僕自身、小さい頃から親に「資格を持て」と言われ続けました。
よくよく考えてみれば、祖父は小さな町工場でその腕一本で数十年飯を食ってきた人です。
母は、CADなどの資格を複数持っています。
言わば、職人型ですね。
自分の腕で飯を食う人たちです。
自分の腕で飯を食うということは、専門性が高く、言わばどんな会社に移ったとしても、大丈夫。
飯に食い零れる心配は無い、ということです。
建築業界やソフトウェア業界に、この傾向があるのではないでしょうか。
そう言う意味で、ソフトウェア業界がITドカチンと言われるのも、何となく「あ~……」と思えてしまいます。
うちの会社にも、職人肌の貴賓高きエンジニアがいます。
その腕一本で飯を食ってきた、スペシャリスト。
アーキテクチャだと言われても僕はおそらく、あぁそうですねぇ……と言うでしょう。
しかし、驚くぐらい組織に適合出来ない。
例えるなら、ホームランやヒットは打てるけど、進塁打や、犠飛が欲しいシーンで三振してしまう奴。
アプリは作れるんだけれど、ドキュメントが全く書けない。
ドキュメントなんかいらないね、ソースコードを読めば良い、と平気で言う。
でも、そんなソースコードにFix me.... と書くんだから、シャレになっていない。
僕自身の考え方として、組織というのは平凡な人間を非凡にするために存在すると思っています。
10人集まれば、お互いの足りない部分を補い、100人分の力を発揮する。
それが組織だと思うのです。
しかし、それをするためには大前提があって、その人の弱点に目をやってはいけないんです。
例えば僕とかは、SE系の仕事をするのですが、PG系の仕事はしない。
というか、出来ないんですけどね。
だから、普通、僕に対して「コード書け」とか「コードも書けないようじゃあ1人前のエンジニアにはなれない」なんて説教してはいけないのに、説教する。
そして、嫌われる。
言わば、本当に昭和の親父ですね。
生きた化石。
組織と職人肌、恐らく水と油のような、この関係をどうすれば融合させることが出来るのか?
最近、そればかり悩んでいました。
組織というのは言わば、1人の力を100人のパワーに変えるほど強力ですが、本人自身の意思を奪いかねないパワーも持ち合わせています。
一方で、職人肌は完全なる本人の意思で、人生を歩むことになります。
結局、組織に所属する人間を尊重できる組織。
それが一番ですかね。
ドラッカーはかつて、3人の煉瓦積み職人の話をしていました。
別に、何をしているんですか?と聞かれて「レンガを積んでいるんだ」「世界一の煉瓦積みの最中だ」「教会を建てているんだ」、この答えのどれでも良いです。
「君の煉瓦の積み方はなっていない」
「そんなことでは煉瓦積みで飯を食えない」
みたいに、偉そうに言わなければ、どんなタイプでも良いです。
明日は8月15日。
日本が戦争を辞めた日、ですね。
確か、本当の終戦はミズーリ号の9月だったと思いますが、まぁそれはさておき。
この時期になると、多いのが戦争特番。
はっきり言って、この時期になると戦争で飯が食えるみたいですね。
戦争が悲惨なのは分かっていますし、戦争が無くなれば良いでしょうが、それでも人は人を殺すでしょうし、人が悲しまない日は来ないでしょう。
戦争は、言わば手段であり、交渉の対極にあるものだと僕は思うのです。
皆さんが想像される戦争とは「悲惨さ」であり、それは状態でしか他ならない。であれば、対極にあるのは平和ではなく安全という秩序でしょう。
戦争反対!と叫んでいる間、日本の秩序はどうなったでしょうか?
結局、原爆が落ちてから、落としたアメリカではなく、落とされた日本政府に対して裁判を起こしている間は、本当にダメだと思う。
もし、日本の左翼側とされている人たちが、アメリカを原告とした裁判を起こすのであれば、僕は全力で支援するでしょう。
もし、それを日本の右翼側とされている人たちが、それを阻止するのであれば、僕は全力で阻止するでしょう。
そして、問うのではないでしょうか。
「原爆を落とされた苦しみを忘れるな!」
と。
戦争が悲惨なのは分かっている。
では、今後、どうするか?を考えないといけない。
右も左も、おっと言えるような案を出しましたか?
