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せともん道楽だもんで・・・

主に東海地方の焼き物である瀬戸・美濃焼が好きで集めています。
ボクのブログを見て「せともの」に興味を持っていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします(^0^)

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もぐさ土・・・と言う陶芸粘土をご存知ですか👀❓

ボクがよく瀬戸や美濃の作家さんの酒器を紹介する時に用いている言葉でもあります❕

もぐさ土とは・・・

この「もぐさ土」という名称がいつ頃から使われている言葉なのかは分かっていませんが、

その言葉からして「もぐさ」、つまりお灸に使用されるもぐさの風合いに似ているため、

パサパサした(瀬戸・美濃の方ではサクイ)土という意味で付けられた陶芸土の名前だと言われています❗

一説では美濃の陶芸粘土屋さんが商品名として「もぐさ土」と称して販売したから・・・とも👀ホントカナ~?

 

もぐさ土と言われるパサパサした独特なこの土は、

美濃の東濃地域(多治見・土岐・可児・瑞浪・恵那・・・)一体の極限られた場所の地層から採ることができる土で、

もぐさ土と言っても、その採れる地域や場所によって個性があり、

もぐさ土は礫層の中に50㎝~1mの厚さで存在し、細い筋状であったり、塊状であったりと、

その量は決して多くなく希少だそうです❕

本物のもぐさ土は日本の2大希少陶土と言われているほど希少で、

現在は手に入れることができない土のひとつでもあるそうです😅

層や場所によって土の質感や粗さ、色が異なり、なかなか上質なもぐさ土と言うのはありません💦

 

なぜ❓・・・もぐさ土がこんなにも珍重され全国の作家が恋焦がれるかと言うと、

それは、志野・黄瀬戸・瀬戸黒などの美濃桃山陶と言われる焼き物を焼くためには不可欠で、

特に志野を焼くためには美濃のもぐさ土で無ければ本物(良い)の志野は焼けないと言われています❗

 

 

そんな希少な美濃のもぐさ土の原土を、

ある美濃の大陶芸家さんからお土産にとくださいました😂アリガトゴザイマス!

スーパーの袋にパンパン詰めた状態の原土をくださいました❗

先生いわくこのもぐさ原土は、

「これが本物の志野の土だ」

「50年前に山の中の工事現場で夜中トラックに積んで採ってきたもの」

説明すると・・・

50年前に可児市久々利にあるゴルフ場の造成工事中に、

工事が終わった夜中に忍び込んで、トラックいっぱいに採って(盗んで)きたものだ!ってことです😂ハハハ

現在なら不法侵入で逮捕されてしまいますね~🚨

 

この原土をボクの通う陶芸教室の先生といっしょに粘土にする作業をしました😀

ボクの教室の先生も原土から粘土を作ることは初めてだったので、

見よう見まねで調べながら作業しました👐

 

 

フルイにかけて不純物や木の根、小石を取り除き、細かな砂の状態になりましたよ~

これがなかなか大変な作業で、スーパーの袋分の量でしたが、かなり疲れました😥

それがこの状態です👇パサパサでしょ~

 

 

この後、水を加えて練って半年から1年以上寝かせて、

やっと粘土(もぐさ土)として使えるようになるそうです❕

陶芸家の仕事の中で、原土から土を作る作業がいちばん大変だと言われる理由がわかるような気がしました😅

 

 

👆これが先生の志野ぐい吞の高台部分、このもぐさ土の表情です❗

焼くときっとこんな感じになるんだと思います😊

ボクはこの素晴らしいもぐさ土で、ボクのオリジナル陶芸作品を作ります✨

 

この頂いたもぐさ土の原土、現在は入手できません💦

それはこの原土を採取した場所が、

今では可児市久々利にある『富士カントリー可児クラブ』と言うゴルフ場になってしまっています⛳

ゴルフ場の下を深く掘ればもぐさ土が残っているかもしれませんが、芝生が張られてそれはできません😥💧

この可児市久々利一体で採れたもぐさ土が最高峰と言われ、

桃山時代に生まれた美濃桃山陶の志野・黄瀬戸・瀬戸黒などは、

この可児・久々利で採れたもぐさ土が使われているそうです❕

さらにこの富士カントリークラブのもぐさ土には伝説的な話があって、

荒川豊蔵先生や加藤孝造先生も富士カントリーのもぐさ土を愛用して使っていたと知られているそうです😆カンド~テキ!

 

美濃の陶芸原料屋さんで「富士カントリーもぐさ土」として商品販売されていますが、

このボクのもぐさ原土は、50年前に先生が自らの手で採ってきた混ぜ物なしの本物。

原料屋さんで買ったものではない、

採取地点が明確でハッキリわかる、原土そのままの土はお金を積んで買える類の土ではないそうです😅

これが正に本当の宝の土なんです✨

美濃の若手・中堅作家さんが見たら「そんな土を気安くもらってきてはいけない❗」

「こっちは欲しくても手に入れられないんだぞ❗」と怒られてしまいかもしれません。

 

そんな美濃の希少な志野の土、もぐさ土のお話でした😊✨✨✨

 

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また新たなボク自身で作った陶芸作品(酒器)を紹介します❕

去年(2024年)の11月に焼き上がったの最近作ですよ~👍

ぜひ見てくださいね~🥰

 

 

自作の 「今オリベ酒盃」 です❕

 

 

このボクが作った 「今オリベ酒盃」 は、

ボクが勝手に師と仰ぐ美濃の玉置保夫(たまおきやすお)先生が創り上げた現代の織部焼「今織部」、

その「今織部」をボク流の解釈と創造で作った酒器です。

作品名は「今織部」をさらにモダンさを出すために「今オリベ」としました😄

 

