前回のブログでは内掃工場に転業したことと、内掃工場の作業内容について書きました。

 

 

内掃工場に(以下内掃)転業したのは2016年6月9日ですが、翌日には矯正指導日と運動会がありました。

 

立川拘置所では矯正指導日と呼んでいた月2回の勉強の日ですが、栃木刑務所ではSAと呼び名が変わります。(SAとはself advancementの略で直訳すると自己進歩です。)

 

 

矯正指導日では毎回テーマがありそれについて自分の考えを書くというものでしたが、SAはこれといったテーマはありませんでした。

栃木では自分で問題提起をして自分で解決策を考える、自分で答えを出すというような自主性が高めな指導日だったかなと思います。

 

なのでSAは更生意欲がない人はとことん何もやりません。ずっとぼーっとしている人もいます。

 

 

例えるなら、依存症のグループミーティングに参加する“だけ”では本人に何の変化も起こりませんよね。

自らが変わろう!と意識して行動を起こさないと、なあなあで参加するようでは当然変化は起こりません。

 

SAは無気力な人は何も得ることが無かったであろう教育だったと私は思っています。

 

 

運動会は工場対抗で玉入れやリレーをやりました。洗濯、炊場、衛生、内掃は経理工場として出場です。

 

受刑者以上に笑ったり大きな声を出したりエキサイトしている先生がいらっしゃったのも面白かったです。(笑)

普段先生方は笑うことは絶対にないので、その姿を見て新鮮に感じたというか…先生も人なんだよなぁと思ったりしました。

 

 

刑務所では大きな声を出したり歌を歌うことはできませんが、年1回の運動会だけはそれが可能です。運動会のために応援歌の振り付けをしたり歌の練習をします。

 

他の受刑者を見るととても楽しそうでした。

 

転業直後なので同じ内掃の受刑者と仲良く話すということはなかったのですが、運動会の日だけは一致団結して皆で優勝を勝ち取ろう!という雰囲気になるので、運動会初体験の私でも楽しめたのをよく覚えています。

 

 

 

今日は栃木の話はこのくらいにして「自己効力感」について書いていきます。

皆さんはこの自己効力感をご存知でしょうか?自己肯定感とはまた違います。

 

 

自己効力感とは:(ウィキペディア参照)

自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること。

自己効力感が強いほど実際にその行動を遂行できる傾向にある。

自己効力感を通して人は自分の考えや感情、行為をコントロールしている。

 

なんだか難しく書いてありますが簡単に言うと、何かが自分にできると思ったりできないと思ったりする感覚のことです。

 

この自己効力感が低いと自分で自分を攻撃する傾向が高まるそうです。自殺や自傷にも繋がります。

 

依存行動をすることによって一時的に自己効力感が上がりますが、本当の自己効力感はますます低くなります。

 

依存行動で何かを乗り切ったということは、単に問題を避けたか投げ出しただけですから。

 

 

私は自身の経験から、依存行動とは自傷行為の一種だと思っています。

 

アルコールや薬物、処方薬のODや摂食障害などは自身の健康を脅かします。身体に悪いと分かっていながら止められない自傷です。

 

クレプトマニアやギャンブル依存症、性依存や買い物依存症で言えば資産や信用を無くしますが、それが分かっていても止められない自傷です。

 

 

依存症の回復には自己肯定感と自己効力感の底上げが必要です。

 

 

簡単に言ってくれるけどどうやって上げるの!?と思う方が多いと思います。

 

私自身の経験からお伝え出来ることは、

“人は信念を持って生きると全くブレない”し、依存行動に走ることもないということです。

 

私は今現在、どんな誹謗中傷にも耐えられる自信があります。

 

他人が自分のことをどう思っていようと、嫌われようと、それは私が成し遂げようとすることには何ら影響しないことに気付いたからです。

 

依存症子は何を成し遂げようとしているの?と思った方は以前書いたこちらのブログを読んでいただきたいです。

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12614492367.html

 

 

 

私は信念を持ってこのブログを書いています。

 

その信念に対して石を投げたり、非難する人の意見を聞いている暇など私にはないのです。

(批判にはしっかり耳を傾けます。)

 

 

人生の目標を見つけて実際に行動に移してから、人に嫌われることが怖くなくなりました。

 

意見の合わない人と無理に付き合う必要はありませんし、自分の考えを理解してもらう必要もないのです。

 

 

このブログを読んでくださる皆さんにも、どうか信念を持って人生を生きてほしいと思います。

 

 

