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A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

以前使っていたPCがかなり古くなったので久しぶりにPCを買い換えました。
自宅のPCでやることといえば、ネットを見たりブログを書いたりといったぐらいなんで、そんなにスペックとかにはこだわりはなかったのですけど、電気屋でSurfaceを見てたらついついほしくなり・・・。
まぁ、買ったのは電気屋からではなくMicrosoft Storeからだったりするんですけど。


タブレットとPCを兼用できるデバイス


買ったモデルは、Core i5+ SSD256GB+メモリ8GB のものなんですけど、自分的にはオーバースペック過ぎたかもとか今更思ってます。
モデルを結構細かく選べるのはうれしいところなんですけど、メモリは8GBぐらいほしいなと思いつつも、特にPC内に大きなデータを保存したりもしないので、ディスクは128GBでも十分でしょとか思うわけですけど、そこまで細かく選べないのが少し残念かもしれません。
ディスクが足りないということになってもUSBポートやmicroSDのスロットがついているので、何とかなりそうな気もしますし、OneDriveへのデータ転送サービスもあるっぽいです(使ってないけど)。

第一印象としては、そのウリの通りタブレットとPCのどちらでも使えるデバイスといった感じです。
USB使えて、microSDつなげることができて、Display Portがあって、いつものWindowsが使えるiPadみたいなもんです。
今こうしてブログを書いているのは後部のスタンドを立ててタイプカバーに接続して書いているわけですけど、寝る前にネットを見るときはタイプカバーを外してSurface本体だけで操作するように使い分けたりできるわけです。
まぁ、今のご時世はタブレットが主流になってますし、そうは言いつつもこうやって文章を書くときとかはキーボードあったほうが便利だよなぁ、というのがあるのでその両立ができるのは自分のニーズとぴったり合った感じです。

まさにそんな恰好で書いているわけですけど、ベッドの上であぐらかきながらSurfaceを膝の上にのせて操作するのも苦にはなりません。
以前のPCは長時間使っているとかなり熱を持ってきて同じ格好で使っていると色々心配になることがあったんですけど、タイプカバー(キーボード)部分は熱を持つ要素がほぼないですし、本体部分もほとんど熱くはなりません。
タイプカバーのキータッチは人それぞれ好みがあるので何とも言えないですけど、タッチパッドは正直使いづらい感じがあります(クリック部分がないように見えて、どうやって左右のクリックするんだとかとまどいましたけど)。
あと、高級なキーボードだなぁという印象。

ディスプレイサイズは以前のPCはいわゆるネットブックと言われていたもので画面自体がかなり小さかったので、Surfaceの画面サイズでも特に不満はありませんでした。
タブレットとして持ち運ぶことを考えるとこれぐらいのサイズが限度のような気もします(Surface3は少し小さいなとか思いましたけど)
一番の不満は結局のところバッテリーでしょうか。
9時間持続すると書いているとはいえ、電源ケーブルにつなげずにスリープモードで放置したりするといつの間にか充電がなくなってたりもします。
この辺はあらゆるタブレット製品の課題ではあるんでしょうけど。


なんだかんだでOSが肝


デバイスとしての大きな不満はまだ見当たらないんですけど、なんだかんだでWindows10の不慣れが一番大きな不満となってたりもします。
会社ではWindows7使ってたりもするんですけど、操作性とかは大きく違うので不慣れと言っていいのかわかりづらさ満載な感じですし、タブレットとして使う上で洗練されていない部分も多く見受けられたりします。
特にソフトウェアキーボードの反応が悪かったり。
入力項目をタッチしてもソフトウェアキーボードが表示されないことが多々あるので、自分でソフトウェアキーボードを表示させる操作をするのが結構ストレスだったりもします。

あとはWindows10への不満があちこちにネットで散見されるのでOSとしてまだ安定しない状態であることは確かなようで、この辺はiOSのほうがかなり洗練されているなと思うところです。
アプリにしても、iOSやAndoroidに比べてすごく興味があるものがあるわけではないので、結局のところ従来のPCとしてのOSという領域を逸脱できていない感じはします。
子供にYoutube見せたりできるしタブレットして使えるデバイスがあればいいなぁと思って購入したわけですけど、子供が操作するには難しすぎる部分もあるので、そういう意味ではより簡単に操作できるiPadとかのほうが向いているかもしれません。
まぁ、ここまで高価なデバイスを子供に「はい、使っていいよ」と気軽に渡す勇気はでないわけですけど。



