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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

数日前、僕と1つ下の後輩が会社を退職しました。
その後輩は入社した頃、僕が面倒を見ていました。

ただ、僕自身は設計、後輩は違う分野へ進むということで、面倒を見たのは2カ月程度でした。

僕自身、それが凄く気がかりで、ずっとずっと気がかりで、気が付けば1年が経とうとしていました。
気がかりだったのは、他の後輩は、ちゃんと先輩が面倒みている中で、僕だけが「後輩が違う分野に進んだから」という理由だけで、何もしてやれなかったから。

廊下ですれ違って、挨拶するぐらい。



それぐらいの関係性でした。

でも、それは、その後輩が、いつまでもとは言わないけれど、今後しばらく、今の会社にいるだろうと思っていたからかもしれません。
誰もが、いつしか、別れることになる、人が死ぬのと同じように、出会うということは、別れるということに、僕自身、気付いていたのに、気付いていないふりをしていただけなのかもしれません。



突然の退職の知らせ。

信じられませんでした。
後輩は自分の夢を追うからだ、と言っていました。

僕自身、その瞬間、その後輩の夢すら知らなかったんだな、と思い知りました。



退職の日、僕は彼女の前で泣いてしまいました。

本当に悲しかった。
人が辞めるということが、こんなに悲しいことだとは、思っていませんでした。

辞めると解っていたら、もっと優しくしていたのだろうか。
どこかへ行くと知っていたら、もっと接していたのだろうか。

いつかは別れると解っているのに、素直になれなくて、親切が出来なくて、無愛想になってしまい、でも、瞼を閉じて、再び開けば、そこに後輩の姿が無いと解った瞬間、自分の不甲斐無さに、涙が止まりませんでした。



それで思い出すのが、祖母です。

うちの祖母は認知症を患っていて、老衰もあり、もってあと3か月だそうです。
毎週、実家に帰り、一緒に晩御飯を食べています。

認知症なので、会話が噛み合わないことが多く、時々イライラするのですが、それでも、家に帰る時には「なぜもっと優しくしてやれないのか」と後悔しています。


僕自身、片親だったせいもあって、祖母には優しく育てられました。

親はいつも働きに出ていたので、祖母が家まで来てくれて、晩御飯を買ってくれました。
だいたい吉野家の牛丼か、近所のスーパーで買ってきた惣菜系。

それでも、美味しかった。
1人じゃない。

それが僕を強くしてくれた。



それなのに、いつからでしょうね。
祖母を邪険に扱うようになったのは。

きっと、1人で生きていけると錯覚した頃でしょうかね。
高校2年生の頃、イジメに合い、死にたくて死にたくて仕方が無かったからかもしれません。

実際、生きている意味が解らなかったんで、20歳で死のうと思っていました。



あれは確か、僕が18歳の頃でしょうか。

その日、たまたま僕は実家に帰っていました。
その頃は月に1回、実家に帰って祖父母に会っていたように思います。

夜中の10時半ごろでしょうか。
友達から電話がありました。

「これから飲もう」

そんな誘いでした。
イジメを受けていて、友達のいなかった僕はその誘いに乗りました。

祖母に「これから遊びに行ってくる」と言いました。

「こんな夜遅くに止めときぃ」
「明日は、肉じゃがやでぇ」

何度も呼び止められました。

「俺、肉じゃが嫌いやから」

僕はそれを振り切って友達に会いに行きました。



次の日。

祖母が倒れたと知らせを受けました。

心筋梗塞。

今夜が山だそうです。

その時の、僕のショックを、誰か理解してくれるでしょうか。

きっと、僕が肉じゃがを食べなかったからだ。

何度も僕は、昨日の僕を恨みました。何度も。

祖母は、目を瞑り、鼻からチューブを入れられ、僕はその姿を見て絶句しました。

もう、ダメかもしれない。



死んだらあかん。

そんな気持ちは全然なかったです。

ごめんなさい。

懺悔の気持ちしか無かった。

肉じゃが食べなくてごめんなさい。

我儘言ってごめんなさい。

偉そうに言ってごめんなさい。

ごめんなさい。

謝るから。

もう、わがまま言わないから。

ごめんなさい、って言わせて。

だから目をあけて。

お願いします。

おばあちゃん。

ごめんなさいって言わせて。

なぁ。

頼む。

おばあちゃん。

なんか言って。



何度も、何度も何度も何度も、言いました。
祈りました。



3時間ほどして、祖母の意識が回復しました。

何とか持ち堪えただろう。
医師は、そう言いました。

家族がひと段落して、とりあえず祖母の家に戻りました。


お腹がすいていました。

キッチンには、肉じゃががありました。



僕が嫌いと言った肉じゃが。

火をかけ、暖めました。



美味しい。



なんで、こんなに美味しいのを、今まで食べなかったんだろう。



その瞬間、涙が止まらくなりました。



今まで、いることが当たり前だと思っていた人が、もしかしたら明日死んでもしまうかもしれない。

いなくなるかもしれない。

さよならも言えないままに、お別れをすることになるかもしれない。

それなのに、僕は。



今度は、後輩に向かって言えました。

お疲れ様。

今まで、お疲れ様。

新天地で、頑張れ。



別れは悲しい。

でも、さよならと言えない別れの方が、もっと悲しい。



僕は言うよ。

今度は言うよ。

悲しいけれど、おばあちゃん、本当に今までありがとう、ほんまにありがとう、って言うよ。



おばあちゃんが作ってくれた肉じゃが、美味しかった。

テンプラも作ってくれたね。

いつも、おかんに怒られる俺を庇ってくれてありがとう。

優しくしてくれてありがとう。

ほんま、ありがとう。

おばあちゃん。


ありがとうな。