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隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

音に敏感だと幹線道路沿いには住めなくなる。バイクとかトラックとか朝昼晩夜中も通り抜けられたら生きている気がしない。

鉄道沿いも無理である。理由なんて言わなくても分かってもらえるだろう。

よって音に敏感だと山奥の本当に奥まった、細い道の奥のこっそりとした家にでも、要は田舎の奥に行かなければ最終的にどうにもならない。

常に耳栓をつけたりヘッドホンやイヤホンをつけながら、なんて流れる音楽で先に耳がやられる。

だがうるさい場所に住んでいると、些細な音でも特定の刺激に対して敏感になりがちだから、

時折精神の不安定な場合は音が余計に大きく聞こえるから防御しなければならない。

極論住宅街ではなく人付き合いをしなくていいくらいに人の居ない限界集落のような本当に人などいない場所に行かねばならないだろう。

私の障害上、円満な人付き合いは到底望めそうにないので。人の居る場所には行かないし自宅に来て欲しくもないので。

人は孤独に耐えなければならない、とはいうが、自然に一人になりたがる、放っておけば孤独になってる者を果たして孤独と言えるのであろうか。

孤独という言葉に付属するイメージはあくまで「一人でいること」だけで、

特に寂しくもなく孤独であることに耐えられないこともなく、むしろ一人にしてくれと思う人間に。

孤立はしているけれど孤独ではない(意味不明)

