解できるから、真剣に向き合ってくれたのが分かるから、私もそれに心から応えたいと思うのです。

 

 

 

依存症者のご家族の皆さん、あなたの大切な人を依存症から回復させるには、相当な覚悟が必要です。

 

ご家族の覚悟は必ず依存症者に伝わります。

 

一時の尻拭いをして切り抜けるのは、問題を先送りしただけです。

 

 

このブログがご家族の覚悟を後押しできるものになることを、切に願います。

 

前回のブログでは内掃工場の作業内容と、刑務所は窪んだ土地に建っているので中から見ると塀がとても高いことを書きました。

 

 

今の私には趣味がいくつかあり、そのうちの一つに盆栽があります。

そして多少の無理をしても、玄関には必ず生花を飾るようにしています。

 

盆栽は出所後から細々と続けていて、生花を飾るようになったのは去年の秋からです。

 

今現在私がスリップすることなく日々前向きに過ごすことができているのは、盆栽や植物のおかげです。

 

今日はその理由を書いていければと思います。

 

 

私は元々植物にあまり興味がありませんでした。

 

夜の仕事をしているときは、毎年誕生日にたくさんのバラや胡蝶蘭をいただきました。

そのお花をすべて自宅に持って帰りますが、どれも数日で見事に枯らすほどでした。

 

特に依存行動が激しかった15年前から栃木刑務所に服役するまでは、植物とは無縁の生活を送ります。

 

 

内掃工場に配役されてから植物のお世話が仕事になります。

 

栃木刑務所にはたくさんの花や植物が植えられています。

種や球根を植え、お水をあげたり剪定をするのは内掃工場の作業です。

 

 

このブログを読んでくださる方の中には元受刑者もいると思いますが、ほとんどの方が刑務所とは無縁の生活を送っているでしょう。

 

普通の人には、刑務所の生活は全く想像できないと思います。

 

何も変化のない日々

楽しみのない毎日

好きな時間に好きなことができない

 

刑務所では上記のことが当たり前です。

 

自分が罪を犯して刑務所へ来たのです。当然の報いです。

 

 

私は立川拘置所から必死に依存症の勉強をし、二度とこんな所へ戻ってくるもんかと心に誓い、ひたすら夫に依存症という病気を伝え続けてきました。

 

何度も何度も信田さよ子さんの本の抜粋をし、自分が依存症で治療が必要なことを訴えてきました。

 

向精神薬の大量服用で記憶がなく、「覚えていないから私がどんなことをしたか教えてほしい、本当にごめんなさい」と手紙に書くと、

 

夫からは「覚えてないと言えば済むと思っているのか」という同じ返信が毎回続きます。

 

 

夫との手紙のやり取りに、私は疲弊していました。

 

私は前向きに出所後の依存症の治療を提案しているのに、夫はいつまでも“昔の私を責め続けて”いたからです。

 

 

このままじゃ埒が明かない。お互いが向いている方向が違いすぎる……。

 

 

私は諦めが悪い方なので、自分の想いはいつか必ず夫に伝わると信じていました。

ですが栃木刑務所に入所したころ、その想いは折れかかっていました。

 

夫はこのまま永遠に依存症を理解してくれないかも知れない……。

 

理解しようという気のない夫に、何度も何度も依存症の本の内容を抜粋している自分がバカらしくなりました。

 

 

今までの人生でこんなに真剣に自分を見つめた事なんてないのに、

これからのことを考えて依存症を治療したいって言ってるのに、

こんなに手紙を書いても伝わらないんじゃ、伝えることを諦めた方がラクかもね。

 

 

そんなふうに投げやりな気持ちになっているころ、植物のお世話を内掃工場で始めるようになります。

 

食堂への通路横に、ヒマワリの種を植えました。

あっという間に芽が出て、どんどん背丈が大きくなります。

 

「あれ…?私が今悩んでいることって、もしかしたらとても小さなことなのかも知れない」

 

土に触れ、種を植え、水をあげ、成長する植物を毎日観察していたら、

 

自分が悩んでいることは“私の長い人生のほんの一部”だということに気付いたのです。

 

 

刑務所という毎日の変化がない閉ざされた場所だからこそ、植物の力強さを大きく感じられたのだと思います。

 

 

出所しても植物を育てることを続けよう。

そうすれば自分の悩みが小さく感じられるはず!

