僕自身、小さい頃から親に「資格を持て」と言われ続けました。
よくよく考えてみれば、祖父は小さな町工場でその腕一本で数十年飯を食ってきた人です。
母は、CADなどの資格を複数持っています。
言わば、職人型ですね。
自分の腕で飯を食う人たちです。
自分の腕で飯を食うということは、専門性が高く、言わばどんな会社に移ったとしても、大丈夫。
飯に食い零れる心配は無い、ということです。
建築業界やソフトウェア業界に、この傾向があるのではないでしょうか。
そう言う意味で、ソフトウェア業界がITドカチンと言われるのも、何となく「あ~……」と思えてしまいます。
うちの会社にも、職人肌の貴賓高きエンジニアがいます。
その腕一本で飯を食ってきた、スペシャリスト。
アーキテクチャだと言われても僕はおそらく、あぁそうですねぇ……と言うでしょう。
しかし、驚くぐらい組織に適合出来ない。
例えるなら、ホームランやヒットは打てるけど、進塁打や、犠飛が欲しいシーンで三振してしまう奴。
アプリは作れるんだけれど、ドキュメントが全く書けない。
ドキュメントなんかいらないね、ソースコードを読めば良い、と平気で言う。
でも、そんなソースコードにFix me.... と書くんだから、シャレになっていない。
僕自身の考え方として、組織というのは平凡な人間を非凡にするために存在すると思っています。
10人集まれば、お互いの足りない部分を補い、100人分の力を発揮する。
それが組織だと思うのです。
しかし、それをするためには大前提があって、その人の弱点に目をやってはいけないんです。
例えば僕とかは、SE系の仕事をするのですが、PG系の仕事はしない。
というか、出来ないんですけどね。
だから、普通、僕に対して「コード書け」とか「コードも書けないようじゃあ1人前のエンジニアにはなれない」なんて説教してはいけないのに、説教する。
そして、嫌われる。
言わば、本当に昭和の親父ですね。
生きた化石。
組織と職人肌、恐らく水と油のような、この関係をどうすれば融合させることが出来るのか?
最近、そればかり悩んでいました。
組織というのは言わば、1人の力を100人のパワーに変えるほど強力ですが、本人自身の意思を奪いかねないパワーも持ち合わせています。
一方で、職人肌は完全なる本人の意思で、人生を歩むことになります。
結局、組織に所属する人間を尊重できる組織。
それが一番ですかね。
ドラッカーはかつて、3人の煉瓦積み職人の話をしていました。
別に、何をしているんですか?と聞かれて「レンガを積んでいるんだ」「世界一の煉瓦積みの最中だ」「教会を建てているんだ」、この答えのどれでも良いです。
「君の煉瓦の積み方はなっていない」
「そんなことでは煉瓦積みで飯を食えない」
みたいに、偉そうに言わなければ、どんなタイプでも良いです。