愛着障害持ちASDじゅんの、アラフィフから始める理想の暮らし

愛着障害持ちASDじゅんの、アラフィフから始める理想の暮らし

このブログは、社会に適応しようと頑張ってうつ病を発症した愛着障害持ちASD (自閉スペクトラム症)が、無理するのを辞めて「アラフィフから自分の特性に素直になって理想の人生を生き直したら幸せになれるのか?」を実験した結果を綴ったものです。


このブログは、社会に適応しようと頑張った結果、うつ病を発症した愛着障害持ちASD (自閉スペクトラム症)が、無理するのを辞めて「アラフィフから自分の特性に素直になって理想の人生を生き直したら幸せになれるのか?」を実験した結果を綴ったものです。


⚫︎私のうつ病発症までの経緯→こちらです。


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⚫︎私の発達障害(ASD/自閉スペクトラム症)診断結果→こちらです。

⚫︎私のホームページ→こちらです。


職場を退職してから、約9ヶ月が経過しました。


最初の頃は身体が動かなくて、

寝込んでいることも多かったのですが。


少しずつ、動ける時間が増えてくるにつれ。


ASDだとバレないように、

社会に合わせて無理して頑張ってきた自分から。

(でもASDの特性が隠せていたかは、また別の話)


社会からは、はみ出してしまっても、

自分のことが好きだった自分に戻るために。


自分が「やりたい!!」と思ったことを、

無理のない範囲で、

行うようにしていました。


人物のデッサン会への参加もその1つで。


月に2回行われる、そのデッサン会は、

主催の方が、

利益無しで開催されている良心的なもので、

7月から4ヶ月の間、

その会に皆勤賞で参加させてもらっていた私は、

その主催の方が、

優しくて穏やかな性格であることも相まって、

このデッサン会が大好きで、

こんなデッサン会を開催してくれる主催の方に、

とても感謝を感じていて、

少しでも、

この主催の方のお役に立ちたいと考えていました。


そのため。


この主催の方が、

12月の1回目のデッサン会の日に、

用事があって来れないため、

場所の予約やモデルの手配は、

あらかじめ自分がやっておくから、

誰か来れる方が、

当日にしか出来ない、

必要経費の割り勘等の雑務を、

自分の代わり行って欲しい、と言われた時。


このデッサン会は当日の飛び入り参加OKで、参加した人数で必要経費を割り勘にしてその場で集めているため、事前に個人負担額を算出することが出来ません。


古参の方が誰も来れると手を上げなかったため、

この会では新参者で、

まだ、会が行われる建物の名前も、

よく覚えていなかった私が、


「私でよければ、やらせていただきます」


と名乗りを上げ、

12月最初のデッサン会を任されたのでした。


新しい事に飛び込む時に、

激しい心配が伴うASDの私は、

事前に主催の方から会の行われる会場の金額と、

空調を使用した場合の金額を確認したものの、

まだ少し、

ちゃんと出来るか不安を抱えていたのですが。


主催の方が、


「いつもと同じだから大丈夫ですよ」


と仰ってくださり、

また、当日の朝は、

主催の方はデッサン会には参加出来ないけれど、

会場に持ち込むものがあるので、

自分の用事に行く前に、

会場に立ち寄ると言われていたため、


「当日の朝、早く会場に行けば、主催の方に最終確認が出来る」


と安心し、

当日を迎えたところ。


私が雑務を引き受けたデッサン会の当日は、

あらゆるものが事前の話と違っていました。


1.デッサン会会場
  いつもの会議室ではなく和室へ変更

2.
開催時間
  
いつもの10時ー12時から10時-15時30分へ変更

※会場変更も時間延長も、私が4ヶ月間このデッサン会に参加して、初めてのことでした。


ちなみに私がこの変更を知ったのは、

デッサン会の建物に到着し、

いつもデッサン会を行っている会議室が、

他の団体に使用されており、

不審に思って建物の入り口付近に掲示されている、


本日の会議室使用予定表


と書かれた掲示板を確認した時でした。


何もいつもと同じじゃないですけれど?!


心の中でかなり焦った私でしたが、

(この日の午後、私は予定があり午後まで会に参加することは出来ませんでした)

当日の朝に来ると言っていた、

主催の方に確認すればいいだろうと思い、

いつもの場所から変更された、

デッサン会の会場である和室で、

ひたすら主催の方を待ちました。


が!

