自分の聴いている音楽がクラシック中心なので普通の人と音楽の話をしてもまず話が通じない。
妥協しろ、と言われても一体何を妥協しろというのか。それを変えるなんてとんでもない。
あなたは醤油ラーメンが好きだったけど明日からは味噌ラーメンだけ食え、と言われて素直に賛成できるだろうか。
阪神ファンが明日から巨人を応援しろと言われるようなものである。それは死に等しい。
音楽の嗜好とか簡単に変えられるものではない。色々なものを見聞きしてこの結論に至ったのに、話が合わないのも当然ではないか。
嗜好がクラシックに至った経緯も「その当時のポップスに死ぬほど嫌気がさした」からなので基本的にポップスに関していい思い出はない。
ギターやベースも弾くがあくまでもパンクロックの話であって、純正なるポップスについては死んだような顔をしながら弾くだろう。
というか実際に福祉施設のバンドで後ろで死にそうな顔をしながらポップスを弾いた。あれ確実に不満がありますねという顔でベースを弾き通した。
手は抜かないので本気でやるが、顔だけ奇麗に死んでいるという、確実に「音楽の方向性の違い」で一悶着ある奴である。
障害の都合上嘘をついても言葉や表情ですぐにバレるので実際には嘘なんてついていない。つけないと言った方が正しい。
隠しごとなんてしたらもう隠していることがすぐにわかる表情をするから好みについて話すとすぐ顔に出る。
音楽でも、美術や文芸やその他芸術に関する全てのことについて同じである。
何でもすぐ顔に出るから諦めたらそもそも話をすること自体を却下する。
クラシック音楽の話をすればホイホイついていくのは目に見えているが、誰も話を振らないから、回りからはあの人何だろうという目で見られる。
それ私のツボにハマる話題になってないだけですから、というくらいツボにハマると始末におえないくらいにはうるさくなる。
よって他人の評価は「言いたいことも言わない」か「とてもうるさくやかましい」の両極端である。
前者は私の琴線に触れず、後者は私の琴線を掠めただけの話である。
クラシックって本当に話を振られないので一体誰が興味を持つんでしょうかね。
リサイクルショップに急に並ぶ見たことのないクラシックのCDの山が増えたのを見ると、
「嗚呼、また愛好家が一人亡くなったか、あるいは身辺整理か終活をしたのか」と悲しい気分になる。
だが自分の周りにはクラシックのクの字も何も知らない、音源も集めない人々ばかりである。
一人で道を追い求めて、なんて言われるが誰もついてこないものを一体どうすればいいのか。
クラシック音楽の勧誘なんてとても通じるものでもないし、無理やり聴かせても欠伸か居眠りでもされるのが関の山である。
誠に遺憾である。