いとです。
今、自分の人生の棚卸しをしています。
順番にお読みいただけるとわかりやすいかと思います。
今日は父のお話を。
父は、モーレツ仕事人間でした。
高度成長期からバブル全盛期の、波に乗っかった世代
とでもいうのでしょうか。
私が子供の頃はほとんど家にいなかったなあ。
唯一の自慢は、我が家でした。
父は建設会社の現場監督をしていましたが、我が家は2軒とも父の設計です。
居間に作り付けの収納があったり、
あとから子ども部屋を増築できるようになっていたり、
今風のオサレな建物ではないけれど、使いやすくていろいろ考えられていた家でした。
特に階段は、こだわりの寸法で
(階段って踏み面と蹴上のバランスが大切なんですよ!)
上り下りがとてもしやすいのです♪
本当に忙しい人だったので、リタイヤするまではあんまり話をすることもありませんでした。
私も、ちょっと避けていたのかも。
だって、怖かったから。
そんな父も徐々に仕事から離れていって、完全にリタイヤするころにはすっかり丸い性格になり、体も一まわり小さくなっていたような気がしましたね。
仕事一辺倒だった父が母と一日中家にいるって、どうなっちゃうんだろうって心配したりもしましたが。
地域の体操教室に通ったり、ご近所さんでゴルフに行ってみたり、それはそれなりに楽しそうにやってました。
母もね、そのころになってやっと本当の夫婦っぽい感じになってきて、父の愚痴を私に言ってきたり(^^)
でも、そんな穏やかな老後は、数年間、でした。
母が時々ぼけたことを言うようになって。
痴呆症が徐々に進んでいきました。
父は、母を病院に連れて行ったり、買い物に一緒に行ったり、お料理を代わりにつくるようになったり…
後から考えると、負担が大きかったのかなあと思います。
母が介護認定を受けて介護サービスを受けるようになってから半年ぐらいたったバレンタインデーの日でした。
父は家のお風呂場で亡くなっていました。
司法解剖(って言うのかな)の結果は、肺と胃に大量の水が入っていたと。
脳や心臓は特に情は無かったです、と。
苦しんだ様子はなく、眠ったまま亡くなったようです、と。
ちょうど私がUMIのカウンセリングを受けているところでした。
産みの母の事知りたい、
お父さんに聞きたいなあ、
今度実家帰った時に話してみようかなあ、
と思っていた矢先の出来事でした。
6年前のことですが、今でも涙が出てきます。
もう、後悔しかありません。
もっと様子を見に行っておけばよかった。
もっと話を聞いておけばよかった。
お母さんはどんな人だった?
亡くなった時大変だった?
私達のために再婚してくれたの?
今の私、お母さんに似てる?
お父さん、ありがとう。
私達のために一生懸命働いてくれて、
頼もしい姿見せてくれて、
私のこと応援してくれて、
私の自慢のお父さんだよ。
きっと、こういうタイミングだったのも何か意味があるんだと思います。
父からは産みの母の事を何一つ聞くことができませんでした。
でもそれは、父の意地というか覚悟であり、再婚した時に墓場まで持っていくと決めていたのかもしれません。
だとしたら、もうそこは父の気持ちを尊重して、私は私の都合のいいように解釈して良い思い出にしていきたいと思っています。
きっと、身近な人が亡くなる時って、どんな送りかたでも後悔すると思うんです。
もっとああすればよかった、
もっとこうしてあげればよかった、
この判断は間違えだったのでは…って。
でもそれはどうすることもできないし、亡くなった本人だってそんなこと望んでないんじゃないかな。
『お母さんのことは任せたぞー』
って、空の上から手を振ってる父の姿が目に浮かびます。
そっちから生みのお母さんと見守っていてね。
最後までお読みいただき
ありがとうございました(^^)