気ままにゴー
きめた。
気をつかわないぞ。
日常生活上、無作法とか失礼はいけないが、
そうでない限りは気を使わないぞ。
きめた。
行きたくない飲み会には行かないぞ。
会いたくない友達には会わないぞ。
行きたくないランチには行かないぞ。
やりたくないMMOはやらないぞ。
だれかがほめてくれても、すごいといわれようと、頭よさそうといわれようと、
すいません、ありがとうございます~
と、軽く受け流 そう。
気を使いすぎとか、人を見下してるとか、考えすぎとかいわれても、
そうですか、すいません~
と、軽く受け流そう。
愛とか恋とか人生とか、
コミュニティとか幸せとか、
考えるのはやめよう。
音楽と詩だけはもったいないからとっとくけど。
幸せな気分だけをしばらく追求しよう。
そのほかは棚上げすることにした。
どんなに失敗しても、どんなに頭が止まっていても、
どんなに人から避けられようとも、
とりあえず、棚上げだ。
それが明日月曜日から金曜日までの目標。
では、ゴー。b
バカと壁
そもそも、ぼーっとしてるのが好き。
・・・それの何が悪いん?。別に悪くはないだろう。
一生懸命でりきむ癖がある。
・・・まぁ、それ100%わるいとも言い切れないし。
どーしょうもないと思っている。
・・・それは、真実ではなかろうか?。あきらめたわけではないけど。
ばかである。
・・・これはほんとにしかたない。
これまで、ランチは同期に誘われていたけど、最近はことわって一人で食べようと思っている。
本を読みながら、パンをかじっている。お金はかからないし、ぼーっとしてても大丈夫だし。
でも、人としゃべらない一時間は、短い。
おしゃべりしながらランチをしていると、1時間はけっこう長いのに、本を読んでパンをかじっていると、あっという間だ。
CDなら1枚分聞けるわけだけど。
そこまではしない。イヤホンとか耳に突っ込んでいたら、なんか職場を拒否して孤立してるみたいじゃない。こっちから拒否するのは間違っている。といって、ランチに一緒にいっておしゃべりするほどのエネルギーはなくなってしまった。
こっちから積極的に参加するフリはやめてしまった。
それがラクか、つらいかは、微妙なところだ。
ひとと比べてどうとか、そんなことを考えることは疲れ果てた。
考えたくもない。
むりやりにでも考えないことにした。
自分は劣っているとか考えるのも、自分は優れてると思うのも無理やりやめて、
そういうときには、今読んでいるゲーテのファウストの、めくるめくきらめきを心に描くことにした。
道端の缶ジュースだろうが、連続殺人犯の手記だろうが、
自分自身の神経症的な、隣の同僚との比較などよりよっぽど、すてきだ。
とはいえ、自分のことを考えるなっていったって、そりゃむりだから、
考えるときにはオープンに考えることにした。
オープンに考えるというのはなにも口に出して考えるとかそういうことではなくって、
結論をださないで放り出して考えるということだ。
たとえば、上司に叱られたとする。
何が悪かったんだろうな、と考える。
ああ、あんなことしたからかな、こんなことしたからかな、
きっとあれが悪かったんだ、これも悪かったのかもしれない・・・、
私が変だから周りの人が嫌な感情をもったんだろう、まったくほんとに私って人はいやになる・・・、
と、考えるけれど、
本来なら、私はこういうときには、「もうこんなところにいるのはやめよう」、と結論を出していた。
でも、そういう結論をだすのはとにかくやめることにしてみたらどうなんだろう。
すべての、煩悩に結論をださないで、フェードアウトさせてしまうのだ。
なやんでいたら、なんでもいいからつまらないことでいいのでほかのことを考える。
アルミ窓のサッシがさびているのは何年前からのことなのか、
課長の頭がはげだしたのはどのあたりからなのか、何年前なのか、そのとき課長はどう思ったのであろうか。
目の前の人の目の虹彩がでかいのだが、あれは身体的にどういう特徴なのであろうか。
ファウスト博士はいい男なのだろうか。
間黒男ことブラックジャックが実在したなら、出会ってみたい。
なんでもいいから、別のことを考えることにしたいのだが。
つっぱった顔を何とかする方法
自分の顔が、なにかおかしなことになっているらしい。
笑いかけると、顔をそらす人がいたりする。
いったい何が起こっているのだろうかと家族に相談して、職場のつもりで笑って見せた。