 

この黒⚫と白⚪のドット模様は化粧土によるもので、

パッと見てダルメシアン🐶、草間彌生先生と感じるかもしれません。

乳牛のホルスタイン🐮だと思うかもしれませんね❗

 

 

造形は手びねりでお抹茶碗を意識しています。

側面を子ども用のプラ製粘土ヘラで削ぎ落しています❕

ボクはプロが絶対使わないような100円ショップで売っている粘土ヘラも多用して使っています😄

 

 

内側には黒化粧土をたっぷりと塗り、

その上から白化粧土で点々模様を打っています❗

なかなか見るとカワイイ模様でしょっ🥰

 

 

高台部分です👆

この土は粗目の瀬戸黄土5、信楽赤土3・信楽白土2の割合で混ぜた土で、

あまり土に詳しい方でも見たことのないような感じの土になっていると思います。

瀬戸土と信楽土の中に含まれている石の粒でかなりザクザク(瀬戸や美濃の方言?ではサクイ土)となっています😄

釉薬のかかっていない部分を見るとザクザク感がわかると思います👀

 

 

今回のボクの陶芸作品・酒器はいかがでしたか😄❓

ボクの創造と感性で黒と白のドット模様が今の時代に合う「今織部」はこんな感じかなと思いデザインしたものです❗

「あっ!このぐい吞かわいい」

そう思って頂けたらうれしいです✨

 

2024年11月に「今織部」創作者の玉置保夫先生ご本人にこの「今オリベ酒盃」を持参して見て頂き、

「おぉ!面白い!これは楽しくなるぐい吞だ。

よく焼けているし手びねり感も良くでていていいね」と褒めて頂きました🥰

陶芸作家さんから言われる褒め言葉の中でいちばんの褒め言葉は、

「上手だね・形がいいね」では無く「おもしろいね・楽しいね」です❕

ボクが作った 「今オリベ酒盃」 は「おもしろい・楽しい」作品なんです😊✨✨✨

 

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今回は少し変わった織部皿を紹介します😀

ぜひ読んでくださいね~👇

 

やきもの街 瀬戸と名古屋・栄を結ぶ鉄道路線があります。

その電車は真っ赤なカラーリングで有名な 名古屋鉄道瀬戸線 です🚃

そんな名鉄・瀬戸線のお話です。

ボクは鉄道ファンでもあるので、ちょっとマニアックかもしれませんが・・・😅💦

 

瀬戸線は当初、瀬戸電気鉄道と言う社名で、

戦前に色んな経緯を得て、名鉄に合併し名鉄瀬戸線となります。

瀬戸線はあまり空襲の被害を受けなかったこともあり、

昭和50年代まで、数多くの戦前の鉄道車両(床が木の電車など)が残り活躍していました。

当時は名古屋城の足元、お堀の中を瀬戸線が走っていて、

「お堀電車」とも呼ばれ、地元の方から長く親しまれていたそうです。

 

1978(昭和53)年に瀬戸線にとって大きな変革期があり、

名古屋城のお堀区間を廃止し、新たに地下化して名古屋・栄まで乗り入れを行いました。

栄町乗り入れに伴い、瀬戸線の架線(電気と取り入れる線)電圧を直流600V→1500Vに昇圧を行い、

その昇圧により、それまで長く現役で活躍していた戦前生まれの車両たちがすべて廃車・転属となりました。

 

前置きが長くなりましたが・・・😅

そんな名鉄瀬戸線の名古屋・栄町乗り入れを記念して製作された記念プレート(織部皿)です❕

 

 

名鉄瀬戸線 栄町乗り入れ記念プレート

 

このプレートの詳しいことは半世紀近く前なのでボクの推測になりますが、

1978(昭和53)年8月20日に栄町乗り入れ式典にて当日販売されたものだと思います🙂

このプレート以外にも、記念乗車券なども販売された模様。

つまり50年近く前のものになります😅

 

 

当日こんな感じで正面に花飾り、電飾を施して走っていたそうです👀❕

 

 

プリントされた電車の絵は6600系と言って、

この栄町乗り入れのために新造された車両です🚃

 

 

運転手さんが使う運行図表がプリントされています👀

これを見ると路線距離が栄町から終点尾張瀬戸まで20.4キロ。

大森駅は現在、大森・金城学院前駅、印場駅は無かったのですね。

 

裏面には「松山」と彫り名があり、

「松山(しょうざん)」とは瀬戸赤津にある窯元で、和食器専門メーカーです❗

特に瀬戸伝統の織部釉を使った食器で人気があり、

確かに、このプレートも織部皿ですね~😄

このプレートを名鉄から特注されて「松山製陶」さんで手掛けたものなんでしょうねぇ~

 

 

昭和50年前半頃の「尾張瀬戸駅」の駅舎。

この駅舎は大正末期の建築で鉄筋コンクリート造、

1階はコンコースと駅務室、

2階には喫茶店があり、壁に店主の方と親交のあった北川民次画伯の絵が飾られていたそうです🙂

 

この駅舎も、すでに取り壊されありません💧

当時新車であった赤い電車6600系もまた、10年以上前に引退し過去の車両となっています🥲

現在瀬戸線は高架化工事により安全性・近代化が進んでいます❕

50年前に名鉄長年の悲願であった瀬戸線を都心に乗り入れさせることを果たし、

乗り入れのために新造した6600系と言う車両。

瀬戸線を近代化するために、全力で走り続けた35年間でした🫡

 

