せともん道楽だもんで・・・ -2ページ目

せともん道楽だもんで・・・

主に東海地方の焼き物である瀬戸・美濃焼が好きで集めています。
ボクのブログを見て「せともの」に興味を持っていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします(^0^)

テーマ:

 

ボクはカエル🐸好きです💚

カエル好きな人を、この界隈では 「カエラー」 と呼んでいるそうです😲

 

カエラー度チェック

「かえる好き」度がわかるカエラーチェック🐸

ぜひやってみてください👇

(カエル好きな人が作ったサイトを引用しました)

 

□ ①緑色のカタマリを見ると駆け寄ってしまう。

□ ②カエルグッズがある店の前を通ると胸さわぎがする。

□ ③カエルと見れば何でも買った時期がある。

□ ④カエルグッズを10個以上持っている。

□ ⑤6月6日が「カエルの日」であることを知っている。

□ ⑥水族館にカエルを見るために行く。

□ ⑦水くさいと言われる。

□ ⑧カエルグッズを見ていると安らぐ。

□ ⑨カエルの絵を描いたことがある。

□ ⑩どこそこにカエルがあったよ!と友だちが教えてくれるようになった。

□ ⑪王冠を載せたカエルが多い理由を知っている。

□ ⑫カエルが嫌いと言われると傷つく。

□ ⑬遠出をする時も一緒に連れていくカエルがいる。

□ ⑭家族もいっしょにカエルグッズを集めている。

□ ⑮家にカエル部屋(コーナー)がある。

□ ⑯啓蟄「冬籠りの虫が這い出る時」の日が待ち遠しい。

□ ⑰カエルは案外現実主義者だと思う。

□ ⑱カエルを買うのを止めようと「禁蛙」したことがある。

□ ⑲自分の蛙名がある。

□ ⑳「カエラー歴何年です!」と聞かれもしないのに言ったことがある。

 

チェック数が・・・

0個 カエラーレベル1

見事にカエルに興味がない・カエル嫌いな方です。

1~5個 カエラーレベル2

隠れカエルファンです。

6~14個 カエラーレベル3

カエルライフをエンジョイしているあなたは楽しくてたまりませんね。

15個以上 カエラーレベル4

あなたは正にカエルそのもの。

 

ボクは14個、カエラーレベル3でした👏

カエルライフを楽しんでいます🐸💚

 

余談が長くなりましたが・・・💦、

新たにグットしたかえるさんを紹介します🐸

 

 

・お座りカエルさん(お香立て)

美濃焼・陶器製のカエルさんです🐸

美濃の作家さんの作でひとつひとつパーツを手作りで作り、

とても愛おしい素朴な優しいカエルさんです💚

 

 

この子はブサメンで、最後の一点として売れ残ってしまったカエルさんでした💧

(ボクは思い出せないのですが、

昔のウルトラマン?か何かの怪獣キャラクターや宇宙人に似たような顔がいたような・・・

似ているキャラクターがわかれば教えてください)

お友達はみんなカエラーさんの元に旅立っていきましたが、

この子だけは、最後まで一人寂しく、待ち続けていました😢

 

ボクは以前、この子のお友達を連れて帰りましたが、

「きっと売れ残ってしまうだろうなぁ・・・」と思って、この子のことがずっと気になっていました😥💦

「この子も買っておけばよかった・・・」と💧

ボクは今年の11月の終わりに、

この子を連れて帰るために美濃・土岐に行き🚗、

今、ボクの元でいっしょに2025年を迎えます🎍

 

 

一生出会うことのない旅立った同郷の親友とも、

偶然ボクのところで再開をはたしました🥰

「まさか、また会えるとは思わんかったケロ」

「オイラはブサイクで可愛くないもんで、ひとりでずっと店に残ると思っとったケロ」

「ここはいいとこだ、毎日楽しく過ごせるケロよ」

土岐生まれのカエルさんたちなので、たぶんこんな感じの東農弁で喋っていると思います😊

 

 

このカエルさんは、遠く美濃の山里からボクが連れて帰ってきたカエルさん🐸

きっとボクに幸せをつれて帰ってくれると思います✨

 

2025年

皆さんにもカエルさんが幸せを持って帰ってきますように・・・✨✨✨

 

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虎渓山 水月窯

水月窯 (すいげつがま)は岐阜県多治見市虎渓山町の山林にある、

故 荒川豊蔵先生が一般家庭用の食器を生産するために、

1946(昭和21)年に豊蔵先生のご子息と開業した窯元です。

 

荒川豊蔵 (1894年~1985年)は、

昭和5年に岐阜県可児市久々利大萱の古窯跡から桃山時代の志野茶碗の陶片を発見し、

それまでは志野や黄瀬戸、瀬戸黒は山を挟んでお隣の愛知県瀬戸で作られていたとされていたものを、

美濃の産であったことを示す、従来の定説をくつがえす大発見をされます。

そして自ら桃山時代の志野・黄瀬戸・瀬戸黒などの陶片を元に、土や釉薬、窯・工程などを長年研究を重ね、

桃山時代に焼かれ、技法が途絶えていた志野・瀬戸黒の再現に見事成功されます。

昭和30年(1955年)に、第一号の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、

昭和46年(1971年)には文化勲章を受章されました。

豊蔵先生は志野・瀬戸黒の2つの技法で人間国宝に認定されていました。

 