すると、家族の動きがいっしゅんストップし、
それでは笑いかけられた人のほうがこわばるだろう、と真顔で言われた。
私の笑顔に、何が起きているのか。
とか言ってる場合じゃないらしい。
どうも目はおびえていて、口元は笑っているとか、表情がこわばっているらしい。
最近、自分は目の下あたりが動かなくなってるなぁ、と思っていたのだが、
その部分だけ麻痺したみたく、硬いのである。
・・・で、それを隠すために、めがねをかけるのはどうかと思って、眼鏡屋に行ったところ、
あなたは裸眼で1.5の視力があり、めがねの必要はないといわれてしまった。
めがねがダメなら化粧を濃くするのはどうだろうかと家族に提案したら、それはもっと怖くなるからやめろといわれた。
額にビンディーをつけるというのはどうかと提案したら、なんのためにそんなものをつけるのだといわれてしまった。・・なんでって、こわばった表情から意識をそらしてもらうためだよ。
だめ?。・・だめ、といわれてしまったので諦める。
・・それがだめなら、カツラをかぶるというのはどうか。バカ殿のカツラみたく、思いっきりへんなやつ。
こわばった表情をだれも気にしなくなるんじゃないかな?。
家族にそういったら、ついに、あの人はあたまがおかしくなったと思われるからやめろ、といわれた。
三つ子の魂百までというけれど、
私は昔、修学旅行でパンツを落としたことがある。
小学校のときだった。中学生以上だったらたぶん二度と学校に行けなくなっていただろう。
風呂上り、部屋でくつろいでいたら、先生が突然部屋にやってきたのだった。
先生に名前を呼ばれて私は、ドアの前へいった。
と、先生があきらかに私のものであるパンツを広げて、背中の部分にある名前を見ながら、
「男風呂の前に落ちていたのを男子がひろってきたが、名前が入っていたのでもってきた」
といったのだった。
「あらら、わー、私のです、すみませーん。」
と、私は一瞬そ知らぬ顔をして受け取ったのだが、すぐにパニック状態に陥った。
どうしようどうしょうと思った挙句、私は顔中に、クレアラシルをぬってしまった。
なぜクレアラシルをぬったのか?・・・理由はいまひとつ自分でもわからないが、
その当時、私は顔にたくさんのにきびができていて、ポツポツの一つ一つに毎日クレアラシルを塗っていた。
クレアラシルを塗ると、乾燥する。つっぱる感じになる。そして、白くなる。
それを顔中に塗ったもんだから、顔は思いっきり引きつって真っ白になった。
その顔で、夕食会場へ向かった。
当然、私は話題の的。
パンツの話など出なかった。
・・・どうしたんだそんな真っ白な引きつった顔をして、ピエロみたいな!?。
と言われた私は、へらへらわらってにきびなんだもーん、とごまかした。
こういうのを、あきらかに恥の上塗り、っていいます。
・・・えっと、何の話がしたかったんだっけ。
ああ、つっぱった顔を何とかする方法だった。
さすがにもう、クレアラシルでごまかせるトシではないから、
なんとかしなきゃいけないんだけど、無理やり笑うとホラーな笑いになってしまう、と。
まぁ、疲れてるんだと思って笑わないのが一番なんだろうな。
よく寝て疲れを取るとか、ね。
・・・解決になっていないけれど、今日はもうよいことにします。
ちゃんちゃん。
嫌がられる女。
今日、道を歩いていて突然気がついたことがある。
(はじめて本心から気づいたのだ、たぶん。)
愚痴を言ったり、うらみつらみを述べたり、暗いことばかり言っている女というのは、嫌がられるのだ、と。
・・・思えば、前々から友達が少ないし、あんまり続かないなぁと思っていた。
その理由というのはもしかして、私が暗かったり、内向的なことばかり(自己分析とか)言っているからじゃあなかろうか。愚痴ったり、過去の話ばっかりしようとするからではなかろうか。
そのせいで、上司とか同僚が相手にしてくれなかったり、同期と会話が続かないのではなかろうか。
・・・27歳にして初めてふと、思ったのである。
(ってことは、このblogも嫌われるblogなのかもしれないが・・・。
でもこれは成長記だからしかたないの。成長するかどうかはともかく望みをもってるわけだから、いいの。)
ちなみに、私自身もあんまり友達と長くいることを好まなかったし、いつもつらい。
会話がつまらないから、だ。キャッチボールもうまくいかない。