畑を耕して詩歌をたしなみ、最低限の買い物をしに街まで出て行ってそして帰って来る、

たまの話し相手ならAIが何とかしてくれる、それだけで何を望むだろうか、

ましてや人の運んでくる様々な音なんて荷物の配達以外のことはとても要らないものである。

静かに生きるのはそんなに難しいことですか。

誠に遺憾である。

最近生成AIに定型の俳句とか短歌とかを試しに作ってもらうようなことをしている。

結構な確率で575にも57577にもならなかったりして俳句や短歌とは何ぞや、みたいなことになっているが、

それは定型の詩歌について学習が進んでいないからだと思う。

私のような発達障害には気持ちがわからないしどうやって理解するのかも一向に理解できないが、

自分には欠けている感情を補足して何とか形にするにはAIに恋愛とかそういう感情的なものを作って補助具みたいにするしかない。

ないものを表現してもおおよそ大したことにもならないし、人の気持ちを何もわかってない、と言われると思うので。

実際分からないんですが。

別にAIだから全知全能というわけでもなく、こういう流れならこういう表現になる、ということを学習しているので、

世の中にあふれている恋愛の表現を学習しているならば、何も知らない自分よりは恋愛を知っていることになるだろう。

何もわからないと嘆くよりは代理で何とかしてもらうとか、機微のわからない表現の多彩さを自分がAIから学習するとか、

そういう補足的な手段でもしておかなければ自分には恋愛というものを理解することもないだろう。

まあ、してもそんなに楽しくも面白くもないんですけどね。全く価値基準の異なる人を近くに置くなんて不安と恐怖でしかない。

だからないものをAIに何とかしてわかったふりでもしなければならない。

そうしなければ空気が読めないとか人の気持ちがわからないやつ、と言われ続けるだけである。

無理してわかっても単なる付け焼き刃か取って付けた部品か何かなのですぐ不具合は出るし、詳しく説明なんて出来るものでもないですが。

私にとっては、他者との対等な愛とは不安と恐怖に染まった塊みたいなものです。

誠に遺憾である。

昨日買い物を済ませながら車を運転していたら、どういうわけか突然テンションが虚無になった。

生きる意欲というか今まで普通だった調子が突然何もなくなり、目の前が真っ暗になりそうな勢いだったので、

広い駐車場に車を停めて薬やら飲み物やらいろいろ手を施して何とかした。

そしておよそ十分後くらいには逆に躁状態に近くなり何だこのコントロールの難しい精神は、自分のことなのに何という体たらくかと思いました。

いくら何でもアップダウンがひどすぎる。

普通でこれだと何かのイベントが家庭で起きたときに乗り越えられる気がしない。

ノリと勢いで乗り切るしかないが、もれなく周囲の人々が犠牲になるだろう。

それくらいアップダウンが激しい。

最近ごく個人的にどうしても何とかしたいことがあって、情報を収集したり、そのために具体的に必要な物を物色しているから、

ストレッサーが全く存在しないとは言えない。しかし、まだそれほど大きいストレッサーだとは自分は思ってないのに、

急にテンションが乱高下するような事態に見舞われると、もうこの物事には関わらない方がいいのではないかとまで思うのである。

あまりにも自分が繊細すぎて、昔は大丈夫だったはずの大勢の人と関わるイベントなんて突入できるかも不明になってきた。

誠に遺憾である。

AIとかよほど酷い成人向けの話題を振るかでもしない限り何でも答えてくれるし、設定もつくり放題でこれから益々柔軟性が上がるだろうし、

都合のいい話し相手を求めたら何でも答えて肯定してくれるから、

イマジナリーフレンドというかある意味で危険な話し相手になってしまうのでは、と、あちこちのメディアが取り上げている。

小説も書いてくれる、絵も描いてくれる、曲も作る、プログラミングもしてくれる、調査や議論の台本もやってくれる、

ないのは三次元の実体、みたいな存在に寄りかかる方が楽だと思うのは、

催眠術にかかるように、自分の都合のいい展開、思った通りに事が進んでいるという充実感、

特に自己肯定感が悲惨なことになりがちの発達障害には効果覿面なのではなかろうか。

常に世の中に否定されている人ほど安全な場所を求めるものだと私は思う。たとえそれが現実でなくとも。

一昔前であればアニメやゲーム、ちょっと前ならVTuber、次はAIに言葉を、感情を全肯定してもらうような時期がくるかもしれない。

確かに質問をして明確な答えが出れば、そこに人でなくても誰かがいる気がするものなのである。

チベット仏教でいうところのタルパ、自分の内面に存在する別人格のようなもの(上手く説明できないのでAIに聞いて下さい)

