前回のブログでは断薬した後に睡眠がどのように変化したかを書きました。

 

 

訓練工場に出業するようになって9日目、審査会というものがありました。

 

審査会は役職が高い刑務官7人との面談です。とても緊張しました。

 

この審査会には、以前ブログに書いた「人生には3つの坂がある」という話をしてくださった統括もいます。

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12624816338.html

 

 

この面談ではボロクソに言われました。優しい言葉は一切ありません。

 

まず夫のことや、IQテストと学力テストを踏まえての話をされます。この時点で涙がぽろぽろ出てきます。

 

「初めての受刑で刑務所に来てどう思いましたか。色んな人が居るでしょう。」

 

そのあとはっきりこう言われました。

 

「今のままだとあなたはまたここに戻ってくることになる。それでもいいんですか?」

 

 

今までの私の怠惰な人生を、他人にすがって生きてきた様を、逃げ癖やすぐに物事を投げ出す癖を、すべて見透かされた気がしました。

 

 

“そんな姿勢で人生を歩むとまたここに戻ってくるよ”、そう言われている気がしました。

 

 

これも何度も書いていますが、多くの受刑者を見てきた刑務官の言葉は本当に重いのです。

 

 

 

面談と作業を終え、居室に戻って考えます。

 

立川拘置所で自分の人生を振り返るという作業をずっとやってきました。

なんで私は受刑者になったんだろう?少しずつ人生をさかのぼって、見たくもない過去と向き合ってきました。

 

自分を見つめる作業を続けていくと、自分の弱点が明確になります。

 

統括の言葉でその弱点を改めて思い知らされるのです。

 

 

 

昨日の話になりますが、私はとある資格試験を受けに行きました。

この試験、実は1回落ちていて2回目の挑戦です。

 

 

1発で受かるに越したことはないかもしれませんが、落ちたことで見えてきたものがあります。

 

 

昔の私だったら、1回目に落ちた時点で「もういいや面倒くさい」と諦めていたと思います。

自分の選択とやり方に問題があるのに、これで大丈夫だろうと安易に考えてしまったり。

自分の力不足を他人のせいにしてしまったり。

 

 

「落ちたことで見えてきたものがある」と考えられるようになったのは、刑務所で過ごしたおかげです。

 

 

落ちたことで見えてくる景色があるのです。

 

1発で受かっていたらその弱点に気付かなかったでしょう。

 

 

 

私は出所後の現在も、過去を振り返って自分の弱点を見つめなおす作業を続けています。

 

そうすることで社会生活で上手くいかなかったときでも、自分の弱点や問題を素直に認めて受け入れることができるようになります。

 

 

もし受刑中に過去を見つめなおす作業をしていなかったらどうなっていたでしょう……?

 

 

どんな場所にいても問題に向き合い、改善する努力を続けていくことが大切だと思います。

 

前回のブログでは断薬したこと、減薬の段階で色々なものが見えるようになってきたということを書きました。

 

 

私はひとりっ子で、小学生のころから部屋を与えられ一人で寝ていました。その影響もあり今現在も睡眠にはとても貪欲です。

眠りが浅かったり夜中に起きることが本当に嫌で、誰かと同じベッドで寝るなんてもってのほかでした。

 

 

心療内科でそんな話をしたときに、幼いころに機能不全の家庭で愛情を感じず育ったことが関係しているのかもしれないね、と先生から言われました。

 

これに自分でも思いっきり納得します。

 

 

睡眠へ貪欲な自分がずっと嫌いでした。

 

眠りにこだわるって神経質だよね?なんで眠りにつくまで時間がかかっちゃうんだろう?そんなことを考える自分が嫌だったんです。

 

今の私は、「睡眠に対する貪欲さを生まれながらにもっているんだ」くらいの認識に少しずつシフトしています。

 

 

 

断薬後の刑務所生活を書いていきます。

 

断薬したころは6人雑居で就寝時は隣にいびきをかくおばあちゃんがいましたが、それでも何とか眠ることができました。

 

もちろん熟睡というわけにはいきません。いびきで何回も目が覚めて超イライラしました。

 