前回のブログでは洗濯工場に配役されてから1週間で転業になったこと、出所後に栃木刑務所で一緒だった受刑者が逮捕されたニュースを観てとてもショックだったことを書きました。

 

 

転業初日に電話面会用の小部屋に行き、男性刑務官から内掃工場への転業を命じられます。

 

このときに「何か質問はあるか?」と言われたので、「私が洗濯工場で使えないと判断されたから転業になったんでしょうか?」と質問します。

 

男性刑務官は意表を突かれた感じで少し笑っていました。

 

後に分かることですが、内掃工場は外国人が多く日本人がほとんど居ませんでした。

美容や刑務所の外で作業をする受刑者がたまにお手伝いに来る程度だったので、日本人でそこそこ体力のある人材が欲しかったのだと思います。

 

 

内掃工場は刑務所中の掃除や雑用をする5~6人の少人数の工場です。どんな作業をするか簡単に書いていきます。

 

リヤカーを引いて刑務所中を歩き回り、ゴミ回収に残飯処理、刑務所中の掃除、植物のお世話をします。

 

月1回の物品購入の日は、トラックで運ばれる全受刑者の購入品を分けて各工場に運んだりします。

 

刑務所内は雑草がものすごい勢いで生えてきますが、草刈りと除草剤を撒くのも内掃工場の作業です。

 

↓このような刈払機と噴霧器を使います。

 

 

参考写真よりも重装備で作業に当たります。真夏の草刈りは本当に地獄でした……。

 

内掃工場は作業のある日は毎日入浴できますが、それが本当に幸せでした。

スポーツドリンクを大きめの水筒に入れて、好きなときに水分補給ができました。それだけ動くので当然ですが。(笑)

 

一か所に留まらずに作業をするので1日があっという間に終わります。

 

 

内掃工場は刑務所の中を歩き回ります。いろいろなものを見ます。

 

刑務官が大勢で走ってどこかの工場に駆けつける様を何度も見てきました。

 

先頭の刑務官がビデオを録画し、何人もの刑務官に体を押さえられて保護房に連れて行かれる受刑者を見てきました。

 

そういう受刑者を見る度に気分が落ち込みました。

世間からすれば私も暴れる受刑者も、同じくくりだと理解していたから。

 

 

 

その後仮釈放まで転業することなく、無事に内掃工場で作業を続けることができました。

 

私は内掃工場で作業ができて本当に良かったと思っています。

気付いたこと、感じたこと、見えてきたものがたくさんあるからです。

 

それを今後のブログでお伝えできればと思います。

 

前回のブログでは、自傷行為と自殺未遂を経て今の自分があるということを書きました。

 

 

洗濯工場に配役されて5日目、髪の毛を切る「調髪願」と、プロテスタントに参加するために「集合教誨受講願」を提出します。

 

同じ洗濯工場の受刑者にプロテスタントは歌が歌えて楽しいという話を聞きます。

刑務所では歌を歌うことはできないので(大きな声が出せないため)、ストレス発散になるかなと思って願箋を提出しました。

 

プロテスタントを受けたのは4回だけでしたが、教誨師の方がギターを弾きながらみんなで歌うのは楽しかったです。

 

 

この日の洗濯工場は天気が良かったので布団と枕を干します。

一度に全受刑者の布団を干すことはできないので、生活する寮ごとに布団干しをやります。

 

何年も使われた布団や枕は薄っぺらく臭いもそれなりにありますが、一番初めに収監された拘置所と比べれば栃木刑務所の寝具は全然きれいだったと思います。

 

 

洗濯工場で作業をする受刑者の多くは臨機応変に作業に対応ができる人でした。

 

このブログを始めた頃に書きましたが、刑務所には字が書けなかったり集団生活が送れないような人も多く存在します。

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12603649645.html

 

 

洗濯工場の受刑者は、なんで刑務所に居るんだろう…?と思うような人ばかりでした。

 

書き忘れていましたが、栃木刑務所は外国人も収容しています。洗濯工場にも日本語が上手な中国人とフィリピン人が居ました。

 

この日の作業を終えたあと頭が痛くなり、二の腕は日焼けで痒くなります。

洗濯工場に配役されて気付いたのですが、どうやら私は紫外線アレルギーのようです。(笑)

 

 

洗濯工場に配役されて7日目、居室に戻り夕飯を食べたあと、明日転室するから荷物をまとめておいてと先生に言われます。

 

この居室に来てまだ1週間なのに転室…?

