日々棲む世に -3ページ目

死について。

昨日は歳三さんと遊んでいました。


彼は最近彼女が出来て、そろそろ合体しそうなんだけど、


このたるんだ体をどうにかしたいと いう事で、うちに来る時はごはんを食べない事にしたそうだ。


んで、夜中は運動 27歳と29歳のいい歳2人が夜中の公園でひーひーいいながらバトミントンして、


階段を上り下り競争した。クラクラする。久々にマラソンした後の鉄みたいな味がした。


んで、昨日は死について話をした。



死=哀に直結してるのかといえば、それは違うと思う。


大事な人が死んで哀しいのは、大事な人にもう会えないからで


それは人が死んでなくても感じられる感情ですよね。


死は結果で、死ぬこと事態は哀しい事ではないですね。


大事な人を失う事は哀しい事か、私は少なくとも哀しいと感じました。


私は身近な人間の死は、ずっと私達兄弟を育ててくれた祖母が死んだ時が初めてだった。


中学2年で、葬式自体が初めてで、もやもやした哀しい空気に戸惑った。


涙は最後に棺桶を閉めて火葬する時に出た。


それは哀しかったからではなく 感極まったからで、ありがとうが自分の中で溢れた。哀しくはない。


彼女に振られたほうがよほど哀しいと思った。


去年末から、出来事を愛する視点で物事を見るようになれて来てからは


自然と失う事に対する怖さ、哀しみはかなり減った気がします。


ふと今、大事な人が死んだらどうなるんだろうと考える。


そいつが生きたかったと言うならば、一緒に悔しがってあげるかな。


そいつが死にたいというならば、そいつが選んだ道を応援します。


そいつが殺してくれというならば、後でにして、って言わせてね。



葉隠思想では、死は絶対的自由な行為で、そこも死に対しての視点の違いだろう。


この頃は死の価値は今よりも全然高く、尊いものだったと思います。


自分が考えるには、生きている人間は生命活動中にどんな善行、悪行をしても共通に死は経験出来る。


それはどんな生き方よりも確実に約束されたものだ。自分がこの世界から物質的に消滅する瞬間を


誰もが必ずいつか経験出来るって、すこし素晴らしい事だとおもう。


死にたいと思うのは、生きるのが極端に辛いか楽しいかの状態で


且つ、その時の自尊心の程度から来るものだと思う。


俺もう死んでもいい、なのか、もうやだ死にたい、なのか。


どっちも自分の欲から発生してますね。


自分から望まない結果を招いた上に、更に死にたいって奴がいたら言って上げてください。


その上まだ死ぬ価値があるなんて、よほど我執のかたまりだな。と。



一方、歳三さんは昔からずっと思ってる事があるらしい。


「ぜってーまた会えるから哀いとかないわ!だから好きして!」だそうです。



相変わらずシンプルだわ。でもそれこそ、だね。

サソリBCとモルボルBC

久しぶりにインドアな話


ちんたら育ててた忍はいまやっと74になり、後輩のZさんにはとっくに抜かれてしまったが


まぁ、あとはのんびりソロや少人数であげようと思ってる。


私は大學の頃から歳三さんに日本史を叩き込まれてきて、読書も司馬遼太郎が多く


初詣には松蔭神社と決めている。ゲンを担ぐというよりは、ただの好きものです。


だもんで、ここでも侍をやりたいとは思っているのだが、戦、赤、忍がカンストして


いまさら侍も上げる気は無くなりましたね。ジョブごとの荷物も、もうパンパンです。


でも日本刀を振ってみたいと思ってはおります。侍ではなく忍者でね。


忍が装備出来る両手刀は限られていて、忍者的に最も優れてるのは


「道芝の露」という逆トライアル武器だそうで、以前からほしいほしいと思っておりました。



昨日はインするとLさんからテルで「なんかしよーよー」とのこと


んで、ボヤでドーモ君をぼーっとシンクしながらやっていましたが、


どうも飽きてきたので なんか出来きないかなと考えた。で、神30のサソリをする事を思いついた。


少人数(2、3人)では撃沈済みなので、今回は6人で突入を考えた。もちろんフレが暇ならね。


まずCさん がインしてたので誘ってた。「はい。よろしくお願いします」とのこと。 Cさんやっぱいいわー。


続いて以前のLSで一緒だったRさんとMさんも誘ってみた。 Rさんは9時までならOKという事でした。


Mさんは今回はパスだそうで。 以前参加してたLS も、もうこの4人しかいなくなってしまいました。


こっちからはLさんと後輩Zさんを連れて、これで5人だ。


Lさんに誰か呼べるか聞いてみると 旦那が来れるという事になった。すばらしい。これで揃ったわ。


