猫と暮らす、生きる

猫と暮らす、生きる

猫を育てる人生

2020年以降、元妻が自営業で成功して自立した影響で、特に争いもないまま、結婚生活は静かに自然消滅へと向かった(2022年2月婚姻解消)。その変化に適応できず、4年に渡って苦しみ続け、長年勤めた会社を早期退職するまでに至った。現在は時おり起きるフラッシュバックを克服するために、過去の記憶で胸が苦しくならないように、毎日やるしかない!前へ進むのみ!という気持ちで生きている。

 

私は2000年頃から働くことが好きになり、2年ほどアルバイトをした後、

2002年4月に化粧品・トイレタリーの会社へ就職し、約22年勤めて、

今年1月に早期退職した。

 

現在も含めて、ずっと苦痛だった気がするが、唯一、快適と感じる、

働きやすいと感じる期間が2013年4月~2019年3月の6年くらい存在

したと感じている。何故、あの期間だけ快適と感じれたのだろうか??

 

■2000.4~2002.3

ラジオ番組のAD、WINS後楽園や東京モーターショーなどのスタッフ

■2002.4~2005.3

営業職(美容室、美容代理店担当)【苦痛LV5】

■2005.4~2010.3

開発職(美容室業務用)【苦痛LV4】

■2010.4~2013.3

開発職(ヘアメイクブランドのマーケティング)【苦痛LV3】

■2013.4~2019.3

開発職(容器包装の設計※自社ブランド)→この6年だけ何故か快適だった

■2019.4~2024.1

開発職(容器包装の設計※OEMその他、人間工学)【苦痛LV4】

■2024.2~現在

開発職(菓子のデザイン、コピー)【苦痛LV5】

 

22年勤めて、快適だったのは僅かに6年。しかし、その6年のインパクトが

大きいせいか、前の会社は良かったと感じることがある。

こうやって整理すると、22年のうち16年も苦痛だったので、今の苦痛は

許容範囲のはずという認識もできる。

 

あの6年は成長実感があった、業務量とそのレベルや身に付くが経験値が適正に

割り当てされていた、小さなルールが徹底されていた、問題や悩みを組織で

解決する雰囲気があった、会社の業績が伸びていて、社内が明るかったなどある。

 

実は私生活、結婚生活においても、この期間はまあまあ幸せにやっていた気が

するので、やっぱり、コロナをきっかけに公私ともに激変の渦の中に飲み込まれ、

気がついたら、ボロボロになっていたというのが実感である。

 

あの6年は自分のペースで人生を生きていた気がする。

一言で言えば、かなり幸せだった。

 

だから、今後、一般企業で働こうが、昔のようにアルバイトとして働こうが、

マイペースに生きていけるセカンドライフをつくっていきたいと感じる。

 

 

 

1年ぶりにメンタルクリニックへ行ってきた。

 

自分の近況に関して、元妻からセミナーへ行くことをすすめられ、

かつ、親友からメンタルクリニックに行ったほうがいいと言われ、

急遽、クリニックのほうへ行ってきた。

 

しかし、22年4月~23年7月に通っていたクリニックではなく、

土日やっている所に変えた。

 

30分ほどの診断の中で指摘されたことは、

・過酷な仕事に対して、心が苦しいと感じることは自然な現象である

・離婚のことや仕事の辛さが複合的に影響して苦しんでいる

・毎日のたうち回るような状態を続けることは難しいので、

 退職や転職をして、状況を変えることを考えておいたほうがいい

 

久々に心療内科に行って思ったことは、

話を聞いてもらえる、そのうえで、アドバイスをもらえることは、

嬉しいことだと感じた。私の結婚生活は後半2年くらい無視されていたし、

以前の会社・職場に関しても、コミュニケーション面の問題を抱えていた。

(正直、2017年頃から夫婦間の会話は淡泊な状態だった気はしている)

 

私が今、ピンチな状態にあることは変わらないが、

2020年春頃から続いている暗黒の状態はそろそろ

出口が見えてきたような気はしている。

 

離婚については、時間が経過すれば、癒えてくると言われていて、

確かに最近はほとんどフラッシュバックは無くなりつつある。

以前勤めていた会社の職場クライシスについても、今の会社で

悶絶の日々を過ごしているので、どうでもよくなりつつある。

 

