クライミング豆の木

めざせ(いまから)いい女。

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考えな~い

隣の若手の同僚が、スキーに行く話とかバーベキューをする話をしていると、

気になって仕方ない。

はぶられてるのね、みたいな。

ほんと、でも、気にしたって、仕方ない。

私は私で、楽しみを見つけるしかない。

(ってわけで、お昼は一人で音楽聴いてたり本読んでたりするのだけど・・・)


私は、私自身のルサンチマンだかなんだか知らないけど、

同僚に素直にココロを開く気になれていないし、

逆恨みだかなんだか知らないけど、とてもきらいになっている。

誘われなかったり嫌われたりすると、

こっちもきらいになったり、避ける気持ちになる。

最初は反省したり、仲良くしようと努力するけど、どうにもならなければもう、

手放してしまう。わたしにもう、かかわらないで、みたいな。


そういう自分がなんだか醜い気はするけれど、

そんな気持ちを全部とっぱらって、考えてみても、

私の平和は、みんなと一緒にわいわい騒ぐことには無いような気がする。


誰かが仲良くしようとしてくれて、

グループでのみに行ったり遊びに行ったりすると、

ムリにはしゃいで疲れ果ててしまう。

いつだったか、飲み会が終わって、これで終わりだと思った私は、

一人で群れから離れてトイレでピアスをあけていた。

直後にみんなから電話がかかってきて、いまどこにいる?って言われて、

あわてて戻った。

何やってたの?っていわれて、迷いながらも、正直に、

「ピアス打ってた」っていったらめちゃくちゃに笑われた。

ウケていたけど、私は衝動的に、群れから離れた瞬間に、ピアスをあけたくなったのでした。

その気持ちをうまく説明することは難しい。


それを、もっとも平和的に解決させるのは、

昼休みにボサノバを聞きながら、デッサンをすることとか、

本を読むこととか、

土日に楽器を弾きまくること、なのでした。


だから私は、堂々とひとりでいられるよーにしていなければいけないのだと、思います。

気の持ちようで、もう少し楽になるはずなのだから。


なにがいつからどうなって。

先々週の木曜日に会社の歓送迎会があって、配転した人々がスピーチしていた。

で、その中には去年一年間私の隣にいた毒々しい先輩がきていた。

・・・私は、たぶん見た感じいつもびくびくしてると思うし、

人にはすごいおどおどした印象を与えてるんじゃないかと思うのだが、

ほぼ2ヶ月くらいぶりにその先輩が、壇上に立ってスピーチをし始めるや否や、

ビールを持った右手が怒りで震え始めて、顔も見られないくらいになってしまった。

壇上から顔を背けて、テーブルをにらみつけている自分に気づく。

これじゃあ、人から見て私はおかしい(なおさらもってヘンな人にみえるだろう)。

だめだ、とりあえず食えばいいのだ、何か食うのだ、食べることに集中してしまえ、と思って、

怒りながら皿の上の肉をギシギシ削って食った。

わぉ。わたしでもこんなに怒ることがあるのか。

と、となりの席に座っている先輩が、気を回してくれて、

「大丈夫?なんかこわばってるよ」と、気遣ってくれた。

「いや、ちょっと目にゴミが・・・」

というと、その先輩に笑って、

「いや、気を使わなくても大丈夫だから」

と、言われてしまった。ばればれなんだな。

ちなみにその先輩も、毒々しい先輩のこと苦手らしい。

てか、こんなに動作がギクシャクしてたら、隠そうとしてもばればれじゃん、

と思って、私は苦笑いしてしまい、

「本当にすみません、みなかったことに・・・・(ーー;))」

「いやいや・・・」

・・・・みたいな感じで時間は過ぎた。


去年はその先輩に、無視されるわ、質問したら逆に聞き返されて責められて、

やることなすことケチ付けられて(監視されてるみたいだった)、

しかも仕事はちゃんと教えてくれなくて、すごく大変だった。

(自分が気に入った後輩にはしっかり教えてたのに)