ということでジュノ港に集合して、BFまでデムから向かった。


久しぶりに元LSのフレさん含め遊んだけど、なんだかいい感じでした。


ゲームだけの繋がりだけど、それでも私の内では揺れるものがありました。


Rさん旦那さんはお手伝いという事で、計4戦しました。


作戦は各々ガチンコで、終わった人からお手伝いって感じにしました。


私が2割ほど削った位でCさんが「終わりました。」って。はやいねCさん、ブランクあるとは思えませんよ。


結果全勝でした。うれし。逆トライアルの片手刀が欲しかったんだけど出なくって


他、金目のものも誰も出ませんでした。だけどとても内輪で盛り上がって楽しかったです。



RさんL旦那さんが終わってバイバイして、ZさんがモルボルBCしようよという事で


Cさんも誘って行って見る事にした。前回三人でいって5分と持たなかったからリベンジですね。


構成は赤2黒1侍1です。マラソンうまいと赤ソロでも行けるみたいですね。


私マラソン出来ませんからね、でも今回はグラビデ要員でした。


一戦目、しにまくりであとちょっとの所でタイムアップ。


二戦目、開幕連続真で削って後はマラソンしながら勝利。


ドロップはしょぼかったけど、道芝の露がでましたよ。


Lさんにお願いして譲ってもらいました。やったー! これで念願の日本刀を振り回せます。


その後MMMってのを初体験して、良く分からなかったけど今日は眼が疲れましたよ。


そんな感じでしばらくは潜在消しに勤しみたいと思いました。

社会に出てからの仕事やめたりはじめたり。

今週は少し穏やかなのかな。




もう今の仕事も今月で最後だし、このまま穏やかに終わってほしい。




今日は社会人というやつになってからのお話でもしようと思います。






2002年に大學を卒業してすぐにベンチャー企業の営業職についた。




この頃私としては就職する気はさらさら無かったけど、ここで決めたのは親の手前が 大きかった。




親の会社がバックアップしてるベンチャー企業。 親の伝で決ったようなもんですね。




商品は宿泊施設向けインターネットコンテンツ。




インターネット、ネットワークの勉強したり、社会のマナーなど よくわかわないが怒られてばっかりだった。




20数人の小さな会社なので、もちろん新卒は私一人、あとはオッサンばかりだった。




社内のオッサン同士で仲が悪く、いつしか板ばさみ状態になった。 私にはみんな怒りやすいしね。




理不尽な事で起こられるのは本当に嫌なもんだ。 そんな感じでも1年はどうにかやってみた。




他の会社の社長さんに呑みに連れられた時、思わず今まで我慢してた涙が溢れてきた。




事情をよくしってる方だったので、自分の事も面倒みてやると言ってくれた。




自分の会社で雇ってやるとも言われた。そういう風に見ててくれる人がいる事が嬉しかった。




会社が辛くてたまらないし、この我慢の意味がわからないので一年半後に退職した。




最後の方はほとんど記憶がない。多分思い出したくもないのだろう。




辞める前から上の社長に相談し、辞めた後も頼ってみたが、上手く濁されて断られた。




まぁ、社会の付き合いってこういう事はよくあるんでしょうかね。残念です。






退職した後しばらくはアルバイトをして食いつないだ。




治験やサクラなど、金が比較的いい仕事が多かったかな。




自分的に治験は好きだけどサクラは向いてないわ。嘘つくの苦手です。




前のイメージが強くて、就職する気は全く無くなっていたが、お金には困っていたので




派遣会社に行って見る事にした。2社ほど登録を済ませて、しばらくすると会社から連絡があった。




事務系の仕事で勤務地は渋谷で外資系証券会社だそうです。




面接も受かって、自給もが良かったので行く事にした。




行って思ったのは、会社によってこうも雰囲気は違うものかと驚いた。




前はずっと監視されてる感じがしたけど、ここは逆に誰も自分の事なんて見てない。




同僚は1人だけで、2つ上でおっとりとした男性だった。 すぐに打ち解けてプライベートも遊ぶ友達になった。




この頃、週末クラブでも仕事を始めていたのでほぼお休みが取れない状態だった。




月~金は昼間会社に行って、金と土は夜中から朝までクラブで働いた。




日曜日の夜ちょっとの時間が自分のお休みだった。この頃の私は相当にイラチだった。




一緒に住んでた彼女ともよく喧嘩した。包丁持ち出された時はもう終わると思いました。