そのため、一人で本読んでるほうがいいやとか、あんなTVの話なんて理解できねーよ、とかつぶやいた挙句に、孤立して、挙句の果てに、あいつは人をバカにしている、見下している、と思われる。
たしかに、見下している。
私はまさに、正統的に、しっかりと、人を見下しているのだ。
私は、「人を見下す」ことの本質は、疎外感とか劣等感にあると思う。
注目されていないこと、一目置かれていないこと、愛されていないこと、
そのことが私にとってとても、大きな問題になるからだ。
だから、その理由をつけるために、人を見下しているような気がする。
見下すことは、正面から見ないことだ。だから、自分が見たくない対象を見下すことで、その影響を最小限におさえ、かつ、自尊心が傷つくことを抑えることができる。
なーんて。
私は人を見下す自分がきらいなのに、見下すことがやめられない女です。
そういえば、今日はたぶん10年ぶりくらいに酒によって気持ちがいいと思った。
私はけっこう、やさしい人といわれる。子供のころからそうだったと思う。
で、他人にはたしかに優しい事は言うし、平和がすきでもある。
でも、少しづつ、親しくなってくると、愚痴とか暗い話しかすることがなくなってしまうのだ。
学生時代、私が親しくなった相手にした話は大体、親の愚痴だった。
生まなきゃよかったといわれたとか、そんな話。
あとは、青木さやか並にオーバーリアクションなふざけたマネ。
そのせいか、おもしろい人といわれても、友達になりたい人といわれたことはないんだもんね。
仕方がないけど。
暗い話をすれば、私は親の愚痴を聞いて育って、思春期のヒキコモリのころは、
昼おきて夜寝るまで親と喧嘩をしていた。
そんな生活が3年間くらいつづいていたせいか、暗い話をするというのは当然のことだと思っていた。
なーんて。ほんとだろうか。
私は私が信用できない。
愚痴をいって、自分の価値を低めて、たくさんの人に見捨ててもらう。
もう十分だ、って思えるまでずっとそれを続ける。
いい子の顔と、ダークな自分の顔を分離することができるような余裕がなくなるまで。
ほんとの私があらわれるまで。
なーんて。ほんとかよ。
とにかく、愚痴ばかり言ったり、暗い話ばかりしている女は、
嫌われるんじゃないのかな、たぶん。
わたしが嫌われたいんだったら、好きなだけ納得するまで、ネガティブな話をすれば?。
なーんて。
ほっといて。うそ。誘って。うそ。ちがう。
まず。
社内の問題はリアルタイムで起こっている。
とりあえず、私はまだ誰かに「誘って」といえないし、
目の前で誘い合っている誰かを見ながら、目もあわせられないでうつむいてる状態であります。
先輩が目の前を通ると、なにかかならずといっていいくらいヘマをしでかしてしまう。
たとえばファイルをバラバラおとす。意味なくパラパラファイルをめくる。
・・・落としたくて落としたわけじゃないけど、手は仕事してるけど目はびくびくして先輩を外郭視野で追っているから、無意味な行動をとっているんだろうなぁ、とぼんやりと自己分析している。
先輩が隣を通り抜けるさいに、反射的に小さな声で「そのファイル邪魔ですね」と言ってみるけど、
そんな小さな声、誰も聞いてない、または聞こえてない。みたいな。
全然関係ない隣の席の上司が反応して、怪訝な顔で私見てる・・・。と。
かっこわる。どないするんじゃ。えへへ。
私はもともと、大学時代からかなり変人といわれていて、社会適応困難な人種の一人と目されていた。
けど、この仕事を初めて1年経過して、さらに輪をかけて変になったのである。
なんでこんなになったかというと、
去年の一年間、私は指導担当の先輩(もう転属になった)とうまくいかなくて、
所属グループの全員に無視されていたことが原因なのではないか、と思う。
当時は私は無視されてるとは思っていなくて、自分は嫌われるような人間なんだ、と思っていた。
私という人間は、確かに多少ルーズなところはあるし、ちょっと思い上がってるところはあるかもしれない。
タイプで分けると直感タイプで、やたらめったら早いけど、大雑把、という感じかな、と思う。
自分にも他人にもあまり細かくないし、人の欠点を指摘しすぎたりすることはしないし、
なんか問題が起こったら一緒に解決しよう、くらいのゆるいノリが好きだった。
で、去年は自分の中では、「仕事のスピード」がキー問題になっていた。