主催の方が開始15分前になっても来ない!!


心の中では最大限に焦りながらも、

時間を無駄にしないよう、

今の自分に出来ることをしようと、

自分がデッサンを描く用意を行っていたところ、

1人の女性が椅子を持って部屋に入って来られました。


デッサンのモデルさんだろうか、描く側の人だろうか?


飛び入り参加OKのこのデッサン会で、

しかも新参者の私には、

この女性がどちら側の人間か分かりませんでしたが、

もう、主催の方が、

この会場に現れないことだけは分かりました。


私は急いでこの建物の管理人さんの部屋に行くと、

いつもの会場と場所が違っていたため、

私が事前に主催の方から聞いていた、

会議室と空調機の使用料と変更があるかもと思い、

金額の確認を行いました。


そして、会場の和室に戻ると、

椅子を持って入ってこられた女性が、

肩掛けなどを羽織られたため、

この方が、

今日のデッサン会のモデルだということが分かり。


また、開始時間前になって、

古参の方が1人来られ、

その方が、

なぜ今日に限って、

時間が延長になっているかを教えてくれ。


私が参加出来なかった前回のデッサン会で、急きょ午前中はデッサン、午後はクロッキーを実施することに決まったようでした。建物の管理人さんには知り得ない情報であり、何回か主催の方に連絡したけれど返事がなかったため、この情報は大変助かりました。


じゃあ、午前と午後で会場利用料を分ければいいのか、

と考えたところ、

私はふと、ある疑問が浮かびました。


会場利用料は使用者皆んなによる割り勘です。

午前中のデッサン会は10時から12時です。

午後のクロッキー会は13時30分から15時です。


誰も利用しない、

12時から13時30分の利用料は、

誰が負担するのでしょう?


きっとね、

ここで私、知らないフリも出来たと思うのです。


主催の方に頼まれた雑務(必要経費の割り勘)は、

10時から12時までの間のデッサン会のみで、

午後からのクロッキー会の話なんて聞いてないから、

事前に主催の方から聞いていた、

会場利用料と空調機使用料で計算すればいいや、って。


管理人さんに確認したところ、和室の利用料も空調機の使用料も、事前に主催の方から聞いていた、いつもの金額と変更ありませんでした。


でも、でもね。


自分で気付いた疑問に知らないフリが出来るなら、

生きづらいASDの人生など歩んでいません。

(拘りの強い自分の性分に付き合うのは自分でも大変)


しかも、私は。


いつもお世話になっている主催の方の役に立ちたくて、

少しでも感謝の気持ちを返したくて、

この役目を引き受けたのです。


私が知らないフリをすることで、

主催の方が誰も利用しない間の利用料を、

1人で負担することが無いように公平にしなければ!


そう、決心したものの。


自分の計算が大変になるし、

負担増になることを午前中に参加した皆さんには、

嫌がられるかもしれないと、

怯んでしまった自分の心を。


仕事をしていた時は、

百人単位が参加するイベントの、

実務を行っていたんだから、

これ位のイレギュラーも対応出来る!!


そう自分に言い聞かせ、

自分の心を鼓舞すると。


私になぜ、今日のデッサン会が、

いつもと違う時間帯なのか教えてくれた古参の方に、

12時から13時30分までの、

会場利用料負担の件を勇気を出して相談し、


「あなたに任せるわ」


の返答を受け取った私は、

午前中のデッサン会参加者が、

12時から13時30分までの会場利用料の、

半分の金額を負担するよう、

1時間単位の会場利用料を分単位で計算し直して、

割り勘の金額を計算し。


さらに、デッサン会に参加した人達が、

快適にデッサン出来るようにと、

部屋の空調にも気を配り。


寒いから暖房を入れて欲しいとの要望により、

管理人さんと調整し、

エアコンのリモコンの貸し出しを受けて、


暖房の温度は22度まででお願いします。


との注意事項を守り、

和室のエアコンを22度設定で稼働させて、

安心していたのですが。


ここで、突発事項に弱いASDの、

ポンコツ行動1が発動しました。


しばらくしてから、古参の方の、


「部屋が寒いんだけど暖房入ってる?」


の言葉に、


「温度の上限が22度までなんですよー」


と言って、

リモコンの設定温度を確認したところ。


22度、には間違いなかったのですが、


暖房ではなく冷房の22度になってました……


そのことを古参の方に謝罪すると、

古参の方は笑って私を責めることもなく、

でも、


「私が持っておくわね」


と、私の手から、

優雅な手つきでリモコンを受け取られました……


そして、その後。

昼近くになって、今度は部屋が暑くなってきたため。


使用料がかかるからと、

暖房を止めて、

エアコンのリモコンを返却することになった時、

(空調機の使用料も、使用した1時間単位での請求)