そんな荒川豊蔵先生が1946(昭和21)年に、

ご子息である長男の荒川武夫先生と次男の荒川 達先生、1人のロクロ職人で水月窯の運営がはじまり、

この時から現在に至るまで一切製法を変えずに、土造りから絵付け、焼成まで一貫して伝統を守り続けております❗

現代では珍しい薪窯焼成を行っており、敷地内には昔ながらの登り窯や穴窯などがあります。

水月窯は平成22(2010)年2月、現在でも機械生産を一切行わず、

開業当時のまま全工程を手作り👐で行っていることを、

唯一の美濃窯伝統的窯業生産を行っている窯元であると認められ、

水月窯は 多治見市無形文化財 に指定されました👏

 

 

水月窯 「瀬戸黒ぐい吞」

側面の「虎」の印は水月窯作品の印名で、

水月窯の場所が虎渓山永保寺の広大な敷地内にあるからです❕

「虎」は虎渓山の「虎」なんです🐯

 

 

この水月窯作品である瀬戸黒のぐい吞は、

11月28日水月窯に行き🚗窯場・作業場を見学させてもらい、

作品展示室に展示されていた、この瀬戸黒ぐい吞を購入したものです😆

瀬戸黒のぐい吞はこの一点しか残っていおらず選ぶことはできませんでしたが、

ひと目見て、素晴らしい❕と感じました😍

 

 

このぽってりとした厚みのある造形、雰囲気、正に荒川豊蔵らしい✨

豊蔵先生に倣い意識して作られていることが明確にわかり、

令和の現代でも荒川豊蔵先生の魂が受け継がれていることを感じることができます💛

豊蔵先生の外弟子で、瀬戸黒の人間国宝となった故 加藤孝造先生の「瀬戸黒ぐい吞」にも見えます🥰

 

 

非常に厚く掛けられた釉薬が、1200度の窯の中でドロドロに溶けた状態から外に引き出され、

真っ赤に燃えたぐい吞を、一気に水に付けて急冷する。

その急冷によってこの瀬戸黒の黒の色やカイラギ(ひび割れ)模様が生まれたものなんです❕

よ~く見る👀と、ところどころに紫色だったり茶色になっていますが、

引き出すタイミングや温度、炎の当たり具合、薪の灰のかかりなどで、様々に変化したものなんです🤔

 

 

上から見るとお酒を注ぎたくなるような形に、

言葉では難しいですが男心をくすぐる魅力があります。

瀬戸黒はやっぱり男性好みの焼き物なんだと感じてしまいます😄

 

 

高台には古色を帯びたような土色と土味が感じられ、

この土は美濃の上質なもぐさ土が使われています。

本物のもぐさ土は日本の2大希少陶土と言われているほど希少で、

現在は手に入れることができない土なんですよ~😅

高台の造りも素晴らしいですね~🥰

 

 

作家作品では無く窯元作品なんですが、桐箱を付けて頂きました😄

現在の水月窯四代目、水野繁樹先生の箱書きです❗

「虎渓山 水月窯」と書いてあります。

この箱書きも荒川豊蔵先生の箱書きを踏襲しています。

 

この瀬戸黒ぐい吞は、実際、水月窯の誰が、いつ頃作った作品かわかりません❕

最低でも8年以上前に製作された作品です。

その理由は、三代目の豊蔵先生のお孫さんである荒川広一先生が体調を崩され💦作陶できなくなり、

それから長く窯に火が入ることなく(コロナも重なり)水月窯は休業に近い状態でした😥

水月窯は電気やガスの窯と違い、薪窯による焼成を行う不眠不休の過酷な労働を強いるためで、

2年度前に四代目を引き継いだ水野繁樹先生(現在75歳)が今年6年ぶりに登り窯を焼成、

穴窯は8年ぶりに復活させ注目されました😆

 

このぐい吞は休業される前の穴窯焼成で生まれたぐい吞で、

荒川広一先生や水野繫樹先生、はたまたもっと昔の水月窯の先輩が作ったものなのかわかりませんが、

水月窯としての作品なので、作者は関係ありません😄

名品であることだけは、ハッキリわかります💚

 

この 「瀬戸黒ぐい吞」 には、荒川豊蔵と言う昭和を代表する美濃の大陶芸家の瀬戸黒を、

令和の現代でも、そのスピリットを感じることができる・・・

それは素晴らしいことだと思います😊✨✨✨

 

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岐阜県土岐市の愛知・瀬戸と岐阜・美濃の中間点に位置する三国山麓の山中で、

主に伊賀・青磁・織部(以前は志野や黄瀬戸など)を手掛ける陶芸家、

岸本謙仁 先生の 「伊賀ぐい呑」 の紹介です🍶

 

