いとです。
自分のことを書いていきますね。
自己紹介、というか
自分で自分の人生振り返っていこうかな
ぐらいの軽い感じです。
なので、すっごく長くなるかも。
ならないかも。
子どもの頃の最初の記憶って
あなたは何ですか?
たまに、お腹の中のことを覚えている子がいるって聞いたことがあります。
体内記憶、っていうやつですね。
我がムスメもそうかも!
って勝手に勘違いして、3〜4歳のころ頑張って聞き出そうとしたことがあります(笑)
そんなムスメも、この春高校生になります。
それはいいとして。
もちろん私も体内記憶なんて全くなくて。
自力で思いだせるのは
幼稚園の頃かなあ。
鉄棒でスカートまわりをして(鉄棒をスカートで押さえながらぐるぐるまわる技)
スカートが破けて、めっちゃ怒られた記憶があります。
あとは、砂場でありんこ追いかけまくったり。
これって、けっこう遅いですか?
普通の人って
もっと小さい時のこと覚えてるのだろうか。
だとしたら、私は覚えておきたくない理由があるんです。
それは。。。
母が3歳の時に亡くなっているんです。
その時のこと、私は全く覚えていなくて
つい最近、兄が当時のことを話してくれました。
兄もうる覚えのようでしたが。
母は、私達に水泳を教えたいという思いで、
近所の公営のプールでやってた水泳教室に習いに行ってたんだそうです。
その時に、プール内でか
更衣室だかで急に倒れて
そのまま逝ってしまったそうです。
兄は
「何が起こったのか、どう状況なのか、当時は全然理解できなかった。」
らしいです。
3つ上なので、当時6歳。
景色は覚えてるけど、感情までは覚えてない、という感じなのでしょうか。
私は景色すら覚えてません。
そりゃそうか。
それは、母に対しても同じで、
私は母のことは全く覚えていません。
数少ない写真しかしらない。
兄は「とっても優しい人だった」と言ってました。
30台のうちに、小さな子どもをおいたまま亡くなってしまった母。
どんな気持ちだったでしょうね。
きっと死ぬに死にきれない思いだったのかなあ。
父は仕事がめちゃくちゃ忙しい人だったので
親戚のおばさんや近所の人に助けてもらいながら、1年ぐらいはそのまま生活していました。
が、父はそれほど間を開けずに再婚しました。
大人になってから思い返してみると、
我々子ども2人には母親が必要だと思ったのかな。
だって、そのころの父は本当に本当に家にいなかった。
夜中帰ってきて、朝早く仕事に行く。
大手建設会社の現場監督でした。
後から聞いた話ですが、
当時は東京の西側のベッドタウンから船橋とか津田沼の現場まで通っていたそうです。
高度成長期の最後の時代だったのでしょう。
父も、私達のことは後妻である新しい母に任せて
仕事にゴルフに(笑)打ち込めたんだんだと思います。
今でもわからないことがあって。
それは、父と新しい母との間に
“愛”
はあったのか、という事。
父は新しい母のことを愛していたのだろうか。
それとも、ずっと亡くなった妻のことを思い続けていたのだろうか。
父は6年前に亡くなっているので
今となっては誰にもわかりません。
じゃあ新しい母は父のこと好きになったのだろうか。
実はこれ、母に聞いたことがあります。
「どうしてお母さんはお父さんと結婚したの?」って。
そうしたら母は
「年も年だったからね。
お父さん、一応大卒だし、仕事もしっかりしてるし…」
という返事。
まあ、ムスメに唐突にそんなこと聞かれて
照れ隠しもあるのかもしれませんが。
ちなみに、新しい母は初婚でした。
たしか36歳ぐらいになっていて、働き手の多い実家で家事手伝いをしている時に、父とのお見合い話があったそうです。
この、新しい母が来てくれたことが
私達兄妹のその後の人生に大きな影響を与えることになったのは
言うまでもありません。
続きはまた改めて。