 

洗濯工場の受刑者は5寮と4寮で生活していたので、きっと4寮に移動するんだねと同室の受刑者に言われます。

 

ちなみに5寮1階には炊場や衛生係などの経理係と少数の外国人、1類1種の受刑者、

2階には外国人と美容の(美容師免許取得を目指す)受刑者が生活しています。

 

 

翌日、私は洗濯工場に配役されてたった1週間で内掃工場に転業します。

 

 

 

 

今日は出所後にとてもショックだった出来事を書いて終わりにしようと思います。

 

仮釈放から7ヶ月後のある夕方、振り込め詐欺で女性の受け子が逮捕というニュースを観ます。

 

映像で流れた女性は、廊下を挟んで斜め前で生活していたYさんでした。

 

 

彼女は炊場で私と出所の時期がそんなに変わらなかったはずです。

 

出所したら児童相談所に預けられている子どもに早く会いたい、いつになったら会えるようになるかなと話をしているのが私の居室に聞こえてきていました。

 

聞き耳を立てていたわけではないのですが、Yさんの声が大きいので自然に耳に入ってきてしまう感じです。

 

別の工場なので直接話をすることはできなかったけど、廊下越しに先生の目を盗んで「明日アイス出るよ」とか「集会のおかしは○○だよ」とか、教えてくれるようなお茶目で明るい人でした。

 

栃木でのYさんの罪名は詐欺、そして今回も詐欺の受け子で逮捕されてしまいました。詐欺は量刑がとても重いです。

 

 

Yさんは深く話をしたこともないただの顔見知り程度の人です。

 

でも涙が出てきてしまったんです。なんで?どうして?

あんなに子どもに会いたいって言ってたのに…今度こそやり直すって言ってたのに。

 

 

Yさんが出所してから詐欺をするまでに何があったんだろう……

私だって夫に受け入れられていなかったら、また刑務所へ戻っていたかも知れない…

 

そんな思いでぐるぐるしながら、この日はなかなか眠れませんでした。

 

 

彼女のような人が一人でも減るような世の中になってほしい。

 

 

今日の私を動かす理由の一つに、Yさんの逮捕があります。

 

 

前回のブログではある女性が刑務所で輝いて見えたこと、そのことに違和感を感じたと書きました。

 

 

突然ですが今から16年ほど前に私は自殺を試みたことがあります。25歳から26歳くらいの間ですね。

 

確実に死のうと思い、超大量のODをして湯舟に浸かりました。

そして気付いたら病院のベッドの上で手足を拘束されていました。

 

結局死ななかったので今こうしてブログを書くことができています。(笑)

 

腕以外はほとんど刺青が入っていますが、これはリストカットと同様の立派な自傷行為だったと分析しています。

 

 

35歳のときに向精神薬のODによる窃盗で逮捕され始め、刑務所へ行くことになったのは36歳のとき。出所したのは38歳です。

 

向精神薬で人生がおかしな方向へ進んでしまった私は、向精神薬の恐ろしさを他の人に伝えたいと思うようになりました。

 

 

私は向精神薬を飲むことを否定はしません。

なぜなら向精神薬は生きやすくなるよう、生活しやすくなるように“補助”してくれるアイテムだからです。

 

ですがそんな補助アイテムに依存しすぎて人生が狂ってしまった人間がここにいるということを、このブログを読んでくださる皆さんには知っていただきたいと思います。

 

 

出所直後は「昔の私のような人が一人でも減れば…」という漠然とした思いで2つ目のTwitterのアカウントを作りました。

 

男女問わずODしている人や、いわゆるメンヘラさんを片っ端からフォローしました。

ODをする人にはその危険性を伝え、死にたいという人を止めて励ましていた時期があります。

 

 

ですがそのアカウントは削除しました。

死にたいとツイートする人の多くはかまってちゃんで、自分を変えようと努力しない人が多いと気付いたからです。

 

 

覚悟を決めてこのブログを始めてから5か月が経過しました。

 

現在の依存症子のアカウントではそういうツイートには一切触れないようにしています。

見てはいます。が、触れません。

 

 

冷たいかもしれませんが、死にたければやってみればいいんです。

 

 

もし本気で止めたいなら、その人の人生を自分も背負うくらいの覚悟がないと、中途半端に介入しても本人のためにならないと今は思います。

 

 

自分のやってきたことに責任を取るときはいつかやってくると、以前のブログに書きました。

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12615740742.html

 

 

その責任は自分が取るのではなく、自分が大切に思う家族が取る羽目になるかも知れないということを、常に考えながら皆さんには生活をしてほしいなと思います。

 