システムを作り上げていく中で、要件が曖昧な部分というのが出てきたり、設計書でも全てが完璧に書かれているものというのはまずないので行間を読まないといけない場合があったりして、そういった際に想像力を働かせないといけないことがよくあったりします。

こういうシーンでエンジニアの想像力というのが試されるわけなんですけど、変な解釈をしてあらぬ方向に進みだしたり、それが間違っているだろうと思っていても書かれている通りにしか実装しないというようなことをしていくと後々トラブルや面倒なことになったりしてきて、この想像する力というのは結構重要になってくるなと、最近強く感じてたりもします。

 

 

想像力の限界

 

物作りをするに当たって想像する力っていうのはコミュニケーションをとる上で相手の意図を汲み取ったり、文章の行間を読み取ったり、目的を遂行する上での理解の助けとなったりもします。

生粋のエンジニアの中にはコミュニケーションをとるのが苦手という人もいたりして、なかなか仕様がきちんと伝わらないことで何度も打ち合わせを繰り返したり大量の資料を用意しないといけなかったり、勝手な解釈によって実装が進んでしまって手戻りが必要になったりすることがあります。

こういうのは文化が違うオフショアとかでも良く起きる問題でそもそも互いが求める当たり前のレベルが違うためにコミュニケーションミスが発生しやすくもなります。

 

結構面倒な事に発展しやすいのは、伝えたことや書いてあることを何の疑問も持たずにそのまま鵜呑みにしてしまうケースで、もちろんこれは伝えた方や書いた方にほぼ瑕疵があるわけなんですけど、その裏にある背景や実装の中にある矛盾などを考慮していないというのは問題があると思ってたりもするわけです。

酷い場合には、それを知っていたり気が付いていたりするのに、そう書いてあるからとそのまま突き進んでしまったり。

そのエンジニアに与えた担当や役割によっては受け取る情報や権限などによってどうしても視野が狭くなってしまうことはあるわけですけど、だからこそ担当や役割にこだわらず幅広い視点というものが求められてくると感じたりもします。

 

もちろん、同じ人間同士とはいえ完璧な意思疎通ができるというのは極めて稀なため、どんなに想像力が豊かだったり、付き合いが長いことで働く勘があったとしてもミスが起きるのはよくあることです。

結局のところ、想像力というのは自分ひとりで働かせるのには限界があって、コミュニケーションの中で相手の意思や拾い集めた情報によってより確実なものへ高めていく必要があるわけで、クイズをしてるんじゃないんで当たるかどうか不確実なもので進んでいくのは困るわけです。

 

 

想像力を封じ込める環境

 

色々な疑問がエンジニアの想像力によって出てきたとしても、それを良しとしない環境もあったりします。

役割や権限が厳格化されていたり、仕様の通りに実装すればよいという雰囲気を出されては、その疑問もなかなかぶつけることもできません。

最近のシステム開発は役割が細分化されていたりもするので、全体の情報が集めにくかったり、担当が曖昧になりがちでお互いが相手がやるもんだと思っていたり、担当外のところに口を出しづらいなんてことも起きたりします。

 

客先に常駐している中で、相手の会社の業務フローや文化を理解した上で実装を進めるなんてのはかなり難易度が高いわけですし、上位の権限者によっては疑問をぶつけることもままならない雰囲気もあったりします。
なので、こういう自身の考えが言えない現場やエンジニアを単に実装の担当者とだけ決め付けているようなところでは、エンジニア自身の想像力を働かせる機会も失われ、先に書いたようなトラブルも起こるべくして起こる状況になってきます。


エンジニア自身が想像力を働かせることで生産性も大きく変わってきます。

これはエンジニアの経験値にも大きく左右されたりもしますが、設計書の中には一般的であったり当たり前と思われる要件が暗に含まれていたりもするのですが、それをどう読み解くかで効率化されたり、はたまた不具合が内在する結果になったりと変わってくるからです。

もちろん、そこで曖昧な部分は勝手な想像力を働かせずに緊密に情報共有しあうことでより手戻りが少なく済むことにもなるでしょう。

 

開発プロジェクトの中では非エンジニアがプロジェクトに携わる割合も多くなってきて、色々なアイデアが飛び交うわけですけど、エンジニアにはエンジニア独自の視点があるわけで、そういった観点での想像力というものが必要になる場面も多々あると思っています。

それは、システムの構成でもアーキテクチャ上の話でもなく、作るサービスそのものの話でエンジニア独自の観点から実装論が出てきたり、そのアイデアによってよりよいものへ変わっていくこともあるわけです。