 

 

依存行動に走っていたころは全く目に入ってこなかった植物。

 

今日はその植物に栃木刑務所で出会って、助けられたというお話です。

 

 

私はこれからも盆栽を続けていきます。

 

前回のブログでは、内掃工場の受刑者と2畳半の居室で生活が始まったことを書きました。

 

 

改めて説明しますが、内掃工場は5~6人の少人数で、刑務所中の掃除や雑用をする工場です。

 

美容師の職業訓練や、刑務所の外の介護施設で作業をする受刑者がたまにお手伝いに来てくれることがあります。

 

 

どんな作業をするかがノートに書いてありました。これは2016年6月に書いたものです。

 

 

余談ですが、刑務所ではノートの使い方についても厳しい決まりがあり、行を空けてはいけません。

 

見やすくするために本当は一行空けたいんですが、立川拘置所と栃木刑務所ではそれができませんでした。

 

 

下の方には認知行動療法について書いてありますね。

このころの私はかなり真面目に依存症のことを調べたり、勉強をしていました。

 

 

 

曜日によって掃除の内容や場所が違いますが、この中で一番きつかった作業は“蜘蛛の巣”です。

 

 

栃木刑務所はとても広く、居室から工場、食堂、医務を行き来する通路があります。

 

通路には雨除けがあり、受刑者は濡れることなく居室から工場まで歩いていくことができます。

 

通路の上には電気の配線がびっしりと張り巡らされているのですが、そこに蜘蛛が巣を作ります。

 

 

刑務所中にある蜘蛛の巣を、ゴーグルを着けて長い箒で取っていくのですが、ずっと上を向きっぱなしの作業なので首が痛くなります。

 

頑張って取り去っても次の日にはまた巣が出来るので、作業の達成感はほとんどありません。

 

 

みなさん小さい蜘蛛を想像しているかもしれませんが…これが結構大きくて気持ち悪いんです…。

 

私が栃木刑務所で見た最大の蜘蛛は拳大くらい。

 

巨大蜘蛛が繁殖すると刑務所中がもっと蜘蛛だらけになるので、見つけたらその場で殺さなくてはいけません。あれは本当に嫌でした。

 

 

刑務所の中の色んなところで鳩が糞をしていきますが、その糞を掃除したり、刑務所中の窓という窓を拭くのも内掃です。

 

 

 

午後には必ず残飯処理があります。

 

炊場が料理を作る工場の隣に残飯小屋があり、食材が入っていた段ボールや袋、刑務所中の残った残飯が全てこの小屋の中に捨てられます。

 

その残飯が入った大きなゴミ袋を、刑務所の一番端にあるコンテナにリヤカーで捨てに行きます。

 

 

これもかなりきつい作業で、残飯が超重たいのはもちろん、袋が破れて中の液体が体にや顔にかかることがあります。

 

夏場の残飯はとても臭く、それが破れていたりするときは、適切に処理してくれなかった衛生係に怒りが向くほどでした。

 

 

 

ノートを見て分かるように、本当に色々なところへ行ったり入ることができました。

 

その中でも、自分が刑務所の中に居るという現実を突きつけられた場所があります。

 

 

それは“塀のすぐそば”です。

 

 

刈払い機を使い刑務所の中の草刈りをやるというのは以前のブログに書かせていただきましたが、そのときに塀のすぐそばまで行くことができます。

 

その時のブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12631847239.html

 

 

 

テレビなどで刑務所や拘置所の外観が映るときがありますが、それを見て「意外と塀が低いな」と思ったことはありませんか?

 

 

実は外より低い所に刑務所は建っているのです。窪地に建っているイメージですね。

 

 

なので中から塀を見ると、本当に物凄く高いのです……。

 

 

外から見るのとは雲泥の違いです。

刑務所の中からあの壁を見て、飛び越えられると思う人は絶対に居ないでしょう。

 

 

あの塀を目の当たりにしたとき、本当に世間から隔絶された場所に居るんだということを実感しました。

 

 

 

刑務所の中にはたくさんの植物が植えてありますが、内掃が種を植えたりお水を上げたり、花が咲くように一生懸命お世話をします。

 

 

私が立川拘置所から移送され栃木刑務に入所した日、中庭に黄色いバラが咲いていたのをとても良く覚えています。

「あのバラに触ることはできないけど、刑務所の中でもこうして花を愛でることはできるんだ…」

 

 

これから刑務所で受刑生活を送る、それは決して明るい気持ちになるものではありません。

 

これから先の受刑生活がとても不安……。

暗い気持ちで栃木に来たわけですが、その黄色いバラを見て心が少し明るくなったのです。

 

 

