「マルトリートメントと私」
と題した、
自分の生育歴を振り返るブログ。
気がついたら、小学生時代を書くのに、
3ヶ月ほどの日数を、
かけてしまっていました。
特に父親から受けた、
性的なマルトリートメントについては、
起こった出来事をそのまま書いたら、
アメブロ側から健全なサイト運営にふさわしくないと言われて、
表示されなくなるような内容だったため、
なかなか書くことが出来なくて、
随分と時間がかかってしまいました。
私の小学生時代は、
ASD(自閉症スペクトラム障害)を原因とする、
学校生活での生きづらさに加えて、
父親からの性的虐待までをも含めたマルトリートメントが、
家庭での生きづらさをも抱えさせ、
より生きることの困難さを深めたように思います。
そして、ASDと父親からの虐待といった、
2つの問題を抱えて苦しんでいた私を、
多分持て余してしまったのであろう母が、
「お前もそれくらいのことで泣くな!!」
と、私を突き放してしまった時に、
私の心の安全基地は完全に崩壊してしまい、
私の愛着障害は完成してしまったのだ、と思うのです。
過去に"もしも"は無いのだけれど。
それでも、もしも。
私が抱えていたものが、
愛着障害、または、ASD(自閉症スペクトラム障害)の、
どちらか一方だけだったとしたら、
私は自分を幸せにするのに、
35年もの時間を要することは、
無かったのではないかと思ってしまいます。
だから、今。
もし、このブログを読んでくれている、
あなた自身や、あなたの周りに、
過去の私のような子供がいるのなら。
どうか、
愛着障害を抱えるような子供には、
しないであげて欲しいのです。
ASDは生まれもったものだけれど、
愛着障害は決して、
必ず抱えなければいけないものではないのだから。
もし、ASDの子供が、
大人になるまで心の安全基地を持ち続けることが出来たなら。
その子はきっと、
自閉症スペクトラム"障害"ではなくて、
自閉症スペクトラムという1つの"個性"として、
自分の人生を生きていけるのではないかと、
そんな風に思います。
それは、過去の私が成し得なかった、
憧れの生き方でもあって。
私が今からの人生で、
目指している生き方でもあるのです。