 

アルコール依存症の親の元に産まれた子がアルコール依存症になってしまうのは、とてもポピュラーです。

 

ギャンブル依存症の親の元に育った私は、ギャンブル依存症です。

機能不全の家庭に育った私は、機能不全な家庭を作ってしまいました。

 

 

両親がやってきたことの責任を、今私が取っているんだと考えています。

 

 

 

現在は自身の経験を皆さんに伝えられるくらい依存症は回復しています。

 

人生の軌道修正もできるようになってきました。

 

 

このブログで何度も書いていますが、私は皆さんにどうやって回復し続けているかをお伝えすることはできます。

 

ですが行動に移すか、実践するかは依存症者次第です。

 

これは支える側にも同じことが言えます。

依存症者の依存症行動を助長するような支えかたをしていませんか?その支援は本当に依存症者のためになりますか?

 

 

本人が痛い目を見ないと、他人が何を言っても聞く耳を持ちません。

 

それがいわゆる「底つき」なのです。

 

前回のブログでは依存症者のご家族のお話を聞く機会があったこと、昔の自分も同じように家族に暴言を吐いていたことを書きました。

 

 

洗濯工場に配役された私は6人雑居で生活します。

他の受刑者は親切で、初受刑の私に生活のルールなどを教えてくれました。

 

洗濯工場はやることと覚えることが山ほどあります。

洗濯物の干し方やハンガーの向き、たたみ方は細かく決まっています。

 

覚えるまでかなり時間がかかりそうでした。

 

 

栃木刑務所の運動は立川拘置所と違って、広い運動場で遊具を使うことが可能になりました。雨の日は講堂(体育館のような場所)で運動できます。

 

バスケットボールやバレーボール、フラフープに縄跳び、バトミントンのラケットとシャトルが置かれ、自由に使って身体を動かせます。

 

運動場に最大で3つの工場が同時に運動に出ることがありますが、他の工場の人と喋ることはできません。

 

 

高齢化は刑務所の中も同じで、10ある工場のうち4つが高齢者が多く受刑する工場だったと記憶しています。

1人で歩くのが難しい受刑者には歩行補助車が与えられていました。

 

 

立川拘置所で一緒だった受刑者をちらほら見かけます。

 

その中に以前ブログに書いたKさんの姿がありました。

 

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12611558296.html

 

 

他の工場なので会話はできませんでしたが、彼女の姿を見て複雑な思いになったのをとても良く覚えています。

 

 

立川拘置所で話をしたときよりも、とても輝いて生き生きしているように見えたからです。

 

 

運動の時間は他の居室の受刑者と楽しく会話ができる唯一の時間です。気の合う人と笑い合える時間なのは間違いないのですが……。

 

 

どんな人も輝いて見えるときがあると思います。

 

仕事を頑張っているとき、何かに挑戦しているとき、目標に向かっているとき、スポーツをしているとき、夢中になっているとき。

 

多くの場合前向きな状況や何かに取り組んでいるときに輝いて見えると思うのですが、Kさんが刑務所という場所で輝いていることにとても違和感を感じてしまったのです。

 

 

彼女にとって刑務所が居心地の良い場所になっているのかも知れない……

 

そう考えると、なんだかとても悲しくなってしまったのです。

 

 

Kさんが“人生の半分を刑務所で過ごしている”と知っている私の色眼鏡かも知れません。

 

ベンチに浅く腰掛け大きく足を組み、両手を背もたれに乗せ、作業着の襟を立てて満面の笑みで会話するKさんの姿を、今でも鮮明に思い出すことができます。

 

 

私の受刑生活の中で、Kさんの存在がとても大きかったのだと感じます。

 

人生の半分を刑務所で生活するなんて、私は絶対に嫌だ。

そうなりたくない、そうならないように自分を見つめていこう。

 

そう考えていたから今の私が存在するといっても過言ではありません。

 

 

前回のブログでは、20年間向精神薬のODを続けた私の身体に起きている後遺症を書きました。

 

 

つい先日、依存症者のご家族のお話を聞く機会がありました。

お話を聞いていてとても胸が痛みました。その理由は、

 

依存症者がご家族にしている仕打ちを、私も母にしていたからです。

 

「お前のせいでこうなったんだ!」

「お前なんか死ね!」

「なんで私を産んだんだよ!」

 

私も母にこのような暴言を吐いたことがあります。暴力を振るったこともあります。

 

上記のような言葉を言い放ってしまうのは、依存症という病気だからです。

ですが病気だからといって、家族を傷付けていい理由にはなりません。

 