刑務所の居室には時計がないので時間が分かりません。刑務官の巡回の時間が受刑者に分からないようにするためです。

(工場には時計があるのと、1類の受刑者は時計を持つことを許されたと思います)

 

 

前回のブログでも書きましたが、私は18歳から20年間睡眠薬を飲んできました。

 

睡眠薬を飲まずに寝ていたころが間違いなくありました。

あったにもかかわらず、どうやって寝ていたか、どんな眠りだったか全く覚えていません。

 

20年があまりにも昔すぎて、全く思い出せないのです。

 

 

刑務所で夜中にイライラしながら考えます。

もしかして昔からこんな感じの眠りだったのかも知れないな……

 

そう思うと気持ちが楽になります。

 

 

睡眠薬を初めて飲んだのは、夜の仕事を始めて昼夜逆転し、何とかしてリズムを戻そうと思ったからです。

覚せい剤やLSDで眠れなくなるので、もっと睡眠薬の量が増えます。

 

寝なくちゃ疲れが取れない、寝てから仕事に行かないと体がつらい、そんな強迫観念がありました。

 

 

刑務所で実際に断薬して気付いたのは、人間は眠るようにできているということでした。

 

なんだ、薬がなくても眠れるじゃん。(浅いけど)

疲れてなくても横になれば一応入眠できるんだ。(熟睡じゃないけど)

 

睡眠薬なしの生活を積み重ねます。

積み重ねれば積み重ねるほど、飲まなくても眠れることが嬉しくなってきます。

 

 

そして自信がついてきます。私は睡眠薬なしで眠れる人だったんだ!

 

 

刑務所という本来ストレスがかかりそうな場所で断薬できた理由について、世間から守られているというある種の安心から眠ることができた、ということも付け加えておきます。

 

 

前回のブログでは学力テストとオリエンテーションがあったことを書きました。

 

 

私は今年41歳になります。

向精神薬に18歳から38歳まで、約20年間依存してきました。

 

ひどい時期はベゲタミンを4錠、ハルシオンを1シート、デパスはフリスクケースに入れて気付いたら食べる、という生活を続けていました。

 

 

その向精神薬を断薬する日がとうとうやってきます。

 

栃木刑務所に入所してから9日後の5月25日、私は断薬しました。

 

 

今日のブログでは断薬の経緯を掘り下げていきます。

 

 

この断薬のきっかけですが、睡眠薬を飲んでいると経理係になれないと立川拘置所で累犯から聞いたからです。

 

なぜ経理係になりたかったかというと、1日も早く「類」と「種」を上げて電話面会をしたかったからです。

 

電話面会をしたかった理由は、夫が一切面会に来る気がないことが分かったからです。

 

手紙でいくら説明しても夫は依存症を知ろうともしてくれません。

依存症は病気で治療が必要なこと、その治療は薬に頼るものではないということを、しっかり口頭で説明をしたかったのです。

 

それと、私を捨てて家を出て行ったときの母の様子を聞きたかったからです。

 

 

 

刑事施設という世間から隔絶された場所で、唯一の肉親の母親に見捨てられ、これから変わらなければ(更生しなければ)夫にも捨てられてしまう……。

 

 

離婚されて世間に放り出されたら絶対に生きて行けない自信がありました。

 

 

 

向精神薬の乱用が受刑をきっかけに止まり、頭がどんどんクリアになります。

 

ODをしなくなったことで以下のことが考えられるようになります。

(OD→オーバードーズ、処方薬の大量服用・乱用)

 

 

ある行動をとった結果、何が起こるか想像することができるようになります。

 

良い意味でも悪い意味でも“損得を考えられる”ようになります。

 

依存行動を続けていると孤独になる、ということに38歳で気が付きます。

 

 

孤独と断薬、どちらを取りますか?