戦争そのものを無くす。
じゃあ、北朝鮮やアメリカをどうやって説得する、という話ですわな。
日本が戦争を辞めた日、ですね。
確か、本当の終戦はミズーリ号の9月だったと思いますが、まぁそれはさておき。
この時期になると、多いのが戦争特番。
はっきり言って、この時期になると戦争で飯が食えるみたいですね。
戦争が悲惨なのは分かっていますし、戦争が無くなれば良いでしょうが、それでも人は人を殺すでしょうし、人が悲しまない日は来ないでしょう。
戦争は、言わば手段であり、交渉の対極にあるものだと僕は思うのです。
皆さんが想像される戦争とは「悲惨さ」であり、それは状態でしか他ならない。であれば、対極にあるのは平和ではなく安全という秩序でしょう。
戦争反対!と叫んでいる間、日本の秩序はどうなったでしょうか?
結局、原爆が落ちてから、落としたアメリカではなく、落とされた日本政府に対して裁判を起こしている間は、本当にダメだと思う。
もし、日本の左翼側とされている人たちが、アメリカを原告とした裁判を起こすのであれば、僕は全力で支援するでしょう。
もし、それを日本の右翼側とされている人たちが、それを阻止するのであれば、僕は全力で阻止するでしょう。
そして、問うのではないでしょうか。
「原爆を落とされた苦しみを忘れるな!」
と。
戦争が悲惨なのは分かっている。
では、今後、どうするか?を考えないといけない。
右も左も、おっと言えるような案を出しましたか?
戦争そのものを無くす。
じゃあ、北朝鮮やアメリカをどうやって説得する、という話ですわな。
数日前、僕と1つ下の後輩が会社を退職しました。
その後輩は入社した頃、僕が面倒を見ていました。
ただ、僕自身は設計、後輩は違う分野へ進むということで、面倒を見たのは2カ月程度でした。
僕自身、それが凄く気がかりで、ずっとずっと気がかりで、気が付けば1年が経とうとしていました。
気がかりだったのは、他の後輩は、ちゃんと先輩が面倒みている中で、僕だけが「後輩が違う分野に進んだから」という理由だけで、何もしてやれなかったから。
廊下ですれ違って、挨拶するぐらい。
それぐらいの関係性でした。
でも、それは、その後輩が、いつまでもとは言わないけれど、今後しばらく、今の会社にいるだろうと思っていたからかもしれません。
誰もが、いつしか、別れることになる、人が死ぬのと同じように、出会うということは、別れるということに、僕自身、気付いていたのに、気付いていないふりをしていただけなのかもしれません。
突然の退職の知らせ。
信じられませんでした。
後輩は自分の夢を追うからだ、と言っていました。
僕自身、その瞬間、その後輩の夢すら知らなかったんだな、と思い知りました。
退職の日、僕は彼女の前で泣いてしまいました。
本当に悲しかった。
人が辞めるということが、こんなに悲しいことだとは、思っていませんでした。
辞めると解っていたら、もっと優しくしていたのだろうか。
どこかへ行くと知っていたら、もっと接していたのだろうか。
いつかは別れると解っているのに、素直になれなくて、親切が出来なくて、無愛想になってしまい、でも、瞼を閉じて、再び開けば、そこに後輩の姿が無いと解った瞬間、自分の不甲斐無さに、涙が止まりませんでした。
それで思い出すのが、祖母です。
うちの祖母は認知症を患っていて、老衰もあり、もってあと3か月だそうです。
毎週、実家に帰り、一緒に晩御飯を食べています。
認知症なので、会話が噛み合わないことが多く、時々イライラするのですが、それでも、家に帰る時には「なぜもっと優しくしてやれないのか」と後悔しています。
僕自身、片親だったせいもあって、祖母には優しく育てられました。
親はいつも働きに出ていたので、祖母が家まで来てくれて、晩御飯を買ってくれました。