経済的には、かなり先までやっていける状態なので、

今の会社を退職すれば、もう万事解決ということは分かっている。

 

もちろん、毎日やるべきことをやるしかない、前に進めるしかない

現実であるが、そろそろ暗黒のトンネルから抜け出す動きをしていきたい。

 

 

転職後、5ヵ月ほど経過した。

毎日のたうち回る悶絶の日々が続いている。

 

「のたうち回る」

 

この言葉が今の私の状態を適切に表現している。

辛い、苦しい、辞めたい、死にたいなど

悩んだり、落ち込んでる時間や余裕もない。

 

毎日、七転八倒、七転び八起き、のたうち回る。

 

あの会社で長く働いている人、元気でいれる人、

普通に恋愛をして、結婚して、家族がいる人、

本当に凄い、心底尊敬できる、尊敬しかない。

 

私が前の会社を辞めたのは、集団生活や人間関係に行き詰った

と総括している。後半、適応障害もあって、仕事に支障が出て、

最終的には居れなくなり、辞めた。(後半は休職すべきだった)

 

今は違う。ただただ、のたうち回る、みんなも同じ状況下でありながら、

自身はついていくのに必死で、ほぼ瀕死に近い状態で戦ってる気分だ。

前職が精神的ダメージなら、今は肉体的ダメージに近い。

 

引退、リタイアとはこういう状態なのかもしれない。

多くの若い人に囲まれ、同じような役割、ミッションに対して、

自身のパフォーマンスが明らかに劣っている状態だ。

 

プロ野球選手だって、引退する後半の数年は出場試合数や

打率、本塁打などの成績は全盛期と比較して、低迷している。

 

人間の寿命には個人差があるように、絶対的能力にも個人差がある。

私はもう一般企業、オフィスワーカーとして、オワコン化したと

自覚できた。私はオワコン、年寄りなのである。

 

そのことを自覚して、身の丈にあったセカンドライフへ移行する。

死ぬとか生きるとかではない。毎日、やるしかない、

気づいて、動いて、前に進むしかないのが人生である。

 

 

映画「先生の白い嘘」を観てきました。

とても心が苦しくなる作品ですね。

 

男と女

恋愛と結婚

 

男性の支配におびえる女性

女性の拒絶におぼえる男性

 

自分は結婚生活を12年経験したが、奥さんに対して、

一方的に身勝手な理想像を期待し続けたと気づかされた。

 

そして、奥さんがその理想とは違う姿に変化していったことに対して、

肯定するふりをして、本当は抵抗感を感じていたから、会話が減ったと

気づかされた。

 

自分が奥さんに対して、女性に対して、その生き方に対して、

本当に共感する気持ち、奥さんがやっていることに興味があれば、

会話は増えただろうし、お互い、もっと笑顔になれたんだと思う。

 

2022年2月に結婚生活を終えたが、2017年頃から奥さんが

東京でセミナーを開講したり、自営業つながりの男性たちと

ネットワークを作っていることに対して、本当は動揺していた。

 

それでも3年くらいは夫婦仲良く過ごしていたが、コロナ禍中に

奥さんが自営業を正式に法人化したあたりから、もう手の届かない、

いや、自分から身を引いていってしまったように感じている。

 

人生において「たられば」は無意味である。

子供がいたら・・・

自分が主夫となって支えていたら・・・。

 

お互い子供がほしいとならなかったから2人のままだったが現実だし、

主夫願望はあったが、自分が退職したのは婚姻解消から2年後で、

タイミングが合わなかった。

 

仮にそうであったとしても、1人くらい子供いて、自分が主夫と

なって支えたとしても、遅かれ早かれ行きつく先は同じだっただろう。

 

自分が生きるこの世界は、自分の観念や意識で現実がつくられる、

だからこそ、気づくことが大事だし、気づいて行動できるようになりたい。

 

 

1年前、早期退職を話題に出した。

 

私が22年勤めた会社では、自己申告制度があり、異動や個人的な事情を

相談できる機会があった。当時の私は退職願望を持っており、

どのタイミングで、話を切り出すか、日々躊躇しながら、過ごしていた。

 

その面談の場で、今後のキャリアというテーマに対して、早期退職制度を

活用して社外で活躍する道を探すか、社内で経験を活かせる道を探すか

といった主旨の話をしたような気がする。

 