 

依存症者にもご家族にも、どうか前を向いて少しずつでいいから回復に向かってほしい。

 

そのために私にできることをやっていく、そう強く思いました。

 

 

 

今日は依存症という病気について、改めて書いていきます。

 

依存症という「言葉」は世間に認知されてきたと思いますが、実際の症状がまだ認知されていないのが現実かなと思います。

 

依存症は「物質依存」と「プロセス(行為)依存」、「人間関係の依存」に分けられます。

 

以下の図を参考にしていきます。

 

 

私が依存しているものは違法薬物・処方薬・窃盗・ギャンブル・買い物・自傷ですが、ここに両親や夫との関係を加えると見事に3つの円が重なります。

 

私のようにクロスしている依存症者は実際たくさんいて、例えば窃盗と摂食障害、薬物と放火、アルコールとギャンブル、アルコールとストーカーなど、それで刑務所に服役する人は多いです。

 

私の子どもは摂食障害だけだから…、アルコールだけだから…、と思っていたら実は他にも併発している、ということが多いのが依存症という病気です。

 

 

どうなってしまったら依存症なの?

 

依存症の定義について悩まれる方がいらっしゃると思いますが、ご家族の生活に支障が出た時点で立派な依存症です。

 

 

嘘をついて依存行動をするようになる

依存行動のせいで職場に(学校に)遅刻する・欠席する

依存症者の尻拭いを家族がするようになる

 

上記のようなことが起こればもう深刻な状態だと思います。

 

 

 

依存症には残念ながら特効薬がありません。完治もしません。

 

だから依存症者本人も、ご家族も焦るのです。

 

 

一日も早くこの状態から脱出したいから、ご家族はどうにかして依存症者をコントロールしようとします。大切な人が依存行動をすれば、止めたり怒ったりするのは当然です。

どうすればいいんだと答えを早く求めようとしますが、今日の明日で治るような病気ではないのです。

 

 

一日も早くこの状態から脱出したいから、依存症者は何とかして依存行動をやめようと思います。でもできないんです。やめられないんです。本当はやめたいんです。

家族に叱責されます。それによって自分を責め、時には自殺まで考えたりします。

 

 

私は18歳から依存症を発症し、今年41歳になります。

刑務所へ行くことで自分が依存症だと認識し、回復が始まったのは3年前です。

 

発症から回復まで20年。20年です。

 

近道や抜け道なんてありません。

 

 

ただ、このブログを読んでくださる方には、私の回復方法を知ってもらうことができます。

 

私の両親や夫がどういう行動をとってきたのか、知ってもらうことができます。

 

 

そうすることで皆さんが回復へ向かうお手伝いができると、私は確信しています。

 

 

最後に厚生労働省の依存症啓発漫画“だらしない夫じゃなくて依存症でした”をご紹介します。

 

依存症者にも依存症者のご家族にも分かりやすい内容になっていますので、ぜひ一度読んでいただければと思います。

 

https://www.mhlw.go.jp/izonshou/izonsho_manga_v01.html

 

 

前回のブログでは洗濯工場に就業したこと、挑戦していた資格試験に無事合格したことを書きました。

 

 

今日のブログでは、向精神薬のODを20年間続けたことで私の身体に出ている不調を書いていきます。

OD(オーバードーズ)とは、処方薬や風邪薬、ブロンなどの咳止めを大量に摂取することを言います

 

この20年の間には向精神薬のOD以外に、覚せい剤・大麻・LSD・エクスタシー・毒キノコ・危険ドラッグなどの違法薬物の使用もあります。

 

 

以下のような自分の身体の不調を「後遺症」だと認識しています。挙げていきます。

 

 

・記憶力の低下

・忘れっぽい

・考えていることをすぐに言語化できない

・ろれつがうまく回らない

 

 

上記の中でも対処しやすいのは記憶力と忘れっぽさです。

単純にノートやメモを取れば解決ですが、それができない状況だと本当に困ります。

 

ろれつがうまく回らないのもゆっくり喋れば何とかなります。

ですが私はせっかちで早口なので、かなり意識して喋らないと相手に聞き取ってもらえません。

 

 

私が一番困っているのは、考えていることを(思っていることを)すぐに言語化できないということです。

言葉が出てくるまで数秒かかってしまうこともあり、会話の中におかしな間が空いてしまうことがあります。

 

これについては語彙力の少なさや学力の問題もあるのでは?と考えた時期もあります。

 