 

 

刑務所まで来て崖っぷちに立たされています。

薬を飲んでいたときには見えなかったものがどんどん見えてきます。

 

何度も刑務所へ来ている累犯を観察すると、孤独な人が多いです。

 

 

孤独になると依存行動に走ってしまうことに気付きます。

 

 

自分と真剣に向き合わないと、私の人生は終わるだろうという想像がつきました。

 

 

夜の世界や風俗で働いて、歳をとって指名が取れなくなって、また覚せい剤や処方薬に依存し、ギャンブルにお金をつぎ込む姿。

 

また窃盗に走る姿。

覚せい剤か窃盗か、はたまた詐欺か、どのみち累犯になってまた刑務所へ舞い戻るだろう。

 

愛人生活なんて若いうちしかできない、全身に刺青が入っているオバサンを誰が愛人にしようと思うだろう。

 

昼間の仕事も刺青のおかげで限定される。

 

もう死んだっていいや。そうやって無気力で投げやりになるだろう。

 

 

 

自分が変わらなければどうなってしまうか、簡単に想像できてしまったのです。

 

 

 

私は断薬を選択しました。

 

 

依存症に立ち向かおう、自分にやれることをやっていこう。

 

そう考えることができるようになったのは、本当に皮肉なんですが

“人生を生きやすくなるよう、生活しやすくなるように補助してくれるアイテム”であったはずの向精神薬をやめたからです。

 

 

前回のブログでは紙をちぎる作業が意外と辛かったこと、訓練工場で集団生活が始まったことを書きました。

 

 

訓練工場2日目、学力テストを受けます。

 

立川拘置所ではIQテストを受けましたが、栃木で受けたのは一般的に使われる漢字の読み書き、計算、文章力のテストです。

 

 

隣でテストを受けている受刑者の罪名は暴行傷害で累犯だと言っていましたが、彼女はテスト用紙をサラっと流し見して名前と称呼番号を書くだけでした。

 

 

問題が分からないから白紙提出をしたのではなく、こんなの受けても仕方がないから問題を解くことを放棄します、という感じでした。

 

 

彼女とは運動の時間に少し話をした程度ですが、受刑することに慣れてしまうと何事にも無気力になってしまうものなのかな、と思いました。

 

 

 

金線と呼ばれる役職の高い刑務官4人のオリエンテーションがありました。

 

その中でも統括の話がとても印象に残っています。

 

 

「人生には3つの坂がある。一つは上り坂、一つは下り坂、もう一つは“まさか”。

あなたの家族に“まさか”の何かがあったとき、ここから出て駆けつけることはできない。」

 

 

大切な人の“まさか”の事態に駆けつけることができない場所に自分が居る。

 

 

たくさんの受刑者を見てきた刑務官の言葉は、とても重いです。

 

 

 

オリエンテーションを受けた後のノートです。

 

↑にはこう書いてあります。

 

 

この刑期中に自分を見つめなおす、

弱点を見つけて再犯しないようにすること、

薬に依存することをやめる、

 

受刑者が世間から守られているということ、

私が犯罪を犯して刑務所へ来たことで家族がどんな思いをしているか、

 

問題点と打開策、解決策をここで考える、

 

1度の受刑で終わりにするのか、また来ることになるかは自分次第!

 

 

 

立川拘置所の工場の先生に「刑務所へ行ってからが本番だからね」と言われて送り出されました。

 

その言葉の意味が何となく分かったような気がしました。

 

そしてその言葉が、先生からの最大限のエールだったんじゃないかと勝手に思っています。

 

 

 

オリエンテーションを終えて考えます。

 

これから正式に工場に配役されれば、もっと大変なことが待っているに違いない。

 

立川は単独室だったから勉強に集中できたけど、ここではそうはいかないだろう。

 

人のふり見て我がふり直せ、栃木では立川以上に他の受刑者の観察をしよう。

 

2度とここに戻らないために、今の自分にできることを精一杯やろう。

 

 

私はここで変わってみせる。大丈夫、私ならできる。

 

オリエンテーションで改めて気を引き締めます。

 

前回のブログでは就寝後に叫ぶ人がいて、こんなところに二度と戻るもんかと改めて決意したことを書きました。

 

 

翌日は医務の診察や大浴場での入浴、分類面接がありました。

 

大浴場はとても広く、一度に50人は入ることができます。

 