私のポンコツ行動2が発動しました。


エアコンのリモコンは古参の方が持っていたため、

古参の方は、

リモコンの電源ボタンを1回押した後、

管理人からリモコンを借りてきた私が、

返却に行けるよう、

私にリモコンを渡してくださったのですが。


私はリモコンを受け取ると、

電源ボタンをもう2回押したのです。


なぜなら。


その和室は18畳ほどの広さで、

エアコンが3台設置されていたため、


エアコンが3台あるなら、

電源ボタンも3回押さないと、

エアコンが消えないと思ったから。



このタイプのリモコンだったら、冷房になっていたのに私が気付かなかったことにも、共感していただけるでしょうか?


でも、そんな私を、

古参の方は不思議そうな顔でみて、

こう言いました。


「何でまた、電源を入れようとするの?」


その言葉に、

今度は私の方がきょとんとして、

古参の方の顔を見てしまいました。


だって。


私には全く思いつかなかったのです。


近くに設置されている同じエアコンなら、

1つのリモコンで1回電源ボタンを押せば、

3台ともに電波が届くということに。


古参の方は、そのことが分かっていて、

1回しか電源ボタンを押さなかったと分かって、

私はエアコンの電源さえ、

まともにオンオフ出来ない自分に、

哀しくなってしまいました。


そんな私に、古参の方はやはり笑顔で、

こう語りかけてこられました。


「あなたはしっかりしているのかと思ったけど……」


その言葉を最後まで聴きたくなくて、

私は少し恨めしげに、

古参の方の言葉に被せて言いました。


「私は自分がしっかりしているなどと、言ったことは無いですよ?……」


すると古参の方は、

そんな私に、

やはり笑ってこう答えられました。


「私も自分で自分のことを、

しっかりしてると言ってる人に会ったことはないわ」


……ソレモソウデスネ。


古参の方のその言葉に、

確かに、

"しっかりしている、していない"なんてものは、

自己申告制ではないなと納得しつつ、

他人の評価だからこそ心にくるものがあるなぁと、

悲しい笑顔を古参の方へ向けたのでした。


その後も。


モデルさんの負担があまりかからないよう、

15分ポーズを取ってもらったら、

5分休憩を取るというルーティンで、

デッサンを行っていたのですが。


その時間を測る、

タイマー係も担当していた私が、

5分休憩でかけていたタイマーが動いておらず、

休憩時間を超過するといった、

ポンコツ行動3も発動してしまい。


本来の自分はこんなにポンコツなら、

仕事をしていた時に、

会社の一大イベント開催の実務をこなしていた私は、

本当に頑張っていたんだな、

そりゃあ心身共に壊れるわな、と、

今の自分の状況に妙に納得し。


自分のダメさ加減に打ちひしがれながら、

午前中のデッサン会を終了し、

後片付けに入ろうとしていたら、

なぜか3台のエアコンのうち1台だけ、

暖房が切れていなかったという、

ポンコツ行動4に気づき、

管理人さんに返却したリモコンをもう1度借りに行き。

(エアコンが切れていないことに気付かない程テンパっていた私)


帰り支度を整えて、

今日ダメダメだった自分を支えてくれた古参の方に、

謝罪とお礼の言葉を伝えると。


古参の方はやっぱり笑顔で、

そんな私のダメダメぶりを、


「楽しかったわ」


と言ってくれたので、

私の心は大分救われたのだけれど。


帰りに脳内で今日の反省会をしていた時に、

会場利用料の分単位計算の誤りにより、

午前中の必要経費の精算金額が、

約18円不足していたという、

自分のポンコツ行動5に気付いた私は。


次に主催の方に会った時に、

その話をして、

不足分を渡さなくっちゃと思うと共に、

たった2時間の間に、

これだけのポンコツ行動を起こしてしまった自分に、

やっぱり悲しくなったのでした……


(結局、その日だけでは描き終わらなくて後日描き込みを行いました)

















