ぶっちゃけて言うが、関西独立リーグは経営を間違えているんじゃないだろうか。
20万の給料を8万+出来高にするって阿呆か。
そんなに金に困っているのかなぁ。
金に困っているから、人件費に手を出すってのは常套手段だけど、それに合わせて売上が伸びるような施策を考えないと意味は無いよ。
選手のモチベーションは下がるだけ。
関西独立リーグは何のために存在するのか?
関西独立リーグの顧客は誰か?
この2つを考えた時に、プロ野球選手の夢を諦めきれない男たちの最後の砦だと、経営者が安易に考えているのなら経営は止めた方が良い。
選手のための経営では無く、顧客のための経営をするべきだ。
では、顧客とは誰か?
グラウンドに足を運んでくれる人間だけが顧客か?
いや、吉田えり投手に興味を抱く人間だって、潜在的な顧客だ。
経営者は、顧客が何に金を払うか考えた方が良い。
ファンサービス、素晴らしいプレイ、心が熱くなる感動。
目に見えるもの、目に見えないもの。
経営者は、何に金の価値があり、何に無いかの判断をしないといけないはず。
関西独立リーグは司令塔がいなくなって迷走しているのかな。
例えば、学校の先生。
貴方は毎日、生徒に対して「嘘はついてはいけません、絶対に説明責任は果たしなさい、少数意見には必ず耳を傾けなさい」と諭していたとします。
しかし、そんな先生は往々にして、日教組で、組合に入らない先生に無言のプレッシャーをかけ続けたりするもの。僕の小学校の先生も、日教組では無いがために鬱病に掛かり、休職されてしまいました。
人間は往々にして、合理的では無い判断を、極めて合理的に判断してしまいます。
今までの慣習。
或いは、事前準備。
特に顕著なのは官僚組織で、30年前のダムの話を未だしているのは極めて合理的ではないのに、決まったことだからという一言で合理的に物事を進めようとしている。
30年経てば、時代背景は変わります。
社会システムも変わります。
ましてや今は、インターネット時代を生きる世の中。
世界は5年で瞬く間に変化する、と言われる時代です。
ダムでなければいけないのか?と何故、考えないのか。
決まったこと、30年も待たせておいて、弱者しわ寄せ……そんな「論理的な」感情議論が、日本を衰退させようとしているのです。
今、必要なことは、組織として、合理的に論理的に判断することです。
こう言うと、いつも世の中はロジカルに判断出来ない!という人がいます。デジタルのような、0 か 1 かで判断は出来ません、と。
確かにその通りです。
従って、合理的に論理的に判断するに当たって、情緒は欠かせないと思います。
しかし、1度判断したことに対して、惻隠の情が感じられないと批判するのは、それこそ「惻隠の情が感じられない」と思うのです。
何だか纏まらないので、今日はこの辺で……。
貴方は毎日、生徒に対して「嘘はついてはいけません、絶対に説明責任は果たしなさい、少数意見には必ず耳を傾けなさい」と諭していたとします。
しかし、そんな先生は往々にして、日教組で、組合に入らない先生に無言のプレッシャーをかけ続けたりするもの。僕の小学校の先生も、日教組では無いがために鬱病に掛かり、休職されてしまいました。
人間は往々にして、合理的では無い判断を、極めて合理的に判断してしまいます。
今までの慣習。
或いは、事前準備。
特に顕著なのは官僚組織で、30年前のダムの話を未だしているのは極めて合理的ではないのに、決まったことだからという一言で合理的に物事を進めようとしている。
30年経てば、時代背景は変わります。
社会システムも変わります。
ましてや今は、インターネット時代を生きる世の中。
世界は5年で瞬く間に変化する、と言われる時代です。
ダムでなければいけないのか?と何故、考えないのか。
決まったこと、30年も待たせておいて、弱者しわ寄せ……そんな「論理的な」感情議論が、日本を衰退させようとしているのです。
今、必要なことは、組織として、合理的に論理的に判断することです。
こう言うと、いつも世の中はロジカルに判断出来ない!という人がいます。デジタルのような、0 か 1 かで判断は出来ません、と。
確かにその通りです。
従って、合理的に論理的に判断するに当たって、情緒は欠かせないと思います。
しかし、1度判断したことに対して、惻隠の情が感じられないと批判するのは、それこそ「惻隠の情が感じられない」と思うのです。
何だか纏まらないので、今日はこの辺で……。
脱官僚だろうが、官僚依存だろうが、日本が良くなりゃそんで良いじゃないか。
そんなに官僚を意識する必要あるんだろうか。
そんなに官僚を意識する必要あるんだろうか。
つい最近ですが、上長と対立しました。
上長は言いました。
「お客様が困っているのに、対応しないとはどういうことだ!」
しかし、僕は思うのです。
お客様がいて、僕らは仕事をすることが出来る。しかし、お客様のために24時間365日働くことは間違っている。
うどんの専門店に来たお客が、ラーメンが食べたいと言ったら、専門店はラーメンを出しますか?