この「名鉄瀬戸線 栄町乗り入れ記念プレート」の情報から、

当時の瀬戸線の発展と名鉄・沿線住民の夢や希望が詰まって見えます😊✨✨✨

 

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あけましておめでとうございます🎍

今年もどうぞよろしくお願いいたします🐍

 

今年初めの記事は、約34年前の焼き物本📚の紹介をさせて頂きます🫡

 

 

講談社カルチャーブックス 「やきもの市の楽しみ」

掘り出し物を探しに廉売市へ

 

 

1992年4月17日第一刷発行 定価1500円

 

この本の内容は全国の一大焼き物産地である、

有田・美濃・瀬戸・万古・九谷・京都・信楽・伊賀・備前・益子・笠間の11地域のやきもの市が紹介されています❗

みんなやきもの祭りに行こうよ❕って本です😄

この本は1985年~1991年までに起こったバブル景気時代全盛期に発行された本で、

バブル時代の生き生きとした明るく楽しげな雰囲気が感じられます✨

ボクは1991年4月生まれなので、

ちょうどこの時代に生まれましたので、かなり興味深い内容でした🤔

 

この紹介されている順番で、

このバブル時代✨当時のやきもの人気の序列がわかり、

1番は有田、2番は美濃、3番は瀬戸、4番万古(急須)・・・と、

当時は派手な有田や美濃、九谷などが人気があったようです🙂

意外と急須も人気があったようで、三重・万古焼の急須も良く売れたそうです。

 

ボクの愛する美濃と瀬戸のページをちょっと紹介します❕

ぜひ当時の活気ある雰囲気を見てください😄

 

 

美濃

志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒などの茶陶を生んだ美濃は、

現在は量産の和洋食器の一大産地。

「まつり」には、用に徹した和食器とブランド物の洋食器が破格の安値で売れ出される。

 

 

多治見市中央を流れる土岐川沿いを元気に泳ぐ鯉のぼり🎏と風船🎈

 

 

ソバージュ?の赤いハッピを着たおねえさん👀

赤いハッピは地元の卸業者の印だそう。

このおねえさんも今では良いお母さんだろうなぁ~。

 

 

商店街に所せましと並んだやきもの露店。

よ~く見る👀とタバコやお面のお店も出ている。

 

 

やはり有田焼が人気があっただけあって、

有田風な青染付の食器が目立ちますね~😲

 

 

美濃のお祭りなので、様々な形の織部皿もたくさん並んでいます。

質は良さそうですが、織部の皿のデザインが昭和です。

意外に食器も時代感や流行りが現れるものなんです❕

 

 

瀬戸

日本の焼き物の中心地といってもいいほどの歴史と伝統をもつ瀬戸。

東日本では昔から、どこの家庭でも「せともの」を使っていた。

そんな「せともの」のふる里の祭りへ。

 

 

大勢の人で賑わう祭。

この写真は1991年9月21日か22日、晴れた日だったようです☀️

長袖の人も多くいるので、昨今と違い9月ではもうそんなに暑くなかったのかもしれません😗

 

 

今は無き昔の名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅の駅舎。

宣伝用の看板も木の板に塗る手作り感があり、どこかレトロなファンシーグッズのような雰囲気です😃

 

 

大物の土鍋や土瓶が見えます。

安くても持ち帰るのは大変そう・・・💦

 

 

やきもの原料を摩る乳鉢なんかも売ってます。

それよりも写真に写るサングラスの男性が時代を感じます😎

 

 

楽しげな雰囲気が伝わってくる写真です。

写真の「川村屋」さんは瀬戸川饅頭で有名な老舗です😋

 

 

川沿いの広場になっている辺りでしょうか。

上の方に「CABIN」の露店が出ています❕

CABIN(キャビン)はタバコの銘柄で、ボクはタバコを吸わないのでよくわかりませんが、

ボクの亡き父がCABINを吸っていたのを思い出しました🚬

 

いかがでしたか👀❓️

バブル時代は良かった❗

誰もが楽しかった❗

夢と希望があった❗

・・・などなど良いことを良く聞きます✨

 

街の雰囲気だけでも、現代とは違う感じがありますね😲

やきもの祭りに行こう❕こんな興味深い題材の本は現在では考えられないですね❗

通信販売が当たり前の現在は、

自分の目で見て探しまわると言う行為自体が失われつつある感じがします😥

 

この本に写っている人の年齢は様々ですが、

当時20歳の人は53歳、50代の方は80歳を超えられています😅

33年前に美濃・せともの祭りに行っていた方が、

お子さまといっしょに今のせともの祭りで一緒に楽しんでいたら、

それはとても幸せなことだなぁ~と思います🥰

 

ボクにとっては知らない時代の瀬戸・美濃を知る、

33年前にタイムスリップしたような感覚になれました✨✨✨

 

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ボクはカエル🐸好きです💚

カエル好きな人を、この界隈では 「カエラー」 と呼んでいるそうです😲

 

カエラー度チェック

「かえる好き」度がわかるカエラーチェック🐸

ぜひやってみてください👇

(カエル好きな人が作ったサイトを引用しました)

 

