情報の怖さと温かさ | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

まずは、まだまだ余談を許さない状況ではありますが、一刻も早く被災地が復興し被災された方々が日常を取り戻せることを願います。


私自身は、渋谷の方にある会社で地震を体感したんですが、その直後は案の定電話は普通となり、ネットだけが唯一の情報源となりました。

Twitterでは、多くの被災の情報が飛び交い事の大きさをそこからすぐに読み取ることも出来ました。

実は、社会人になるまでは関西に住んでたため、あの阪神淡路大震災も体験している(実際は当日はたまたま関西にいなかったので直接的にあの地震の大きさを体感したわけではないですが)のですが、当時は高校生でしかも今のように携帯もネットも普及してはいませんでした。

TVの情報が大きなウェイトを占めていましたし、人づてに聞く噂話は今思えばかなり偏っていたような気がします。



情報の怖さ


ただ、情報化社会となった今、ネットを通して簡単に情報を手に入れることが出来ます。

それはとても便利な側面もある一方、風評被害も加速化させる特性を持ちます。

数多くのデマも流れるため、どれが真実かということさえもわからなくなり、かなり疑心暗鬼になってしまいました。


それを象徴するかのような出来事として、自分の周りで一緒に働いていた海外からの労働者が一気に姿を消すというような事態もおきました。

そういった人たちの情報源は自国で(またはその言語)で発せられる情報で、日本国内でもこれだけ情報が錯綜しているので、他国の情報が正しく伝達されているなど到底思えないわけで、それが起こるのは致し方ないことのように思えます。

実際、海外のメディアの伝え方はかなり偏りがあるようで、早く日本を離れた方が良いというような一方的な情報が多いようです。


真実を伝える情報はもちろん正しいものですが、これだけ大きな震災で皆がパニックに陥った現状を見ると、本当にそれが正しいかさえもよくわからなくなったりもします。

嘘で塗り固められたとしても安心とされる情報を発せれば一定の安堵を得ることは出来ます。

ただし、情報が嘘とわかったときの反感も大きくなりますし、それを発したものは大きな報いを得ることにもなりますので、かなりリスクの大きい情報の発信とはなりますが。


それは、政府が国民に対して発信する情報だけでなく、会社においての上司・部下の関係における情報伝達であっても同様です。

このような状況下で部下を落ち着かせるためとはいえ、間違った情報だけを伝えて安堵させても、それが最悪な事態となったときに、その人を守ることなんてこの非常時においては難しくもあります。

結局は、自分自身で情報を得てそれが正しいのか誤っているのかを取捨選択していく能力が試されたりもするんだなと痛感したりもします。


TVでは専門家と名乗る人が数多く出てきましたが、その人たちでさえ良い・悪いの意見が分かれてたりもしますし、Twitter上でもこの非常時における行動のあり方の良し悪しを議論する声が多く見られました。

そのどちら側にいるのか、自分の判断は正しいのか悪いのか、数多くの情報の中で最終決定するのは、結局自分です。

どんなに情報化社会が進んだとしても、その事実に変わりは無いでしょう。

情報の多数決で決めていくやり方もありますが、それが過ちだったとした場合に納得できるはずなど無いでしょうから。



情報の暖かさ


日本中がどんよりする中でも、その数多くの情報から希望となる暖かさを感じることも出来ます。


計画停電が発表されて以降、ヤシマ作戦 といった自ら節電を呼びかける行動もネット上を大いに賑わしましたし、買いだめを禁止するための自作のポスターなども見られました。

Twitter上で、被災地から発信された情報が何度もRTされるのをみましたし、日本中でも自分たちに出来ることは何かとこの状況を少しでも打破するために考えた行動を見て取れます。

不謹慎といわれようが、こんな状況だからこそ皆が温かい心になれるようにと今その場で日常を送ることの大切さや、時には笑える情報というものが飛び交っています。

義援金や協力要請を見るとその動きは世界中に広がっていますから、それも情報伝達スピードに比例して即時に呼応しあう人々の温かさや大きさを表している気がします。


自分自身は大きな被害にはあっていませんが、計画停電や通勤の不自由さなど少しの変化はある中で、そういったことへの不満さえも、繋がっていることへの安堵感から何度も緩和されたりしました。

ネットを通じ、距離は遠く離れていようとも肩を寄せ合い励まし合うということが、今回の件を通して何よりも存在価値を高めたと感じます。

Web系のエンジニアをしているのでその技術に着目しがちなんですが、その上でのユーザー体験というものが本当に大切なんだなと感じたりもします。

技術を通して、それを使う人のライフスタイルの変遷や、それを使うことでその人たちの間で生まれるものが何なのかっていうところ。

単に情報を伝え合う、というものではなし得ないものがあるんだなと。


この幾つもの温かい情報に触れたから自分自身の恐怖というものも和らぎましたし、小さくとも自分に出来ることをやっていこうという勇気も沸いてきます。

情報を操るのも人であれば、その情報に宿る温かさも人のそれそのものではあります。

感情だけでは何も変わらないのも事実です。

ただ、考えより良い一歩を踏み出すためのエネルギーとなるには、そういったものが必要だと思うんですよね。

だから、こういうときこそ温かくなる情報を伝えていきたいと思ったりするわけです。