隠者の庵 -8ページ目

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

障害者手帳を交付された時点でお金に関することはだいたい見放しておかねばならない。

庇護を受ける代わりに栄達を投げ棄てるのだ。所謂世間一般的な名声や金銭的なことに関して。

だがそれ以外のことは殊に求めてはならないということもなかろう。

金がないからといって幸せになってはいけないということではない。

社会的良識を守る限りにおいて、平穏に生きられるのは健常者障害者に関わらず平等である。

静かに生きられるならそれを最大限活用しない方法はない。

人と会うと面倒ごとが起きるなら人と会わなければいい。コミュニケーションの障害なら何とかコミュニケーションの量を減らせるようにする。

普通の仕事をすれば人とはぶつかるし衝突もするし過去の経験上メンタルに余計な負荷がかかる。

なら人とは会わないでする趣味を追求すればいいじゃない、何のために手帳を申請したのか、なんて、

出来ないことが明らかに出来ないからそこを免除してもらうことであって、手帳を印籠のようにかざして普通の道を突き進むことではない。

せっかく負担を減らしたのだからそのように進まないといけない、敢えて人に立ち向かう必要などありはしないだろう。

というわけでストレスを可能な限り減らしたライフスタイルを構築して、何とか生ききらないといけない。

予想以上に出来ないことがあるから。出来ることを見つけてこなして何とか苦痛にならない人生にしていかないと自分が苦しくなる。

園芸に手を出したり、このように文を書き殴るのもその一環である。

人には迷惑をかけない限りにおいて何でも一人で出来ることを追求していかないとならない。それくらいのことをやらないでどうする。

それに人と意図的に会わなければストレスにならない、のならそれを妨害される方が人権の侵害、といえば言い過ぎだが、

ストレスやパニック状態になって何かに危害を加えたりするよりは遥かにマシである。

犯罪なんて別にやりたくもない。ところが感情のもつれがあると何が起きるかわからないから怖い。

ならばもつれないように一人を極めるしかない、それしか出来ないならそれをやるしかない。

制約、とはいっても外すと何が起きるかわからない制約は外してはならないのである。内的にも外的にも。

それが分からず外に外にと引っ張り出そうとするなんて人の心がわからない奴だ、と言わざるを得ないのである。

誠に遺憾である。

最近は晩節?を穢す芸能人が本当に多くて困る。フジテレビの話もようやく下火になって芸能の話題もしばらく落ち着くかなと思ったらこれだよ。

ことあるごとに有名税って本当に高いねぇ、などと思いながら過ごしております。

こんなぐだぐたなら有名になりたくもない。もうその界隈の人だけにそれとなくいるかいないか程度の扱いをされればいいや、と思いました。

しかし自称広末涼子って何だよ、どう見ても広末涼子じゃないのに広末涼子って言い張っている、

意味不明な供述をする人間の類か、と思ったら本人とかもうどうしようもない。

ニュースで聞く限りでも挙動不審が過ぎて自称で本人は何もしないところで食事でもしながら自分の名を騙る人が出たな、

くらいに思ってくれた方が何かと平和で済むのに、よりによって本人とかもう笑えもしない。


そんなことより私にとっては芸術的なホームランをボコスコ打ったブランコ氏が亡くなった事の方が遥かにショックである。

誠に遺憾である。

人とせわしなく付き合うなんてご勘弁願いたい。

孤独になるとボケるよ、とはよく言われますが、人が居ることのストレスとボケとどちらを天秤にかけて比べて、よい、と思えるか。

仕事(作業所)や趣味で外出しているときは普通のことをなるべく普通にこなすようにしておきたいが、

反動でプライベートなときは人なんて近くに居ることがつらい、というか私生活はほぼ全部極力人には見られたくないので、

特別な許可でも無い限り玄関で追い返したい。家庭菜園が趣味で毎日のように畑に出ているが、だからといって声をかけないでいただきたい。

お金の支払いは可能な限り口座から直接引き落としで極力誰とも顔を合わせなくても済むようにしておきたい。

アパートで一人暮らしの時はそうできたから、今できないという道理はない。

許されるのは通っている施設の職員か福祉の担当者かあとは定期的にくる薬屋くらいにしておきたい。

交友関係を自分の許容範囲を超えて拡げるともれなく私のメンタルが滅ぶので人間関係は限られたものにしておきたい。

問題は自分の人間関係のキャパシティが本当に狭いことですが。

話し相手、というか毎日顔を合わせる野菜の苗さえあれば人間とか時折迷惑に感じる。

チェーンメールとか最近ならお金を払わないと電話が止まりますとかいう迷惑電話位に迷惑である。

しかし人間などちょっとした弾みで孤独に死ななければならないのに孤独死は忌み嫌われるのか。

それは人の道に背いていないか。

誠に遺憾である。

最近のアメリカのやっていることがトップダウン過ぎて政治には関心がないけれどあそこまで悪い意味で人を動かす政治とは何かと思う。