□ ①緑色のカタマリを見ると駆け寄ってしまう。

□ ②カエルグッズがある店の前を通ると胸さわぎがする。

□ ③カエルと見れば何でも買った時期がある。

□ ④カエルグッズを10個以上持っている。

□ ⑤6月6日が「カエルの日」であることを知っている。

□ ⑥水族館にカエルを見るために行く。

□ ⑦水くさいと言われる。

□ ⑧カエルグッズを見ていると安らぐ。

□ ⑨カエルの絵を描いたことがある。

□ ⑩どこそこにカエルがあったよ!と友だちが教えてくれるようになった。

□ ⑪王冠を載せたカエルが多い理由を知っている。

□ ⑫カエルが嫌いと言われると傷つく。

□ ⑬遠出をする時も一緒に連れていくカエルがいる。

□ ⑭家族もいっしょにカエルグッズを集めている。

□ ⑮家にカエル部屋(コーナー)がある。

□ ⑯啓蟄「冬籠りの虫が這い出る時」の日が待ち遠しい。

□ ⑰カエルは案外現実主義者だと思う。

□ ⑱カエルを買うのを止めようと「禁蛙」したことがある。

□ ⑲自分の蛙名がある。

□ ⑳「カエラー歴何年です!」と聞かれもしないのに言ったことがある。

 

チェック数が・・・

0個 カエラーレベル1

見事にカエルに興味がない・カエル嫌いな方です。

1~5個 カエラーレベル2

隠れカエルファンです。

6~14個 カエラーレベル3

カエルライフをエンジョイしているあなたは楽しくてたまりませんね。

15個以上 カエラーレベル4

あなたは正にカエルそのもの。

 

ボクは14個、カエラーレベル3でした👏

カエルライフを楽しんでいます🐸💚

 

余談が長くなりましたが・・・💦、

新たにグットしたかえるさんを紹介します🐸

 

 

・お座りカエルさん(お香立て)

美濃焼・陶器製のカエルさんです🐸

美濃の作家さんの作でひとつひとつパーツを手作りで作り、

とても愛おしい素朴な優しいカエルさんです💚

 

 

この子はブサメンで、最後の一点として売れ残ってしまったカエルさんでした💧

(ボクは思い出せないのですが、

昔のウルトラマン?か何かの怪獣キャラクターや宇宙人に似たような顔がいたような・・・

似ているキャラクターがわかれば教えてください)

お友達はみんなカエラーさんの元に旅立っていきましたが、

この子だけは、最後まで一人寂しく、待ち続けていました😢

 

ボクは以前、この子のお友達を連れて帰りましたが、

「きっと売れ残ってしまうだろうなぁ・・・」と思って、この子のことがずっと気になっていました😥💦

「この子も買っておけばよかった・・・」と💧

ボクは今年の11月の終わりに、

この子を連れて帰るために美濃・土岐に行き🚗、

今、ボクの元でいっしょに2025年を迎えます🎍

 

 

一生出会うことのない旅立った同郷の親友とも、

偶然ボクのところで再開をはたしました🥰

「まさか、また会えるとは思わんかったケロ」

「オイラはブサイクで可愛くないもんで、ひとりでずっと店に残ると思っとったケロ」

「ここはいいとこだ、毎日楽しく過ごせるケロよ」

土岐生まれのカエルさんたちなので、たぶんこんな感じの東農弁で喋っていると思います😊

 

 

このカエルさんは、遠く美濃の山里からボクが連れて帰ってきたカエルさん🐸

きっとボクに幸せをつれて帰ってくれると思います✨

 

2025年

皆さんにもカエルさんが幸せを持って帰ってきますように・・・✨✨✨

 

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虎渓山 水月窯

水月窯 (すいげつがま)は岐阜県多治見市虎渓山町の山林にある、

故 荒川豊蔵先生が一般家庭用の食器を生産するために、

1946(昭和21)年に豊蔵先生のご子息と開業した窯元です。

 

荒川豊蔵 (1894年~1985年)は、

昭和5年に岐阜県可児市久々利大萱の古窯跡から桃山時代の志野茶碗の陶片を発見し、

それまでは志野や黄瀬戸、瀬戸黒は山を挟んでお隣の愛知県瀬戸で作られていたとされていたものを、

美濃の産であったことを示す、従来の定説をくつがえす大発見をされます。

そして自ら桃山時代の志野・黄瀬戸・瀬戸黒などの陶片を元に、土や釉薬、窯・工程などを長年研究を重ね、

桃山時代に焼かれ、技法が途絶えていた志野・瀬戸黒の再現に見事成功されます。

昭和30年(1955年)に、第一号の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、

昭和46年(1971年)には文化勲章を受章されました。

豊蔵先生は志野・瀬戸黒の2つの技法で人間国宝に認定されていました。

 

そんな荒川豊蔵先生が1946(昭和21)年に、

ご子息である長男の荒川武夫先生と次男の荒川 達先生、1人のロクロ職人で水月窯の運営がはじまり、

この時から現在に至るまで一切製法を変えずに、土造りから絵付け、焼成まで一貫して伝統を守り続けております❗

現代では珍しい薪窯焼成を行っており、敷地内には昔ながらの登り窯や穴窯などがあります。

水月窯は平成22(2010)年2月、現在でも機械生産を一切行わず、

開業当時のまま全工程を手作り👐で行っていることを、

唯一の美濃窯伝統的窯業生産を行っている窯元であると認められ、

水月窯は 多治見市無形文化財 に指定されました👏

 

 

水月窯 「瀬戸黒ぐい吞」

側面の「虎」の印は水月窯作品の印名で、

水月窯の場所が虎渓山永保寺の広大な敷地内にあるからです❕

「虎」は虎渓山の「虎」なんです🐯

 

 

この水月窯作品である瀬戸黒のぐい吞は、

11月28日水月窯に行き🚗窯場・作業場を見学させてもらい、

作品展示室に展示されていた、この瀬戸黒ぐい吞を購入したものです😆

瀬戸黒のぐい吞はこの一点しか残っていおらず選ぶことはできませんでしたが、

ひと目見て、素晴らしい❕と感じました😍

 