ほかの視点で見れば仕事のスピードの問題ではないのかもしれないが、わたしの中ではそれが問題だったのだ。(今思えばその認識自体が問題であったかもしれないのだが)
・・・配属されて一年目であるにもかかわらず、周りの先輩がぜんぜん終わっていない仕事が、
ほとんど定時内に余裕で終わる。すくなくともそう思い込んでいた。
そもそも最初は自分が早いかどうかも気づかず、一年目なので負担が軽減されていて、誰かが肩代わりしてくれているのだと思っていた。たしかにそういう面もあったけど、それだけでもなかったのかもしれない。
とにかく、やることがないので何か仕事はありませんか?と先輩に聞きにいっていたくらいだったが、そのうち、同期もぜんぜん終わっていないし、むしろ憔悴していることに気がつきはじめた。
そうすると、私の仕事は何か足りないんじゃないか、と思ってかなり気持ちが悪かった一方、仕事が楽なことに喜びはじめた。舞い上がるっていうのはこのことよね。わたしって仕事ができるんじゃん。楽勝楽勝。
もっといろいろやってみよう。
私は、今の仕事に配属される前に、バイト(っていうかインターンみたいなやつかな)で、同じ業界のほかの仕事を2年くらいやっていたし、そっちのほうがよっぽど厳しかったため、その教訓もあったのかもしれない。
業界内のランクとしては今の仕事のほうが格段上なのかもしれないが、仕事としては前の仕事のほうが格段きつかったのだ。
でも、私はその仕事を結構愛していたので(だからこそその業界で正規に就職しようと思ったんだけど)、その仕事の話も結構先輩にしていたりした。それもよくなかった。
でもとにかく、私は正社員としては一年目で、バイトはしてたから業界経験者という立場にはされてたけど、夜間学校の卒業生としては新卒であったから、まぁ、世間知らずだったのかもしれない。てかそうなんだろう。それが原因なんだろう。
私はバカだったと思うけど(自分でもよくわかっていたけど、一年目なので思いっきりやっていいのだと思っていたのだろう)、ほんとうはまだ納得できていないんだろうな。甘かったのだと思うけど、思い切りやりたかったのだ。
その上に、かなり臆することのない性格というか、質問はひたすらする、納得できないことはとことんまで聞く、それでもわからなければあらゆる手段を使って調べ上げる、というねちっこさがあると思う。
それから、やったことのない仕事に関しても、敬遠するよりもやってみようということで、面倒だとか、仕事を減らそうということは全く考えずに、抱え込む傾向があった。
そのうえ、ひそかに自分をACではないかとか境界例ではないか、とか疑っているくらいなので、
対人緊張が非常に強い。そのために、先輩にならったことがすぐには頭に入らない。
ぼーーーーーーーー、っとしているのだ。
習ったことを何度でも間違える。間違えるたびに疑問点がわいて、先輩に尋ねる。先輩は、こんなこともわからないのか、といった調子で「どうせ言ってもわからないだろうけど」といいながら、私に説明するが、
私はさらにわからなくなる。緊張してだめになるタイプらしいのだ。
臆病なので、わからないのが先輩の教え方のせいじゃないのか、と心の中で思っていても、
「本当にすみません、よく理解ができないのですが、~は~というのは、~なのでしょうか?」
というような聞き方しかできない。その挙句に、先輩が怒り出す。
メモを取りなさい。去年の新人はたくさんメモを取っていたわよ。
なんで自分がメモを取らないのかわからないのだが、おそらくメモを取る余裕もなかったと思われる。
メモを取るようにしても、メモを取ったことすら忘れてしまうくらいだったのだ。
あまりに言われることが続き、私はまるで重箱の隅をつつかれているような気がしてきた。
予定していた帰社時間に5分遅れたとか、大人なんだからお昼くらい一人で食べればとか、
何度聞いても、「あなたの質問がよくわからないんだけど」と頭ごなしに否定される。
私だってわからないから質問してるんだけど、と思うけれど、そんな完璧に質問できるわけもないので、
がんばらなくちゃ、と思ってなんども質問を繰り返すうちに、
最初は、「○○がきて、××、というかんじのことを言っているんですけど、どうしたらいいでしょうか・・・・」
と聞いていたものが、言葉で正確に情報を伝えるために、
「○○に○○があり、○○から○○の状態に陥っていて、○○と訴えています。この要求に対して、どのようにしたらよろしいでしょうか?」