だいたい吉野家の牛丼か、近所のスーパーで買ってきた惣菜系。
それでも、美味しかった。
1人じゃない。
それが僕を強くしてくれた。
それなのに、いつからでしょうね。
祖母を邪険に扱うようになったのは。
きっと、1人で生きていけると錯覚した頃でしょうかね。
高校2年生の頃、イジメに合い、死にたくて死にたくて仕方が無かったからかもしれません。
実際、生きている意味が解らなかったんで、20歳で死のうと思っていました。
あれは確か、僕が18歳の頃でしょうか。
その日、たまたま僕は実家に帰っていました。
その頃は月に1回、実家に帰って祖父母に会っていたように思います。
夜中の10時半ごろでしょうか。
友達から電話がありました。
「これから飲もう」
そんな誘いでした。
イジメを受けていて、友達のいなかった僕はその誘いに乗りました。
祖母に「これから遊びに行ってくる」と言いました。
「こんな夜遅くに止めときぃ」
「明日は、肉じゃがやでぇ」
何度も呼び止められました。
「俺、肉じゃが嫌いやから」
僕はそれを振り切って友達に会いに行きました。
次の日。
祖母が倒れたと知らせを受けました。
心筋梗塞。
今夜が山だそうです。
その時の、僕のショックを、誰か理解してくれるでしょうか。
きっと、僕が肉じゃがを食べなかったからだ。
何度も僕は、昨日の僕を恨みました。何度も。
祖母は、目を瞑り、鼻からチューブを入れられ、僕はその姿を見て絶句しました。
もう、ダメかもしれない。
死んだらあかん。
そんな気持ちは全然なかったです。
ごめんなさい。
懺悔の気持ちしか無かった。
肉じゃが食べなくてごめんなさい。
我儘言ってごめんなさい。
偉そうに言ってごめんなさい。
ごめんなさい。
謝るから。
もう、わがまま言わないから。
ごめんなさい、って言わせて。
だから目をあけて。
お願いします。
おばあちゃん。
ごめんなさいって言わせて。
なぁ。
頼む。
おばあちゃん。
なんか言って。
何度も、何度も何度も何度も、言いました。
祈りました。
3時間ほどして、祖母の意識が回復しました。
何とか持ち堪えただろう。
医師は、そう言いました。
家族がひと段落して、とりあえず祖母の家に戻りました。
お腹がすいていました。
キッチンには、肉じゃががありました。
僕が嫌いと言った肉じゃが。
火をかけ、暖めました。
美味しい。
なんで、こんなに美味しいのを、今まで食べなかったんだろう。
その瞬間、涙が止まらくなりました。
今まで、いることが当たり前だと思っていた人が、もしかしたら明日死んでもしまうかもしれない。
いなくなるかもしれない。
さよならも言えないままに、お別れをすることになるかもしれない。
それなのに、僕は。
今度は、後輩に向かって言えました。
お疲れ様。
今まで、お疲れ様。
新天地で、頑張れ。
別れは悲しい。
でも、さよならと言えない別れの方が、もっと悲しい。
僕は言うよ。
今度は言うよ。
悲しいけれど、おばあちゃん、本当に今までありがとう、ほんまにありがとう、って言うよ。
おばあちゃんが作ってくれた肉じゃが、美味しかった。
テンプラも作ってくれたね。
いつも、おかんに怒られる俺を庇ってくれてありがとう。
優しくしてくれてありがとう。
ほんま、ありがとう。
おばあちゃん。
ありがとうな。
その後輩は入社した頃、僕が面倒を見ていました。
ただ、僕自身は設計、後輩は違う分野へ進むということで、面倒を見たのは2カ月程度でした。
僕自身、それが凄く気がかりで、ずっとずっと気がかりで、気が付けば1年が経とうとしていました。
気がかりだったのは、他の後輩は、ちゃんと先輩が面倒みている中で、僕だけが「後輩が違う分野に進んだから」という理由だけで、何もしてやれなかったから。
廊下ですれ違って、挨拶するぐらい。
それぐらいの関係性でした。