 

岸本謙仁 「伊賀ぐい吞」

 

この岸本謙仁(きしもとけんにん)先生の伊賀ぐい呑は、

自宅兼陶房・窯のある岐阜県土岐市の三国山麓で、

岸本先生が自ら考え築いた薪の窯から生まれた炎の芸術品です🔥

なぜ・・・?こんな説明をしたかと言うと・・・👀❓

作品名の「伊賀」は三重県の忍者-=≡卍で有名な町、伊賀市の焼き物「伊賀焼」だからです❕

 

同じ「伊賀」と名前が付いていても、まったく伊賀焼とは性質が違うものです❗

岸本謙仁先生の伊賀作品は 「謙仁伊賀」 と言われており、

用いる陶土、焼成、造形方法などなど、本歌の伊賀焼とは似ていて大きく異なる作品となっています❗

 

 

岸本謙仁(きしもとけんにん)先生は1934年(昭和9年)10月名古屋市の生まれ。

今年の10月で90歳になられました👏

 

この伊賀ぐい呑はご縁があって自分の元にやってきてくれた、とても希少な作品です✨

岸本先生は2年程前に、病気を理由に窯の火を落としてしまいました😢💧

つまり陶芸家を辞めて、三国山の自宅も出てしまったそうです💦

 

岸本先生本人に連絡📱を取り、伊賀の酒器を所望したところ、

「最後の一点だけ、手元に伊賀のぐい呑が残っている!」

その希少な最後の一点を譲って頂き、それがこのぐい吞なのです❗

岸本先生にお会いし、直接作品を頂くことが難しかったので、

このぐい呑を東京の某百貨店の美術担当の方を通して送ってもらい、現物を見て購入しました😄

 

最晩年の新品未使用品で、窯を閉じる最後の窯から生まれた作陶50年以上の集大成、

自分の元に嫁入りするために最後まで先生の手元に残っていたと感じてなりません😊✨

そんな幸せなご縁で自分の元にやってきてくれたと感じる、運命的なぐい呑なんです❕

 

 

このぐい呑はロクロ🌀で筒状に真っ直ぐ立ち上げ、

口元を外に折り曲げてある均整のとれた端正な作品です。

この筒型の造形は非常にお酒好きの方に人気の形でもあります。

事実、岸本先生の伊賀ぐい吞(盃)は、酒器でお酒を楽しむ愛好家から高い人気があります😆

 

 

側面は赤く発色した胴回りや赤松の割木の灰がかかり黄緑色の自然釉が覆って、

赤い部分と自然釉の色彩が偶然の景色となっています❗

伊賀焼らしいゴツゴツした土の肌合いがボクは大好きなんです😘

 

 

上から見ると口元の一部と底にまるで赤いインク💄を付けたような真っ赤な釉薬が塗られています👀❕

この赤い緋色に見える赤色は、驚くことに岸本先生自身が信楽や伊賀焼に見えるように薄く赤い釉薬を塗り、

1300度の高温で薪の灰を溶かして自然釉を覆わせた、意図的に伊賀風に作り上げた作品なんだと思います❗❗

こんな岸本謙仁先生の伊賀作品を見たことが無いので、

きっと新たな挑戦・試みも兼ねた作品だったんだと思います😄

 

 

高台部分を見ると、えっ👀❕この土って・・・磁器土・・・😲❗❓

真っ白な磁器土風な土に半透明な砂の粒を混ぜて練り、意図的に伊賀風な土感を出し、

焼いても緋色が出にくい磁器土だから、薄く赤い釉を塗っている・・・

これが正に、岸本先生が最後に到達した唯一無二の 謙仁伊賀 なんですっ❗❗

 

 

この付属の桐箱には面白い❓物語が隠れていて、

本当はこの共箱、この伊賀ぐい吞の共箱では無いかもしれません😅

その理由は、、、フタに書かれた「伊賀ぐい吞」のところがヤスリか何かで表面を削られています。

考えられる理由は、書き間違えたか・・・❔

いや・・・恐らく、元は同じ位のサイズの別のぐい吞用の箱だったんだと思います🤣

なので、「青磁盃」とか「織部盃」と書いてあったと思われます。

当時(2年前)はもう陶芸家を辞めていた&体調を理由に、

新たに箱を注文するのが難しかったと思われる、そんな背景が感じられるものです❕

本来、岸本先生は「ぐい吞」と箱書きをせずに「盃」と書くため、

「ぐい吞」と書いてある岸本先生の酒器作品は、世にこの一点しか存在しないかもしれません😆

ある意味、色んな偶然で生まれた希少な箱書きかもしれません✨

 

👇ボクは他にも中古・旧作の岸本謙仁先生の「伊賀盃(ぐい吞)」を持っているので、

タイプの異なる 謙仁伊賀 感じてみてください😉ミテネ~

 

 

「伊賀盃」

1980年代後半頃に作られた思われる伊賀盃。

緋色の抜けた白い窓の部分がアクセントになっています😄

 