って自分が主観的にそう感じただけなのかもしれないけどさ。

とにかく私的には本当に大変だったのだ。

・・・で、私はまた、自分がどっかいけないんだろうと思って、

ひたすら反省したり、自分が精神的におかしいんだろうとおもって、

考え込んだり、心理学の本読みまくったり、とうとう医者にでもかかろうか、

と考えるまでに追い詰められていたのだった。


ところが、それも続いて精神的に憔悴し続けて、

一年過ぎる頃にはなんで自分がこんなめにあわされなけりゃいけないのか、

全くわからなくなってきた。

確かに私は変なひとかもしれんし、性格も偏っていて素直じゃないかもしれん。

しかし、あんたはひどい。

あんたにそんな扱いを受けることに関しては、まったく納得できん。


・・・そのとき生まれて初めて、自分の、自己評価の低さもついに底をついたというか、

なんでそんなこといわれなあかんのだ、と思うと、

完全にわけがわからなくなってしまったのだった。

ほんとに、理解不能な感じのすることに関しては、理由を追い求めたりするエネルギーが沸いてこない。

なんで私はこんなとこであんたにそんな目に合わされながら、こんなさえない仕事をしとるのだ。

まったくもって理不尽だ。

その一言に尽きてしまった。


と、思うまもなくその先輩は配転になっていった。

それからしばらく私は異常にブルーだったが、

その後しばらくして、ネガティブはもうやめよう、と思ったのだった。

私が史上最低最悪な人間だったとしても、

受けてる不幸は理不尽だ。

理由とか原因云々の問題ではない。

ブルーに考えれば考えるだけ、不幸になるだけなのだ。


と、思っていても、こないだの飲み会のせいで、今もかなり元気ないのだ。

疲れ気味で、笑えん。


・・・寝よう。

ヤフオクだいすき

今週はヤフオクでやたらめったら服を買った。

1万円くらい買った。

一着100円のものから、一番高くて2500円。


まず、シマロンのパンツが大好きなので、3本。

うちにあるシマロンのパンツはほとんどヤフオクで競り落としたもんですね。

シマロンのパンツはいい。

何がいいって、よく伸びるし、足がきれいに見える。

難点を言うと、カラーパンツだと色があせやすい気がする。

日焼けしやすいというかなんというか。

ジーンズは特に問題ないと思うけど、ひざがあたりやすいかも。

あと、オーソドックスなストレッチジーンズは、けっこー厚い。暑い。

タテ落ちの柄のやつは薄いので、よろしいかと思います。


あとは古着とか買ってみたり。

古着大好き人間で、ちかくの古着屋をめぐるのが非常に楽しい。

60'sあたりのプリント(テキスタイル)が大好きで、

美しいもの、おもしろいものをつねに探しまくっている。

日本のプリントもすきだが、アメリカとかヨーロッパのプリントも好き。

Veraのシャツとか、なかなかよろしいと思っている。


それからなんだろ、チェックのパンツにこってみたり。


いまほしいのは、絹か麻のカーディガン。

物色中です。


ユング先生とオカルトの世界

大学4年の頃、ユングの本をよんで、突然心理学にはまりだしたことがある。

ていうか、むしろオカルトとファンタジーの世界にはまったのだ。

私は(それまでもぼーっとしてたのだが)さらにボーっとし始め、

日々空想にふける日々が続いた。


そのころ大学の授業で、薔薇十字とかそんなもんをちょっとかじった(どんながっこうだ)のも、

興味を引いた原因かもしれないけど。


最近(っていってももう2ヶ月くらい前かな)