 

このぽってりとした厚みのある造形、雰囲気、正に荒川豊蔵らしい✨

豊蔵先生に倣い意識して作られていることが明確にわかり、

令和の現代でも荒川豊蔵先生の魂が受け継がれていることを感じることができます💛

豊蔵先生の外弟子で、瀬戸黒の人間国宝となった故 加藤孝造先生の「瀬戸黒ぐい吞」にも見えます🥰

 

 

非常に厚く掛けられた釉薬が、1200度の窯の中でドロドロに溶けた状態から外に引き出され、

真っ赤に燃えたぐい吞を、一気に水に付けて急冷する。

その急冷によってこの瀬戸黒の黒の色やカイラギ(ひび割れ)模様が生まれたものなんです❕

よ~く見る👀と、ところどころに紫色だったり茶色になっていますが、

引き出すタイミングや温度、炎の当たり具合、薪の灰のかかりなどで、様々に変化したものなんです🤔

 

 

上から見るとお酒を注ぎたくなるような形に、

言葉では難しいですが男心をくすぐる魅力があります。

瀬戸黒はやっぱり男性好みの焼き物なんだと感じてしまいます😄

 

 

高台には古色を帯びたような土色と土味が感じられ、

この土は美濃の上質なもぐさ土が使われています。

本物のもぐさ土は日本の2大希少陶土と言われているほど希少で、

現在は手に入れることができない土なんですよ~😅

高台の造りも素晴らしいですね~🥰

 

 

作家作品では無く窯元作品なんですが、桐箱を付けて頂きました😄

現在の水月窯四代目、水野繁樹先生の箱書きです❗

「虎渓山 水月窯」と書いてあります。

この箱書きも荒川豊蔵先生の箱書きを踏襲しています。

 

この瀬戸黒ぐい吞は、実際、水月窯の誰が、いつ頃作った作品かわかりません❕

最低でも8年以上前に製作された作品です。

その理由は、三代目の豊蔵先生のお孫さんである荒川広一先生が体調を崩され💦作陶できなくなり、

それから長く窯に火が入ることなく(コロナも重なり)水月窯は休業に近い状態でした😥

水月窯は電気やガスの窯と違い、薪窯による焼成を行う不眠不休の過酷な労働を強いるためで、

2年度前に四代目を引き継いだ水野繁樹先生(現在75歳)が今年6年ぶりに登り窯を焼成、

穴窯は8年ぶりに復活させ注目されました😆

 

このぐい吞は休業される前の穴窯焼成で生まれたぐい吞で、

荒川広一先生や水野繫樹先生、はたまたもっと昔の水月窯の先輩が作ったものなのかわかりませんが、

水月窯としての作品なので、作者は関係ありません😄

名品であることだけは、ハッキリわかります💚

 

この 「瀬戸黒ぐい吞」 には、荒川豊蔵と言う昭和を代表する美濃の大陶芸家の瀬戸黒を、

令和の現代でも、そのスピリットを感じることができる・・・

それは素晴らしいことだと思います😊✨✨✨

 

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岐阜県土岐市の愛知・瀬戸と岐阜・美濃の中間点に位置する三国山麓の山中で、

主に伊賀・青磁・織部(以前は志野や黄瀬戸など)を手掛ける陶芸家、

岸本謙仁 先生の 「伊賀ぐい呑」 の紹介です🍶

 

 

岸本謙仁 「伊賀ぐい吞」

 

この岸本謙仁(きしもとけんにん)先生の伊賀ぐい呑は、

自宅兼陶房・窯のある岐阜県土岐市の三国山麓で、

岸本先生が自ら考え築いた薪の窯から生まれた炎の芸術品です🔥

なぜ・・・?こんな説明をしたかと言うと・・・👀❓

作品名の「伊賀」は三重県の忍者-=≡卍で有名な町、伊賀市の焼き物「伊賀焼」だからです❕

 

同じ「伊賀」と名前が付いていても、まったく伊賀焼とは性質が違うものです❗

岸本謙仁先生の伊賀作品は 「謙仁伊賀」 と言われており、

用いる陶土、焼成、造形方法などなど、本歌の伊賀焼とは似ていて大きく異なる作品となっています❗

 

 

岸本謙仁(きしもとけんにん)先生は1934年(昭和9年)10月名古屋市の生まれ。

今年の10月で90歳になられました👏

 

この伊賀ぐい呑はご縁があって自分の元にやってきてくれた、とても希少な作品です✨

岸本先生は2年程前に、病気を理由に窯の火を落としてしまいました😢💧

つまり陶芸家を辞めて、三国山の自宅も出てしまったそうです💦

 

岸本先生本人に連絡📱を取り、伊賀の酒器を所望したところ、

「最後の一点だけ、手元に伊賀のぐい呑が残っている!」

その希少な最後の一点を譲って頂き、それがこのぐい吞なのです❗

岸本先生にお会いし、直接作品を頂くことが難しかったので、

このぐい呑を東京の某百貨店の美術担当の方を通して送ってもらい、現物を見て購入しました😄

 

最晩年の新品未使用品で、窯を閉じる最後の窯から生まれた作陶50年以上の集大成、

自分の元に嫁入りするために最後まで先生の手元に残っていたと感じてなりません😊✨

そんな幸せなご縁で自分の元にやってきてくれたと感じる、運命的なぐい呑なんです❕

 

 