 

「伊賀盃」

1980年代後半頃に作られた思われる伊賀盃。

ガリガリに薪の灰が降りかかり、灰の隙間から赤い緋色と薄緑色の自然釉が景色になっています😆

 

 

「伊賀盃」

1990年代に作られた思われる伊賀盃。

伊賀の魅力である灰の景色、赤い緋色、白い抜け・・・いろんな景色が楽しめます🥰

 

岸本謙仁先生が陶芸家を辞めてしまったのはボクのような陶芸ファンにはとても残念ですが、

いつまでも語り継がれる美濃を代表する陶芸家であることに間違えありません。

岸本先生のこれまでの作陶で世に送り出した作品の数々、志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部・伊賀・青磁・・・

これから先もずっと愛され続けていくと思います😊✨

 

岸本謙仁先生の魂が宿る、

この 「伊賀ぐい呑」 との素晴しいご縁に感謝です🥲

 

追記

詳しいことはわかりませんが・・・

岸本謙仁先生・・・もうすでに旅立たれていたそうです😢💧

 

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今回紹介する酒器🍶作品は、

岐阜県多治見市市之倉町の巨匠陶芸家 玉置保夫 先生の作品です❕

美濃の陶芸家や陶磁器関係の方なら誰もが知るような大陶芸家で、

そんな偉大な陶芸家に恐れ多くも🚗でおじゃまし、

玉置保夫先生、奥様から直接頂いてきた希少な作品です✨

 

玉置保夫 (たまおきやすお)先生は1941(昭和16)年5月21日生まれ。

現在、83歳であられます👏

ちょうどボクが1991年生まれなので、50歳の年齢が離れています😲❗

 

 

玉置保夫 「今織部盃」

 

・岐阜県重要無形文化財「織部」保持者

・多治見市無形文化財保持者

 

「織部焼」 と言うと青織部と言われている美しい緑色の焼き物を思い浮かべるのが一般的ですが、

この作品を見て分かるように、玉置先生の織部は全く違います❕

大胆な意匠と明るい派手な色づかいが、とても印象的だと思います❗

とてもポップな柄で見た人は驚き、見入ってしまうような意匠です😲

織部焼の本当の考え方は、前衛的な焼き物モダンな焼き物と言う意味なんですよ。

 

 

抽象画のような模様、多彩な釉を施し、黒・・・・

黒の色は黒織部釉を、白や赤、灰色の釉薬を部分的に掛け分け、

正にアート作品、現代の織部焼(モダンな焼き物)です✨

 

 

手びねりで作られたゴツゴツした無骨な男性的な造形。

側面をヘラでザックリと削り、まるで恐竜🦕のような肌合いをしています😆

う~ん、どこから見ても楽しくてイイですね~😍

 

 

👆この位置から見ると、黒い点々が動物の顔に見えてくるんです👀

ボクはお馬さん🐎に見えるんですが・・・

どうですか?お馬さんに見えませんか❓

 

 

内側は表面をきれいに削られていてゴツゴツしていません❕

 

 

高台は釉薬を掛けず、土の表情を楽しむことができます❗

まるでガトーショコラのようで、甘いものが好きなボクには美味しそうに感じます💛

普通は使わないような鉄分が多く、荒いさくい土(ザクザクした土)を使い、

さらにその土を精製せず小さな石の粒などを残して使われています😲

高台の造りもため息が出る程、素晴らしいの一言です✨

 

 

桐箱も最高級の仕立てで側面は凹凸に組んだ箱、

フタは膨らみのある盛りフタが使われています🥰

桐の材質も現在で入手できる最高級なものが使用されてます✨

書道の世界でも有名な玉置保夫先生の箱書き、う~ん・・・イイですね~

 

今回の玉置保夫先生の 「今織部盃」 はいかがでしたか👀❓

以前に何度か紹介しているので、見覚えがあるかもしれませんが、

新たに素晴らしい作品を手に入れ、紹介できてうれしいです😄

ボクは玉置保夫先生の織部が大好きで、

たくさんの作品群を見て学ばせていただいています❗

 

 


今回紹介した玉置保夫先生の「今織部」作品群は高い希少性と人気があるものの、

通常では流通していないので、なかなか手に入れることができません💦

特に今織部の酒器は製作数が極わずかで、

全国の酒器コレクターが必死に探しても手に入れることができない超希少な作品です😍

ボクはそんな希少な酒器を所望し、恐れ多くも玉置先生から直接頂いた宝物です✨

 

 

最後に玉置保夫先生と奥様のお二人で記念にお写真撮らせていただきました📸パシャリ!