そして私は運よく、そのバラや植物のお世話ができる内掃工場に配役されました。

 

 

 

次回のブログでは、私が実際に刑務所で実践して気付いた“土に触れることの大切さ”を書いていこうと思います。

 

前回のブログでは類は友を呼ぶことの恐ろしさと、私のモノの見方について書きました。

 

 

内掃に転業すると同時に居室も変わります。

経理工場が多く生活するのは5寮です。美容と外国人は2階で生活しています。

 

5寮1階は雑居が1部屋しかなく、洗濯工場に居たときはこの雑居で生活していました。

 

その他は基本2人部屋です。

 

この5寮には他の工場の1類1種の受刑者が生活していて、彼女たちは2人部屋に1人で生活できます。

 

刑務所の類と種について:

種が上がれば電話面会や刑務官の立会い無しで面会できます。

類が上がれば月に面会できる回数と手紙の発信数が増えたり、お菓子を購入できます。

 

1類1種になれる受刑者は本当にごく少数で、無期懲役や長い刑期の受刑者が多いです。

1類1種は懲罰を受けることなく真面目に務めている証拠です。

 

 

先ほどから書いているこの2人部屋、たった2畳半程度の広さしかありません。

 

2畳半に2人で生活するのはとても息苦しく感じました。

 

就寝時はシングルの布団を2つ敷きますが、狭いのでお互いの布団が重なってしまいます。

寝返りを打つとすぐ隣に同室の受刑者の顔がある、という感じです。

 

 

栃木刑務所に入所してしばらく経ってから知ったことですが、他の一般工場の雑居だと陰湿ないじめや露骨な嫌がらせのようなものもあったようです。

 

気に食わない受刑者を懲罰にさせたり、そろそろ仮釈放だと分かると「そうはさせまい」とその受刑者が懲罰になるようにけしかけたり……まぁとにかく人間関係が面倒くさそうでした。

 

 

刑務所へ行ったことのない人がほとんどだと思いますので、ここで懲罰について触れておきます。

 

刑務所用語でよく聞く「懲罰」ですが、自分が悪いことをしていなくても(ルールを守っていても)懲罰になるときはなります。

 

どういうこと?という方のために私の経験を書いていきます。

 

内掃工場は刑務所中のお掃除をする工場なので、箒やモップ等の細くて長いものをよく使います。長いものを扱うときは周囲に人がいないか、注意しながら動かなくてはなりません。

 

内掃工場にSさんという行動が遅い人がいました。(日本人です)

 

私がモップで廊下を拭いていたのですが、Sさんが急にモップにぶつかってきました。

その後私が厳重注意をされるという何とも理不尽な出来事がありました。

 

もしSさんが怪我をしていたら私が懲罰になっていたでしょう。

 

自分が真面目に作業に取り組んでいても、足を引っ張る人がいれば懲罰になってしまうのが刑務所と言う場所です。

 

 

私は5寮1階の2人部屋で、日本語がとても上手な中国人のTさんと生活をするようになります。

 

 

 

私が洗濯工場にいたとき、とても親切に刑務所のことを教えてくれたMさんのことを書いて今日は終わりにします。

 

Mさんは覚せい剤の営利で受刑していました。いわゆる売人ですね。

懲役5年以上で、今回の受刑が何回目だったか忘れてしまいましたが、少なくとも3回以上だったと思います。

 

付き合っている男性Xに売人をさせられていたという話でした。

Mさんには戸籍上夫がいますが、おそらくこの夫はXが用意したダミーです。

 

私がそろそろ仮釈放になるということが、工場が違うのになぜかMさんに知れます。

 

朝の洗顔のときに、「出所したらXに電話して私は東京オリンピックまでに出るからと伝えてほしい」と頼まれます。

 

懲罰になる可能性があったものの、Mさんから色々教えてもらったことで助かったことがいくつもあったので引き受けることにしました。

 

歯磨きと洗顔のときに電話番号が書いてあるちり紙を受け取り、居室に戻ってノートに書き写します。

 

ノートはもちろん刑務官が検査します。

電話番号や名前は消すように指示されるのですが、数字を誤魔化し文字に変えノート検査をかいくぐります。

 

仮釈放後少ししてから、その電話番号に番号通知ありで電話をします。

 

ですが出ません。鳴るけど出ません。

何日か電話をかけ続けました。けど出ません。

 

 

伝言メモになったときがあったのでメッセージを残します。

「栃木刑務所でMさんと一緒だった依存と申します。Mさんから伝言で東京オリンピックまでには出るから待っててとのことです。」

 