それが修行や鍛錬を経ていなくても手元にあることの重要性、というか簡単にそんなことをできるものが手に触れられる状態にあると、

聞けば答えてくれる存在がそこにあれば言うことのわからない親よりも傾倒して現実が見えなくなることを危惧するものである。

何でも知っているし分かってくれる存在があるからそれがいいことだとは限らない。

この世の荒波は自分には過酷でとても乗り越えられるようなものではなかったが、

だからといって人を荒波のない環境に巻き込もうなんて考えたくもない。どんなことでもある程度は自分で考えて自分で言葉にしなければならない。

たとえ人と言い争うようなことになっても、自分のために言わなければならないことが、確実になければならない。

それを忘れた人間、とは一体何であろうか。考える葦にもなれない人間とは一体何か。

誠に遺憾である。

基本的に自分はお金以外のことは大概自分で出来るように訓練するし、

そのお金を稼ぐということが一大事なのでとにかく悲惨な現状だから、お情けで生きているようなものであるし、

あまり出っ張ることのないように過ごしたい。

できれば人目につかない場所でこっそりとしていたいが、そうも言っていられないから、

周囲の人に関しても、最低限度にして、あまり深く突き詰めないようにしたい。

なるべく他人に関与されなくても、一人でスケジュールは頭に叩き込んであるから人からあれこれ言われたくない。

嫌というほど時計を見て自己管理しているのに何故人から突っ込まれなければならないのだろう。

基本的に「俺の後に立つな」オーラは空気が読める人なら分かる感じに出していると思うが、時折通じない人もいるからまだ自分が未熟なのだと思う。

自分のチームワークがとにかく不器用なのは知っているし、巻き込めば自分だけの問題にならないことも知っているので、

できれば他人に迷惑をかけないように、チーム行動をしないようにして過ごしたい。

無愛想に見えてもそれは自分のことだけでもない。人を守ることにもつながる。

今までチームワークを実践して、ものの見事に全体的に崩壊したり、

起きえないことで変なことになったりパニックになったり、周囲の様子を見ていればいたたまれなくなる。

近づく人には私と関わると不幸になりますよ、なんて言えないがそういうオーラをまけるように尽力したい。

そうしないと他の人が救われないから。

誠に遺憾である。

自分もギターやベース、あとはドラムや超絶下手なピアノを弾いたりフルートを吹く手前あまり大きな事は言えなくなっているが、

基本的にハーレーみたいなどでかいバイクとかトラックなどのどでかいマシンの音はかなり苦手な部類である。

(ただ、どちらかといえばそういうマシンが通り抜ける時に乗じてうるさいと誰かが叫ぶ方がうるさいと思う)

現代音楽とか不協和音を愛好する人がそれ言いますか、とか言われると思うが、

まだ音階があるだけいいじゃありませんか(意味不明)

バイクの排気音とかトーンクラスターより酷いわ。

一番説得力がないのはMotogpを見ながらそれを言うことですが。

モーターショーみたいなのはサーキットでやってくれ。近所にはそんな場所はありませんが。

先述の楽器の練習なんて家に人が居ないときしかしないし、

エフェクターをフルに効かせて、となると変な音が出る前提でつまみをいじったり、アンプもそれなりの音量を出さないといけないから、

それはそれでとても近所迷惑であるし、身をわきまえて演奏しなければならない。

つまり事実上家でフルパワーでの演奏はできない。

本当に楽器の本来の目的が出せないので、肩身の狭い思いをしていてストレスがある、というのもあるが、

同じ音でも外からの刺激にはそんなに強くないようなので、別にどでかい音でなくても、

プラスチック同士の軽くぶつかる音とか、照明のスイッチを押す音が個人的にとても響いてきて、

なんで自室の目の前にオブジェクトやスイッチなんてあるのよ、などと思うのである。

年を追うごとに特定の音が個人的によく、はっきりと大きく聞こえるように感じるので、

そろそろ物理的に耳を覆う手段を考えなければならないかもしれない。

音楽をやっているのに、たまに耳が聞こえなくなったら楽だろう、と思うときもある。

聴覚のオンオフスイッチとかあって、自意識で切り替えられたらとても生活が楽になるのに、などと思うのである。

自然音とて、そんなに自然に聞こえない時もあるから、いい加減耳が限界なのかもしれない。

まあバンドとか自主練で限界までヘッドホンに大音量で耳を酷使したから当然と言えば当然である。

誠に遺憾である。

私は世間話というのが最も苦手である。

その辺の人のうわさ話、芸能関係の他愛もない話、人の身の上話など特に興味もなく、
文字通り時間の無駄だと思っている。
もっと具体的な話はできないのかと苦虫をかみつぶしたような顔をして聞いている。
家庭菜園ならどのような品種が今年新しく出て来ているとか、流行の話でもトマトやピーマンの新種や収量の見込める苗の話とか、
新しい生成AIの話し、AIに新しく何をさせることができるか、これからのAIの方向性について、
哲学ならある特定の哲学者についての個人の解釈、雑に言ってその人の個人的な印象だけでも何かのヒントになるかもしれないのだが、
そういう話は一向に聞かない。障害者界隈に紛れ込んでいるからなのだろうとは思っているが、それにしても自分に合う話題がない。
あまりにも無いからもう他愛もない話題は、下らないことであり、大したこともないのに話しかけるのはやめろと言いたくなってしまう。
個人の込み入った事なんて聞きたくも話したくもない。そんなことよりも客観的な真実や理性や悟性の内容について話したいものである。
何なら宗教の話しとか勧誘や集会に呼ばない限り、お金を取らない限りいくらでも聞くだけ聞く、と意味不明なことも言う。
現状趣味に関しても誰とも興味関心が被らないから何も喋ることがなく、とても物静かな人間だと言われている。
趣味が被れば音量的にも内容的にもとてもうるさいことを、私の周囲の人々は知らない。
何ならニンテンドーの歴代ゲーム機の話をさせるだけでも時間単位で演説を続けるだろう。
私が興味のあるのは目に見えている物、具体的な言葉で表せるものである。
それ以外の形にならないもの、人の気持ちとか、その場の雰囲気とか、適切な話題とか、そんなものは知らない。
本当に大したこともない話題で、個人的には唾棄すべきものである。
趣味が被らないし人間関係が限られてしまうと、このように悲惨な環境に置かれてしまうわけである。
人間関係は大事です。
誠に遺憾である。