忘れられないボクにとっての宝物、

素晴らしい思い出になりました✨✨✨

 

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岐阜市土岐市にある陶器生産の窯屋が並ぶ下石(おろし)町の中心地で、

長年にわたり日展等の全国公募展で活躍した陶芸作家、

安藤博允 (あんどうひろのぶ)先生のぐい吞の紹介です🍶

 

 

安藤博允 「志野ぐい吞」

 

安藤博允先生は1940(昭和15)年1月2日生まれ。

地元の美濃の土を使い、志野・織部・青釉・灰釉系を手掛け、

美濃の伝統系だけでなく日展や朝日陶芸展などの公募展で活躍されました👏

安藤博允先生の長年の作陶・釉薬研究の成果として、

晩年期に発表した「金華志野」と言う光に当たると金色に輝く志野を手掛けられています✨

 

今回紹介する志野ぐい吞は、その金華志野ではありませんが、

土と志野釉が違うだけで、いっしょの窯で焼成された兄弟的な作品です❕

ぜひ安藤博允先生の晩年期の志野ぐい吞を見てください👇

 

 

この志野ぐい吞は、ガス窯で焼かれた作品で、

桃山時代に志野や黄瀬戸・瀬戸黒などを焼いた穴窯同様に、

長時間の焼成によって生まれたぐい吞です🔥

安藤先生の長年研究を重ねて生み出した、志野釉と酸化鉄を融合させたもので、

写真ではわかり難いですが、金色に光輝いているんです✨

 

 

濃さの違う釉薬を二重掛けし、

釉薬の変化に富む景色、ヒビ割模様や無数のピンホールが全体に現れています👀❗

酸化鉄を釉薬の中に混ぜて、その酸化鉄が窯の中で化学変化して光を当てると金色に輝くのです✨

 

 

上から見るとかなり口が広いことがわかると思います👀

ある古い酒器の本に、良いぐい吞の条件は、飲んだときに鼻がぐい吞の中に入るようなものが良い!とありました❗

その理由は、お酒の香りを感じることができるから・・・だそうです😋

このぐい吞は、正に鼻がすっぽり納まるようなような口が広い、お酒好きのための作品かもしれません❕

 

 

高台にも釉薬がかけられています。

横幅が広くどっしりと重く大ぶりなぐい吞を支える高台だから、

大きく丸い円の高台で、とても安定性があります❗

 

 

箱書きの安藤先生の字体、ボクは個人的に好きな字体です🥰

やっぱり凄いベテラン陶芸家は、書も字も違いますね~

 

 

 

👆最後に去年の夏に陶房にて安藤博允先生のお写真を撮らせていただきました📸パシャリ

素敵なお写真に、今でも楽しい大切な時間を思い出すことができます✨

 

 

安藤博允先生、

これからくる寒い冬が終わり、

あたたかい春🌸になったら、

また🚗会いにいきますね😊😊😊

 

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テーマ:

 

美濃を代表する人気中堅陶芸家 一郎 先生。

 

今回紹介する陶芸家は美濃焼の一大産地のひとつ、

岐阜県瑞浪(みずなみ)市土岐町の山中で、

薪窯による焼成にこだわる 一郎 先生のぐい吞です❕

 

 

一郎 (ほりいちろう)先生は、

1952(昭和27)年9月11日に瑞浪市の量産型の食器等を作る窯屋・製陶工場の長男に生まれ、

1971年から故 加藤孝造先生に弟子入りします。

独立後は、家業を手伝いながら公募展や伝統工芸展に出品を重ね、

32歳の時に瑞浪市大湫に穴窯(薪窯)を作り、

1997年に工房を現在の瑞浪市土岐町大草に移して新たに窯を築きました。

 

堀一郎先生の主な技法は5つあり、

すべて地元美濃のやきものである、志野鼠志野黄瀬戸瀬戸黒・唐津風です❗

師である人間国宝の故 加藤孝造先生の技法を受け継ぎ、

堀先生が独自に研究・改良したものです✨

 

そんな美濃の山中で薪窯にこだわる堀一郎先生のぐい吞の紹介です🍶

ぜひ見てください😄👇

 

 

「志野ぐい吞」

薪窯らしい優しい火色が魅力の志野ぐい吞です💛

堀先生らしい力強いロクロの造形も魅了です💛

 

 

裏面は志野の長石釉が厚くかかり、

志野らしい白色の景色となっています😀

撫でまわしたくなるようなしっとりすべすべとした肌が愛らしいぐい吞です🥰

 

 

上から見る👀と、このぐい吞は輪花型🌸をしているんです❕

この輪花型は師の加藤孝造先生の師匠である故 荒川豊蔵先生が良く用いた形でもあります😄

 

 

高台部分は土が縮緬状⚡に荒れて、

この土の雰囲気が酒器党の方から堀先生が人気がある理由のひとつです😄イイですね~💛

 

 

箱書き

「志野ぐい吞 一郎」

 

 

「志野ぐい吞」

作品名は志野ではありますが、鼠志野のぐい吞作品です❕

鉄分を多く含んだ土の成分で真っ赤な火色が男性的でカッコイイです😍

丸みのある形もボクのお気に入りポイントです👍

 

 

薪の灰が降りかかり、その灰が高温で溶けて口元に茶色の景色を作り、

さらに窯の中で土の中に含まれている鉄分が噴出し、黒い点々模様も生まれています❗

この景色は薪窯の強還元焼成🔥で無ければ生まれない、正に炎の芸術品です🥰

 