でも、それは、その後輩が、いつまでもとは言わないけれど、今後しばらく、今の会社にいるだろうと思っていたからかもしれません。
誰もが、いつしか、別れることになる、人が死ぬのと同じように、出会うということは、別れるということに、僕自身、気付いていたのに、気付いていないふりをしていただけなのかもしれません。
突然の退職の知らせ。
信じられませんでした。
後輩は自分の夢を追うからだ、と言っていました。
僕自身、その瞬間、その後輩の夢すら知らなかったんだな、と思い知りました。
退職の日、僕は彼女の前で泣いてしまいました。
本当に悲しかった。
人が辞めるということが、こんなに悲しいことだとは、思っていませんでした。
辞めると解っていたら、もっと優しくしていたのだろうか。
どこかへ行くと知っていたら、もっと接していたのだろうか。
いつかは別れると解っているのに、素直になれなくて、親切が出来なくて、無愛想になってしまい、でも、瞼を閉じて、再び開けば、そこに後輩の姿が無いと解った瞬間、自分の不甲斐無さに、涙が止まりませんでした。
それで思い出すのが、祖母です。
うちの祖母は認知症を患っていて、老衰もあり、もってあと3か月だそうです。
毎週、実家に帰り、一緒に晩御飯を食べています。
認知症なので、会話が噛み合わないことが多く、時々イライラするのですが、それでも、家に帰る時には「なぜもっと優しくしてやれないのか」と後悔しています。
僕自身、片親だったせいもあって、祖母には優しく育てられました。
親はいつも働きに出ていたので、祖母が家まで来てくれて、晩御飯を買ってくれました。
だいたい吉野家の牛丼か、近所のスーパーで買ってきた惣菜系。
それでも、美味しかった。
1人じゃない。
それが僕を強くしてくれた。
それなのに、いつからでしょうね。
祖母を邪険に扱うようになったのは。
きっと、1人で生きていけると錯覚した頃でしょうかね。
高校2年生の頃、イジメに合い、死にたくて死にたくて仕方が無かったからかもしれません。
実際、生きている意味が解らなかったんで、20歳で死のうと思っていました。
あれは確か、僕が18歳の頃でしょうか。
その日、たまたま僕は実家に帰っていました。
その頃は月に1回、実家に帰って祖父母に会っていたように思います。
夜中の10時半ごろでしょうか。
友達から電話がありました。
「これから飲もう」
そんな誘いでした。
イジメを受けていて、友達のいなかった僕はその誘いに乗りました。
祖母に「これから遊びに行ってくる」と言いました。
「こんな夜遅くに止めときぃ」
「明日は、肉じゃがやでぇ」
何度も呼び止められました。
「俺、肉じゃが嫌いやから」
僕はそれを振り切って友達に会いに行きました。
次の日。
祖母が倒れたと知らせを受けました。
心筋梗塞。
今夜が山だそうです。
その時の、僕のショックを、誰か理解してくれるでしょうか。
きっと、僕が肉じゃがを食べなかったからだ。
何度も僕は、昨日の僕を恨みました。何度も。
祖母は、目を瞑り、鼻からチューブを入れられ、僕はその姿を見て絶句しました。
もう、ダメかもしれない。
死んだらあかん。
そんな気持ちは全然なかったです。
ごめんなさい。
懺悔の気持ちしか無かった。
肉じゃが食べなくてごめんなさい。
我儘言ってごめんなさい。
偉そうに言ってごめんなさい。
ごめんなさい。
謝るから。
もう、わがまま言わないから。
ごめんなさい、って言わせて。
だから目をあけて。
お願いします。
おばあちゃん。
ごめんなさいって言わせて。
なぁ。
頼む。
おばあちゃん。
なんか言って。
何度も、何度も何度も何度も、言いました。
祈りました。
3時間ほどして、祖母の意識が回復しました。
何とか持ち堪えただろう。
医師は、そう言いました。
家族がひと段落して、とりあえず祖母の家に戻りました。