「フーコーの振り子」、というU・エーコの小説を読んだ。

物語は、「アカデミック」で、オープンな学識のもとにある編集者たちが、

「世の中で売れそう」なオカルト的な本を出版しようとしてオカルトの世界に関わりあううちに、

ミイラ取りがミイラになって、自分たちもオカルトな世界にひきずりこまれていく、という話だった。

けっこー、面白かった。

とにかくペダンティックな登場人物、特に主人公。

でも、登場する女性はなんとも魅力的な気がするが。

・・・彼らは、テンプル騎士団とか薔薇十字団の謎をおうのだが、

最初のアプローチと最後のほうの(ミイラと化した後)のアプローチがぜんぜんちがう。

コンテクストが病んでいる、てか神経症ぽくなっているのだ。

なんか誰にでもありそうな話しでもあるし。

・・・IBMは、なんたらかんたらの陰謀だ、ってとこで笑ってしまった。


何が言いたいのか。

キリスト教におけるオカルト的なもの(すなわち隠された物)は、

キリスト教により抑圧された人の心に隠された闇が流れ出したもの。

清廉潔白のみでは生きていけないわけだ。

人の心には、光りと闇があって、それが絶えず動き、バランスをとりながら生きている。

私には、道教の陰陽図は、その二つの交じり合った人間の心のバランスのありようを示しているように思われる。


だからなんだってものでもないけど、・・・それが、昔は大変なテーマだったのだ。


何が言いたいのか良くわかんなくなっちゃった。

まぁいいや。

私ががっこうに行かなくなったわけ

そもそも、がっこうというのは、日雇いアルバイトとか単発バイトみたいに、

えいっ、と力をいれていくようなものではないのではないか。

朝起きて、学校に行くということは、人にとって自然なことだし、

そのリズムが身についている以上は人はがっこうに行くのだ。


人とむりにあわせようとしはじめたころからだんだん、

私にとってがっこうはそのようなものではなくなって、

嫌な気分だけが胸にあふれて、やがて休みがちになったのみたいだ。

いじめにあったあとに、むりむりに人に合わせなきゃとか、

人と一緒にごはんを食べたり、グループにくわわらなくちゃ、

というプレッシャーがひどく堪えていたのかもしれない。

(はっきりした答えなんてわからないけど、それでいいんだろう)


それでいかなくなったがっこうに、それでもいかなきゃいけないと思う気持ちの裏づけとして、

勉強のために行くのだとか、なんかいろいろ理由をつけて、どうにかこうにかがっこうにはいってきた。

ていうか、いってないけど、卒業はしてきた。

目標を持って学校にいったわけだ。


それはつづかなくて、結局高校を辞めることになった。


ものごとがうまくいかないことの言い訳をさがし、原因をさがして、

それでも一通りのことはやらなくてはいけないと思ってなんとか切り抜けてはきたけれど、

人生の楽しみみたいなものはすべて棚の上にあげたまま生きてきたのかもしれない。


よくわからんけど、そんなかんじだろうか?。


浮き沈みにご注意を

この一週間、火曜、水曜、木曜あたりはかなり調子がよかったが、

金曜日はかなり疲れていたらしく、

顔が疲れてるよ~、と言われてしまった。

まだまだだな。

安定して、にこやか&すこやかでいたいんですけどね。


・・・最近は、同期の人と一緒にランチに行くこともほとんどなくなった。

(私がひとりでいたいから、って言ってことわってしまったのだ。どう思われてるんだろうなと思うけど、よくわからない。みんなの気持ちは想像つかない。)

このブログを書く前の段階では、私は同期とランチにいっても、

みんなが話しているのを黙って聞いているか、または、寝ているかだった。

普通じゃん。・・・っていえば普通なんだけど。

自分で話している話が自分にとっていたいのはどうしてだろう。

昨年度の最後のほうとか、同期の人に「病んでる」とか「こわい」言われたり、旅行に一緒に誘われたりもしなかったのに、そのへんなにも触れないで、何も無かったように旅行の話を聞いたり(たのしかった?とかきいてみたり)、人の噂話を聞いたりしていた。

