まずは自己紹介から

 

    

今日は改めて、フリーランスのウェディングプランナーになったきっかけの話をしたいと思います。人生の明暗を経験した私について、少しでも知っていただけたら幸いです。

 

私は学生時代、地元和歌山県でホテルの配膳のアルバイトをしていました。一番好きだったのが、結婚披露宴の配膳のお仕事。裏方の業務ながら、新郎新婦の「生い立ち紹介」のスライドを見て、全く知らない人なのに、毎回感動しておいおい泣いていたものです。

 

学校を卒業して社会人になると、新卒で入った大手会社の総務部の仕事が自分に合っておらず、致命的に興味が沸かない、という壁に突き当たりました。毎日刺激がなくて、つまらない生活…。

 

「転職したい」そう考えて、思い巡らせたのは、「今までのアルバイトで一番楽しかったことは何だろう?」ということ。それは間違いなく、結婚披露宴の配膳係でした。「これが天職かもしれない!」やりたいことを見つけた私は、ウエディングプランナーの面接を受けまくり、無事採用。やりたい仕事ができる幸せに心躍りました。

 

ウエディングプランナーになってからは、本当に楽しく水を得た魚のように、多忙でハードな毎日でも生き生きと働いていました。新郎新婦様と打合せした狙い通りに、披露宴のゲストに喜んで頂き、パーティーが盛り上がりみんなが「良い結婚式だった」と言ってもらえるのが何よりのご褒美、、

【人の心が動く瞬間に立ち会える】

それが、私の幸せでした。

 

もっと自由な結婚式を作りたいと2016年に念願だったフリーランスウェディングプランナーとして独立しました。

独立してからも本当に楽しく

吉祥寺に引っ越してからはもっと楽しく

一生このままやっていける!と

思っていました。

 

そんなある日、降りかかった災難、新型コロナウイルス。披露宴は全てキャンセル、ウエディング業界は未曽有の大ピンチに。長年お世話になっていた結婚式場が次々と閉鎖し、私自身も仕事がなく、生きていくためには、他のお仕事を探さなくてはならなくなりました…。

 

同じ冠婚葬祭関連の業界という事もあり、いわゆる「葬儀屋」で働くことにしました。結婚式と同じく、人の人生の節目に携わるお仕事。いろいろプランニングできてさぞかし楽しいだろうな~と思っていたのですが、

ウェディングとの決定的な違いは、

お葬式は【やること】が決まっている

ということでした。

 

コロナ禍でのお葬式は、簡素な家族葬がほとんどで、それだけでなく、見送ってくれる身内が誰一人いらっしゃらず、亡くなった病院から火葬場まで、”セレモニーなし”の直葬も多かったことに驚きました。お身内のいない方が自宅で孤独死をすると、警察による現場検証後、解剖を経て、私たち葬儀屋がご遺体を引き取りに呼ばれ、火葬場までお届けする。家族の立ち合いのないか葬式も多かったです。

 

意外にも、女性が多かったことに衝撃を受けました。せっかく長生きしても、最後には一人になってしまうのか…。「結婚式」のお祝いの現場から、真逆の「お葬式」というお悔やみの現場を目の当たりにして、私はこう確信したのでした。「人は繋がりを持って生きなきゃいけない」と。そのために、「まず、結婚する人から作ろう」と思い至り、結婚相談所のマリッジコンシェルジュに転身。結婚したい人を残らず結婚させる、というモットーの元、ご成婚者様を送り出しています。

 

冠婚葬祭業を幅広く経験したことから、『その人らしい感謝の伝え方』を常に考えて来ました。パートナー探しにおいても、初対面の人に、あなたらしさを伝えるために、心を込めたプロフィール作りから、プロポーズのシチュエーションまで、精一杯サポートしています。

 

私自身も、婚活を経ての2度の結婚と、二度のストーカー事件、義両親との同居等、結婚にまつわる悩みを様々経験して参りました。

 

少しでも「結婚したい」という気持ちがあるようでしたら、是非、お問い合わせくださいね。あなたの未来が、その最後の日まで、末長く温かい家族に囲まれていますよう。

 

私個人としては今の旦那と2022年にアプリで知り合い2024に入籍しました。

旦那のガン発見を機に家族(犬2匹)との時間をもっと増やしたいとキャンピングカーを購入しました。長期の休みにしか使わないので私たちが使わない日は家族の思い出作りのしてもらえたらと、親しいお友だちに貸し出しをしています。

 

いつ天に召されるか分からない世の中です。

悔いのないよう人生を送りたいと

日々やりたい事を爆進中です。