退職を考えていない人が「早期退職」というワードを使う必要はないので、

私はこの場で軽く上司にジャブを打ったが、予想以上に好反応というか、

肯定的な反応で、安心した。この時、辞めれる!という手応えを掴んだ。

 

それくらい会社を辞めるとは悩むし、とても口にしずらいことである。

愚痴の延長で「辞めたい」と言うことはたやすいが、正式に「辞めます」

と口にすることは、とても勇気が必要であった。

 

自己申告面談から2ヶ月ほど経過した9月中旬、私は退職願いを提出し、

特に慰留もなく、スムーズに受理してもらえた。そして、コロナ禍の

2020年以降、本当に多様な経験をさせてもらったと感謝している。

 

・人間工学への取り組み(容器包装のユーザビリティ研究)

・新規事業への参画と業務サポート(とにかく多かった…)

・輸送資材の安全係数の見直しおよび新基準の提案

・原価低減アイディア(円安原材料高騰への対策)

・医薬部外品の新規透明容器の設計および本生産導入

・大手流通専用品の新規容器の設計および本生産導入

・未来予測活動、女性社員のサポート、オフィスビル管理

 

最後の上司は寡黙な人で、上記のような新しい取り組みに対して、

あまり強制する人ではなかったし、どちらかと言えば、定形業務

の手順管理やフォーマット作りが得意で、大人しい印象であった。

 

今考えれば、命じられた役割とはいえ、強く求められていないことを

あれこれ散らかして去ってしまったかもしれないが、後世に紡がれる

ことを願っているし、数年後の100周年の姿を楽しみにしている。

 

その時、私はどこで何をしているかわからないが、

どんなことでもいいから、意欲的に生きていることを目指している。

 

 

人間ドックへ行ってきた。

 

昨年末に22年勤めた会社を早期退職し、

今年は人生激変中のため、健康面の変調リスクを感じ、

例年よりも早期に受診したが、初見では異常なしだった。

 

20年12月に66㎏だった体重は3年半を経て、58㎏まで落ちた。

これは40歳時の体重まで戻ったことになる。

 

 

3年前の21年7月、Twitter上に上記のような投稿をしていた。

初めて「FIRE」という言葉を知り、早期退職願望を持ち始めた。

また、同時期にこのようなメモが手帳に書いてある。

 

・良きケーススタディ:理不尽、複雑、問題、悩み、悲しみ、不安

・今の会社にいる限り、誰もがやりたくない仕事ばかり回ってくる

・太った。毎日スクワットして、58~60㎏へ

・志望校:I-ne、ネイチャーラボ、ロート製薬

 ※ここに書いてある会社へは転職しておりません

 

コロナ禍、私は堕落していったと反省している。

 

時を同じくして、自分がいた職場も妙な風邪をこじらせたような、皆が皆、

見たことがない生きずらさに苦しんでいたが、私は体重の増加が象徴する

ように何もかも億劫になり、些細なことに不満を感じるようになっていた。

 

人生はやるしかない、前進するしかない、という気持ちがあれば、踏ん張れた

かもしれないが、私生活でも22年2月には婚姻解消、同年4月~23年6月まで

心療内科通い、公私ともに悪化し、23年9月に退職願いという顛末へと至った。

 

現在も私は新しい会社で毎日、七転八倒、七転び八起き、のたうち回るような

日々を過ごしているが、これはコロナ前、以前の会社でもこんな感じだった気

がするし、サラリーマンは皆、こうやって毎日を乗り越えているように感じる。

 

仕事自体のストレスではなく、会社集団生活に対して、不信感や生きづらさ、

小さな絶望の積み重ねを感じているのなら、遠慮なく休職したほうが良い。

私はそれを日々放置し、状態を悪化させ、堕落していった後悔がある。

 

何かマズイ、このままではいけない、そう感じたら、気づけているのなら、

気づかぬふりをせず、何かちゃんと行動すれば、前に進めば、変わると思う。

 

コロナ禍以降、円安物価高が続き、社会保障制度も破綻していくであろう、

この世界で生き抜いていくことは誠に過酷である。その事実を冷静に

落ち着いて受け止め、皆も同じくしんどいという気持ちで前に進むしかない。

 