立川のお風呂はユニットバスで他の受刑者を気にせず入浴も着替えもできましたが、栃木ではそうはいきません。入浴のルールも立川より栃木の方が断然厳しかったです。

 

 

分類面接ではこれからの生活で不安に思っていること、どんな作業に就きたいか、ヘルパーの資格を取ることができればという話をしました。

 

 

入所から2日目、自分の居室で初作業が始まります。

ひたすら紙をちぎって限界まで細かくするという作業でした。

 

楽な作業だねと思う方がいらっしゃると思いますが、これが今までやってきた作業で一番きつかったです。

 

 

ピンクや白の紙を渡されて細かくしていくのですが、ちぎった紙がどのような用途に使われるか分からないままとにかくちぎります。

 

切手の1/4くらの大きさで提出すると大きいと言われ、つまようじの持つ部分くらい細かくします。

 

 

単純な作業は時間が経つのがとても遅く感じます。あまりにも単調で目的の分からない作業をするのは精神的にきつかったです。

 

結局ちぎった紙が何に使われたか分かりませんが、一つのことを続けられるか一種のテストも兼ねた作業だったと思っています。

 

 

 

翌日に訓練工場へ出業します。

この訓練工場で2週間過ごしたあと、自分が正式に就業する工場が決定します。

 

同時に6人雑居へ転房となり、立川の工場で一緒だった累犯と同じ居室になります。

 

 

訓練工場では裁縫をやりました。縫い物なんて小学校の家庭科の授業以来です。波縫いとか返し縫い、懐かしいなと思いながらコースターを縫います。

 

 

工場へ出業すると昼食は大食堂で食べるようになります。

この大食堂、何百人収容できるか……500人は入れる食堂だと思います。あまりの人数に驚きました。

 

 

本格的な共同生活が始まるわけですが、同房の受刑者の行動や言動に衝撃を受けることが増えます。

 

 

物品を購入する際、マークシートに記入して提出します。

石鹸やシャンプー、切手や便箋の日用品は1ヶ月に1回しか購入できないので、自分の所持金や物品の無くなり具合を考えながら購入します。

 

 

50代で飲酒関係で服役中の累犯がいました。

飲酒運転で何度も逮捕されているようで、本人はアルコール依存症ということに薄々気付いているものの、治療までは進んでいません。

 

とてもうるさいおばさんで、こっちが勉強していても構わず喋り散らかすような人でした。

 

購入する物品を選んでいると、「依存さんは○○買うの?私も買おうっと」とか「依存さんこれ買った方がいいと思う?」と聞いてきます。

 

彼女は累犯で私より刑務所のことは詳しいはずだし、自分のことは自分で決めて行動すればいいのに、他人の意見に簡単に左右されてしまうことに衝撃を受けました。

 

 

70代のおばあちゃん、罪名は私と同じく窃盗で累犯です。

人あたりがいいおばあちゃんでしたが、とある先生が居室に顔を出した際に「先生お久しぶりです!○○刑務所以来ですね!」と話し始めます。

 

 

私は刑務官ではないので何とも言えませんが、刑務所でお久しぶりですなんて言われたくないでしょうし、過去に送り出した受刑者全員の顔を覚えていられるほど暇じゃないと思います。

 

 

就寝後に叫ぶ人がいる。

 

相手を思いやることより自分の行動が優先で、他人の意見に左右されすぎる人がいる。

 

刑務官に堂々と「お久しぶりです!」と言えるおかしな感性の人がいる。

 

 

 

栃木に来てまだ4日しか経っていません。

 

 

もう何度も同じことをブログに書いていますし、これからも書くことになりますが、

 

本当にヤバいところに来ちゃった……、そう思いました。

 

 

前回のブログでは栃木刑務所へ移送されたことを書きました。

 

 

身体検査を終えて6寮に着いたときにはお昼をとっくに過ぎていました。

 

 

遅い昼食をとります。累犯から栃木のご飯はまずいと聞いていましたが、朝食を抜いた私にはとても美味しく感じられました。

 

栃木刑務所の食事はまずくもないしこれといって美味しくもない、普通の食事だったと出所後の私は思っています。

 

