前回のブログでは審査会という役職の高い刑務官との面談があったこと、現在挑戦している資格試験のことを書きました。

 

 

今日は山口達也さん酒気帯び運転と依存症について、私なりの意見を書いていきます。

 

このブログを読んでくださる皆さん、今回の山口達也さんの事故のニュースを観てどう思ったでしょうか?

 

バカじゃないの?

何度同じことを繰り返すんだろう

周囲の期待を裏切るなんて……

反省してないんだな

 

多くの人が上記のようなことを思うはずです。

 

 

ワイドショーのあるコメンテーターが「ほかのメンバーがまた謝罪したりすることになるかも知れない、そういうことを考えられなかったのか」と憤っていましたが、私からすれば「は?」という感じです。

 

そこに焦点をあてるのは筋違いです。

 

私は彼のアルコール依存症が回復しないのは当然だと思っています。

 

 

なぜなら彼はまだ本当の「底つき」を経験していないと感じるからです。

 

 

依存症における「底つき論」とは、周囲の人が山口氏のアルコール依存症によって困っていようとも、本人自らが困らなければアルコールをやめようと思わないという前提にたっています。

 

山口氏本人がアルコールを飲むことで困っていなかったから、今回の事件が起きたのです。

 

 

 

私で例えていきます。

私は留置場に拘留された程度では依存行動を本気でやめようとは考えられませんでした。

 

正確には“考えたけど行動に移せなかった”ということです。

 

行動に移すということは、依存症専門の病院へ行ってカウンセリングを受ける、そしてグループミーティングに参加するということです。

 

どこにそんな病院があるの?なんて調べれば出てくるの?お金はどのくらいかかるんだろう…?

私と同じような人がほかにもいるんだよね…治したいから行ってみようかな……

そう考えているうちにまだ依存行動へ走ってしまうのが依存症という病気の怖さなのです。

 

治したいと考えてはいるけど行動に移せないまま、私は刑務所へ行くことになります。

 

 

私にとっての「底つき」とは、唯一の肉親の母親に捨てられたことと、刑務所という世間から隔絶された場所で生活する人間をこの目で見てきたことです。

 

 

 

彼は留置場という犯罪者が留め置かれる場所に居ます。そこでいま何を思うでしょう?

 

山口氏にお金があれば優秀な私選弁護人を雇うことができるでしょうし、きっと保釈も簡単に認められるでしょう。

 

そうすることが今後の山口氏の人生のためになるかは別として。

 

 

 

人は失敗と後悔を繰り返しながら成長します。

 

私のように“落ちるところまで落ちないと”気付けない人間がいます。

 

落ちるところまで落ちてから、見えてくる景色があるのです。

 

落ちるところまで落ちたから、やれることがあるのです。

 

 

 

スリップしてしまった人の人格否定をするようなことは決してあってはなりません。

 

失敗した人に石を投げるような行為は絶対にしてはいけません。

 

 

山口氏は過去に雑誌の取材で、人に何かを訴えかける仕事がしたいと発言しています。

 

山口氏がアルコール依存症を乗り越え、いずれ同じ悩みで苦しんでいる人に勇気を与えられるような存在になることを心から願います。