 

ところどころに見えるホクロのような黒い点々が鉄分が噴いたところです👀❕

 

 

この赤い火色が、見る人によってピザ🍕やトマトスパゲッティ🍝に見えるようです😋

確かに・・・🍕🍝

 

 

箱書き

「志野ぐい吞 一郎」

 

 

「黄瀬戸ぐい吞」

薪窯の焚口手前に裸で置かれ、

薪の灰や炎の窯変が魅力の堀先生の黄瀬戸作品です😀

 

 

灰が降りかかりガサガサの肌になり、高温の炎で釉も一部が剥がれ落ち、

更にその灰が焦げて黒くなっています❕

この独特な黄瀬戸の一群は荒川豊蔵が生み出し、加藤孝造に引き継がれたものなんです🤗

 

 

ぐい吞の底には黄瀬戸釉と薪の原料である松灰が溜まり、

黄緑色に変化した釉薬が美しいです💚

でも飲み口はガサガサなので、口当たりは悪そうですね・・・😅💧

 

 

高台周りには様々な釉薬が織りなす景色や窯変、表情があって面白いです✨

ちなみに高台の左側にある線は、堀先生の彫名です❕

 

 

箱書き

「黄瀬戸ぐい吞 一郎」

 

 

「唐津風ぐい吞」

堀先生の作品群の中でも圧倒的に点数が少なく珍しいのが唐津風(美濃唐津)の作品です❕

唐津風ぐい吞を保有している方は少ないのではないでしょうか😀

ちなみに唐津風(美濃唐津)とは、佐賀などの本場の唐津の土を使わずに、

唐津焼と似たような鉄分の多い瀬戸や美濃の土と釉薬で作られた唐津焼風な焼き物と言う意味です。

美濃には桃山時代から江戸初期に作られた「美濃唐津」と言う焼き物の種類があります。

 

 

堀先生の唐津風作品は変化が大きく、

このぐい吞は美濃の山から採れる植物を燃やした灰などから作った堀先生のオリジナルで、

それを6日間に及ぶ薪窯還元焼成で生まれた作品です❕

釉が青く変化し、それが滝のように下に落ちる景色が素晴らしいです😍

 

 

きっとお酒を注いだら綺麗だろうなぁ~🥰

織部のようなグリーンの色彩が美しいです💚

 

 

還元によって茶色に変化した荒い美濃の土がハッキリ見えます👀❗

ボクのような土マニアには、この高台はたまりません😄

 

 

箱書き

「唐津風ぐい吞 一郎」

 

ボクの堀一郎先生のぐい吞コレクションはいかがでしたか👀❓

美濃陶が好きな愛好家の中では非常に人気のある堀一郎先生❗

その理由は、ボクが思うに男性的な動きのある造形に、

今の時代に6日間を要する過酷な薪窯焼成にこだわるスタイル、

そんなところが愛好家や若手陶芸家からカッコイイと憧れ人気があるのだと思います😆

 

本当なら堀先生の主要な技法である瀬戸黒のぐい吞も紹介できれば良かったのですが、

残念ながらボクは堀先生の瀬戸黒のぐい吞を保有していないので紹介できませんでした💦

今後、もしご縁があり入手できたら紹介しますね~😄

間違えなく5種類の技法の志野鼠志野黄瀬戸瀬戸黒・唐津風のぐい吞を揃えて並べたら、壮観で感動的だろうなぁ~😍

 

堀一郎先生は現在72歳の中堅陶芸家です❕

72歳では中堅とは思われないかもしれませんが、

ボクは80歳以上の瀬戸・美濃の戦前生まれの陶芸家と関わっていることを思うと、

まだまだ1950年代生まれは中堅作家だと思っています😅

 

堀一郎先生は紛れもなく10年後、

美濃を代表する巨匠陶芸家になります❗

師である加藤孝造先生などの美濃の偉大な諸先輩から学んだ技術やスピリットを、

これからも継承し続けてほしいです🔥🔥🔥

 

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お待たせいたしました😄

また新たなボク自身で作った陶芸作品(酒器)を紹介します👏👏👏

先月9月に焼き上がったばかりの最新作ですよ~👍

ぜひ見てくださいね~🥰

 

 

自作の 「美濃からつ酒盃」 です❗

作品名をいろいろ悩んで考えた結果、
ボクの愛する美濃にちなみ 「美濃からつ」 にしました👍
唐津の土を用いている訳ではないので、

唐津焼風と言う意味で「美濃唐津(からつ)」としました😀

 

 

この作品は、陶芸教室の信楽赤土を手びねりで成型し、

指先を使ってつまむ様に立ち上げながら成型して、
手びねりらしい風合いと味を意識してつくりました👐

 

 

この釉薬は陶芸教室の先生オリジナル釉薬で、

ガラス釉+長石釉のブレンド釉が施されています❕
ガラス釉による無数の細かな貫入によるヒビ割れ模様と気泡が現れ、
その上から先生が何らかの灰釉を掛けてくださり、
まるで薪窯焼成による松灰が上から被ったような模様・景色になりました👀❗