立川拘置所の食事がどれも美味しすぎたので、始めのころは何これ…と思ったりしましたが、疲れてお腹が減っていればどんな食事でも美味しいと感じられるものです。

 

 

受刑者が生活する寮は1寮から6寮まであり、新入の受刑者は全員6寮(3階建ての2階)から生活をスタートします。

 

後に書いていきますが、6寮の1階には受刑者の中でも刑務官の言うことが理解できなかったり奇行をするような人が生活しています。

 

 

就寝前の睡眠薬がなんだかよく分からない粉薬になりました。

 

“なんだかよく分からない”というのは、分包されている袋に何の表示もなく薬剤の名前が分からないのです。そして今まで自分が飲んできたどの睡眠薬とも味が合致しません。

 

後に雑居で知ることになりますが、睡眠薬を処方されている受刑者全員がこの粉薬を飲んでいました。

 

受刑者同士でなんの薬なの?という話に当然なりますが、出所した今も薬の名前は分からないままです。

 

 

就寝の時間になり、環境が変わったから立川に居たときより眠りが浅くなると思っていました。

ちゃんと眠りたい、途中で起きるの嫌だな、そんなことを考えながら目を閉じます。

 

案の定なかなか眠れません。

 

 

感覚的に30分くらい経ったと思いますが、どこからか叫び声が聞こえます。

 

巡回する先生の「うるさいよ!」とか「静かにね~」と言う声が聞こえます。

 

 

立川には叫ぶ人は居なかった…これが毎日続くのか……。

 

 

立川拘置所でも変わった人は居ましたが、それを上回る人がここには存在する。

 

拘置所から刑務所へ移送されたその日の夜に、こんなことを思い知らされるとは…

 

 

 

他の受刑者と自分は違う、そう考えていたころもありました。

(そのブログはこちらです↓)

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12604856461.html

 

 

 

 

自分が相当ヤバい場所に居るということを、この夜に痛感しました。

 

 

そしてこの場所に二度と戻らない、戻ってたまるか!と改めて心に刻んだ日でもあります。

 

 

前回のブログでは通役に転業してからずっとお腹の調子が悪いこと、立川拘置所で10ヶ月の受刑生活を送ったあと刑務所へ移送されたということを書きました。

 

 

今までのブログでは刑務所の名前を一切出していませんでしたが、私は栃木刑務所へ移送されました。

 

移送日は2016年5月16日㈪です。

 

 

朝かなり早く起きて軽い朝食が出されますが、下痢と腹痛になるのが怖かったので食事も水分も一切摂りませんでした。

 

移送される刑務所は出発直前に知らされます。移送人数は私を含め4人でした。

 

 

おむつをしてバスに乗り栃木へ向かいます。

バスは内側からカーテンがされていて外の景色は見えませんでしたが、高速走行中だけはカーテンを引いてくれて外を見ることができました。

 

 

久しぶりに見る車やトラックが新鮮に感じました。

運転している人が見えます。明らかにゴルフへ行くであろう服装の人、作業着の人。

 

みんなこのバスに受刑者が乗っているなんて思いもしないだろうな……

 

私たちはこれから刑務所に行くっていうのに、外の人は自由でいいな……そんなふうに考えていたのをよく覚えています。

 

立川拘置所から栃木刑務所まで4時間半くらいかかったと思います。

腹痛になることなく無事到着したので本当に良かったです。

 

 

栃木刑務所へ到着して身体検査を受けます。

 

刑事施設での身体検査という行為に対して、TwitterのDMやアメブロのメッセージに性的な意味や冷やかしで質問してくる方が多いのでここではっきり書かせていただきますが、

 

女性器に指を入れて膣の中を検査したり、肛門の中まで検査するということはありません。

 

 

身体にどんな傷があるか、手術痕はあるか、ピアスの穴はどこにいくつあるか、刺青の絵柄の確認、インプラントを挿入しているか等を調べます。

 

刑事施設では自身に傷をつけてしまったり刺青を入れてしまう人がいて、それが発覚すると懲罰となります。

 

その傷や刺青が入所時からあるものなのか、施設側はしっかり把握しておかなければならないのです。

 