その後も何回かXに電話をしましたが、出ることはありませんでした。

 

 

私はMさんはXに利用されていたのだと思います。

Xはその筋の人間です。売人を失えばまた新たな売人になりそうな女を見つけるでしょう。

 

私は過去にヤクザの愛人をやっていたことがあります。

その舎弟や兄弟分が刑務所に収監中、どの女がこうだ、あの女がこうだ、あっちの女はどうなってる、という話を嫌というほど聞いていました。

 

内妻は基本1人ですが、その内妻が仮に待てないとなったときの“保険の女”を常に見繕っておくのがヤクザです。

 

 

懲罰がなく真面目に務めていれば、Mさんは今ごろ出所しているでしょう。

 

他人のことだし余計なお世話ですが、MさんにはXとは手を切ってもっと素敵な男性を探してほしいなと心から思います。

 

前回のブログでは栃木刑務所の運動会に参加したこと、立川拘置所では矯正指導日と呼ばれていた勉強の日が、栃木刑務所ではSAという自主性を重んじる教育に変化したことを書きました。

 

 

今日は私のモノの見方や考え方について書いていきます。

 

「男運がなくて~」という人がいたとします。

私からすればあなたの見る目が無かったのです。

あなたとその男性が似た者同士だから、その男性とくっついたということです。

 

 

類は友を呼ぶという言葉があります。

私が今現在、実際にお会いしたり話をする人にはネガティブな人は一人もいません。

目標に向かって進んでいる人、何かに挑戦している人ばかりです。

 

では刑務所に行く前、依存行動が激しいころはどうだったでしょう?

あのころの私の周りには、同じ薬物依存症やギャンブル依存症の人、昼夜逆転の生活を送る人、いつも死にたいとかネガティブなことを言う人“しか”いませんでした。

 

そして怖いのは、気付かないうちにそういう人たちに“自ら近付いていた”ということです。

 

以前ブログに書きましたが、ネガティブも怒りも他人に伝染するんです。しかも物凄い勢いで。

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12627352995.html

 

 

 

これからの人生を良くしたい!前向きに生きたい!と思ったなら、そういうネガティブな人とは距離を置いた方がいいです。

 

あなたの人生に決していい影響を与えないのだから。

 

 

最近はファッションメンヘラなるものが存在します。

 

メンヘラとはメンタルヘルスの略で、心に問題を抱えている人を近年ではそう呼ぶようになりました。

 

ファッションメンヘラとは、実際は精神的病気でも何でもないのに、自己表現やアピールのためにメンヘラを装う人のことを指します。

 

Twitterの自己紹介の欄に、医師から正式な診断を受けたわけではないのに精神疾患をびっしり書く人がそれです。

 

それは依存症界隈でも同じことが起きていて、「私は依存症なの、かわいそうでしょ」と依存症を装う人がいます。

 

死にたいと発言したり、精神疾患を装って人の目や関心を集めたい人は悲しいですが一定数存在します。

 

言い方を変えれば、「死にたい」と発言して誰かに止められることで、自分の存在を確かめているのです。

 

そういうことでしか自分の存在を確かめられない人もいるのです。

 

私は善人ではないのではっきり言いますが、「死ぬ」や「死にたい」は最大の脅し文句だと思っています。

 

 

ファッションなのか本気で苦しんでいる人なのか、ネットでは見分けるのが非常に難しいです。

 

難しいですが、その人の言っていることに一貫性があるか、行動が伴っているか、どのようなことに葛藤しているのか、深く見ていけばある程度見分けられると私は思っています。

 

 

 

生きるということは、自分という木を生涯かけて育て、大雨や台風でも倒れることのない“大木”にしていくことです。

 

生きているんです。時には枝が折れたり、弱ったり、地盤が緩むこともあるでしょう。

 

ですが強固な根を深く張れば、ちょっとやそっとの出来事では倒れることも枯れることもありません。

 

普段から観察していれば病気になっても早期に対処できます。

 

 

自分が芯をしっかり持っていなければ、おかしな人たちに感化され、いずれ堕落します。

 

 

そしてそのおかしな人たちに自分の貴重な時間を割くことほど、無駄なことはありません。

 

 

傷の舐め合いや足の引っ張り合いをしていても何も始まらないし、むしろ後退するだけです。

 

 

本当の“支援”は傷の舐め合いではないですから。

 

 

 

9月20日に受けた資格試験に無事合格できたことを、この場を借りて報告させていただきます。