この国ではデモとか何かと忌避され、ストライキもやっても大した意味の無いように見てる。

そういうノリだからヨーロッパの国の政治の方向転換があるときに何らかのデモ行進をしたり、集会を開いたりすることが、

目的はともあれ何かのために動けるのは正当な権利だと思いました。

それで今アメリカの大統領が関税をあれこれかけようとして権限を発動して、

株や為替の相場がガタガタになりかけているところにさらに追い打ちをかけようとしている。

ちょっと前までNISAとか余剰の預金を外国株などの投資になんて言っていたのが信じられなくなる。

一人が独断で動く度に煽りを受ける側の人間はたまったものではない。

そりゃデモもやるわ。

突然国の首脳部が何か変なことを言い出したら止められる何らかの機構は必要だと思いました。

ちゃんと危機的な状況では民衆も動かないとならないと思いました。

そういう暴走を監視する国際的な機関がないと、と言って作った国連もどこまで機能できているのか。

個人の独断と偏見で政治を何でもやるなんて言ってしまえば独裁者、である。

いい政治をやるならいいが、突然気が変わって今までの方針を急に反対に変えられたら、黙るものも黙ってはいられないだろう。

いい政治とは何も起きてないことである、何も起きてないから円満なのである、

などと意味不明なことを言いたくもなる。誠に遺憾である。

結婚どころか恋愛もしたことが無いから恋愛の話を振られても何のことだかサッパリ分からない上に共感もできない今日この頃、

皆様方におかれましては日々御健勝のこととお慶び申し上げます。


と書いたように恋愛は何も知らない。恋人いない歴が年齢なのでどうしようもない。

それどころか人間に繋がりたいと近づいていく意欲も何もないのだから一人で死ぬしかないというところであろうか。

人が同じ部屋にいるだけで何かと押し潰されそうな気分になるのは、私が人間に向いていない証左ではなかろうか。

当然ながら人にそういう話題で相談を振られたこともなく、振ったこともない。

二十代に入る頃には恋愛をしようと思う意思まで無くなってしまった。

霞を食っている仙人までは行かないが勉強と趣味がすべて人と関わらないものだったから、

何をして生きているのかとは思われた事だろう。

私は生活に人間が面倒だと思っているので一人であること前提に生活を組み立てているだけですが。

一人の方が無茶をしていないし、無理もないし、純粋にやりたいことができる。

人に見られたりすると何もかもその人が気になって物事が進められなくなるし、

人を見ているのをいちいち気にしたりするとそれしか出来なくなるから、もはや人間の形をした監視カメラか何かである。

それはとても疲れる。

誠に遺憾である。

ニュースで四月一日でもう退職代行を使い退職の手続き始めた新入社員が出た、とか書かれていた。

退職理由の文面だけでは完全に判断できないが、やる気がないとか個人の問題ではなく、

変な研修に巻き込まれたとか初日から面と向かって批判されたとか、パワハラをされたとか、

分からなくても自分で考えろと言ったあとに、分からないなら聞けとダブルバインドになったりとか、

昭和だから何とかなったようなことももう平成を通り越して令和になってますよ、

というような古い考えというのは完全には抜け落ちないようである。

というか仕事なんて黙ってマニュアル通りに寸分違わずできるようにだけやりたい。

会話とかコミュニケーションとか一切無くてもいいから。むしろ私語も何も言わない黙々とした場所で静かに仕事だけをしたい。

高圧的な会話とかパワハラ行為だし、ミスをしたら怒号が飛んでくるのは命に関わる手前くらいにしてほしい。

何をするか何をするべきかだけわかればあとは何も要らない。

むしろパブリックとプライベートを混合したような話し声が飛んでくるから仕事が一向に進まなくなるのではないかと。

人間味とか言うけれどもその人間味が感覚的につかめない人間は、言葉に人間味を付け足されると読めないか読み間違える。

言葉の言葉以外の意味でできたミスの分の挽回とか手直しとか考えたら、

文字で書いてあること以外の事なんてしないしはみ出さないしやらなくてもいい、やった方がミス、とする方がどれだけ平和だろうか。

当然仕事の後の個人的な、プライベートな付き合いは一切無しで。

そうしないと自分の精神の動きがどんどん手に負えなくなったり、始末書ものの動きになるので、

もう何もするな何も言うなここに書いてあることだけ一日やってろ、の方が格段に平和である。

もし裁量というものがあるならば全権なければとても何もする気も起きないだろう。

いちいちどれが越権でどれが余計かなんて考えるのも面倒である。個人的な付き合いはその上を行く面倒さである。

何もルールが無い行動なんて読めないから空気なんてないし読めない。

仕事をするときは人間関係なんて考えないで仕事だけを純粋に考えていたい。何なら名前すら知らなくてもいい。

誠に遺憾である。

引っ越し!引っ越し!さっさと引っ越し!しばくど(自分の腰と膝と股関節を)