みたいな角ばった聞き方しかできなくなった。私は法律家かょ。
それでも、先輩は「はぁ?。意味わかんない。」と思いっきり軽蔑したような顔(と、私は感じてたんだけど)して、ちゃんと答えてくれない。答えてくれても理解できない。
「あなたは考え方がおかしい。やっていけない」みたいなことを言われてあまりにあまりだと思って、
「それは考え方が違うということではいけないのでしょうか?」と言い返したらひどく言われたために、
そのまま先輩と口をきかなくなったりしたこともあった。
どうしようもないので、自分でなんとか調べようとし始め、先輩に聞くのを諦めて、
ネットで検索したり書籍をあたったりすることでなんとか穴を埋めていく。
その間にも、グループ内ではどんどんハブにされていく。
しかも、誤字脱字とかそういう感じのものをたくさん指摘されてばっかりいるうちに、
もともと多いケアレスミスがやたらめったらと増えてきて、
ついに、同じことを10回20回やってもケアレスミスがとまらなくなってしまった。
上司からあんたのミスは普通のミスではない(優れたミスだというわけではなくて、異常なミスだといいたかったと思われる)、といわれ、自分でもプレッシャーでつぶれているのはよくわかったけど、どうしょうもなくなった。
で、私の外側で交わされる会話を聞いて聞かぬ振りをしている何ヶ月かの間に、
すっかり人と目を合わせることができなくなり、定時出社さえおぼつかなくなってきた。
実際何度か遅刻して、遅刻するとさらに先輩に白い目で見られるような気がするもんだから、
その日一日中ミスをしまくる。
そのミスをさらに指摘されて、めちゃめちゃになってくる。
最後は、最初は定時で上がっていた仕事が、終電ぎりぎりまでやってもなお終わらない状態になり、
しかも、人の言っていることがほとんど理解できない状態にまで判断停止して、目の焦点が合わなくなった。
結局、ハブられていると自分が思った瞬間に、今こんな状態にあるのはなんでだろうなんでだろう、と考え始めるのだ。
先輩の応対もひどいけど、自分の性格に問題があるからではないか、きっとそうだ、と思はじめる。
考え始めると、昔いじめられていたからかとか、親との関係がよくなかったからか、とか、
さらには、私は自分がADHDか何かの障害を持っているのではないか、やっぱり境界例なのではないだろうか、と止まらなくなって、どんどん落ちていく。
仕事が速いとか思い上がっているんだろうと自分でも思うけど、自分の考え方をどうやって軌道修正すればいいかなんてぜんぜんわからない。
がんばって早く仕上げることの何が悪い。でも劣等すぎるということはあっても、優秀すぎることはないはずだ。コミュニケーション能力のない自分が一番いけない。
・・・で、結局欝っぽくなっていたのか、人事考課の自己申告書はほぼ全部、最低点で出そうとしたくらいだった。
それでもとにかく、期限のある仕事は基本的に期限内に意地になって仕上げ、
みんながお昼を食べているときには隣で弁当の輪が広がっているのに背中を向けて、一人本を読み、
仕事が終わったら、できるだけ早く帰ることにした。
その代わり休日はひたすら寝て、おきては親に愚痴ばかりこぼしていた。
すべてを見失っていって、死ぬこととか、考え始めた。
また、ダークサイドに飲み込まれたわけですね。
結局なにがいけなかったのか?。
今でもきちんと理由がわかるわけではないけれど、とにかく、
死のうとかおきたくないとか、ひたすら退行するのはよくないな、とおもって問題の棚上げを今試みている。
仕事をやめてもまたどうせ同じことがくりかえされるだけだろう、と思って即座にやめるっていう選択肢は捨てている。
今よりもポジティブな場所に上がる、方向がない限りはやめてもどうしょうもないのだ。
と、思って資格試験の情報を集めてみたり、通信教育の資格学校に入ってみたりする。
でも、すべてがむなしい。
20台も後半で彼氏もおらず、左手首に切り傷つくってる女が、
資格を取ってキャリアアップしてこんな仕事やめてやる、見返してやるわ!、
・・・って叫ぶときのむなしさったらありません。
茶碗のご飯を半分残して、あたらしい茶碗に手をつけているようなものだ。
・・・かといって、いじけて資格も取らなければどうしようもないので、なかば眠った精神で夢遊病者のように資格受験の申し込みをして、いまこんな文章を打ち込んでいる。