このぐい呑はロクロ🌀で筒状に真っ直ぐ立ち上げ、

口元を外に折り曲げてある均整のとれた端正な作品です。

この筒型の造形は非常にお酒好きの方に人気の形でもあります。

事実、岸本先生の伊賀ぐい吞(盃)は、酒器でお酒を楽しむ愛好家から高い人気があります😆

 

 

側面は赤く発色した胴回りや赤松の割木の灰がかかり黄緑色の自然釉が覆って、

赤い部分と自然釉の色彩が偶然の景色となっています❗

伊賀焼らしいゴツゴツした土の肌合いがボクは大好きなんです😘

 

 

上から見ると口元の一部と底にまるで赤いインク💄を付けたような真っ赤な釉薬が塗られています👀❕

この赤い緋色に見える赤色は、驚くことに岸本先生自身が信楽や伊賀焼に見えるように薄く赤い釉薬を塗り、

1300度の高温で薪の灰を溶かして自然釉を覆わせた、意図的に伊賀風に作り上げた作品なんだと思います❗❗

こんな岸本謙仁先生の伊賀作品を見たことが無いので、

きっと新たな挑戦・試みも兼ねた作品だったんだと思います😄

 

 

高台部分を見ると、えっ👀❕この土って・・・磁器土・・・😲❗❓

真っ白な磁器土風な土に半透明な砂の粒を混ぜて練り、意図的に伊賀風な土感を出し、

焼いても緋色が出にくい磁器土だから、薄く赤い釉を塗っている・・・

これが正に、岸本先生が最後に到達した唯一無二の 謙仁伊賀 なんですっ❗❗

 

 

この付属の桐箱には面白い❓物語が隠れていて、

本当はこの共箱、この伊賀ぐい吞の共箱では無いかもしれません😅

その理由は、、、フタに書かれた「伊賀ぐい吞」のところがヤスリか何かで表面を削られています。

考えられる理由は、書き間違えたか・・・❔

いや・・・恐らく、元は同じ位のサイズの別のぐい吞用の箱だったんだと思います🤣

なので、「青磁盃」とか「織部盃」と書いてあったと思われます。

当時(2年前)はもう陶芸家を辞めていた&体調を理由に、

新たに箱を注文するのが難しかったと思われる、そんな背景が感じられるものです❕

本来、岸本先生は「ぐい吞」と箱書きをせずに「盃」と書くため、

「ぐい吞」と書いてある岸本先生の酒器作品は、世にこの一点しか存在しないかもしれません😆

ある意味、色んな偶然で生まれた希少な箱書きかもしれません✨

 

👇ボクは他にも中古・旧作の岸本謙仁先生の「伊賀盃(ぐい吞)」を持っているので、

タイプの異なる 謙仁伊賀 感じてみてください😉ミテネ~

 

 

「伊賀盃」

1980年代後半頃に作られた思われる伊賀盃。

緋色の抜けた白い窓の部分がアクセントになっています😄

 

 

「伊賀盃」

1980年代後半頃に作られた思われる伊賀盃。

ガリガリに薪の灰が降りかかり、灰の隙間から赤い緋色と薄緑色の自然釉が景色になっています😆

 

 

「伊賀盃」

1990年代に作られた思われる伊賀盃。

伊賀の魅力である灰の景色、赤い緋色、白い抜け・・・いろんな景色が楽しめます🥰

 

岸本謙仁先生が陶芸家を辞めてしまったのはボクのような陶芸ファンにはとても残念ですが、

いつまでも語り継がれる美濃を代表する陶芸家であることに間違えありません。

岸本先生のこれまでの作陶で世に送り出した作品の数々、志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部・伊賀・青磁・・・

これから先もずっと愛され続けていくと思います😊✨

 

岸本謙仁先生の魂が宿る、

この 「伊賀ぐい呑」 との素晴しいご縁に感謝です🥲

 

追記

詳しいことはわかりませんが・・・

岸本謙仁先生・・・もうすでに旅立たれていたそうです😢💧

 

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今回紹介する酒器🍶作品は、

岐阜県多治見市市之倉町の巨匠陶芸家 玉置保夫 先生の作品です❕

美濃の陶芸家や陶磁器関係の方なら誰もが知るような大陶芸家で、

そんな偉大な陶芸家に恐れ多くも🚗でおじゃまし、

玉置保夫先生、奥様から直接頂いてきた希少な作品です✨

 

玉置保夫 (たまおきやすお)先生は1941(昭和16)年5月21日生まれ。

現在、83歳であられます👏

ちょうどボクが1991年生まれなので、50歳の年齢が離れています😲❗

 

 

玉置保夫 「今織部盃」

 

・岐阜県重要無形文化財「織部」保持者

・多治見市無形文化財保持者

 

「織部焼」 と言うと青織部と言われている美しい緑色の焼き物を思い浮かべるのが一般的ですが、

この作品を見て分かるように、玉置先生の織部は全く違います❕

大胆な意匠と明るい派手な色づかいが、とても印象的だと思います❗

とてもポップな柄で見た人は驚き、見入ってしまうような意匠です😲

織部焼の本当の考え方は、前衛的な焼き物モダンな焼き物と言う意味なんですよ。

 

 

抽象画のような模様、多彩な釉を施し、黒・・・・

黒の色は黒織部釉を、白や赤、灰色の釉薬を部分的に掛け分け、

正にアート作品、現代の織部焼(モダンな焼き物)です✨

 

 

手びねりで作られたゴツゴツした無骨な男性的な造形。

側面をヘラでザックリと削り、まるで恐竜🦕のような肌合いをしています😆

う~ん、どこから見ても楽しくてイイですね~😍

 

 

👆この位置から見ると、黒い点々が動物の顔に見えてくるんです👀

ボクはお馬さん🐎に見えるんですが・・・

どうですか?お馬さんに見えませんか❓

 

