再生の町が下部の官僚組織を描いているのに対して、官僚たちの夏は上部の官僚組織を描いていますね。
なかなか面白い。
特に再生の町が、財政赤字寸前に陥り、組織改革を進める地方自治体。
官僚たちの夏が、日本の高度経済成長を支える司令塔の通産省。
今時の表現で言えば、犠牲者と被疑者か。
なぜ地方自治体は霞が関の奴隷となったのか。
それは、両ドラマを見ていたら何となく解る気もしますよね。
行政指導のもと、子ども(地方自治体)を保護したい母親(霞が関)の成れの果てですよ。
子供50歳、母親75歳。
子供ニート、母親年金暮らし。的な。
国をどうするか考えていた通産省、そして霞が関なら、今こそ、また考えるべきですよね。
国は何で成り立っているのか。
21世紀、国は国民とどういう関係を築くべきか。
日本国で暮らす、とはどういうことか?ということですよね。
結局、制度疲労起こしている地方自治体を描いているのが「再生の町」。
制度疲労を起こした制度での活躍を描いているのが「官僚たちの夏」。
でしょうな。