この頃、歳三さんとほとんど会っていない。






昼の仕事の同僚が渡米する事になり、代わりの人が入って来た。




5つ上の男性で 最初は仲良く出来るのかわからなかったけど、緩さが半端なくて、すぐ打ち解けた。




前の人は寝坊癖はあったけど、社員の方とも上手くやってたのであまり目をつけられなかったが




私と彼になってからは、緩さが爆発した。案の定目を付けられた。




会社が移転して、六本木になり、同じ時期に駐車違反取締の民営が始った頃で




バイク通勤の私としては、これはかなりの痛手になった。まじで止めれる所がないぞ。




そんなバイク通勤をしてた12月末雨に日の帰り、急に出て来た配達のバイクにスッ転んだ。




全身打って痛かったが、早く帰りたい気持ちが大きかったので救急車乗車を拒否して家に帰った。




そしたら彼女に怒られた。んで、次の日、痛い体を引きずって会社に行くと解雇を言い渡された。




まぁずっと目を付けられてたからね。体制も変わるみたいで、丁度良かったのかもしれない。




同僚は親父が地方で起業したからそれを手伝うとの事で、




自分はというと、この同僚が以前働いてたここの会社の親会社の方の事務をする事になった。




ビルは一緒で階違いなので楽だが、盛大に送別会してもらったのになんだかな。




まぁ食いっぱぐれずに済んでよかった。社員にもなれるとの事でした。




勤務会社の社員ではなく、全く別の会社からの出向という名目でした。なんでもいいけどね。




ここの切替時にクラブ勤めも終わりにした。




約一年間休み無しはもう体力的に辛いし、大体納得したから。 それから約二年間ここで働いてる。






そしてここも残す所あと一ヶ月位です。 退職理由、単純に飽きたから。その答えが一番素直だと思う。




秘書との仲違いもあったが、それも気持ちの後押しの一つに過ぎない。 約三年ほど事務系をやって思った。




自分はもう新しい事を知りたい。 今はこんな御時世だから動かなくてもとか色々言われたが、




こういう所は頑固でして 自分の意志を尊重しないと駄目な気がするんです。




時世?知らんわ。私は私。 私の行動と時世の反比例がたまたま被っただけです。どうって事はないでしょう。




こういう遊牧民的な生きかたは、あまり受け入れられないでしょうね。 不安定過ぎて旦那にはしたくないでしょう。




まぁ10年後はどうか判らないけど 少なくとも今は私の思うままに生きて見たいです。




次の就職は決ってるの?とよく聞かれますが、そんなもんは決ってませんよ。




でもしてみたい業種はあるんです。それは結婚相談所です。




理由は単純で、動機はどうあれ、結婚を決める時の男、女の覚悟が見れそうだからです。




まぁ、それも決ったらの話ですね。




まずは少し休んで、行けたら海外にでも行こうと思ってます。

ぼんやりなのだ。

昨日歳三さんと音楽を聴いててふと思った。


私の心象音楽ってどんなだろうか。


単純な意識レベルでは人は自分にあるから好むものと、自分に無いから好むパターン


共感と憧れとも取れマスネ。


どっちも心が心地よいのですが、自分の心象音楽を知りたいのですから、


共感から来る感動があるものを選んでいくといいでしょう。


もちろん気分に近い所なので常にそうではありませんが、


なるべくデフォルトで 感じている心象音楽を見つけられるといいです。


一番手っ取り早そうなのが私自身が自身に素直な曲を作ればいい訳だが さて、うまくいくのかな。


人にはそれぞれ空気と呼ばれるものがある。ようは雰囲気みたいなもの。


この人といると心が嬉しい。逆もしかりです。


これっていうのはその人から何が滲み出ているのかというと、多分心象なのだと思います。


外面から来る魅力も嫌いではないし、私も男ですから 美しい女性をみればその部分と繋がる欲望が揺れる。


わたしが言っているのはそっちではなくて、外面や社会性や常識は必要としてない。


物質世界で生きているのでもちろん切り離す事は出来無いのであるが


この世界でも心のままに生きる事は可能である。が、私にはまだまだである。


その滲み出るのもがその人自身であり、それが芸術なのだと思う。


一方、理由はどうあれ仮面を付けて生きている人というのはいっぱいいて,


その仮面もちゃんと心象をもっている場合もある。


それはすごく奇妙な事だが ようはその人自身が自分を直視出来ていないのだと思う。