 

 

飲み口となる口元は、

手びねりらしく自然に凹凸に作りました😋

 

 

上から見ると、楕円形をしているのがわかると思います❕

理由はボクの手に合うように、さらに正円よりも持ちやすく使いやすいからです😋

 

 

高台は遊び心で、削りや細工をせずにひも状にした粘土をドーナツ形にして高台にしました😄

小さな丸い形の高台でカワイイですよ~🥰
 

今回の 「美濃からつ酒盃」 いかがでしたか😄
楽しんでいただけましたか❓
コロッとした姿で、愛嬌があるような酒器に焼き上がりました💛

ボクの気持ちが純粋に良く反映されて、

いつまでも手の中で撫でまわしたくなるような、そんな作品になりました🥰

 

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岐阜県土岐市鶴里町の里山で、群雄割拠の瀬戸・美濃陶作家人の中でも、

数少ない黄瀬戸の名手として知られていた陶芸作家である 浜田純理 (はまだじゅんり)先生のぐい吞の紹介です❗

あえて過去形の紹介にしたかと言うと・・・、

浜田純理先生は2022年9月2日に残念ながら亡くなりました😢💧

そんな浜田先生が生前手掛けたぐい吞です❗

 

 

浜田純理 「黄瀬戸山柿ぐい吞」

 

浜田純理先生は1947年に岡山県備前市(備前焼の地)で生まれました。

それから1981年に備前から遠く離れた美濃の地で開窯され、

薪窯とガス窯を駆使し黄瀬戸を中心に、織部・粉引・灰釉系・黒釉系などを手掛けられました❕

 

 

このぐい吞は、浜田先生のライフワーク💪でもある黄瀬戸の作品で、

独特なザラザラしたカセた肌合いと、

黄金色の変化した黄瀬戸釉の発色が魅力✨

 

抽象的な彫り模様が施され、

その上から黄瀬戸には欠かせないタンパンと言われる緑色のアクセントもあります😄

 

 

ロクロ🌀成型で動きのある造形に、

側面には2本の横に走る彫のライン(胴締め模様)があります👀❗

 

 

縦にもヘラ🔪で削りを入れてあります❕

この部分が指にかかり、持ちやすくなっています👐

 

 

飲み口になる口元には、釉の薄くなったところに茶色の焦げがあり、

この焦げも黄瀬戸の魅力のひとつです🥰

飲み口が薄く作られているので、とても口当たりが良さそうです😋

 

 

高台にも釉が掛けられています。

ヘラ🔪で豪快に土をえぐり取ったような作りの高台の左横に、

浜田先生の彫り名がハッキリ見えます😊

 

 

桐箱の箱書きの字が可愛らしいですね😆

独特な丸みのある字体ですね~

「山柿」とは平成21年から発表された、浜田先生が改良を重ねた晩年の黄瀬戸の証明でもあります✨

 

浜田純理先生の黄瀬戸の特徴は光沢をおさえた釉調に、

全体に茶色く焦げの景色が趣があって素晴らしく、そこが魅力で人気がありました😍
やはり古典的な黄瀬戸には、緑のタンパンと茶色の焦げが欠かせないもの。
この浜田先生の 「黄瀬戸山柿ぐい吞」 は、

黄瀬戸の名手が作った浜田先生にしか作ることができない現代の黄瀬戸であります❗


浜田純理先生が遺した数々の美しい黄瀬戸たちは、

いつまでも黄金色に輝き続けるのです😇✨✨✨

 

ちなみに現在は故 浜田純理先生のご子息さまの浜田敦士先生が引き継がれておられます😊

 

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テーマ:

 

【織部焼】

武将であり茶人でもあった古田織部の指導で創始され、

奇抜で斬新な形や文様を駆使した焼き物の種類で、

主に桃山時代から江戸時代にかけて美濃や瀬戸で作られた焼き物。

織部焼と言っても多くの種類があり、

緑色の青織部、全体が真っ黒で歪んだ形の織部黒、黒い器に模様を描いた黒織部、

その他にも鳴海織部、弥七田織部、伊賀織部、唐津織部、志野織部・・・など、

伝統的な織部焼でも多くの種類や形、模様があります。

 

そんな古典・伝統的な織部焼では無く、

現代の織部焼を確立し 「今織部」 と名付け創作する美濃の巨匠陶芸家がいます❕

その名を 玉置保夫 (たまおきやすお)先生と言います。

 

玉置保夫 先生は1941(昭和16)年5月21日生まれの現在83歳。

岐阜県重要無形文化財「織部」保持者 に認定されている地元美濃を代表する大陶芸家のお一人です👏

玉置先生は織部だけでなく美濃焼伝統の志野や黄瀬戸なども手掛けられ、

美濃の陶芸美術館に作品が展示されています🤩

 

ぜひ令和の織部焼「今織部」お抹茶碗を感じて見てください🫡

(美濃陶芸協会や日本工芸会などからお写真をお借りしました)

