自分の小学生時代を振り返って思うこと | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

自分の生きづらさを紐解くために始めた、

「マルトリートメントと私」

と題した、
自分の生育歴を振り返るブログ。

気がついたら、小学生時代を書くのに、
5月23日から9月2日という、
3ヶ月ほどの日数を、
かけてしまっていました。

特に父親から受けた、
性的なマルトリートメントについては、
起こった出来事をそのまま書いたら、
アメブロ側から健全なサイト運営にふさわしくないと言われて、
表示されなくなるような内容だったため、
なかなか書くことが出来なくて、
随分と時間がかかってしまいました。

私の小学生時代は、
ASD(自閉症スペクトラム障害)を原因とする、
学校生活での生きづらさに加えて、
父親からの性的虐待までをも含めたマルトリートメントが、
家庭での生きづらさをも抱えさせ、
より生きることの困難さを深めたように思います。

そして、ASDと父親からの虐待といった、
2つの問題を抱えて苦しんでいた私を、
多分持て余してしまったのであろう母が、

「お前もそれくらいのことで泣くな!!」

と、私を突き放してしまった時に、
私の心の安全基地は完全に崩壊してしまい、
私の愛着障害は完成してしまったのだ、と思うのです。

過去に"もしも"は無いのだけれど。

それでも、もしも。

私が抱えていたものが、
愛着障害、または、ASD(自閉症スペクトラム障害)の、
どちらか一方だけだったとしたら、
私は自分を幸せにするのに、
35年もの時間を要することは、
無かったのではないかと思ってしまいます。

だから、今。

もし、このブログを読んでくれている、
あなた自身や、あなたの周りに、
過去の私のような子供がいるのなら。

どうか、
愛着障害を抱えるような子供には、
しないであげて欲しいのです。

ASDは生まれもったものだけれど、
愛着障害は決して、
必ず抱えなければいけないものではないのだから。

もし、ASDの子供が、
大人になるまで心の安全基地を持ち続けることが出来たなら。

その子はきっと、
自閉症スペクトラム"障害"ではなくて、
自閉症スペクトラムという1つの"個性"として、
自分の人生を生きていけるのではないかと、
そんな風に思います。

それは、過去の私が成し得なかった、
憧れの生き方でもあって。

私が今からの人生で、
目指している生き方でもあるのです。