ですから、エンジニア自身にも想像力を働かせるのは重要なことですし、またエンジニア自身の役割を決め付けてその意見を聞かないというのもまた貴重な機会を逃すことにもなるんじゃないかと思ったりします。

 

 

一つの会社なり組織に長いこと属していると周りの環境が固定化されてしまい、それによって色々弊害が出てくることがあります。

実際のところその弊害というのは直感しづらいものであったりするのでなかなかピンとこなかったりもするのですが、いざ違う環境に身をおいたときに自分が浦島太郎状態であったことを痛感するのはよくあるパターンです。

 

 

同調によって見えなくなる危険性

 

1つは、その環境におけるメンバーが固定化すると話題などがある程度決まっていて考え方も同調するようになってしまうことです。

 

これは、その環境に自分が身を置くきっかけになった場合もあったりするので、ある意味自分が望んでいたり快適と思っていたりする部分はあります。

例えば、趣味が合う仲間といた方が話が弾むとか、思考や思想が似ているから結束感が生まれりして、逆に合わない仲間といるのは苦痛だったりもしますから、特に人間関係は自分が居心地のいい場所を探しがちなんだと思います。

 

ただ、その環境に身をおくと周りが見えなくなりがちだったりそれ以外の話題に触れることが少ないためかその環境の外で起きている変化に気づかなかったり、気づいたとしても自分の環境においては周りが騒がないから大丈夫だろうという変な安心感も生まれたりするわけです。

 

まぁ、学生時代に周りが遊んでいるから自分も遊んでても大丈夫だろうとか、「テスト全然できなかったよ~」とか言う会話を聞いて変に安心感が得られた記憶もあったりするのですけど、そんな感じでしょうか。

 

会社や組織において人が入れ替えられたり、新しく外部の人を受け入れるのを歓迎するのは、そういった固定化された考えに変化が求められたりするためだったりもするんでしょうけど、企業文化や風土によってはなかなかそこにメスが入りづらかったり、組織構造が変わりづらい部門とかではメンバーに変化が無い場合もあったりします。

 

こういう環境に身をおき続けると環境変化の耐性が失われていって、変えることへの嫌悪感や考え方が偏屈になったりしてなかなか異なる意見を受け入れにくくなったりもするんですけど、そういう意味ではそれを改善するために転職して環境をガラッと変えてしまうのはその手っ取り早い方法なのかもしれませんが。

 

 

今の環境が永続するという幻想

 

組織間の変な政治的な軋轢に巻き込まれたり、意見が合わない人たちと長期的に仕事をするというのは本業に色々影響が出てくることも多いのでできれば避けたいところです。

 

ですので、環境の中における安心感を得るのは大事なことではあると思いますが、長期的に環境の変化が起きづらいところでは、居心地がいいあまり当人たちがその環境があたかも永続的にあるように思い込んでしまったりもします。

 

酷くなってくるとその環境が永遠に続けばいいのにと思い込んだりもしますが、当然そんなことはありえません。

 

何時までも優しい先輩がいてくれるとも限りませんし、好きな仕事だけをしていられるとも限りませんし、今ある地位や権限があり続けるとも限りません。

何時までも今の環境が続いていくのではという錯覚に陥ってしまうと、実際に環境の変化が起きてしまった場合に付いていけないんじゃないかと心配になったりもします。

 

このことは結構バランスが難しいもので、環境としてはなるべく安定していた方が自分が注力したいことに集中できたりもするのですが、環境に依存しすぎたりはまりすぎたりすると周りで起きている変化や自分の環境が変わったときに耐性が無いあまりに何もできなくなるというようなリスクも出てくるわけです。
ですので、定期的な環境が変化する場に身をおくことというのは悪いことではないと思うわけですが、やはり何処かしら安定志向が頭にあるとガラッと環境を変えることへのリスクも頭をよぎったりして、よくある企業CMのように自分たちは変わる、改革するといったキャッチフレーズだけとなり、中身は何も変わっていないという状況になります。

 

 

実際にその環境の中に身を置く人、与えられた役割や仕事というものに大きな変化が無い中で環境そのものをガラッと変えるのはかなり難しいことです。

 

何処かしら今の安定した状態を保とうという意識が誰しも働きますし、それはある種の成功事例になっているわけなのでできるだけ崩したくないという思いが出てきたりします。

これもある意味、知らず知らずのうちに今ある環境を長く続けたいという考えが頭に根付いているのが原因であったりして、それは長らく凝り固まった環境に依存しすぎた一つの弊害なのかもしれません。