お腹がすいていました。
キッチンには、肉じゃががありました。
僕が嫌いと言った肉じゃが。
火をかけ、暖めました。
美味しい。
なんで、こんなに美味しいのを、今まで食べなかったんだろう。
その瞬間、涙が止まらくなりました。
今まで、いることが当たり前だと思っていた人が、もしかしたら明日死んでもしまうかもしれない。
いなくなるかもしれない。
さよならも言えないままに、お別れをすることになるかもしれない。
それなのに、僕は。
今度は、後輩に向かって言えました。
お疲れ様。
今まで、お疲れ様。
新天地で、頑張れ。
別れは悲しい。
でも、さよならと言えない別れの方が、もっと悲しい。
僕は言うよ。
今度は言うよ。
悲しいけれど、おばあちゃん、本当に今までありがとう、ほんまにありがとう、って言うよ。
おばあちゃんが作ってくれた肉じゃが、美味しかった。
テンプラも作ってくれたね。
いつも、おかんに怒られる俺を庇ってくれてありがとう。
優しくしてくれてありがとう。
ほんま、ありがとう。
おばあちゃん。
ありがとうな。
部下を成長させる。
それだけでしょう。
部長であれば、課長が育つような環境をつくる。
課長であれば、係長が育つような環境をつくる。
係長であれば、平社員が育つような環境をつくる。
そう言う意味で、他のことを全く考えずに自分自身だけのために仕事が出来るのは、平社員だけかもしれません。
僕自身、理想としている、というか、こうありたいリーダー像というのは、落合博満氏です。
落合氏は、ドラゴンズの選手に対して「お前らは自分の好きなようにやって良い。お前らが好き勝手やって貰って、それを試合の勝利に結び付けるのは監督の仕事だから」と言ったそうです。
これは、自分の好きなようにやれ、という意味ではなく、勝つために必要なことは、こちら側から強制するのではなく、君たちが自主的にやりなさい、という意味です。
その上で、選手の頑張りを、きちんと試合への勝利に結び付けるのは、監督です、と。
そう言う意味で、僕自身、好き勝手やって良いよ、とよく言います。
自分の実力を磨くことに注力しなさい、と。
自分のスキルを伸ばしなさい、と。
その伸ばした部分を、成果に結び付けるのは、おれの仕事です、と。
会社のためより自分のため、です。まずは。
自分のために働ける余裕や実力が身に付いてから、組織のため、顧客のために働いて欲しいと思います。
それだけでしょう。
部長であれば、課長が育つような環境をつくる。
課長であれば、係長が育つような環境をつくる。
係長であれば、平社員が育つような環境をつくる。
そう言う意味で、他のことを全く考えずに自分自身だけのために仕事が出来るのは、平社員だけかもしれません。
僕自身、理想としている、というか、こうありたいリーダー像というのは、落合博満氏です。
落合氏は、ドラゴンズの選手に対して「お前らは自分の好きなようにやって良い。お前らが好き勝手やって貰って、それを試合の勝利に結び付けるのは監督の仕事だから」と言ったそうです。
これは、自分の好きなようにやれ、という意味ではなく、勝つために必要なことは、こちら側から強制するのではなく、君たちが自主的にやりなさい、という意味です。
その上で、選手の頑張りを、きちんと試合への勝利に結び付けるのは、監督です、と。
そう言う意味で、僕自身、好き勝手やって良いよ、とよく言います。
自分の実力を磨くことに注力しなさい、と。
自分のスキルを伸ばしなさい、と。
その伸ばした部分を、成果に結び付けるのは、おれの仕事です、と。
会社のためより自分のため、です。まずは。
自分のために働ける余裕や実力が身に付いてから、組織のため、顧客のために働いて欲しいと思います。
さぁ、いよいよやってまいりました。
明日からいよいよ、デスプロジェクトへの参加です。