 

内側は表面をきれいに削られていてゴツゴツしていません❕

 

 

高台は釉薬を掛けず、土の表情を楽しむことができます❗

まるでガトーショコラのようで、甘いものが好きなボクには美味しそうに感じます💛

普通は使わないような鉄分が多く、荒いさくい土(ザクザクした土)を使い、

さらにその土を精製せず小さな石の粒などを残して使われています😲

高台の造りもため息が出る程、素晴らしいの一言です✨

 

 

桐箱も最高級の仕立てで側面は凹凸に組んだ箱、

フタは膨らみのある盛りフタが使われています🥰

桐の材質も現在で入手できる最高級なものが使用されてます✨

書道の世界でも有名な玉置保夫先生の箱書き、う~ん・・・イイですね~

 

今回の玉置保夫先生の 「今織部盃」 はいかがでしたか👀❓

以前に何度か紹介しているので、見覚えがあるかもしれませんが、

新たに素晴らしい作品を手に入れ、紹介できてうれしいです😄

ボクは玉置保夫先生の織部が大好きで、

たくさんの作品群を見て学ばせていただいています❗

 

 


今回紹介した玉置保夫先生の「今織部」作品群は高い希少性と人気があるものの、

通常では流通していないので、なかなか手に入れることができません💦

特に今織部の酒器は製作数が極わずかで、

全国の酒器コレクターが必死に探しても手に入れることができない超希少な作品です😍

ボクはそんな希少な酒器を所望し、恐れ多くも玉置先生から直接頂いた宝物です✨

 

 

最後に玉置保夫先生と奥様のお二人で記念にお写真撮らせていただきました📸パシャリ!

忘れられないボクにとっての宝物、

素晴らしい思い出になりました✨✨✨

 

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岐阜市土岐市にある陶器生産の窯屋が並ぶ下石(おろし)町の中心地で、

長年にわたり日展等の全国公募展で活躍した陶芸作家、

安藤博允 (あんどうひろのぶ)先生のぐい吞の紹介です🍶

 

 

安藤博允 「志野ぐい吞」

 

安藤博允先生は1940(昭和15)年1月2日生まれ。

地元の美濃の土を使い、志野・織部・青釉・灰釉系を手掛け、

美濃の伝統系だけでなく日展や朝日陶芸展などの公募展で活躍されました👏

安藤博允先生の長年の作陶・釉薬研究の成果として、

晩年期に発表した「金華志野」と言う光に当たると金色に輝く志野を手掛けられています✨

 

今回紹介する志野ぐい吞は、その金華志野ではありませんが、

土と志野釉が違うだけで、いっしょの窯で焼成された兄弟的な作品です❕

ぜひ安藤博允先生の晩年期の志野ぐい吞を見てください👇

 

 

この志野ぐい吞は、ガス窯で焼かれた作品で、

桃山時代に志野や黄瀬戸・瀬戸黒などを焼いた穴窯同様に、

長時間の焼成によって生まれたぐい吞です🔥

安藤先生の長年研究を重ねて生み出した、志野釉と酸化鉄を融合させたもので、

写真ではわかり難いですが、金色に光輝いているんです✨

 

 

濃さの違う釉薬を二重掛けし、

釉薬の変化に富む景色、ヒビ割模様や無数のピンホールが全体に現れています👀❗

酸化鉄を釉薬の中に混ぜて、その酸化鉄が窯の中で化学変化して光を当てると金色に輝くのです✨

 

 

上から見るとかなり口が広いことがわかると思います👀

ある古い酒器の本に、良いぐい吞の条件は、飲んだときに鼻がぐい吞の中に入るようなものが良い!とありました❗

その理由は、お酒の香りを感じることができるから・・・だそうです😋

このぐい吞は、正に鼻がすっぽり納まるようなような口が広い、お酒好きのための作品かもしれません❕

 

 

高台にも釉薬がかけられています。

横幅が広くどっしりと重く大ぶりなぐい吞を支える高台だから、

大きく丸い円の高台で、とても安定性があります❗

 

 

箱書きの安藤先生の字体、ボクは個人的に好きな字体です🥰

やっぱり凄いベテラン陶芸家は、書も字も違いますね~

 

 

 

👆最後に去年の夏に陶房にて安藤博允先生のお写真を撮らせていただきました📸パシャリ

素敵なお写真に、今でも楽しい大切な時間を思い出すことができます✨

 

 

安藤博允先生、

これからくる寒い冬が終わり、

あたたかい春🌸になったら、

また🚗会いにいきますね😊😊😊

 

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テーマ:

 

美濃を代表する人気中堅陶芸家 一郎 先生。

 

今回紹介する陶芸家は美濃焼の一大産地のひとつ、

岐阜県瑞浪(みずなみ)市土岐町の山中で、

薪窯による焼成にこだわる 一郎 先生のぐい吞です❕

 

 

一郎 (ほりいちろう)先生は、

1952(昭和27)年9月11日に瑞浪市の量産型の食器等を作る窯屋・製陶工場の長男に生まれ、

1971年から故 加藤孝造先生に弟子入りします。

独立後は、家業を手伝いながら公募展や伝統工芸展に出品を重ね、

32歳の時に瑞浪市大湫に穴窯(薪窯)を作り、

1997年に工房を現在の瑞浪市土岐町大草に移して新たに窯を築きました。

 

堀一郎先生の主な技法は5つあり、

すべて地元美濃のやきものである、志野鼠志野黄瀬戸瀬戸黒・唐津風です❗

師である人間国宝の故 加藤孝造先生の技法を受け継ぎ、

堀先生が独自に研究・改良したものです✨

 

