一つの会社なり組織に長いこと属していると周りの環境が固定化されてしまい、それによって色々弊害が出てくることがあります。
実際のところその弊害というのは直感しづらいものであったりするのでなかなかピンとこなかったりもするのですが、いざ違う環境に身をおいたときに自分が浦島太郎状態であったことを痛感するのはよくあるパターンです。
同調によって見えなくなる危険性
1つは、その環境におけるメンバーが固定化すると話題などがある程度決まっていて考え方も同調するようになってしまうことです。
これは、その環境に自分が身を置くきっかけになった場合もあったりするので、ある意味自分が望んでいたり快適と思っていたりする部分はあります。
例えば、趣味が合う仲間といた方が話が弾むとか、思考や思想が似ているから結束感が生まれりして、逆に合わない仲間といるのは苦痛だったりもしますから、特に人間関係は自分が居心地のいい場所を探しがちなんだと思います。
ただ、その環境に身をおくと周りが見えなくなりがちだったりそれ以外の話題に触れることが少ないためかその環境の外で起きている変化に気づかなかったり、気づいたとしても自分の環境においては周りが騒がないから大丈夫だろうという変な安心感も生まれたりするわけです。
まぁ、学生時代に周りが遊んでいるから自分も遊んでても大丈夫だろうとか、「テスト全然できなかったよ~」とか言う会話を聞いて変に安心感が得られた記憶もあったりするのですけど、そんな感じでしょうか。
会社や組織において人が入れ替えられたり、新しく外部の人を受け入れるのを歓迎するのは、そういった固定化された考えに変化が求められたりするためだったりもするんでしょうけど、企業文化や風土によってはなかなかそこにメスが入りづらかったり、組織構造が変わりづらい部門とかではメンバーに変化が無い場合もあったりします。
こういう環境に身をおき続けると環境変化の耐性が失われていって、変えることへの嫌悪感や考え方が偏屈になったりしてなかなか異なる意見を受け入れにくくなったりもするんですけど、そういう意味ではそれを改善するために転職して環境をガラッと変えてしまうのはその手っ取り早い方法なのかもしれませんが。
今の環境が永続するという幻想
組織間の変な政治的な軋轢に巻き込まれたり、意見が合わない人たちと長期的に仕事をするというのは本業に色々影響が出てくることも多いのでできれば避けたいところです。
ですので、環境の中における安心感を得るのは大事なことではあると思いますが、長期的に環境の変化が起きづらいところでは、居心地がいいあまり当人たちがその環境があたかも永続的にあるように思い込んでしまったりもします。
酷くなってくるとその環境が永遠に続けばいいのにと思い込んだりもしますが、当然そんなことはありえません。
何時までも優しい先輩がいてくれるとも限りませんし、好きな仕事だけをしていられるとも限りませんし、今ある地位や権限があり続けるとも限りません。
何時までも今の環境が続いていくのではという錯覚に陥ってしまうと、実際に環境の変化が起きてしまった場合に付いていけないんじゃないかと心配になったりもします。
このことは結構バランスが難しいもので、環境としてはなるべく安定していた方が自分が注力したいことに集中できたりもするのですが、環境に依存しすぎたりはまりすぎたりすると周りで起きている変化や自分の環境が変わったときに耐性が無いあまりに何もできなくなるというようなリスクも出てくるわけです。
ですので、定期的な環境が変化する場に身をおくことというのは悪いことではないと思うわけですが、やはり何処かしら安定志向が頭にあるとガラッと環境を変えることへのリスクも頭をよぎったりして、よくある企業CMのように自分たちは変わる、改革するといったキャッチフレーズだけとなり、中身は何も変わっていないという状況になります。
実際にその環境の中に身を置く人、与えられた役割や仕事というものに大きな変化が無い中で環境そのものをガラッと変えるのはかなり難しいことです。
何処かしら今の安定した状態を保とうという意識が誰しも働きますし、それはある種の成功事例になっているわけなのでできるだけ崩したくないという思いが出てきたりします。
これもある意味、知らず知らずのうちに今ある環境を長く続けたいという考えが頭に根付いているのが原因であったりして、それは長らく凝り固まった環境に依存しすぎた一つの弊害なのかもしれません。
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