それって、どうなんだろう。

でも今、一人で、コンビニでパンを買って、自分の机で本を読みながら1時間を過ごしていると、

自由な気分がしてとても楽になった。

・・・最初は、ちょっと、人の目が気になったけれど、だんだん慣れてきて、

あとは私の周りにできているグループも私が一人でごはんを食べていることに慣れてきたみたいで、

それが、フツーになった。


私は自分の力で、自分をとりもどしていくんだ、っていう気持ちがしたからかもしれない。


いまでも、結構にらまれる先輩はいるし、なんか気がつくと舌打ちされてるような気持ちになるときもある。

そうなのかもしれないけど、そうでないのかもしれないし、ぜんぜんわからない。

去年一年間、結局、なにがトラブルの元になのか、ぜんぜん理由がわからなかった。

ただ、こないだ大学の友達に、人を見下すなとかいろいろ言われたので、

それは気をつけようと思ったのですが(それってありがたい話だと思う)。

生意気だって言われていたような気がした。

だから、びくびくしておびえた様子をしていたり、ケアレスミスを頻発してしまったりしていたのか。

よくわからない。

でもいいや。


私はここでは一人でいいや、と思う。

他人のことは尊敬しよう。

だれにでも、最悪ひとつは自分よりずっとずっと、いいところがあるはずだ。

それを見つけて、尊敬しよう。


とにかく人を見下したり、絶対にしないようにしたいと思います。

そして、にこやかに、健やかに、だ。


以上。

Uの字を描いてとぶ飛行機は

考えすぎない。

落ち込まない。

自分のいいところを考えよう。


たしかに私はいろいろと足りないところもあるし、

ネガティブで神経症的なところがかなりあるかもしれん。

ちいさいこととか昔のことにこだわって、ちぃとも先に進まないときもある。


でも、昔のことは、昔のこと。

あのころはこどもだったけど、いまはもうこどもじゃない。

退行しても仕方ない。それは、無意味だ。


たしかに私は弱いのかもしれないが、もうすこし強くなることはできる。

弱いのは、退行するからだ。

わかっていても退行せざるを得ないのは、なんでだ。

納得してなかったから。

なにに?まだ、よくわかんないけど。

でもいまんところ、退行する気は無くなった。


いつまでもいつまでも、地の底を這いずり回って毒気を吐いてるわけには行かないのだ。

けちょんけちょん

昨日の日記とか読んでて思う。

われながらつまんねー、と。

対人関係はつまらなくてもぜんぜんいいのだけれど、

せめて自分の人生ぐらい自分で楽しめるようにはならないのだろうか。


こないだ会った友達に、

お前のトシでそんなにネガティブなやつはいないとか、

おまえの話はつまらん、そんなくらい話ばっかりされたら男なんかできるわけないだろ、

お前はひとを見下している、とか、

お前を見ているとものすごい弱い生き物を見ているような気がする、とかね。

まぁ、とにかくけちょんけちょんに言われたのですが。

結構ショック受けたし泣きそうだったが、

それ以降、会社の同期とも一緒にご飯食べたりするのやめてしまった。

てか、私はなにも、自らのことを語りたくない。

とりあえず、リアルで話したくない。愚痴りたくないし。

何か話せば無理になる。


前もなんかそんなことあったなぁ、と思う。

音楽の先生にけちょんけちょんに言われて、泣いてパニックになって、音楽教室をやめたのでした。

家族は、そんなわけわからんこと言うなんてなんてむかつく先生だ、と逆切れしてくれてたけど、

私はどうもそれがあっているような気がして、ならんかったのです。

そのときも、弱いとかなんとか言われた。


しっかし、

いったいそれの何が悪いって言うんでしょう。

誰かが、私にあんたはどうしようもないとか、おまえなんかつまらないとか言って、

それを受けて私が泣いたら何が悪いのだろう?。

上司に言われて泣いたときも、泣いてはいけないとみんなに怒られた。

なんでなのか、理由がわからない。

そもそも、周りに私ほど人にけちょんけちょんに言われている人はいない気がするし、

周りの人は、私のような状態に陥らないわけだから、泣く必要が無い。

なんであんな険悪な状態になるかわからないので、

同期の人に、「私みたいな状態だったらどうすると思う?」と聞いたら、

「ふつうそんな状態にはならない」と笑いながらいわれた。

「いったい何がいけないんだろう?」と聞いたら、

「たぶん周りとあなたがあわないんだよ。」、と言われた。

なんとなく、むかついた。

その人はみんなに好かれていて友達の多い人だったけど、

誰かの噂話ばかりしているところが私はきらいで、なじまなかった。

その後、みんなで旅行とかいってたときもあったみたいだけど、私誘われなかったし、

みんなで旅行に行ったーっていう話を後で聞かされた。(職場だから隠し通すわけに行かないし)