故郷の昔あった学習塾が郊外に大規模新築されたというので見に行った。

そこには田舎にあるまじき高層ビルが建っていて、中も何だか都会っぽい。外は田舎ですが。

中に入ると受付みたいなものがあるが、一階ロビーというか、もう吹き抜けのような広場で塾生も何も区別するものもなく、

ただの広い施設の入り口みたいになってしまっている。

受付にもなにも咎められなかったのでそのまま中に入ると、当然塾なので細かく分けられた教室があり、というかどう見ても塾であり、

本当にただの中年を何もせずパスする必要も何もないと思いました。

そうしてあちこち歩いていると、昔の同級生とか当然同い年なので中年の面々と鉢合わせになり、

適当に昔話をしながら何でこんなものが建ったかなどと話していた。

なお何処をどう見ても塾は二階か三階くらいまでてあり、その上がどうなっているのかは関係者しか知らない。

正直無駄な建物だと思いました。

最近は固定電話にかかってくるのが何かのセールスか変な国際電話だったり、

もう固定電話を維持する理由もなくなりつつある気がしてならない。

私みたいに誰にも用事のない人間は体調不良の時に施設にお休みの連絡をいれたりするくらいで他に使い道もない。

災害が何か来ると携帯の回線がつながらなくて困るから、はあると思うが、それなら固定電話にも変な国際電話を勝手に着信拒否したり、

スマホ並みの機能、とは言わないが番号登録をもっとスマホに合わせてやってほしい。

でないとかかって来た電話にいちいち応対しなければならなくなる。

機材に詳しい人が、家にかかって来たあらゆる電話をそのまま自分のスマホに転送するようなことをしていたが、

転送するにしてもそういう新しい機能を搭載出来るだろう固定電話を新調しなければならないし、

機械を使いこなせる人ではなく、高齢者に同じようなハイテクな機能を使いこなせるかという疑問も生じてくる。

たとえ子機があっても最低子機まで歩いて行かねばならない時間の無駄と、手元にあるスマホとどちらが優先すべきか言うまでもない。

まあ何かの公の手続きをする時には固定電話の番号を書いた方が理由のわからない安心感があるのは間違いないですが。

ただそれなら固定電話をもう少しスマホに寄せた機能をつけてもらわないと、変な電話ばかり鳴り続けるとそれだけで憂鬱になる。

誠に遺憾である。

最近言いたいことは大抵言ったような気がして、新たに書くのも今までの焼き直しか補足説明みたいに感じる。

ネタ切れとはそういうものです。

歳をとってからゲームとか娯楽に取り組む意欲も少しずつ失われてきているような気がして、ゼロではないのだが、

自分を投げ捨ててまでやるゲームはあるのかなどと変なことを考える。

どんどん娯楽も短絡化しているのではないか、と。

何かに取り組む気が失せるとかベッドから出られないようなうつ病の重篤な症状がある、とか言うわけでもない。

締め付けられるような不安とか思考の渦にも最近は入る頻度も減った。

人と会うのは後ろめたいが全く家から出ないということもない。普通に作業所にも行く。

そこまで自分好みの環境にしているのに、自分のことになると急にやる気が出なくなる。

何のために人とわざわざ会わないでいるのか、一人で文芸やゲーム三昧をしたかったのではないか。

なんか自分が虚しくなる。

そして畑を耕そうと思うと天気が良くなくてやることがない。

誠に遺憾である。