そこで依存症になる前の私を知っている高校時代の友人に話を聞いてみましたが、もっとテンポよく会話ができたし間が空くことはなかったと言われたので、後遺症だと判断しました。

 

 

 

今までのブログでダルクの説明をしていなかったので、ここで改めて書かせていただきます。

 

ダルクとはDrug Addiction Rehabilitation Centerの略でDARCと書きます。

 

薬物依存症者の薬物依存からの回復と社会復帰を目的とした回復支援施設です。

薬物だけでなく、アルコール依存症やギャンブル依存症など依存症の人のための回復施設です。

 

ダルクのホームページはこちらです↓

http://darc-ic.com/

 

ダルクの創立者は近藤恒夫さんという方で、彼の著書にこんな一文があります。

 

「薬物を使った時間の3倍の時間をクリアすれば回復だ」

 

 

私は18歳から20年間も薬に依存しています。

刑務所を出所したのは38歳です。

 

20年間の依存×3倍=60年です。

 

38歳+60年=98歳。これをクリアするころ、私は恐らく死んでいます。(笑)

 

 

薬物を使った時間の3倍もの時間を、私は後遺症とうまく付き合いながら回復し続けなくてはいけません。

 

 

 

違法薬物の怖さは、芸能人の逮捕や警察24時などで皆さんご存知だと思います。

 

そこに処方薬などの怖さを伝えるような報道はありません。最近だと華原朋美さんのネット記事くらいでしょうか。

 

 

医者が処方しているから安全

違法じゃないから大丈夫

売ってるから大丈夫

 

そう勘違いしている人が多いと思いますが、私からすれば全く大丈夫ではありません。

 

 

私は向精神薬のODを20年間続けてきたことで起こる後遺症と一生付き合いながら、これからも回復を続けていかなくてはなりません。

 

もちろん違法薬物の影響も大きいと思います。

 

 

このブログを読んでくださる皆さんの中に依存行動で悩んでいる方がいるなら、少しでも早く治療や自助グループに繋がっていただきたいです。

 

そして処方薬だから安全、売っているから安全、という考え方は危険だということを今日はお伝えさせていただきました。

 

 

 

今まで月・水・金の週3回更新していたこちらのブログですが、10月からは月・金の週2回になります。

 

どうぞよろしくお願い致します。

 

前回のブログでは、自分の立ち位置で見えるものも考えることも変わるということを、私の過去の経験を踏まえて書かせていただきました。

 

 

栃木刑務所での生活に話を戻していきます。

 

刑務所の中でも役職の高い刑務官との面談で、かなり厳しいことを言われたという話を書きました。

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12626442920.html

 

 

審査会の翌日、就業する工場へ正式に転業します。

 

2016年(H28年)6月2日、私は洗濯工場に就業することになりました。

 

 

洗濯工場は名前の通り洗濯をする工場です。

衣類の破れやほつれを直したり、布団を干したり、寝具の管理をするのも洗濯工場の仕事です。

 

洗濯工場に転業になると同時に居室も移動になります。

それまで生活していたのは6寮という場所でしたが、経理係が生活する5寮に転室します。

 

6人雑居、ここから本格的な集団生活が始まります。

 

 

私が在所していたころは10もの工場がありました。

 

栃木刑務所で作っているものは私が記憶している限り、ミニ達磨、お守り、子供服、人形、紙帽子、布コースター、小学生が被る紅白帽がありました。

 

刑務所でお守りや達磨を作っていると知ったときには結構驚きました。(笑)

 

 

 

洗濯工場は晴れの日は屋外で作業をします。雨が降ると所内で作業です。

 

私が洗濯工場に配役されたのは6月でしたが、とても日差しが強くて初日の作業後には肌が真っ赤になりました。外での作業には日焼け止めが必須です。

 

もちろんエアコンなんてありません。

 

今年の酷暑は受刑者には地獄だったと思います。

 

 

6人雑居は累犯3人初犯3人で思っていたほどの面倒くささはなく、他の受刑者がいい人(?)だったので色々なことを教えてもらうことができました。

 

断薬して日が浅くちゃんと眠れるか心配でしたが、洗濯工場はかなりの運動量で疲れるので、熟睡はできないけど早く入眠することができました。

 

 

このブログを読んでくださる皆さんは「そんなこと?」と思うかも知れませんが、“身体を動かして疲れれば薬無しで眠れる”ということに洗濯工場で気付きます。

 

このときの私の年齢、37歳です。37歳でやっと気付くのです。

 

 