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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※性的内容を含んでいます。

苦手な方はお読みにならないことを推奨します。


うつ病になってから、

ほとんどテレビを観なくなりました。


「テレビの前に座ってスイッチを入れる」


という一連の動作が億劫で、

テレビを観ようという気が起きないのです。


その代わり、

いつでも、どこでも、どんな姿勢でも、

大した労力を必要とせず、

指でポチポチするだけで何らかの情報を摂取出来る、

スマホの画面ばかり見ています。


 ニュースもYouTubeで見ている現在、

意図しなくてもネットで炎上している内容が、

目に飛び込んでくるものの、

普段はあまり、

炎上に対して興味を惹かれ無いのですが、

この炎上内容だけは素通り出来ず、

自分から検索して、

積極的に情報を摂取してしまいました。


その炎上内容というのは、こちらになるのですが。



お母さん(40歳)が息子と娘(10歳)を連れて、

13歳年下の男性(27歳)と再婚し、

ファミリー系YouTuberとして、

運営しているというこのチャンネル。


炎上した内容として紹介されていたのは、

次の3つでした。



1.​お母さんが再婚相手に向かって、娘の前で「連れ子邪魔だった?」と尋ね、再婚相手が「邪魔だった」と答える。

2.再婚相手が連れ子の娘に向かって「久しぶりに一緒にお風呂に入ろう」と誘い、お母さんが「いつも入ってるじゃん」と突っ込む。

3.夫婦間の性行為を子供の目に触れさせて隠そうとしない。


これらの内容の動画をみた多くの視聴者が、


連れ子の娘に対する虐待では?


と心配し、

警察や児童相談所へ通報が相次ぎ、

この夫婦へ調査が入った、ということでした。


確かに動画を見ると、

思わず眉を顰めてしまうような内容で、

この夫婦は、

視聴者からの批判に動画で反論する形で、


「◯◯(娘の名前)は嫌がっていない」


と言っていたそうですが、

私はその子供の心を一切慮らない発言に、

本当に人の親かと、

心からうんざりしてしまいました。


考えなくても、

一般的思考力があれば分かるはずなのですが。


自分の力で生きて行くことの出来ない小学生の娘が、

母親と再婚相手がしてくる言動に対して、

本当は嫌だったとしても、

あからさまに嫌がれる訳がない。


それを、

嫌がっていないなどとよく言えたものだなと、

この母親と再婚相手に対して、

吐き気を催す程の嫌悪感を抱いたのですが、

そこまできて、

私はある1つの事実に気付いてしまったのです。


ここに上がっている3つの炎上内容と同類の行為を、

私も子供の頃に親から受けていた


ということに。


ちなみに、

私が親から受けていた同類の行為を書くと。



1.私が生まれた時に女の子だと知った父親は「女の子なら要らない」と言ったことを、父親本人が私に面と向かって言い続けた。→⭐︎

2.私が小学校中学年になってから、父親が私と一緒にお風呂に入りたがり、自分の性器を私に触らせ、私の方も触ってきた。泣いて嫌がったら、母親に私が叱られた。→⭐︎

3.コタツに潜り込んでいた小学生の私を父親が後ろから抱きしめ、私の耳元に口を寄せて昨夜の母親との性行為の一部始終を語って聞かせた。→⭐︎

※⭐︎をクリックすると詳細に飛びます。


実の父親からされたことと、

義理の父親からされたこととの違いはあり、

どちらの方がより悍ましいかの判別はつかないものの、

私は自分が子供の頃に受けていた行為が、


警察や児童相談所が動くレベルの案件


だったことに衝撃を受け。


そして、

この連れ子の娘の母親や再婚相手が、

全く親としての責務を果たしていないと感じていて、

善意の通報により、

警察や児童相談所が動いてくれたことに、

安堵していた癖に。


自分の子供の頃のことは、

辛かったけれど、

公的機関が介入するほどのレベルだとは、

認識しておらず。


自分の過去を振り返ったブログ記事を書いた時も、

自分が子供の頃に受けた行為は、

虐待だと気付いていながら、


酷いだけではなかった父
一生懸命私を育てようとしてくれた母

と両親を庇い。

虐待という言葉を使うのを避けて、
大人の子供に対する不適切な養育や関わりという、

マルトリートメント

という、
虐待よりも印象の柔らかい言葉で、
両親から受けた事実を濁していた私は。

無意識のうちに、
両親を庇っていたのだと気付きました。

 