そんな美濃の山中で薪窯にこだわる堀一郎先生のぐい吞の紹介です🍶

ぜひ見てください😄👇

 

 

「志野ぐい吞」

薪窯らしい優しい火色が魅力の志野ぐい吞です💛

堀先生らしい力強いロクロの造形も魅了です💛

 

 

裏面は志野の長石釉が厚くかかり、

志野らしい白色の景色となっています😀

撫でまわしたくなるようなしっとりすべすべとした肌が愛らしいぐい吞です🥰

 

 

上から見る👀と、このぐい吞は輪花型🌸をしているんです❕

この輪花型は師の加藤孝造先生の師匠である故 荒川豊蔵先生が良く用いた形でもあります😄

 

 

高台部分は土が縮緬状⚡に荒れて、

この土の雰囲気が酒器党の方から堀先生が人気がある理由のひとつです😄イイですね~💛

 

 

箱書き

「志野ぐい吞 一郎」

 

 

「志野ぐい吞」

作品名は志野ではありますが、鼠志野のぐい吞作品です❕

鉄分を多く含んだ土の成分で真っ赤な火色が男性的でカッコイイです😍

丸みのある形もボクのお気に入りポイントです👍

 

 

薪の灰が降りかかり、その灰が高温で溶けて口元に茶色の景色を作り、

さらに窯の中で土の中に含まれている鉄分が噴出し、黒い点々模様も生まれています❗

この景色は薪窯の強還元焼成🔥で無ければ生まれない、正に炎の芸術品です🥰

 

 

ところどころに見えるホクロのような黒い点々が鉄分が噴いたところです👀❕

 

 

この赤い火色が、見る人によってピザ🍕やトマトスパゲッティ🍝に見えるようです😋

確かに・・・🍕🍝

 

 

箱書き

「志野ぐい吞 一郎」

 

 

「黄瀬戸ぐい吞」

薪窯の焚口手前に裸で置かれ、

薪の灰や炎の窯変が魅力の堀先生の黄瀬戸作品です😀

 

 

灰が降りかかりガサガサの肌になり、高温の炎で釉も一部が剥がれ落ち、

更にその灰が焦げて黒くなっています❕

この独特な黄瀬戸の一群は荒川豊蔵が生み出し、加藤孝造に引き継がれたものなんです🤗

 

 

ぐい吞の底には黄瀬戸釉と薪の原料である松灰が溜まり、

黄緑色に変化した釉薬が美しいです💚

でも飲み口はガサガサなので、口当たりは悪そうですね・・・😅💧

 

 

高台周りには様々な釉薬が織りなす景色や窯変、表情があって面白いです✨

ちなみに高台の左側にある線は、堀先生の彫名です❕

 

 

箱書き

「黄瀬戸ぐい吞 一郎」

 

 

「唐津風ぐい吞」

堀先生の作品群の中でも圧倒的に点数が少なく珍しいのが唐津風(美濃唐津)の作品です❕

唐津風ぐい吞を保有している方は少ないのではないでしょうか😀

ちなみに唐津風(美濃唐津)とは、佐賀などの本場の唐津の土を使わずに、

唐津焼と似たような鉄分の多い瀬戸や美濃の土と釉薬で作られた唐津焼風な焼き物と言う意味です。

美濃には桃山時代から江戸初期に作られた「美濃唐津」と言う焼き物の種類があります。

 

 

堀先生の唐津風作品は変化が大きく、

このぐい吞は美濃の山から採れる植物を燃やした灰などから作った堀先生のオリジナルで、

それを6日間に及ぶ薪窯還元焼成で生まれた作品です❕

釉が青く変化し、それが滝のように下に落ちる景色が素晴らしいです😍

 

 

きっとお酒を注いだら綺麗だろうなぁ~🥰

織部のようなグリーンの色彩が美しいです💚

 

 

還元によって茶色に変化した荒い美濃の土がハッキリ見えます👀❗

ボクのような土マニアには、この高台はたまりません😄

 

 

箱書き

「唐津風ぐい吞 一郎」

 

ボクの堀一郎先生のぐい吞コレクションはいかがでしたか👀❓

美濃陶が好きな愛好家の中では非常に人気のある堀一郎先生❗

その理由は、ボクが思うに男性的な動きのある造形に、

今の時代に6日間を要する過酷な薪窯焼成にこだわるスタイル、

そんなところが愛好家や若手陶芸家からカッコイイと憧れ人気があるのだと思います😆

 

本当なら堀先生の主要な技法である瀬戸黒のぐい吞も紹介できれば良かったのですが、

残念ながらボクは堀先生の瀬戸黒のぐい吞を保有していないので紹介できませんでした💦

今後、もしご縁があり入手できたら紹介しますね~😄

間違えなく5種類の技法の志野鼠志野黄瀬戸瀬戸黒・唐津風のぐい吞を揃えて並べたら、壮観で感動的だろうなぁ~😍

 

堀一郎先生は現在72歳の中堅陶芸家です❕

72歳では中堅とは思われないかもしれませんが、

ボクは80歳以上の瀬戸・美濃の戦前生まれの陶芸家と関わっていることを思うと、

まだまだ1950年代生まれは中堅作家だと思っています😅

 

堀一郎先生は紛れもなく10年後、

美濃を代表する巨匠陶芸家になります❗

師である加藤孝造先生などの美濃の偉大な諸先輩から学んだ技術やスピリットを、

これからも継承し続けてほしいです🔥🔥🔥

 

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