内心、私仲間はずれだったのねー、と思ったけど。

でも多分、私は彼女たちに誘われても断っていただろうな、と思う。

忘年会の出し物に誘われたときも断ったし、なんかそのほか色々、避けていたところはあったかもだし。


普通に強がっていたときから友達はいなかったし、

いじめられる前はいたけど、少なかった(でもそのころが一番リラックスしてたかもしれない)。

どっちかっていうと教室の隅で本を読んでることのほうが多かったし。

長い休み時間は、本が読みたくていつも図書室に行っていた。

一番友達が多かったのは、小学校のときいじめられてた時期があってから、

クラス替えをした後だった。

すっごいがんばって、友達をたくさんつくって、クラスの人気者になったけど、

2年も続かないで学校に行かなくなってしまった。

いじめられているときは、それでも学校に行ってたのに、

自分の意思で社交的にふるまおうとしたあとは、まったく続かなくなったのだ。

先生をバカにし始めた、ということもあるかもしれないけど。


みんなから離れて、一人でいることが怖くなったのはいつからだろう。

一人でもいいじゃないの。

ランチの時間に誰かと話を合わせなくちゃいけないとか、

気分転換をすれば忘れられる(ていうか、誰かにこぼしたところで解消できない)愚痴を、

垂れ流しにするのはよくない。

自分だって解消できないのはよくわかっているのに(家族とか、信用している人ならともかく)、

苦行のように、敵に相談するのは何でだ。

そういえば、前にも友達に、自分の敵に自分の弱みを相談するな、って言われた。

(ほれ、そうやって教えてくれる人もいるわけなんだから)



ひきこもった日々

今となってはなつかしい、愛すべき不登校の日々について。


上山和樹 という人のblogを見ていてなんとなく思い出したもの。

私は小学校6年生の冬から、高校2年生くらいまで、

ひきこもりチックな生活を送っていた。

たぶん、ひきこもり、そのものではない。

ほんもののひきこもりが、家から一歩も外に出られない状態になるとしたら、たぶんそうでもないから。

昼夜はしっかり逆転し、ごはんを食べたら当時はやっていたフジテレビの深夜番組とか、

洋画を見まくって、あとは本を読んで、母親と喧嘩をして、一日を終えていた。

というか、母親と喧嘩をするのが私の一日の日課のようだった。

とにかくあれやこれやと干渉されるのが嫌で、ものすごい喧嘩になったのだ。

とはいえ、一ヶ月に一回くらいは中学・高校に通っていたし、

高校は中退したけど大学に行って、大学はちゃんと卒業した。

その後しばらくフリーター状態になってはいたが、いまはちゃんと就職したし、

まぁ、なんとか生活している。

好かれてはいないと思うが、すべての人とトラブルを起こすようなことはないし、

浪花節で隣人の肩をどかどか抱くようなことはできないが、

よろけている人には反射的に手を差し伸べられる。

あのころも、ひきこもりではなかったが、ひきこもりっぽかったことは間違いないな、と思う。


私は今でも、一人でも人前でも、わんわん、泣く時は泣く。

死んでしまったほうがいいと、たまに思う。なんで生きているのか理由がわからんと思う。

じゃー、これから、ひきこもるかというと、ひきこもらないんじゃないかなぁ、とも思う。

なんでかっちゅうと、私には社会的な立場(会社員とか、学生とか)が必要だと思っているし、

ひきこもっていたら今後の生活をどうしたらいいんだ、と思うからだ。

(多分、学生のころにいちど家を飛び出して、バイトしながら生活をしたことがプラスになってるんだろう)