私は上の前歯の裏に矯正器具が付いているのですが、自分では取り外しができないものであることを説明した記憶があります。

 

 

荷物や所持金を調べ、刑務所に入るものと入らないものに分けます。

 

私はかなりの汗っかきでエアリズムの肌着を持っていたのですが、栃木では一切使うことができませんでした。

拘置所で使える物は全部刑務所で使えると思っていたので、結構ショックでした。

 

 

大きな黒いスーツケースに衣類や本を入れて「6寮」という建物へ移動します。

 

 

入所後の受刑者は全員6寮から生活を始めるのですが、あまり綺麗とは言えませんでした。

 

一番初めに収監された拘置所はもっと古くて汚かったので、そこに比べれば全然マシです。

 

 

 

私の栃木刑務所での称呼番号は483番。

 

 

新しい生活が始まります。

 

 

前回のブログでは何のために依存しているモノをやめるのか?その最終的な答えは自分の生き方を見つけ続けることではないか、ということを書きました。

 

 

工場での作業は順調で、他の受刑者が作った紙袋の修正を任されるようになります。

 

以前のブログで、通役に配役されてから下痢と腹痛に悩まされるようになったと書きましたが、それが工場に配役になってからいっそう酷くなりました。

 

そのときのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12608610544.html

 

 

私はもともと快便な方で、便秘になったことがありません。

小さいころから牛乳などの乳製品を飲むとすぐにお腹を壊していました。そのころのイメージが強いので今でも牛乳は一切飲みません。

 

拘置所や刑務所では栄養バランスが考えられた食事が出されます。受刑者の作業量によって炭水化物の量は増えますが、おかずは一緒です。

(宗教上の理由やアレルギーがある場合は少し違う食事が出されます)

 

 

朝の願いごとで体調不良を訴えると、医務から中年の女性がやってきて症状を聞かれます。

(受刑者が手紙を出したり願箋を提出する時間を願いごとや申し出と呼びます)

 

みんなと同じものを食べているのにどうしてこんなことになるんだろうと本気で悩みました。それを医務の女性に訴えます。

 

 

少し話はそれますが拘置所や刑務所では、作業をしたくないがために嘘をついて体調が悪いフリをする受刑者がいます。

そのような受刑者がいるお陰で、私のように本当に体調が悪い受刑者まで同じような目で見られるのは本当に嫌でした。

 

 

医務からフェロベリンやミロピンを(現在はロペラミド)、スルピリド、コロネルという薬が処方されていましたが、あまり効果はありませんでした。

 

私が嘘をついて腹痛や下痢を訴えているのではない、ということが拘置所側に理解してもらえたようで、医務室でやっと医師の診察、触診、採血、検便の検査をすることになりました。

 

 

トイレがある場所では痛くなることは少なく、トイレに行けない状態のときに痛くなる。

 

例えば運動の直前や運動中です。運動場にトイレが無いので、無いと思うと腹痛が起きます。

出房の直前にも痛くなったりします。

 

 

診察と検査があったのは5月10日でした。

 

検便や血液検査の結果はいつ出るんだろう、早く身体の不調の原因を知りたい。そう思っていたのですが、結局検査結果を聞くことはできませんでした。

 

 

5月13日㈮の朝に、今日は作業に出なくていいので荷物をまとめなさいと言われます。

 

いよいよ刑務所へ移送されるときがやってきたのです。

 

 

工場の先生に、トイレなんか絶対寄れないからおむつして行ってもらうと言われます。

 

マジか……この年齢になっておむつを穿くのか……

 

 

拘置所に来るときに持っていた荷物や貴重品を調べて間違っていないか確認し、刑務所へ持っていく荷物をまとめます。

 

私のブログをずっと読んでくださる皆さんは分かると思いますが、このときに母の革のコートを見てものすごい怒りが湧き上がります。

 

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12612024721.html

 

 

 

この革のコートを私のコートだと思って送ってくる夫。

 

この一件で夫の私への無関心が露呈しました。だって私を普段から見ていれば、このコートが私の好みじゃないこと、サイズも違うことは分かるはずです。

 

私のコートじゃないことに気付かない夫、私が普段どんな服を着ているか、私に全く無関心な夫にものすごい怒りが湧き出てきます。

 

こういう所には全く無関心なくせに、手紙で説教ばかりってどういうこと?

