前回のブログでは、自分の立ち位置で見えるものも考えることも変わるということを、私の過去の経験を踏まえて書かせていただきました。

 

 

栃木刑務所での生活に話を戻していきます。

 

刑務所の中でも役職の高い刑務官との面談で、かなり厳しいことを言われたという話を書きました。

そのブログはこちらです↓

https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12626442920.html

 

 

審査会の翌日、就業する工場へ正式に転業します。

 

2016年(H28年)6月2日、私は洗濯工場に就業することになりました。

 

 

洗濯工場は名前の通り洗濯をする工場です。

衣類の破れやほつれを直したり、布団を干したり、寝具の管理をするのも洗濯工場の仕事です。

 

洗濯工場に転業になると同時に居室も移動になります。

それまで生活していたのは6寮という場所でしたが、経理係が生活する5寮に転室します。

 

6人雑居、ここから本格的な集団生活が始まります。

 

 

私が在所していたころは10もの工場がありました。

 

栃木刑務所で作っているものは私が記憶している限り、ミニ達磨、お守り、子供服、人形、紙帽子、布コースター、小学生が被る紅白帽がありました。

 

刑務所でお守りや達磨を作っていると知ったときには結構驚きました。(笑)

 

 

 

洗濯工場は晴れの日は屋外で作業をします。雨が降ると所内で作業です。

 

私が洗濯工場に配役されたのは6月でしたが、とても日差しが強くて初日の作業後には肌が真っ赤になりました。外での作業には日焼け止めが必須です。

 

もちろんエアコンなんてありません。

 

今年の酷暑は受刑者には地獄だったと思います。

 

 

6人雑居は累犯3人初犯3人で思っていたほどの面倒くささはなく、他の受刑者がいい人(?)だったので色々なことを教えてもらうことができました。

 

断薬して日が浅くちゃんと眠れるか心配でしたが、洗濯工場はかなりの運動量で疲れるので、熟睡はできないけど早く入眠することができました。

 

 

このブログを読んでくださる皆さんは「そんなこと?」と思うかも知れませんが、“身体を動かして疲れれば薬無しで眠れる”ということに洗濯工場で気付きます。

 

このときの私の年齢、37歳です。37歳でやっと気付くのです。

 

 

これまでの私の生活は、昼前に起きて身体を動かすこともせず夜になって「眠れない!」というものでした。

これじゃ寝れないのは当たり前ですよね。生活リズムは崩れ食生活も不規則すぎました。

 

 

そんなことに気付けないほど、向精神薬のOD(大量服用)が激しかったのです。

 

 

 

 

次回のブログでは、違法薬物と向精神薬のODを20年間続けたことで、私の身体に起きている後遺症について書いていきます。

 

 

今日はこの場でご報告をさせていただきたいことがあります。

 

7月30日に受けたある資格試験に無事合格することができました。

 

いい加減な人生を歩んできた自分でも、何かに挑戦し努力することができるということ、

前科者でも元受刑者でも出来ることがあるということを、

 

これからも皆さんに発信し続けていければと思います。