違いますよね。うちはうどんの店だから、ラーメンは無いよ、と言いますよね。
しかし、うちの上長は「お客がラーメン食べたいと言っているんだから」と叱る。
アホなのか、脳足りんなのか。
言わば、志が無いんですよね。
目の前の困っている人の話を聞くぐらいなら、誰だって出来るんです。
必要なことは、サイレントマジョリティの声を聞きとる耳、感じ取る心なんですよね。
仕事には、やはり志と理想がないと。
僕はこれがやりたいんだ!という気持ちがないと。
今日で最終回を迎えた官僚たちの夏でも、結局は理想や夢を亡くした官僚の末路が描かれていました。
仕事で最近痛感するのは、今している仕事をどうしたいのか?ということなんです。
現在進行形の仕事をするのは簡単で、必要なのは今している仕事で、将来どうしたいか?ということ。
誰が喜べるのか。
誰の生活が楽になるのか。
これこそ、仕事に対する理想や志、なのではないでしょうか。
青臭いかも知れません。
子供や大人は、笑うかも知れません。
しかし、これだけは知って頂きたい。
志や理想の無い人間は、今しか生きることが出来ない。
なぜ戦後直ぐの日本が、それでも明るかったか。
今だけでなく、未来をともに生きていたからではないでしょうか。
今はどうですか。
自分の生き方、自分の生き様、そこに未来はありますか。
上長は言いました。
「お客様が困っているのに、対応しないとはどういうことだ!」
しかし、僕は思うのです。
お客様がいて、僕らは仕事をすることが出来る。しかし、お客様のために24時間365日働くことは間違っている。
うどんの専門店に来たお客が、ラーメンが食べたいと言ったら、専門店はラーメンを出しますか?
違いますよね。うちはうどんの店だから、ラーメンは無いよ、と言いますよね。
しかし、うちの上長は「お客がラーメン食べたいと言っているんだから」と叱る。
アホなのか、脳足りんなのか。
言わば、志が無いんですよね。
目の前の困っている人の話を聞くぐらいなら、誰だって出来るんです。
必要なことは、サイレントマジョリティの声を聞きとる耳、感じ取る心なんですよね。
仕事には、やはり志と理想がないと。
僕はこれがやりたいんだ!という気持ちがないと。
今日で最終回を迎えた官僚たちの夏でも、結局は理想や夢を亡くした官僚の末路が描かれていました。
仕事で最近痛感するのは、今している仕事をどうしたいのか?ということなんです。
現在進行形の仕事をするのは簡単で、必要なのは今している仕事で、将来どうしたいか?ということ。
誰が喜べるのか。
誰の生活が楽になるのか。
これこそ、仕事に対する理想や志、なのではないでしょうか。
青臭いかも知れません。
子供や大人は、笑うかも知れません。
しかし、これだけは知って頂きたい。
志や理想の無い人間は、今しか生きることが出来ない。
なぜ戦後直ぐの日本が、それでも明るかったか。
今だけでなく、未来をともに生きていたからではないでしょうか。
今はどうですか。
自分の生き方、自分の生き様、そこに未来はありますか。
再生の町が下部の官僚組織を描いているのに対して、官僚たちの夏は上部の官僚組織を描いていますね。
なかなか面白い。
特に再生の町が、財政赤字寸前に陥り、組織改革を進める地方自治体。
官僚たちの夏が、日本の高度経済成長を支える司令塔の通産省。
今時の表現で言えば、犠牲者と被疑者か。
なぜ地方自治体は霞が関の奴隷となったのか。
それは、両ドラマを見ていたら何となく解る気もしますよね。
行政指導のもと、子ども(地方自治体)を保護したい母親(霞が関)の成れの果てですよ。
子供50歳、母親75歳。
子供ニート、母親年金暮らし。的な。
国をどうするか考えていた通産省、そして霞が関なら、今こそ、また考えるべきですよね。
国は何で成り立っているのか。
21世紀、国は国民とどういう関係を築くべきか。
日本国で暮らす、とはどういうことか?ということですよね。
結局、制度疲労起こしている地方自治体を描いているのが「再生の町」。
制度疲労を起こした制度での活躍を描いているのが「官僚たちの夏」。
でしょうな。
なかなか面白い。
特に再生の町が、財政赤字寸前に陥り、組織改革を進める地方自治体。
官僚たちの夏が、日本の高度経済成長を支える司令塔の通産省。
今時の表現で言えば、犠牲者と被疑者か。
なぜ地方自治体は霞が関の奴隷となったのか。
それは、両ドラマを見ていたら何となく解る気もしますよね。
行政指導のもと、子ども(地方自治体)を保護したい母親(霞が関)の成れの果てですよ。
子供50歳、母親75歳。
子供ニート、母親年金暮らし。的な。
国をどうするか考えていた通産省、そして霞が関なら、今こそ、また考えるべきですよね。
国は何で成り立っているのか。
21世紀、国は国民とどういう関係を築くべきか。
日本国で暮らす、とはどういうことか?ということですよね。
結局、制度疲労起こしている地方自治体を描いているのが「再生の町」。
制度疲労を起こした制度での活躍を描いているのが「官僚たちの夏」。
でしょうな。