同期とか友達には、途中から愚痴以外はなす事柄がなくなり、それも悪いと思うと、
何も話せなくなった。
いまは一緒にランチに行くのも苦痛なくらいだ。
10年先も生きているとしたら、
そうして、仕事をしていなければいけないとしたら。
死ぬという選択肢は、なくはないけど明日いきてるつもりなら、考えるだけ無駄なことなのだ。
死に飲み込まれた生を続けても、仕方がない。
孤独というのはいつになったら快いものとなるのだろう。
・・・ならねーよ。
はじめに
まず。
このページは、ネガティブ女が、生き方をかえるかな、と決心した日に作ったblogです。
このblogの作者、pourpreは、ともかくネガティブ思考な女です。
私の周りでここまでネガティブな女(男)は私以外に見たことがありません。
どんだけネガティブかというと、
1.悲しい話と暗い話、そして過去への恨みつらみ以外に、熱意を持って話せる事柄がない。
2.未来に希望がないと自信を持っていえる。
3.休みの日はひたすら寝ている。
4.自分にはとりえがなくて、いつも人からバカにされてると思い込んでいる。
5.ひきこもりたい。もしくは、昔思春期に、実際引きこもっていた。
6.死にたいとか疲れたとかいう言葉が口癖になっている。
7.友達などいない。(すくなくとも、そう、思っている。)
8.人間恐怖症だし男性恐怖症である。(すくなくとも、そう、思っている。)
9.極端な優越コンプレックスがある。(=劣等感の裏返しってことね)
つまり、私はどこでも一番とか、中心でないと意味ない、って思っているので。
10.いままで生きていて楽しいことなどひとつもなかった。(すくなくとも、そう思っている。)
11.ネガティブを治すことに何の意味があるんだ?と思っている。
12.嫉妬深い。負けず嫌い。
13.何かというとトラウマを口にする。自分のことを精神の病だと思っている。離人症だと思っている。
14.学歴コンプレックスガチガチである。
15.過去にイジメにあったことを克服できてない。
16.いつも、むなしい。
17.人間不信だ。
18.自分はもうトシでどうしょうもないとおもっている。
あー、こんなやつ嫌だ。
こういうのは、よくあるネガティブな様でいて、なかなかここまでネガティブな人は、
一般社会では生きてないと思います。(生きていけないかも、だ。)
去年の4月に就職してからというもの、私はあれよあれよという間に、
ネガティブさに拍車がかかり、ためらい傷を腕につくってるんじゃないか、ってくらいまで、
落ちていったわけでした。たぶん、社会不適応が露呈したから、なんだけどろうけどね。
なぜこんなにネガティブになったのか?
それはもう、15年位前からずっと座して考えてきた問題でした。
なにが原因なんだ?
とか、とにかくいろいろ考えまくった結果、地獄のそこまで落ちてやると思うぐらい、ブルーになって、
唯一残っていたかもしれない友達の輪まで断ち切って、ここ何ヶ月かはついに、
親に私はもう死ぬしかない、精神病院に入るんだ、と叫ぶまで落ちていたわけですが。
そして、左手には十年ぶりくらいのためらい傷。
ふと、気がつくと、自分はいまもう、これ以上失うものはないんじゃないか、と思ったのです。
リアルに持っているものを失うことは簡単だ。
精神病院(とか、へんなカウンセリングとか)で薬をもらったり、病名を授かることは、難しくない。
・・・でも、それでよいのかね?何のために精神病院にいくのかね?
自分が弱いことを示すために、精神病院へ行くのかね?
仕方がないじゃないか。
・・・あなたは、自分の中にある死に飲み込まれて、生きながら死んだ生を送るのかね?。
ああ、それは、ちがうのかもです。
私は物心ついたときから、自分の中にある「恐ろしい」死に飲み込まれて生きてきた。
克服できないものならば、あらかじめ死んだ生を生きるしかないと思っていたわけだ。
でも、天秤は、わずかに比重がかわっただけで、すぐに動き出す。
私はたぶん、自分が納得するまで落ちないと、だめな人種なのだと思う。
同じ傾向の人がいたとしても、
どこまで落ちるか、は人によって違うし、どのように落ちるか、も人によって違うだろう。
私はまだ、自分がどれだけ本当なのか、自信を持っているわけではない。
だけど、とにかく生き方は、変えて行けるのか?。
やってみるけど、どんなもんなの?
・・・これは、その、記録をつけるための、blogなのです。