 

偉そうに説教するならせめて「わたしのこと」を把握してからにしてほしいし、私に興味が無いからこういう無神経なことができるんだ。本当最悪。

 

 

 

私がとんでもないネグレクトを受けていたころから、母がしょっちゅう着ていたお気に入りの革のコート。

 

「このコートはいいやつで高かったから、あんたが大人になったらあげるわよ」、小さいころにそう言われたことまで思い出す。

 

 

刑務官が「このコートは持っていく?」と聞いてきます。

 

即答します。「捨ててください」

 

 

あんなコート見たくもない。

私を捨てた母親のコートなんて着るわけない。

 

 

そんなドロドロした感情が渦巻く中、刑務所へと移送されることになります。

 

 

立川拘置所で4102番として過ごした10ヶ月は、ここで終わりです。

前回のブログでは病名を言い訳にしたり、診断名を他人に振りかざして生きても決して幸せにはなれないということを書きました。

 

 

今日は依存症のみなさんにお聞きしたいことがあります。

 

 

“みなさんは何のために○○をやめているのですか?”

 

 

○○にはご自身が依存しているモノをあてはめてください。

 

この質問に即答できる方はいらっしゃるでしょうか。

 

 

私の場合は薬物・処方薬(向精神薬)・窃盗・ギャンブル・買い物・自傷になりますが、数が多いので一番の問題である向精神薬で考えていきます。

 

 

受刑して間もないころは「二度と刑務所に戻らないために」、「ODをしているころの自分が酷い人間だったと理解できたから」、「夫のために」処方薬依存をやめようと思っていました。

 

 

夫のためにやめると思っていた私にこんな考えがよぎります。

 

「20年間も依存してきた薬を断っているのに、超がんばってるのに、全然褒めてくれないんだね…」

 

私の受刑中も出所後も、夫の依存症への理解はほとんどありませんでした。

依存症は甘え、意志が弱い人の言い訳、依存症とうつ病の違いが分からないといった認識でした。

 

 

仮に夫がとても褒めてくれたとして、それが続けば「夫に褒めてもらえて嬉しいからやめている」となるでしょう。

 

ですがそれはそう遠くない未来に、夫のために「やめてやっている」という考えにすり替わってしまうのではないかと思います。

 

あなたのためにやめているのに、という考え方はとても危険です。

 

 

我慢して苦しいときにたくさんの葛藤が出てくるように思います。

 

私は何のために薬を飲まずに頑張っているんだろう……

向精神薬をやめてどんなふうに生きていけばいいんだろう……

 

断薬しても結局うまくいかないじゃん。この辛さを分かってくれないじゃん。

 

そんなふうに考えてスリップしてしまいがちです。

 

 

このときにちょっと立ち止まって考えたいのは、支援する側も一緒に回復中だということです。

 

支える側の家族や支援者もどうやって回復していけばいいか、同じように模索して葛藤している時期だと思います。

 

 

このころに私と夫は依存症について、初めて一歩踏み込んだ話し合いをしました。

 

 

私の主張→依存症は意志の弱い人がなるものではないし甘えでも言い訳でもない。回復を続けながらこれからも生活していきたい。依存症という病気を完全に理解してとは言わないから、せめて知ってほしい。

 

夫の主張→またメンタルクリニックへ行くことで薬を大量に貰ってODするんじゃないか?信じたいけど過去にたくさん嘘をつかれた記憶がよみがえる。どうしても疑ってしまう自分の気持ちも考えてほしい。

 

 

こうした話し合いを繰り返し、依存症者と支援者が少しずつ理解しあっていくことも「回復」です。

 

 

今現在の夫がどの程度依存症を理解しているかですが、そこまで深く理解はしていません。

 

彼の人生で何かに依存してコントロールできなくなったことが一度も無いので、本を読んでも私の話を聞いても共感することはできないのです。

 