父も母もトシだし、私はちゃんと働かねばならん。

だから私は、自殺するか、働くか、二つに一つではなかろうか。


人を評するに、弱いとか強いとか言う人がいる。

私は大体において弱い弱いといわれて、

(たまに弱さと強さが同居しているといわれるが)

なんだかバカにされたような気になる。


ぬー、いったい弱いことの何がいけないのであろうか。

とにかくナイーブであると言われる。繊細とか。

最近は、至中びくびくしている。

とはいえ一応、言わなきゃいけないことは言っている。

それが多分「強い」人たちの気にさらに障るのか。ふーん。

そうだとしたらなんかむかつく。

私は人のなかでグループを作ることに関しては弱いかもしれないが、孤独に対しては、

やむにやまれぬ事情で養成された耐性があると思われる。

つまり、孤立することに対する危機感が、それほどは無いのだ。

・・人の中でバランスよく孤独でいられることが平気になれば、

私は、私なりに社会に貢献することができるのではなかろうか。


自分としては、思い上がりかもしれないが、私は人並みに複雑というか多面的なキャラだと思っている。

小さいころのはなしはご法度かもしれないけど、とにかく自分がナイーブであるとすれば、

私は家族の前でそういう自分を常に隠して生きてきたのだと思う。

上山和樹 さんが言っているように、「いや、それは違う、本当は、こうじゃないか……」

と、脳裏にちらつくのであった。それを隠しててきとうな相槌を打つ。

泣く時はドアの影で泣き、家族パーティーの途中でいつもストレスで胃が痛くなり途中退席。

退席の理由はまさかストレスとはいえないから、眠いからとかなんとか理由をつけたもんだから、

小さいころ、親からはよくよく自分勝手と責められた。

親からだけではなく、大人になってからは、先生からも友達からも言われまくった。

自分勝手、っていうのはとてーも重要なキーワードではあるまいか。

つまり、自分の欲望を、他人と折り合いをつけるのがへたくそなのだ。

無理やりに、自分を覆い隠して生活すると、どこかでつかれきってしまって、

すっぱりと切ってしまう。たとえば高校中退、仕事をやめる、等。

・・・はじめてバイトを円満退社したのは大学を卒業した後だった。

円満退社というか、派遣のバイトで契約期間が切れたので退社。

それまでは、なんだかよくわからないうちにやめたり、やめる理由も無いのにやめたり、

トラブルを起こして退社、みたいな感じばっかりだった。

・・・その後2年バイトが続いたところがあって、

そこも円満とはいえないかもしれないが、正社員になるので、っていって退社して、

ついに正社員として就職した。26歳でした。

一年目はとにかく遅刻は多いし、ぼーっとしてるし、よく泣くし反抗するし、

上司も自分も、大変だったなと思う。

しかも、なんか知らないが、自分は頭がいいかどうか、可能性があるのかどうか、

仕事は速いか、適性があるか、そんなことばっかり気にしている。

自分でもその愚かさはうすうす感じていながら、変われないものは変われない。

ガンザー症候群みたいなボケ状態にありながら(人の言ってることがわからないとかね)、

やたらと自意識過剰で発言が多く、エリート意識の強い新人は当然周りと衝突するし、

あんまり愛されないのだろうけれど、そんなのわかってても自分の力で変えられないものである限り、

なるようにしかならない。

もとよりそのくらいの覚悟ならある。

就職して一年たつころには、私は自分がどうしてそんな目にあわなければいけないのか、

人が私だといっている人格がほんとうに私であるのか、

なにがなんだかまったくわからなくなっていた。ひどいストレスのもとにね。

それでよかったのかもしれないが。

てか、私は、それでよいんだと、思っているし思っていた。


私の物心ついてからの人生は、まるで、自分で自分を育てなおしているようだった。


そもそも、大学を卒業したら大学院にいこうと考えていたのだが、

なにかしっくりこなくて、フリーターになった。

今思えば、自分の興味に基づいた選択により大学院にいくのではなくて、

