金はなくとも何かは楽しく | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

障害者手帳を交付された時点でお金に関することはだいたい見放しておかねばならない。

庇護を受ける代わりに栄達を投げ棄てるのだ。所謂世間一般的な名声や金銭的なことに関して。

だがそれ以外のことは殊に求めてはならないということもなかろう。

金がないからといって幸せになってはいけないということではない。

社会的良識を守る限りにおいて、平穏に生きられるのは健常者障害者に関わらず平等である。

静かに生きられるならそれを最大限活用しない方法はない。

人と会うと面倒ごとが起きるなら人と会わなければいい。コミュニケーションの障害なら何とかコミュニケーションの量を減らせるようにする。

普通の仕事をすれば人とはぶつかるし衝突もするし過去の経験上メンタルに余計な負荷がかかる。

なら人とは会わないでする趣味を追求すればいいじゃない、何のために手帳を申請したのか、なんて、

出来ないことが明らかに出来ないからそこを免除してもらうことであって、手帳を印籠のようにかざして普通の道を突き進むことではない。

せっかく負担を減らしたのだからそのように進まないといけない、敢えて人に立ち向かう必要などありはしないだろう。

というわけでストレスを可能な限り減らしたライフスタイルを構築して、何とか生ききらないといけない。

予想以上に出来ないことがあるから。出来ることを見つけてこなして何とか苦痛にならない人生にしていかないと自分が苦しくなる。

園芸に手を出したり、このように文を書き殴るのもその一環である。

人には迷惑をかけない限りにおいて何でも一人で出来ることを追求していかないとならない。それくらいのことをやらないでどうする。

それに人と意図的に会わなければストレスにならない、のならそれを妨害される方が人権の侵害、といえば言い過ぎだが、

ストレスやパニック状態になって何かに危害を加えたりするよりは遥かにマシである。

犯罪なんて別にやりたくもない。ところが感情のもつれがあると何が起きるかわからないから怖い。

ならばもつれないように一人を極めるしかない、それしか出来ないならそれをやるしかない。

制約、とはいっても外すと何が起きるかわからない制約は外してはならないのである。内的にも外的にも。

それが分からず外に外にと引っ張り出そうとするなんて人の心がわからない奴だ、と言わざるを得ないのである。

誠に遺憾である。