 

刑務所で受刑したことがある元受刑者の家族でさえ、なかなか理解できないのが依存症という病気です。

 

誰かのために依存している○○をやめる、はじめのうちはその理由でもいいかもしれません。

 

やめる、やめたいと思えるきっかけは大切です。

 

 

私は依存症で苦しんでいるみなさんへ、どうやってやめることができているか、回復を続けられているかをお伝えすることはできます。

 

 

依存症の最後の回復ステップは、生き方を見つけ続けることだと私は思っています。

 

 

最後に私が何のために向精神薬や窃盗、ギャンブルをやめているか?の答えですが、

 

“依存症で苦しんでいるみなさんの道しるべになりたいから”です。

“元受刑者や現在受刑している人の勇気になりたいから”です。

“依存症者を支える家族の、支援者の力になりかいから”です。

 

 

こんなにたくさんのモノに依存している私でも、やめ続けることができるんです。

 

依存症の人も、依存症者を支えるご家族も、焦らずゆっくり進んでいきましょう。

 

 

前回のブログではさらに減薬を申し出たこと、睡眠に対して完璧を求めていたけれど「こんなもんなんだ」と思えるようになったことを書きました。

 

 

受刑生活が始まって9ヶ月が経過しました。

 

立川拘置所で向精神薬を減薬し、さらに考え方がまともになってきました。

 

このころの私は、信田さよ子さんの本で自分が依存症であること、AC(アダルトチルドレン)であること、夫や母と共依存の関係にあること、母が毒親であったことを理解しています。

 

自分が“依存症という病気だから”破滅的な行動を起こしてしまうんだ、それが理解できたときにとても安心したのを覚えています。

 

私だけじゃないんだ!

やめたいのにやめられない人が私以外にもいるんだ!

意志が弱い人がなるわけじゃないんだ!

 

 

自分の破滅的な行動に病名が付いたこと、正体が見えたことに安心したのです。

 

 

ですが残念ながら、病名がついて正体が見えてそれで解決!とはなりません。その先には自分を見つめなおすという辛い作業が待っています。

 

 

どんな病気も、それを言い訳にするようなことをしてはいけないと私は考えます。

 

これは依存症だけではなく色々な病気で置き換えることができます。

 

まず私で例えていきます。

私は薬物依存症でクレプトマニアだから、覚せい剤をやってOD(オーバードーズ)して物を盗むのはしょうがないよね、となるでしょうか?

 

双極性障害だから、躁のときに買い物をしまくって散財しても仕方ないよね、となるでしょうか?

 

解離性障害だから、違う自分のときに他人に暴言を吐いたり傷付けたりするのは仕方ないよね、となるでしょうか?

 

発達障害で相手の気持ちを察することができない、会話が噛み合わない、だから周りの人が自分に合わせるべきだよね、となるでしょうか?

 

 

人生の半分を刑務所で過ごす女性が、私は依存症だから覚せい剤をやめられないのは仕方がないと開き直っているブログを以前書きました。

 

依存症は完治しない病気。だから彼女の言っていることは決して間違っていないけど、そうやって開き直っている人間に決して幸せはやってこないと思います。

 

↓そのブログはこちらです

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12611558296.html

 

 

 

診断がついても、結局生きづらさは変わらないんです。

 

その診断を水戸黄門の印籠みたいに振りかざしても、人は離れていくし孤立するでしょう。

 

自分の病気や不都合を振りかざして正当性を訴えたところで、自分が辛くなるだけです。

 

 

私は依存症で、この病気になったことで刑務所へ行き、この病気を受け入れることで生き方を変えることができました。

 

視野がとても広がりました。

 

 

自分に正直になって、自分を受け入れて、とても辛い作業ですが時には人生を見つめなおしてみてください。

 

過去を踏まえ整理し、過去にとらわれることなく、「今」を生きてください。

 

皆さんにはどうか病名を言い訳にせず、自分の人生を豊かにする方法を探していただきたいです。

 

 

そして皆さんの人生がより豊かになるきっかけに、力に、このブログがなれば嬉しいです。