震災の記憶とYoutube | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

今日で東日本大震災からちょうど2ヶ月が経過しました。

まだまだ被災地は被害の爪あとは大きく、復興に向かっていると実感できない状況かと思います。

少しずつ長い道のりになるかと思いますが、平穏に過ごせる日が来ることを願っています。


今回、その被災地の状況をもっとも正確に伝えたのはYoutubeではないかと個人的に思ったりしています。

ネット上にはデマもあふれましたが、映像というのは嘘がありません。

それが東日本大震災関連だと偽る映像も見受けられましたが、現地や各地の被災状況の映像というのはまさにそこにいた人が録画したものでした。



Youtubeが果たした役割


被災地を初め東日本の各地で被災した際に録画された映像は、今もなおYoutube上に上げられ続け増えていっている状況です。

Youtubeは震災直後、早々に消息情報チャンネル を立ち上げ被災されたかたがたの安否情報を映像として集めて公開していました。

阪神淡路大震災の際は、メディアの執拗な取材に現地の人は嫌気がさしたと聞いたことがありますが、今回のそれはまるで逆の状況となっています。


これは、TV各局の高価な機器を使わずとも個人の携帯やスマートフォンで簡単に高画質な映像が録画でき、それを即座に公開できるという違いがあるからだと思います。

メディアに頼らず、個々がメディアの役割を果たせる状況が生み出したわけで、自分たちの安否状況や周りの惨状を伝えるのは、まさに「あなたのテレビ」そのものではないでしょうか。


阪神淡路大震災のときはインターネット以前の世界で、先に書いたような今回の震災では周りが積極的に自分たちの状況を発信していったのは、インターネットが与えたライフスタイルや意識の変化が直結したものではないかと思ったりします。

未曾有の大震災といわれてはいますが、ネット文化がこれほど浸透した状況で日本を襲った大きな災害は今回が初めてでYoutubeを初め、ソーシャルネットワークでもそのつながりを持ってして、被災した人々をサポートすることが出来たのではないかと思います。


テキストのデータは簡単に偽れるため、デマの情報も数多く見られました。

震災当日は会社で過ごすこととなったため、Twitterで情報を追いかけたりしていましたが、何が正解で何が間違いかもよくわからない状況でした。

何よりも個人の日常をリアルタイムに反映するTwitterは、情報量が多すぎてそこから欲しい情報を拾うことは凄く難しいものだったりもします。

余震が激しい1日だったため、揺れが来るたびに「揺れた」という言葉がタイムライン上を埋め尽くすため、それ以外の情報を得ように得られません。

(それはそれで皆が近くにいるんだという安心感を得られる効果はありましたが)


当日は非常に情報が少なく、TV各局も繰り返し同じニュース、映像を流すばかりでしたが、日にちが経つにつれてYoutube上には被災地のその瞬間を録画した映像が多く上がってきました。

それを平気で見られるのは、被災地の外にいる人間だからで当事者はとても目をそむけずにいられない映像ばかりかもしれません。

ただ、その時に何が起きたのか、そして自然災害の恐ろしさというものも日本のみならず世界中に警鐘を鳴らすものとなったのは確かです。


此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う @ YOMIURI ONLINE


先人の教訓からこういう情報が多くの命を救ったということもあるわけです。

私は専門化ではありませんから詳しいことはわかりませんが、個人が様々な地点から撮ってYoutubeにアップロードされた映像は、今後の地震の研究や対策の礎となるデジタル石碑として活かされていくことを願います。