可笑しいね。


人のことなら、


「そんなの親じゃない!!」


って言えるのにね。

 

 いざ自分のことになると、

圧倒的に多い、

親にされてきた酷いことよりも、

ほんのささいな、

親にしてもらった嬉しいことを数えてしまうね。


でも、それじゃダメだね。


そんなことだから、

50歳を過ぎてもなお、

母親に尽くしても、

何もしない兄よりもぞんざいに扱われるんだよね。


会社からも原家族からも、
いいように扱われて、
うつ病を発症した私に、
今、寄り添ってくれる人はいないのだから。

自分を大切にしてくれない人を、
私も大切にしたりしない

この、自分に課したルールを、
親にもちゃんと適用しないとね。

私は子供の頃に親から虐待を受け、
その傷に今も苦しんでいます。

誤魔化さずに認めた自分の、
今後に良い変化がありますように。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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 30年間、週5日、ほぼ毎日、

1日12時間以上働き続けた会社を、

職場で受けたパワハラが原因で発症したうつ病により、

今年の3月末で退職した私。


現在は病気療養に専念しており、

働いていないのですが。


そんな私の事情を、

今現在、

私と交流のある人の中で知っているのは、

私の娘と、

師事している絵画教室の先生御一家くらいになります。


周囲の人達に自分の病気のことを話していないのは、

人間関係を構築するのが下手なASDの私に、

そんなに深い、

プライベートな話をする相手がいないことと。


付き合いの浅い相手に対して、

私がそんなに重いカミングアウトをしだしたら、

相手も困るだろうという気配りに加え、

精神疾患があるという色眼鏡で見られることで、

私が不利益を被ることを、

避けるための意味合いもあります。

(同じ理由で発達障害のことも話していません)