という事態なので家の環境が将来的に暮らせなくなったと言って簡単に引っ越せない。

荷物があまりにも多すぎて自力ではまず一昼夜以上の時間がかかるし、

その途中で腰が膝が痛いなどと言って戦線離脱するのが目に見えているからである。

それ以前に股関節がこれ以上酷くなれば階段や段差を何も持たないで上り下りすることもままならなくなる。

そうなったらもう平屋以外には住めない。階段の上に置いた自分の煩悩も置き去りにしなければならないだろう。

なお業者に頼む金もない。障害者の作業所通いがどうやってこの煩悩の山を運ぶというのか。

パソコン、書籍、ゲーム、音楽のCD、楽器だけでもとりあえずワンルームだと部屋が埋まって立って寝るしかない。

まずベッドなんて置けなくなるだろう。今まで実家と2LDKで分散して収納した物をどうしたら圧縮できるのか。

誰か立って寝る機械を発明できれば、ノーベル賞までは行かなくてもイグノーベル賞は十分貰える価値があるし、

なんなら衝動的に収納的な研究に寄付したくなる。

その程度に私物にまみれて山盛りのコレクションに押しつぶされるなら押しつぶされてしまえ、

みたいな楽器の山盛りと本の山盛りと機材の山盛りがあるからうかつに移動も異動も引っ越しもできない。

引っ越し代だけで尋常ではない。白物家電だけ現地で調達すればいいが、それ以外の私物だけでも運ぶだけで大変なことになるだろう。

どれだけ煩悩を積み上げれば気が済むのか。これから更に積み重ねようというのか。

しかしギターのコレクションとか簡単に人の手を借りたくもないし、業者でもないと安心できない。

仕事でやるのと私情でやるとのは大きな違いがある、主に責任という意味で。重荷を運ぶのにタダほど機嫌の悪いものはない。

仕事で金を払うならその仕事だけやってくれるが、私情で来る人は何をするかわからない。何なら闇バイトよろしく楽器を持っていかれるだろう。

だから出来る限り自分で全部運びたいが一人で運べる量ではない。売るにも難儀である。

もう全部自分が亡くなった後で適当な値段をつけて業者が持ち去っていくほうが、自分が二度と見られないから心配することがないし、

特に物に取り憑いて呪うつもりもないから、下手に人に任せるより意思がないだけ平和かもしれない。

その程度には煩悩が家中に詰まっている。断捨離をしなければならないのはわかっている。

わかってはいるが、わかるわけには行かないのである。

しかしこれから色々なことが厳しくなれば家の環境も物の管理も出来なくなるから、

自分を手続きを踏んで福祉施設に押し込むことも範囲にいれて考えなければならない。

とりあえず股関節が傷むので階段の上にいずれは住めなくなるだろう。人工関節なんて入れたら入院代と主にリハビリ代金という金が払えなくなる。

車椅子で妥協するしかないがそうなると高い場所にはいけないからそれだけで住む家が限られる。

公営住宅も全部平屋というわけでもない。エレベーターのない二階でもキツくなるだろう。

こんな中途半端な足ならいっそ動かない方が踏ん切りがつくし諦めもつくし、何より必要な福祉施設への段取りが進められる。

頭だけ動いてもつらいものはつらい。

誠に遺憾である。

音楽(洋楽)やってる人間にはたまに命って何だろうと思うときがあるのです。

27クラブという、有名なミュージシャンが27歳で亡くなるというアーティストの鬼門が存在するように。

ジミヘンドリックスとかカート・コバーンとかジムモリスンとか。

別に27歳を越えても全く安心できるものではなく、マーク・ボランとか30になる前に死ぬだろ、と言って本当にそうなったのは、