やまない雨はない、明けない夜はない、いつか光が射してくる。

 

 

占いに行ってきた。

元妻は占いが好きだった。

タロットカードも持っていた。

 

私が占いに行ったのは、婚姻解消から2ヶ月ほど経過した2022年4月、

また、会社を早期退職した2023年12月の2回で、今回は3回目だった。

毎回30分コースだったが、今回は60分コースを選択した。

 

この4年、本当に苦しんだ。コロナ以降、公私ともにリズムが崩れ、

婚姻解消に至り、メンタルクリニックに通い、仕事にも悪い影響が出て、

退職を余儀なくされ、新しい会社でも苦痛の日々を過ごしている。

 

今、自分が何をすべきか考えた時に、このような状態であることを

話して、アドバイスをもらったほうがよいと考え、占いに行ってきた。

そして、ポイントは以下の通りである。

 

★7月6日17:30〜18:30
・過去を引きずる原因は家にありそう。
・7年後あたり、再婚をきっかけに家を出る。
・今の状態だと、この先は仕事を転々とする。
・リタイア後は外に出た方がいい。アルバイトが良い。
・前の会社のバドミントンサークルに参加した方が良い。

・生涯、お金の流れが良い。
・行動する、足を運ぶことで新しいパートナーと出会う。
・相手は年下のしっかりもの、しっかりものと合う。
・占いが向いている、趣味レベルで始めるといい。
・今の仕事は来年3月くらいが節目では。

 

今の仕事を継続するのは、あまりにも困難すぎる、

生きた心地がしない、迷わず、早々に辞めるだろう。

その日を目標に頑張る、やるしかないのである。

 

ありがたかったのは、完全リタイア後の生活に対して、

小金稼ぎと新たな趣味を提案してくれた。

 

それが占い、タロットカードとは、とても意外だった!

日々、自問自答を繰り返す自分には向いてるらしい。

これは是非、やってみたい、新しい道が開けるかもしれない。

 

占いとは予想や予測ではない、赤裸々に話をして、

アドバイスをもらい、ヒントや気づきを得ることだと思う。

 

今回、占いに行って良かった。今後も節目節目で行きたい。

それくらい、この世は赤裸々に話をする場がないのである。

 

 

 

今週、夢を見た。

元妻の実家にいて、最近、元妻が胃を悪くして、

国内の薬では効かなくて、苦しんでいるという話だった。

 

もちろん、現実は元妻は元気である。

夢というのは、常に脈絡が無い。

 

2010年4月に婚約の挨拶に行って以来、最後の帰省となった

2020年3月まで10年間、元妻の家族とは交流が続いた。

義理の父、母、姉、姉の旦那、息子、娘、猫(うちの猫の兄)。

姉の結婚式では皆でハワイにも行ったし、何回か旅行もした。

結婚とはまさに家族が増えることであった。

 

また、ルーチンな側面もあり、年末年始の帰省、1月は夫婦で旅行、

3月は義理の母の誕生日祝い、5月はGWの帰省と元妻の誕生日、

6月は義理の父の誕生日祝い、8月は盆休みで私の実家に帰省、

9月は夫婦で結婚記念日祝い、12月はクリスマスディナーだった。

 

婚約時、私は33歳・元妻は28歳の年であった。

相手のご両親は父が60歳・母が52歳であった。

現在、私は47歳になり、元妻は42歳になった。

元妻の父は74歳・母が66歳ということになる。

 

婚姻解消後、すぐにご両親宛に手紙を送った。

コロナ禍に入って以降、結婚生活が一変したこと、

それまでは結婚は成り立っていたことを伝えたかった。

 

元妻はすっかり人が変わってしまったので、

現在、連絡を取ったところで、ギクシャクするだけだ。

しかし、義理の両親に対しては、気持ちが残っている。

 

ふらっと顔を出して、近況報告できる日が来てほしい。

積もる話もあるし、縁が切れたとは思っていない、

点と点がつながる日がいつかやってくるはずだ。

 

私が60歳になるとき、元妻の父は87歳、母は79歳だ。

時間は十分にある、再会できる日を楽しみにしている。

 