これまでの私の生活は、昼前に起きて身体を動かすこともせず夜になって「眠れない!」というものでした。

これじゃ寝れないのは当たり前ですよね。生活リズムは崩れ食生活も不規則すぎました。

 

 

そんなことに気付けないほど、向精神薬のOD(大量服用)が激しかったのです。

 

 

 

 

次回のブログでは、違法薬物と向精神薬のODを20年間続けたことで、私の身体に起きている後遺症について書いていきます。

 

 

今日はこの場でご報告をさせていただきたいことがあります。

 

7月30日に受けたある資格試験に無事合格することができました。

 

いい加減な人生を歩んできた自分でも、何かに挑戦し努力することができるということ、

前科者でも元受刑者でも出来ることがあるということを、

 

これからも皆さんに発信し続けていければと思います。

 

前回のブログでは依存症の「底つき」について書きました。

 

 

今日のブログは昨日Twitterでつぶやいた内容を書いていこうと思います。

 

私はTwitterアカウントが2つありますが、どちらでもネガティブなことはつぶやかないようにしています。

 

なぜならネガティブはものすごいスピードで人に伝染するからです。

 

ツイートとは「小鳥のさえずり」という意味ですが、日本語版Twitterでは「つぶやき」と表現されていたようです。

「つぶやき」なので日記代わりに使っても、備忘録に使っても、愚痴を吐いても、それは使う人の自由です。

 

依存症子のアカウントでは同じように依存症で苦しんでいる人、その関係者、元受刑者、受刑者の待ち人をフォローさせていただいています。

 

どちらのアカウントでも、死にたいとか、永遠に他人の悪口を言っていたり、他人の非難をしているようなツイートが流れて来ると気分がげんなりします。
 

それがあまりにもひどいアカウントはフォローを外すか、ミュートをします。
 

「批判」ではなく「非難」、相手の人格を否定して石を投げるようなツイートは本当に見たくないです。

 

私自身が上記のように感じる人間だから、ネガティブなツイートはしないように心がけています。

 

 

おととい「性犯罪者は去勢すべし」
というツイートを見ました

 

この考え方に則って考えていくと極論にはなりますが、窃盗を犯した私は手を切り落とすことになります。

 

依存症には様々なものがあります。違法薬物、処方薬、窃盗、ギャンブル、アルコール、性的依存、ニコチン、自傷行為、放火、挙げはじめるとキリがありません。

 

犯罪とそうでないものに分けられますが、私が依存しているのは両方です。(私の場合は違法薬物・処方薬・ギャンブル・窃盗・自傷・買い物です)

 

 

18歳の夏、キャバクラ勤務後の事件

 

その日は週末の給料日で、仕事が終わったら彼氏とカラオケに行こうと約束していました。
 

車で迎えに来てくれる約束でしたが、友達とのカラオケを延長したから少し待っててと言われます。

ムカついた私は「いいよ歩いて帰るから!」と電話を切って、繁華街から自宅の方に向かって歩き始めます。

 


時間は深夜2時です。

 

季節は夏で私は18歳、露出をした服装で歩いていました。持っていたプラダのリュックの中にはお給料40万が入っています。
 

だんだん街灯も少なくなっていき、怖くなってきた私は携帯電話でお客さんと話をしながら歩きます。

 

 

小学校の正門にゆらっと人影が見えました。男性です。

 

「こんな時間に小学校に人が居るなんておかしくない……?」ものすごく嫌な予感がしました。
 

男性は私の方へ歩いてきます。すれ違う前に顔を見たらニヤニヤしていました。

私は身長168㎝で女性にしては高い方です。あのころは10㎝ヒールのサンダルを履いていました。

 

すれ違った直後に振り返ったら、男はもう襲い掛かってきていました。

 

すれ違う前は私より身長が小さかったはずの男が、大きな熊のように見えました。

 

私は自分の身より給料の40万を守ろうと必死に抵抗しますが、男の力にはかないません。

 

たまたま通りかかった車の運転手さんが何やってるんだ!と車から降りて助けに来てくれました。
 

 

男は一目散に走って逃げます

 

運転手の男性は警察に電話しよう、ケガもしてるし救急車も呼ぼうか?と親切に言ってくれたのですが、男から襲われたという恐怖の感情から怒りに変わった私は、助けてくれた男性へのお礼もそこそこに素足で男を追いかけます。
 

小学校の前で襲う女性を物色しているなら絶対に近くに住んでるはず!!!!

