意図
どんな事象にも人間が関わっているモノには必ず何らかの意図があります。当たり前ですよね。意図がない状態で何も生まれませんから。
例えば士業の先生だけのコミュニティを立ち上げたとする。立ち上げた方の意図って簡単で、士業の先生同士で様々なコラボなり、新規事業が生まれてほしい、そういった意図があるはずです。そういう意図無しにリスト集めする方もいらっしゃいますけどねww
でも、そういう意図があることを理解しているなら、自己紹介で
「~士の○○です」
なんていうのが無意味だということわかりますか?それこそ「~士」なんて他にもいっぱいいるんですから、「~が得意な」とか「~の実績が日本一の」とか、何らかの形容詞がついて当たり前。そうでないとコラボをしたくてもできないし、その方が使えるか否かもわかりません。
少なくともコミュニティを立ち上げた方の意図を汲むことができていない=場が読めない=意識が低いという証明になってしまいます。
個人の資質が商売の肝になっている士業にとって、こういう逆ブランディングは痛いですよね。でも、士業の先生にはこういうのが日常茶飯事。自分でそういったコミュニティを立ち上げたことがないからなんでしょうか。
自主自立って、自ら行動して、が基本。他の方が立ち上げてくれたコミュニティに参加するなら、その方の意図に沿った行動を、と考えるのは不自然なんでしょうかねww 士(さむらい)なんでしょ、士業の先生って・・・
一貫性
昨日は、大きなスポーツの試合が2つありました(いや、私にとって、という意味でww)。そのどちらも、指揮官というか監督さんの意図の「一貫性」のなさが露見した試合でした。
まずはプロ野球(ややマニアック)。優勝を争っている阪神が1点リードで、いつもの岩崎投手でなく及川投手を登板させて逆転負けを喫した試合。
まず、優勝争いは、もう佳境と言ってもいい時期。要は勝負をかける時期。私、個人的には及川投手、好きなんです。大事な場面で任せられるようになったんだという喜びもあると言えばあります。でもね・・・
翌日は、裏エースの高橋投手を中5日で無理させることが決まっている状態で、なぜ岩崎投手を温存?岩崎投手は大事に使って、高橋投手は無理してくださいって意味?つまり、勝負に出るのか出ないのか、監督の覚悟が見えない采配なんです。
勝負とするなら、岩崎投手でしょ。彼が打たれて負けたなら皆が納得。翌日にも影響は出にくい。あとは高橋投手に完投してもらうだけ。
勝負でないなら、高橋投手を中5日で無理させる必要ないでしょ。彼はひじの怪我からここまで投げられなかった投手。そのあとの巨人戦にも投げさせたいらしいですけど、失礼ながら今の巨人にそこまで気を使う必要はないでしょうに。
一人の投手は大事にし、一人の投手は酷使する。これじゃあ一貫性はないですよね。
もう1つは、サッカーのワールドカップ予選。この試合、勝つしかないんですよ。それなのに・・・
五輪からまともなパス回しの出来ない遠藤と、守備力がまったくない柴﨑でダブルボランチ?ありえない・・・
案の定、柴﨑が狙われているのが前半から見え見え。後半から変えるのが「勝つ」ための監督の仕事。バックパスのミスをしてから変えても遅いんですよ、本当に。
若手でも五輪で一皮むけた田中選手とかいるんですから、暑さに強いそういう選手を優先するべきでしょう。
また、攻め勝つならFWでしょ。それなのに、FWの選考選手も少ない。じゃ、守るの、ってところでこんな選手起用。どちらも中途半端で一貫性がない。浅野?無理。今まで実績出したことないじゃない。育てる試合ならいいですけど、天王山ですよ、この試合。
どちらも監督がその試合の位置づけをきちんと選手に示すことが出来なかったことが敗因。使われた選手も気の毒に思えるくらい。
ビジネスもそうですけど、リーダが自分の考えに「一貫性」がないと、部下はついてきません。まして、ここが正念場、というときほど、それが顕著に表れます。平和ボケしているリーダは、緊急時には使えないという見本を見せつけられた気がしました。(←政治の話はしてませんからねww)
プロの言葉って深い
先日、ある著名な女性服のデザイナーの方のお話を聞きました。その中で、特に印象的だったのが、
「マーケティングなどはしたことありません。それで生まれてくるものには何らかのフィルタがかかってしまって、本当に造りたいものになっていないから。愚直ですけど、自分が作りたいものにとことんこだわって、流行によらず長年使ってもらえる一着を作りたいんです。」
考えてみれば、私たちの仕事、特に特許明細書の作成は一種の作品作り。20年にわたって有効な権利を作り上げる作業。こだわりがなければできませんよね。
私たちの仕事で「マーケティング」に相当する作業となれば、判例なりの研究でしょうか。確かに裁判の流れを権利に反映させるのは有効であると信じられていますし。
でも、考えてほしいのは、裁判になっている権利が生み出されたのは、裁判になる時期よりもはるか以前。強い権利の基本的骨格は、実は大きく変わりません。その基本をしっかり押さえていれば、時代の流れに押し流されるようなやわな権利にはならないはず。
実際、私が関わった裁判あるいは裁判直前の案件では、まあ権利者の権利内容が「完璧」と思ったものは皆無。ハッキリ言えば、穴だらけというか、基本すら踏み外した代物が係争に巻き込まれています。
私たちがプロとして本当に作り上げたいものは、第三者からのどんな攻勢にも耐え得る強固な権利。そのための手法は大きく変わっていません。むしろ、どうやって守るか、どうやって攻めの手段を埋め込むか、ダミーを作るか等、そのあたりの創意工夫の勝負。ここに時間を割いていない権利はプロの仕事と呼べないでしょう。
自分の作りたいものにこだわって、それを他人から評価してもらえる。そういうプロをこれからも目指します。