「当時は本当に残念でしたが、当時のお互いの状態と

その先の将来を考えると、あの選択が自然な流れでした。

コロナの影響で2年くらい一緒に行動することが無くなった

ことも原因の一部だったと思いますが、ドラマや映画の

始まりから最終回まで全て経験できたと思っていました。

病気をせず、元気でいてほしいです。私も元気でいます」

 

 

2018年4月。

当時勤めていた会社の90周年記念式典の場で、私は開発チーム一同で

業務貢献賞を受賞した。当時、「平成最後の**」をよく耳にしたが、

安室奈美恵が引退した年でもあり、妙な節目感が漂っていた頃だった。

 

平和な時期でもあった。

4月に元妻の家族と温泉旅行に行き、8月には夫婦で長野県・富士見高原の

入笠山を登り、年末はXmasディナーなど楽しく過ごしていた時期だった。

当時、元妻は自宅で営んでいた習い事の教室が順調に進み、月収100万を

超えた頃で、貯まったお金で海外旅行を満喫して、色々とお土産をくれた

記憶が残っている。また、元妻は独学で経営を学び、規模拡大を目的に

教室を近所へ移転する準備をしていた頃でもあった。

 

結婚生活は、とても良いものであった。

一緒に暮らす、一緒に生きる、毎日生活を共にすることは、

時間をとても濃密にしてくれる力を持っていたと感じる。

また、相手の両親や兄弟姉妹、姪や甥など家族が増えることで、

人生が倍々に充実していったし、私の場合はマンションを買う、

猫を育てるなど結婚生活を通じて、得たものがたくさんあった。

毎朝、カフェオレを飲む習慣も元妻が私にしつけてくれたことだ。

 

2020年、新型コロナウイルスをきっかけに夫婦の生活は一変した。

その2年後、2022年には結婚生活は静かに自然消滅へと向かった。

さらに2年が経過し、現在、私は独身で日々淡々と生きている。

 

結婚は何回でもできる。

だから、もし良縁があれば、結婚生活をしたいと願っている。

若い時の勢いはないが、楽しめる気はする。なぜなら、失ったことで、

結婚生活は良いものであると、心の底から分かったからである。

だからこそ、元妻と元妻の家族には心底、感謝している。

 

 

5年前の2019年6月~9月にかけて、包装管理士講座に通った。

3ヶ月間の中で、座学・合宿・作文・宿題・グループワーク、

最終は論文提出、筆記試験、面接など濃密な時間を過ごした。

当時、新スキンケアの導入を後輩と手分けしながらやっていたが、

講座と業務を両立させながら、2人3脚で必死に毎日を過ごしていた。

 

また、私生活においても、ノートのメモを見ると、図書館に通って、

自己啓発に励んだり、ゴルフの練習をして翌年、夫婦でゴルフを

やろうとしたり、美術館巡りを始めたり、活動的に過ごしていた。

 

2019年という年はコロナや円安に陥る前で、日本はまだそこそこ

平和だった気がするし、公私ともに安定していた最後の1年だった。

 

あれから5年。今は新しい会社で七転八倒、七転び八起きしながら、

毎日、とてつもない心拍数で、のたうち回るように、悶絶しながら、

必死に生きている。毎日、本当に真剣勝負だし、「本気」だ。

 

そして、思う。

2020年~23年の4年間、なぜ私は完全に堕落してしまったのか?

 

経験に対して求められる役割への違和感、長くいるが故に感じる粗、

やってもやっても常に感じる無力感、人員整理のわりに進まぬ新陳代謝、

それらの小さな失望の蓄積やテレワークなどが怠慢を導いたのだろうか。

 

しかし、それでも、なぜ、今くらい本気で、あの4年を過ごすことが

できなかったのか。私生活の変化、職場の変化、変化に適応できず、

適応障害を自覚できず、受け入れず、解決せず、放置し、自滅した。

 

でも、今、やれている。5年前と同じくらいのエネルギーでやれている。

今くらいのエネルギーで、あの4年間、毎日働くことができていたのなら、

私は退職しなかっただろう。そう思うと、とても悔しいし、残念だ。

 

新しい会社は、非常に離職率が高く、どれくらい続けられるか未知だが、

少なくとも、私に「第2の人生」と言える状態をを与えてくれたと感じる。

仮に今の会社を辞めても、その後の人生、自分は生きていける気がする!

 

私は「第2の人生」を生きている。