数日前のブログでチラリと話題に上げた職人さんが参加しているプロジェクト。
これが完全にデスマ状態なんですね。
コードを書けば、いける。
これぐらいのことなら、特に問題ない。
だいたい、いけるもんですよ。
こんな事を平気な顔をして言う訳です。
で、僕が「じゃあスケジュールを出して下さい」と言うと「そんなのはいらない」とか「書いても良いけど、その通りにはいかない」とか訳の分らないことを言い出す始末。
豆腐の角に頭ぶつけないかなぁ……と、ずっと思っていました。
結局、僕のプロジェクトが、職人さんのしているプロジェクトを終えない限り、次に進まないので、参加せざるを得ません。
僕の上長が、しきりに「このプロジェクトはやばい」と連呼するのですが、そんなことは解っています。
じゃあ、お前、プロジェクト遅延の責任取れ!とか、職人さんに嫌われたくないあまりに、放置した責任がこの結果じゃねぇか!と言いたくもなるのですが、それは胸に閉まって「そうですねぇ、死にますねぇ」と言ってみる。
やはり、腹が立つのは、この職人さんですわな。
これは全世界のエンジニアだけでなく、ビジネスマンに言えることなのですが、自分が出来るから他の人も出来ると思っている奴が多過ぎる。
なぜ、プロジェクトを成功に導けたかを考えた時に、
1. 仕組みが良かった
2. 個人の能力が良かった
だいたいが、どちらかと思う訳です。
どちらが持続可能な成長を描けるかと言えば、1. だと思います。
しかし、ちょっと仕事が出来る奴は、どうしても2. で物事を進めてしまう。
周囲の人間は、そいつが仕事出来る人間なので、それを注意しようとしない。
あほか、と。
成果が出る仕組みを組織内に根付かせ、制度にすることが、最短で「成果を出し続ける状態」への近道でしょう。
スポーツでもそうですが、全ては基本があって、応用があり、自己流が成り立つ筈です。
土台となる部分が自己流だったら、いずれその人の進歩は止まります。
20代に活躍出来たプロ野球選手が、30代に活躍出来なくなるのは、野村監督が喝破しているように「自分の能力だけで野球をしているから、能力が何れ衰えることを解っていない」点にあります。
応用力や、自己流は、何れ自身の能力に頼っている限りは、衰退するんです。
衰退するとき、新しい応用力や自己流を身に付けることが出来るかが、鍵です。
その時に、芯となる基礎があるか無いか、は大違いです。
プロ野球選手の場合、基礎体力でしょう。
身体の強さであり、ケガをしない肉体が、バッドのヘッドスイングや球のキレを持続させる。
では、エンジニアの基礎とは何か?
そう考えると実は一杯あるので、一概に言えないと思うのですが、ただしプロジェクト運用の基礎は、恐らく時間ではないでしょうか。
納期。
開発人月。
納期内にプロジェクトが成功するよう、成功に見合った人月を切る。
これが基礎だと最近は思うのです。
納期内に終わらない。
成功に見合った人月が切れない。
これが、デスマの最大の原因だと思います。
しかし、職人肌のエンジニアは、これが出来ちゃう。
出来ちゃうから、職人肌と周囲からは見られちゃうんでしょうけど。
彼らは決まって「時間なんて関係ない」「納期なんて気にしてたら負け」と言います。
しかし、それは彼らが天性で仕事をしているからであって、それが出来ないエンジニアは当然出来ない。
じゃあ、それは出来ないエンジニアが悪いのか。
それは違うのではないでしょうか。
確かに、そうやって天性や感性で仕事が出来、かつプロジェクトを成功へと導ける人は良いでしょう。
しかしいつまでも、それで仕事が出来るとは、とても思えない。
プログラマ35歳定年説というのも、プログラマという職業の場合、35歳になったら感性で仕事が出来なくなってしまうから、そう呼ばれているのではないでしょうか?