神経症的な理由、もっといえば、自分のアイデンティティの問題から大学院に進学しようとしていることに、

自分ががまんならなかったのだと思う。


ま、人生色々だよね。

ネガティブなところと、ポジティブなところと、両方あってよいのではないか。

明るい色だけの絵画もあれば、暗い色だけの絵画もあるし、

明るい色も暗い色もたくさんある絵画もある。


考えることは色々あるが、とりあえずいいや。

人生の不幸は人のせいにはできない

生きてる以上、自分の人生に責任を持つことはとても重要だよな・・・。

と、思う。

人を見下さないようにするにはどうすればいいか、今日考えていて、思ったのだ。


・・・私は思春期からヒキコモリで、とうとう高校も辞めてしまったわけだけど、

神経症的に(痴呆っぽく)なったのは、高校のころだった。

文字が読めなくなったり、人がいってることが理解できなくなったり。

それで、周りの人からはこのひとアホかと思われていただろうなと、思う。


んでも、そのころはまだ、他人に自分の人生の愚痴をこぼすってことはできなかった。

少なくとも他人に、自分に関するネガティブな話をすることはできなかったのだ。

私はひそかに失語状態になり、自閉症の状態になった。

天然ボケのキャラを作ることで何とか生き延びながら、

コミュニケーションは不全でも、成績だけはよくしようとか思って、がんばってた。

今思えばそれがすでに、病だ。

症状の意味するところがどうのこうのではない。

つまるところ、私の問題は学習とかそういうものではなくて、

コミュニケーションそのものだ。

人は、どんなに下手でも誰かとコミュニケーションをとろうとしている。

それが無くってもいいとか、独り言でもいいとか、そんなことを言っているひとは、

なにか根本的なところですれ違っているのである。

てか、根本的なところで逃げている。

私は10年以上、逃げている。


逃げながら構えているひとは無理をしているし、逃げも構えも中途半端だから、

叩かれながら逃げなければいけないという大変な道を選ぶことになる。

それで、ぼろぼろになって、もう逃げられないというところまできて、

はじめて逃げずにその場所で構えるしかなくなるのである。


・・・結局、私が選んだのは、ぼろぼろになるまで自分を追い込む道のようだ。

あんまり逃げないでもするっといける道を選べば、

ぼろぼろにならなくても人生をまっとうできるのかもしれないが、

私はどうもそうはできないみたいだ。


将来はホームレスかもしれない、と私は思っていた。

中学生くらいからずっと、そう思っていた。

それはすでに、逃げである。

そうおもってホームレスになるやつはあんまりいないだろう・・・、

ま、ホームレスになる前に生活保護になるだろうな。

そういうひとは、

命の一番大切なものを、金庫の奥に閉まったまま、人生を棒に振るのである。

その原石を表にさらして、価値の無い石であることをおそれるあまりに、

磨くことをしないで金庫の奥に眠らせておくのだ。


その恐怖は、正面から立ち向かってどうにかなるものではない。


金庫を開けろといわれても、恐れて金庫の警備を何重にもするのが落ちである。

勇気付けるのが一番だが、たいていの人は勇気付ける代わりに、金庫をあけろとか、

金庫を閉めている臆病さをののしり、歯軋りして脅すのである。

臆病者にはそのようなこと有効であるわけが無い。

余計警備を厳重にして、逃げていくだけなのである。


じゃあ、逃げないでいることの価値はどこにあるのか?。

さぁ。

逃げ疲れる、というのもひとつではなかろうか。


たとえばわたしは、無理してひとにあわせるということができなくなっている。

人の話を聞いて無理にあわせるということができなくなっているw。

(なぜかというと、人の話が理解できてないからだ^^;)

かといって突然素直になったわけではないけれども、

ま、これ以上無理しなくてもいいんじゃないかな、と思っている。

だから、ランチは一人で食べているし(といっても、誰かが一緒にきたらば拒否はしてないけど)、

まぁ、いろいろみたいだ。


なるようにしか、ならないね。