または、それ以前に気がついてもいないかもしれない。


そういう場合は心象がダブってみえるので、なんだか息苦しさを感じます。


寝顔と笑顔は結構素が出るもので、どんなに仮面で違う心象を出していても


一瞬だけポロっと本来のその人が見える時がある。


私は人の笑顔が好きで、それをみて良く思うのは「可愛い」という感情です。


包み込んで上げたいなと思います。


しかし稀に逆に包まれてしまう笑顔というのもあります。


これに出会うとちょっとうれしくて叫びたくなりますね。



ではまたいつか。

2009年は楽しい年になりました。

なんだかずいぶん開いてしまいましたね。


人間考えてる時は大体止まってるものです。単純に忙しくてかけませんでした。


まぁ、仕事中位しか書く気もおきないですけどね。



年明けの挨拶から


あけましておめでとう。


私は今、妙に自分を信じています。 私自身が信じている事柄に確証なんて一切ありませんし、


それを問う人が確証を持っているとも思えない。


事実や現実が確証となり得ると信じている人種ですら事実が確証である確証を持ってはいないだろう。


ただ私の人生の正解は私の中にだけ存在してます。


あなたの中にも。だからあまり外部に答えを求めなくていいのだ。


今年は楽しい年になってしまいます。なぜなら楽しいを選んだから。


年始の挨拶でした。



では去年の話から書こうと思います。んーなんいがいいかな。


そしたらメンドクサイ人にあった話からにしましょう。


12月22日に会社が終わってから先輩のお友達から誘われて


忘年会兼クリスマスパーティーに行って来ました。


知ってる人はその先輩の友達だけで、しかも先輩の友達も先輩を通して2,3回しか遊んだ事がない


ありのままの自分を出すようになってから、女性には全くもてなくなったが、 なんか男性に好かれる気がする。


他どんな人が来るのかは聞いてないけど、とりあえず先輩も来るから挨拶してね、とのこと。


うわー。そういう会ですか。まぁどういう人かも知らないし、とりあえず行って見る事にした。


10分遅れて渋谷のお店に到着。先輩の友達のAさんは既に到着しており、


そのとなりに、30代半ばのギリギリ女性がぬいぐるみをかぶって座っていた。 Aさんの飲み友達らしい。


そのうちにポツポツと人が増えていった。 んで、挨拶しないといけない先輩が来た。


ああ、やっぱりね~。いるいるこの手の人種。


Aさんや他の後輩さんの気の使い方からしても、暴力的で機嫌も損ね安い感じ


実際に殴り合いも好いてる様で、試合の為に鍛えているそうです。それは大いに結構です。


この気の使い方からして、多分見た目どおり怒らすと怖いんでしょうね。 体育会にはよくある話です。


まぁとりあえず置いといて、みんな集まって大体11人位。 女性男性含めて私が一番年齢が若かった。


女性達は若くて31~2歳。 みんな空気を読んだのか、


この先輩のご機嫌を損ねないように努めてるのがよく見える。


まぁ単純に見た目もいかついしね。ウシジマ君に出てきそうな感じ。



しかしそうなると可愛そうになってくるのがこの先輩である。


それは当然で、ここの関係はどんなに仲が良くても、相手への恐怖心がある為


気を使う事により嘘を発生させてしまうからで、言ってしまえば半分は嘘で作られた関係性である。


人間というのは嘘を付かれたがってる節があるらしく、この場合でいうならば、


今日の先輩の髪型まじでいかしてますね~!そのジャージまじでかっこいいっす。とか


世辞は社会円滑には必要嘘であろう。 もちろんそれを言われた先輩だって、


それが世辞という嘘である事は知っている。 知っているにも関わらず、それに嬉しく感じてしまうものです。 


たしかに社会での関係ではとりあえず平和になるので、多少は必要なツールだが


本当はこんなしょうもない言葉は使わなくていいなら一生使いたくはない。


が そこまで深い中になることを必要としてない関係で初めて行なう意味がある。


多分この先輩と本当に打ち解けるにはまず殴りあわないといけないだろう。


まぁ、個対個の友情関係の場合、世辞なんてものは壁を作るだけだろう。


そして、この場合にどうしようもないのは先輩ではなく、我々の方なのだ。


全員でイラつかせてぶっ飛ばされたほうがまだ面白い会になる。か?


彼は決して悪い人ではない、ただメンドクサイ人種なのだ。故に彼も彼の孤独を拭うのが難しい。


どっちにしても虚しくなってきたので私は1次会だけで帰る事にした。


殴られるのもやだしーきーつかうのあきたんだもーん。