 

結局見つけられず、警察へ通報することもせずに帰宅します。

 

 

あれから22年が経過しました

 

「性犯罪者は去勢すべし」というツイートを見て、あの男は今何をしているかなと考えます。

 

私が依存症となってしまった今、あの男もまた“性依存”という病気だったのでは?と考えるととても複雑な思いになるのです。

 

 

私は窃盗で逮捕されています。窃盗をしたお店が私のせいで潰れてしまったら、そのお店の人は私の手を切り落したいほど、殺したいほど憎むでしょう。

 

私の夫は「症子が犯した罪は消えず一生償っていくものだが、第三者がとやかく言う問題ではない」というスタンスです。
 

仮に夫の実家が商売をやっていてクレプトマニアのせいで廃業に追い込まれたとしたら、全く同じことが言えるでしょうか?

 

 

私は自分が依存症だと理解する前は、私を襲った男が許せませんでした。
 

襲われてからしばらくは全ての男性がそう見えてしまったり、人気のない場所で男性とすれ違う時に距離を取ったりしていました。

 

 

 

今現在の私の立ち位置では、私を襲った男がもし性依存だったとしたら、しっかり治療して立ち直ってほしいと思います。

 

ですが過去の私の立ち位置からは、男が憎くて仕方がなかったのも事実です。

 

 

 

長くなってしまいましたが、今日は自分の立っている位置が変われば思うことも考えることも変わる、という話です。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

前回のブログでは審査会という役職の高い刑務官との面談があったこと、現在挑戦している資格試験のことを書きました。

 

 

今日は山口達也さん酒気帯び運転と依存症について、私なりの意見を書いていきます。

 

このブログを読んでくださる皆さん、今回の山口達也さんの事故のニュースを観てどう思ったでしょうか?

 

バカじゃないの?

何度同じことを繰り返すんだろう

周囲の期待を裏切るなんて……

反省してないんだな

 

多くの人が上記のようなことを思うはずです。

 

 

ワイドショーのあるコメンテーターが「ほかのメンバーがまた謝罪したりすることになるかも知れない、そういうことを考えられなかったのか」と憤っていましたが、私からすれば「は?」という感じです。

 

そこに焦点をあてるのは筋違いです。

 

私は彼のアルコール依存症が回復しないのは当然だと思っています。

 

 

なぜなら彼はまだ本当の「底つき」を経験していないと感じるからです。

 

 

依存症における「底つき論」とは、周囲の人が山口氏のアルコール依存症によって困っていようとも、本人自らが困らなければアルコールをやめようと思わないという前提にたっています。

 

山口氏本人がアルコールを飲むことで困っていなかったから、今回の事件が起きたのです。

 

 

 

私で例えていきます。

私は留置場に拘留された程度では依存行動を本気でやめようとは考えられませんでした。

 

正確には“考えたけど行動に移せなかった”ということです。

 

行動に移すということは、依存症専門の病院へ行ってカウンセリングを受ける、そしてグループミーティングに参加するということです。

 

どこにそんな病院があるの?なんて調べれば出てくるの?お金はどのくらいかかるんだろう…?

私と同じような人がほかにもいるんだよね…治したいから行ってみようかな……

そう考えているうちにまだ依存行動へ走ってしまうのが依存症という病気の怖さなのです。

 

治したいと考えてはいるけど行動に移せないまま、私は刑務所へ行くことになります。

 

 

私にとっての「底つき」とは、唯一の肉親の母親に捨てられたことと、刑務所という世間から隔絶された場所で生活する人間をこの目で見てきたことです。

 

 

 

彼は留置場という犯罪者が留め置かれる場所に居ます。そこでいま何を思うでしょう?

 

山口氏にお金があれば優秀な私選弁護人を雇うことができるでしょうし、きっと保釈も簡単に認められるでしょう。

 

そうすることが今後の山口氏の人生のためになるかは別として。

 

 

 

人は失敗と後悔を繰り返しながら成長します。

 

私のように“落ちるところまで落ちないと”気付けない人間がいます。

 

落ちるところまで落ちてから、見えてくる景色があるのです。

 

落ちるところまで落ちたから、やれることがあるのです。

 

 

 

スリップしてしまった人の人格否定をするようなことは決してあってはなりません。

 

失敗した人に石を投げるような行為は絶対にしてはいけません。

 

 

山口氏は過去に雑誌の取材で、人に何かを訴えかける仕事がしたいと発言しています。

 

山口氏がアルコール依存症を乗り越え、いずれ同じ悩みで苦しんでいる人に勇気を与えられるような存在になることを心から願います。