そして、弱っている時に人に付け入られたり

自分の弱味を握られることで、

実の父親から脅迫を受けお金をせびられるという、

辛酸を嘗める経験もした私は、

人に会う時に弱っている自分を見せることを、

良しとしません。




そのため。


私の元気な姿しか見ていない、

浅い付き合いの人から。


元気なのに働いていない人


と思われ、

場合によっては相手から蔑まれることも自業自得、

なんなら自分の願い通りに、

自分のことを相手が見てくれていると、

ほくそ笑む気持ちになることもあるのですが。


それでも。


受け入れられない状況、というのも、

時々、発生します。


例えば。


それは、少し前のことになるのですが。


今年の夏に知り合った画家さんから、

絵の個展を開催するからと案内状を渡されて、

個展会場を訪れた時のこと。


その画家さんは、

知り合った時から親切にして下さった方だったため、

知り合いの方の個展を観に行くのが、

初めてだった私は、

失礼があったらいけないと、

事前に絵画教室の先生に、

個展を観に行く時のマナーや、

差し入れ等はどのようなものがいいか相談した上で、

その方の個展会場を訪れました。


体調に不安があり、人混みが苦手な私は、

敢えて平日の、

人が少ないであろう時間帯に訪れたのですが、

それは、一般的には、

多くの人が働いているであろう日時でもありました。


そんな日時に個展会場を訪れた私を、

不思議に思ったのでしょう、

画家さんは個展会場で私の姿を見つけると、


「今日は仕事は休みなの?」


と、

世間話のような言い方で聞いてきました。


その言い方が、

普通の雑談のような言い方だったため、

だから私も、


「いえ、私、働いてないんです」


と、何の気負いもなくサラッと返したのですが。


「働け」


と、笑顔ながらも、

突然強い言葉を返されて、私は驚きました。


その断罪するような物言いに、

私が健康なのに働いていないと咎める含みを感じて、

心がざわめき立ったのですが、

私は辛うじて堪えました。


この人は私が今日の個展に来るために、

うつ病の症状で身体が動かなくならないよう、

1日前から体調を整えていたことを知らないし、

私は自分の病気を伝えていないのだから、

この人が知らないのは当たり前なのだから、と。


だから、私はすぐ、

この人が納得するだろう言い方で、

その場を誤魔化しました。


「3月までは働いてたんですけど……」


まるで、

現在求職中であるかのように濁した私の言葉に、

その方は何かを納得したように、


「あぁ、そうなの」


と返事をすると、


「自由に観ていってね」


と言って私の傍を離れました。



私はしばらく、

その方の言葉に動揺した、

自分の気持ちを落ち着けながら、

個展会場に飾ってある絵を観てまわりました。


私は元々、絵を観ていると心が落ち着く性分であり、

自分の心が弱っている時に、

ギャラリーなどに行って、

自分の心を落ち着けることもあったため、

しばらくすると、

ざわめき立っていた心もだんだん凪いできて、

ゆっくりと絵を鑑賞する心の余裕が出てきました。


そして。


その、飾られている絵の中に、

私の心の琴線に触れる絵が1枚あり、

その絵に触発されるように、

私の心の中に、

過去に言葉に出来なかった、

自分の哀しい気持ちが湧き出てきて、

私は自分の目が潤んでくるのを感じました。


私がその絵の前から動けずに立ち止まっていると、

他にお客様がいなかったからか、

また、個展を開催している画家さんが、

私の傍に来られました。


その方は、巨匠と呼ばれるある画家が好きで、

その画家の絵をイメージしながら、

この絵を描いたといい、

私もその画家が好きだったため、


「あの画家、いいですよね!!」


と、私が絵から、

その方の顔に視線を移して言うと、

その方は、

私の目が潤んでいるのに気付いたのか、

この時もその方は笑顔をつくりながら、


「泣くな」


と私に向かって言われました。


私はこの時、

自分の哀しい気持ちにフォーカスしていたため、

かなりセンシティブになっており、

その方の命令口調に、

酷い不快さを感じながらも、

穏便にその場をやり過ごすため、

30年の社会人生活で培った対人スキルを駆使して、

相手に対して、

どうとでも取れる笑みを浮かべて返しました。


その方に対して自分の心のシャッターが、


ガシャン


と音を立てて閉まったのを感じながら。




私は角が立たないように暫くその場に留まり、

頃合いをみて、

その方に帰る挨拶をしました。


その方は帰る私に向かって、


「きてくれてありがとう」


と笑顔で感謝の言葉を伝えてくれたし、

元々、心根の良い姐御肌な人だと知っていたので、

私に向かって言った、


「働け」


という言葉にも、


「泣くな」


という言葉にも悪意が無かったのは分かっていました。


でも私は、

この2つの言葉を受け流すことが出来ませんでした。


なぜなら私は、

その方が私に向かって言った「働け」という言葉に、


自分の価値観が正しいのだという驕り


と、

同じく私に向かって禁止してきた「泣くな」という言葉に、


人の感情の発露を止める発言を自分に許す傲慢さ


を感じたからでした。


人によっては考え過ぎだと思われるかもしれません。

これはASDの、

言葉への拘りだと思われるかもしれません。


でも、この言葉の根本に、

私はゾッとするのです。


なぜなら、

この2つの言葉はどちらも。


私に命令する言葉


だから。


そして、私が幼い頃に、

原家族から言われていた言葉だから。


原家族に自分を愛して欲しくて、

原家族から言われたこれらの言葉に傷つきながらも、

原家族に尽くした私を待っていたのは、

自分を大切にしてくれない原家族と離れるという結末。


それらの経験から。


私は悪気なく自分に命令してくる人達が、

表面的にはどうであれ、

心の奥深い部分で私を軽んじていることを知っていました。


あぁ、この人も、

私のことを大切にはしてくれないのだ


そう感じた私は、

夏に知り合ってから大好きだったこの画家さんを、

自分の心の中の、

大切な人リストから外しました。


自分を大切にしてくれない人を、

私も大切にしたりしない


これはアラフィフから、

自分の心に素直に生きると決めた私が、

自分に課したルール。


自分に命令してくる人に、

軽んじられて哀しい思いをすることが無いように。


もう、尽くすだけ尽くして、

顧みられない哀しみを、

繰り返さなくていいように。


私は人に対する好意が極端なのも、

ASDの特性にあったよな、

と思いながら、

夏に知り合ったこの画家さんへの好意を、

心の中でそっと手放したのでした……