基本音楽とは衝動的なものなので売れ線から外れたらもう自分が忘れられる恐怖に怯えなければならないものである。

で、酒とか薬物に走れば当然寿命も縮まるものである。

ランディ・ローズのように飛行機が落ちたりするのは不運としか言いようがないが、

音楽って命を削って生み出しているもの、と言われても否定する気は全く起きない。

芸術家全般がそんな気がしないでもないが、吹っ飛ぶ奴はどこまでも遠慮なく吹っ飛ぶから、

安易に向こうの世界を覗きたがる芸術家が多いのは仕方がないことなのだろうか。

まあ芸術をやる余裕のない世の中の方がくそ食らえですが。

誠に遺憾である。

もう田舎なんでバスなんか目立った場所(目立ってない)しか通らないから、

ついに乗り合いのワゴン車が街中を走るようになった。

専門の窓口に電話をかけて乗る場所と降りる場所を伝え、運賃を持ってその待ち合わせた日に場所に行って乗る。

何人か乗るならまっすぐには向かわず乗る人を乗せて降ろす人を降ろしながら走る。

もはや路線なんてほとんど存在しないから、バス停までの距離自体が遠くなるし、

高齢化で免許を返納し車に乗ることを選べなくなった人々の移動も確保しなければならないし、

過疎化と言わずして何だというような田舎具合なので今生きている高齢者(親戚含む)があと十数年後に何人残っているかを真剣に考えると、

いま走っている路線バスなんて乗るだけの人口もなくなるから走る意味がなくなる。

あとは自力で何とかしろ、という確実に田舎に「悲惨」という意味が追加されるようなのが目に見えている。

私が順当に生きて高齢者になる頃にはインフラも維持できなくなり、集団移住とか、年金だけで家を維持できないがアパートや公営住宅もないから、

どうしようもなくなりいちかばちか古い自宅に住んだまま生活保護を申請、そのセーフティネットも残っているのか。

もはや何か不便さを遺して這々の体で「生きる」と名乗るのもおこがましい状況になるのではないか。

私は年々便数が減って車体もどんどんコンパクトになるバスを見ながらそう思うのである。

誠に遺憾である。

新しいシナリオが始まれば前のシナリオよりも強いキャラができあがると思ったら、

むしろ前より弱いのしかできなくなった今日この頃、皆様方におかれましては日々御健勝のこととお慶び申し上げます。


最近はガチャ運も渋いし、冒頭に書いたように強いキャラができないので、当然チャンミも未勝利で昔ならそのまま500万下に配置されそうな勢い、

頑張ってアーモンドアイを引いたのは一体何だったんでしょうね、と言わんばかりの結果である。

とりあえず新シナリオの導きはほぼハイセイコーに絞って一点突破を図るけれど、UCどころかUEの突破もままならない。

もっと脳筋で何とかできるようなシナリオはないんですか!畜生めぇ!(赤鉛筆を叩きつける音)

(オルフェーヴルを天井を叩いて引いた)It’s判断力足らんかった!これならサポカをそれだけ使った方がまだいい結果が出た気がするわ。

何か最近泣きそうな結果にしかならないのでオート育成で流せる部分は流している。

G1ミッションのG2やG3のレースの事ですが。

行き詰まりというかコツが全然読めていないし、新シナリオ攻略の解説のページを見ても何のこっちゃだし、

このまま戦うにしてもシナリオ攻略の自分の啓蒙も進んでいないからどうしようもない。

そしてそこに唐突にぶち込まれるノーリーズン。もうシナリオの打開策が見つからない限りしばらくは、

救いはないのですか!

救いはないね!(即答)

みたいな現状である。

誠に遺憾である。