 

 

「今織部茶垸」

 

 

「今織部茶垸」

 

 

「今織部茶垸」

 

 

「黒織部茶垸」

 

 

「今織部茶垸」

 

 

「今織部茶垸」

 

 

「黒織部茶垸(天空 地の星)」

 

👆いかがでしたか😄❓

初めて見る方や、お抹茶茶碗と言えば楽茶碗を思い浮かべる人には驚かれる派手で個性的な茶碗ですよね😅💧

でもジー👀と見ていると現代的な大ぶりで豪快、

個性的なその姿に自然と引き込まれ魅了されてしまいます🥰カッコイイ~

美濃の大ベテラン巨匠陶芸家が作った茶碗だけあって、

様々な技術が隅々に凝縮された、オーラを放つ紛れも無い本物の焼き物。

 

近年ボクの自作の陶芸作品(ぐい吞)の多くがこの玉置先生の今織部茶碗の意匠を意識したもので、

それをボクの感性で独自にアレンジしたものがほとんどです😄❗

 

手びねりで作られたゴツゴツ凹凸のある形や、色の違う土を練りこんだり、つなぎあわせたりして生まれた茶碗。

そこに黒釉で模様にして多彩な色の釉薬で彩りを与える。

モダン🌟で飾っていても華になる織部茶碗。

これが 玉置保夫 と言う美濃の巨匠が手掛ける現代の織部焼 「今織部」 なんです🥰

 

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今回紹介するぐい吞は東京・銀座黒田陶苑で購入したものです❕
7月20日(土)~25日(木)に開催されていた 「寺田家三代展」 と言う個展に出品された 寺田康雄 先生の最新作です✨
ボクは21日(日)、仕事終わりの夜勤明けでそのまま行きましたよ🚃go!go~!

 

 

寺田康雄 「志埜金彩ぐい吞」

 

寺田康雄(てらだやすお)先生は1948年生まれの瀬戸市赤津町(西窯町)の陶芸家。
現在75歳を超えた瀬戸のベテラン陶芸家です👴
康雄先生は陶芸作家としての活動だけでなく、
地元愛知の大学講師・愛知淑徳大学教授などを勤めるなど、
後進の指導、育成にも尽力されています💪

 

 

この「志埜金彩ぐい吞」は、薪窯焼成による作品です🔥
自ら築いた穴窯の中でも限られた場所で、ごく少数しか取れない、緋色がピンク色に発色した紅志野のぐい吞です😍

ボクはこの薄紅色(ピンク色)の志野が大好きです🩷

このピンク色に発色する志野は薪を燃料とする穴窯焼成で無ければ出すことができない色だと言われています❕

 

 

胴回りに釉薬の掛け外しによる線のアクセントが施され、

それがぐい吞にキュッとくびれを作り引き締める効果が感じられます❗

 

 

「(康雄先生が)今流行っとるから・・・(笑)」

ぐい吞全体にいくつか金箔を貼付け模様付けされています🪙

ベテラン作家らしく金箔を作為を持って焼き付けてあるにも関わらず、
落ち着いた気品のある金彩作品であり、薪窯作品でもあります❕

 

 

👆上から見ると口元と内側にも金箔が貼り付けられていますよ~👀❗

 

 

高台部分を見ると黒く焼けた土が見えて、

本来はもっと肌色に近く焼き上がるそうですが、「温度が上がりすぎて黒くなった」と言っていました❕

それが薪窯焼成の予期せぬ魅力で面白さでもあります🔥

 

 

桐箱の側面に「東京 銀座 黒田陶苑」のシールが貼ってあります👀

これは黒田陶苑で購入すると張られる購入の証明みたいなものです。

作品名を志野では無く「志埜」としているところもイイですね~😊

 

康雄先生が最近始められたこの金彩や銀彩の技法のきっかけは、

本当のところ「(康雄先生が)今流行っとるから・・・(笑)」・・・では無く、奥様に介護が必要となり、

その奥様の介護で、少しでも近くで寄り添えるように、

奥様の傍らで再作できるようにするために新たな挑戦、試行錯誤の結果なんだそうです🥲感動です💧

 

 

👆のぐい吞は康雄先生のぐい吞といっしょに購入させて頂いた、
寺田鉄平 先生の 「瀬戸黒ぐい吞」 です❗
鉄平先生(1975年~)は康雄先生の息子さまであられます。
ボクが応援している若手作家さんでもあります😄
この新作の瀬戸黒ぐい吞、まるでお抹茶茶碗のミニチュアの様でカッコイイでしょ~👍

 

 

 

最後に康雄先生・鉄平先生と一緒に写真を撮って頂きました📸
左から鉄平先生、ボク、康雄先生です❕
室内が暗くて画質も写りも・・・😂ピンボケ~~(笑)

 

康雄先生は瀬戸の窯屋に生まれ、瀬戸の土で育ち、
瀬戸の風土そのまんまの方でした😊✨✨✨

 

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