プロジェクトを成功させるために、時間管理を行い、納期と人月に気を付ける。
これが僕の考える「基礎」です。
だから、この半年ほど、プロジェクトの運営にあたり、この基礎を繰り返しました。
最初の頃は、時間管理を考えもしなかったメンバーが、最近は「納期以内に間に合わせるために、自分の最善を尽くすにはどうすれば良いか」「時間管理をして、40時間を有効に使う」と口に出し始めていました。
それが、デスマーチのせいで、全てが降り出しです……orz
個人的な意見かも知れませんが、天性や感性で仕事が出来る人は、全体の1%、それでも持って1年。
最近、そう思うのです。
明日からいよいよ、デスプロジェクトへの参加です。
数日前のブログでチラリと話題に上げた職人さんが参加しているプロジェクト。
これが完全にデスマ状態なんですね。
コードを書けば、いける。
これぐらいのことなら、特に問題ない。
だいたい、いけるもんですよ。
こんな事を平気な顔をして言う訳です。
で、僕が「じゃあスケジュールを出して下さい」と言うと「そんなのはいらない」とか「書いても良いけど、その通りにはいかない」とか訳の分らないことを言い出す始末。
豆腐の角に頭ぶつけないかなぁ……と、ずっと思っていました。
結局、僕のプロジェクトが、職人さんのしているプロジェクトを終えない限り、次に進まないので、参加せざるを得ません。
僕の上長が、しきりに「このプロジェクトはやばい」と連呼するのですが、そんなことは解っています。
じゃあ、お前、プロジェクト遅延の責任取れ!とか、職人さんに嫌われたくないあまりに、放置した責任がこの結果じゃねぇか!と言いたくもなるのですが、それは胸に閉まって「そうですねぇ、死にますねぇ」と言ってみる。
やはり、腹が立つのは、この職人さんですわな。
これは全世界のエンジニアだけでなく、ビジネスマンに言えることなのですが、自分が出来るから他の人も出来ると思っている奴が多過ぎる。
なぜ、プロジェクトを成功に導けたかを考えた時に、
1. 仕組みが良かった
2. 個人の能力が良かった
だいたいが、どちらかと思う訳です。
どちらが持続可能な成長を描けるかと言えば、1. だと思います。
しかし、ちょっと仕事が出来る奴は、どうしても2. で物事を進めてしまう。
周囲の人間は、そいつが仕事出来る人間なので、それを注意しようとしない。
あほか、と。
成果が出る仕組みを組織内に根付かせ、制度にすることが、最短で「成果を出し続ける状態」への近道でしょう。
スポーツでもそうですが、全ては基本があって、応用があり、自己流が成り立つ筈です。
土台となる部分が自己流だったら、いずれその人の進歩は止まります。
20代に活躍出来たプロ野球選手が、30代に活躍出来なくなるのは、野村監督が喝破しているように「自分の能力だけで野球をしているから、能力が何れ衰えることを解っていない」点にあります。
応用力や、自己流は、何れ自身の能力に頼っている限りは、衰退するんです。
衰退するとき、新しい応用力や自己流を身に付けることが出来るかが、鍵です。
その時に、芯となる基礎があるか無いか、は大違いです。
プロ野球選手の場合、基礎体力でしょう。
身体の強さであり、ケガをしない肉体が、バッドのヘッドスイングや球のキレを持続させる。
では、エンジニアの基礎とは何か?
そう考えると実は一杯あるので、一概に言えないと思うのですが、ただしプロジェクト運用の基礎は、恐らく時間ではないでしょうか。
納期。
開発人月。
納期内にプロジェクトが成功するよう、成功に見合った人月を切る。
これが基礎だと最近は思うのです。
納期内に終わらない。
成功に見合った人月が切れない。
これが、デスマの最大の原因だと思います。
しかし、職人肌のエンジニアは、これが出来ちゃう。
出来ちゃうから、職人肌と周囲からは見られちゃうんでしょうけど。
彼らは決まって「時間なんて関係ない」「納期なんて気にしてたら負け」と言います。
しかし、それは彼らが天性で仕事をしているからであって、それが出来ないエンジニアは当然出来ない。
じゃあ、それは出来ないエンジニアが悪いのか。
それは違うのではないでしょうか。
確かに、そうやって天性や感性で仕事が出来、かつプロジェクトを成功へと導ける人は良いでしょう。
しかしいつまでも、それで仕事が出来るとは、とても思えない。
プログラマ35歳定年説というのも、プログラマという職業の場合、35歳になったら感性で仕事が出来なくなってしまうから、そう呼ばれているのではないでしょうか?
プロジェクトを成功させるために、時間管理を行い、納期と人月に気を付ける。
これが僕の考える「基礎」です。
だから、この半年ほど、プロジェクトの運営にあたり、この基礎を繰り返しました。
最初の頃は、時間管理を考えもしなかったメンバーが、最近は「納期以内に間に合わせるために、自分の最善を尽くすにはどうすれば良いか」「時間管理をして、40時間を有効に使う」と口に出し始めていました。
それが、デスマーチのせいで、全てが降り出しです……orz
個人的な意見かも知れませんが、天性や感性で仕事が出来る人は、全体の1%、それでも持って1年。
最近、そう思うのです。